薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

さよなら Mr.Dandy

2006-05-31 | Weblog
「そうしないと、君が困るんだろ」
 僕が運転する車の後部座席に座るダンディな男が優しく語りかけてくれた。

 今から20数年前、広告会社の支社で営業だった僕は某商店街のプレミアム
キャンペーン企画でそのダンディな俳優を指名され、ディナーパーティを企画
立案し、プレゼンしたのだが、ある問題で胃がキリキリ舞していた。
「これだけのギャランティ支払うんだからちょっと僕らの店鋪に彼を呼んでくれ」
 とクライアントの商店主からいきなり無理難題のオーダーを受けた。ちょっ
とと言ってもリクエストは約10店鋪。しかも、パーティの数日前にである。
今さら、キャスティングに言うわけにもいかない。無理やり日程を調整して頂
いてた上に予算的にもギリギリでもあった。当時の僕はまだクライアントに楯
突くロジックテクもスキルもなく途方に暮れたのであった。
「もう、腹をくくるしかないな・・」
 僕は空港にピックアップに向いながら空ろな思いで左手で痛む胃をおさえた。

「あのー、急な話で恐縮ですが・・クライアントがぜひ、店にご招待したいと」
 マネージャーが恐い顔で僕を睨むのがバックミラー越しに見えた。
「駄目です。ショーのリハの時間もなくなりますし。」
「そうですよね。でも、みなさん家族を含めて会えるのを楽しみにしてまして」
「そんなこと急に言われても」
 僕は営業として、顔を強張らせながらも必死に食い下がる。
そんなやり取りを黙って聞いていた俳優さんがマネージャーを制し
「何店鋪位あるの?」と、優しい口調と眼差しで話しかけて来た。
「はい、10店鋪程です。」
「そりゃ大変だね・・・でも
 そうしないと、君が困るんだろ」
 と。

今から20数年前、僕がまだ26才前後だった頃。
当時Mr,Dandyこと「岡田 眞澄」さんは恐らく48才前後。今の僕の年だ。
カッコ良く生きる。ダンディに生きる。そして、なにより人に優しく生きる。
岡田眞澄さんは最期まで真のダンディズムな生き方をして、逝かれた。

岡田眞澄さん、やすらかに。

合掌