薩摩芋郎 STORY

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SHOCHU IS MY LIFE

タニーヤン・ネパール放浪ダイアリーズ4<チベット難民学校へ>

2005-09-01 | Weblog
トリブヴァン国際空港でドルからルピーに両替後、タクシーで予約していたHOTELに
直行。くそ不味いディナー後、気分転換に温かいシャワータイム。しかし、すぐに
停電になり冷水にちんこもちいちゃくなり震えながら疲れを洗い流す。予想はしていた
が想像以上にネパールのインフラは遅れていた。キャンドルを灯しベッドサイドで座禅
を組み瞑想しながらチベットの歴史に思いを巡らせた。

1950年、突然の中国の侵略、弾圧により国を追われたチベタンは45年たった今でも
ネパール、インドを目指し毎年数千人が亡命を計っている。しかし、ヒマラヤ越えは
子供、女性にはあまりに過酷で凍死者が多数でている。中国はチベット自治区で歴史
的価値がある寺院の約90%以上を破壊、東部では森林伐採が進むが植林さえしない。
さらに過去数十回も核実験を断行、核兵器発射基地まで造ってしまった。教育面でも
チベットの子供の半数は就学できず、差別や虐待、秘密警察による密告と投獄が日常
の風景になっている。チベット仏教の導師、後にノーベル平和賞を受賞した
「ダライラマ14世」の蜂起は武力制圧されやむなく1959年、インドに亡命、
ダラムサラに亡命政府を興しチベタンの最後の希望の地となっている・・・・・・
などなど。中国への怒りが沸くが睡魔に負けいつのまにか寝ちまった。

1995年3月30日、快晴
朝6時に起き、持参した栄養補助食品とスポーツ飲料で簡単な朝食を摂る。
チェックアウト後、旅の第一の目的地「チベット難民学校」を目指し歩き出す。
貧乏旅行なんでタクシーは使わない。バックパッカーの基本、徒歩である。
トホホ・・テクテク歩く。暑い。30度くらいだろうか?突き刺すような紫外線
たっぷりの日差しと異臭(神の化身とされる牛様の糞があちこちに。靴は糞まみれ)
さらには車の排気ガス、鳴り止まないクラクションで息苦しくなる。
しかも、バックは異常に重い。肩にくい込み腰まで痛くなりやがった。
ダルバール広場を経由しゴールデンテンプルでマニ車を回すが、逆に回し僧侶に
怒られ、マハダーボ寺院でお布施し祈りさらに歩き続ける。
「修行。修行・・えーー糞、暑い!」とぶつぶつ呟きながら延々歩き続けた。
2時間程歩いただろうか。
ようやく「チベット難民学校」<PRIMARY SCHOOL>の看板とゲートが
見えてきた。守衛のおじさんに来校の主旨を伝える。
アポなしにも関わらず丁重に学校を案内してくれた。そして校長室に通された。
冷たいチャを頂いていると5分もしないうちに長身の校長(Headmaster)が現れた。

つづく

*カトマンドゥの雑踏