薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

ココロとココロのキャッチボール

2006-11-17 | Weblog
年をとるとあちこち痛くなる。特に四十肩、いや、まもなく五十肩が顕著。
昨夜、テレビで難病の子供のためにヒットを打ち、奇跡的に子供の命を救
った大リーガーの再現ドラマをやっていた。そのラストシーンで、大きく
なった難病の子供と引退した大リーガーが楽しそうにキャッチボールをし
ているのを観て、僕も子供とキャッチボールしてた昔のことを思い出した。

「スバッ」
「ボッ」
「パシッ」
 ポロリ・・「ごめん、父ちゃん」
「よかよか」
「ズバッ」
 ポロリ・・「あっ!ごめん」
「どんまい、どんまい」
 と、小学校低学年だった息子は時に落球し、その度にくやしそうな顔を
して僕に謝り、懸命に返球した。会話はほとんどなかった。でも、うまく
表現できないけど息子の投げるボールには一球、一球、様々な思いも一緒
に込もっていた気がする。無論、僕の思い、愛情もたっぷり込めて一球、
一球、投げていたつもりだ。何も言わなくても、なんとなくココロとココ
ロはキャッチしあえてた気がする。そして、息子が高学年になると徐々に
落球しなくなりコントロールもスピードもつき始めた。

「ズバッ」
「ズバッ」
「あっ、すまんすまん」僕の暴投で球はとんでもない方向に飛んでいった。
「父ちゃん、どんまい!どんまい!」
 ボールをダッシュで追いかけながら息子は、僕をかばうフレーズを言い
やがった。いつの間にか、僕のコントロールが狂い始めて立場が逆転して
いた。もう、息子の方が、コントロールもスピードも遥かに上手くなって
いた。僕は30球も投げると肩が痛くなり投げられなくなっていた。
そして、いつのまにか息子とキャッチボールをしなくなっていった。

そして今、次男は中学二年生になった。休日も、野球部の部活、試合で
クタクタになって帰ってきてる。もう、父親とキャッチボールする年齢
じゃないけど、もう一度だけ息子の球を受けたくなった。きっと、思い
っきり手加減してくれるんじゃないかな、
と今宵も五十肩をさすり、目頭を熱くしてぬるくなった焼酎をあおった。
最近、なんかセンチで涙もろいっす。

最新の画像もっと見る