ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

韓国の45歳男が女子中学生を妊娠させる、最高裁は「愛があった」と無罪判決―中国報道

2014-11-27 14:41:38 | 政治、経済
これが韓国。

日本とはだいぶ違います。

国が違えば法律も変わる。

それを理解しないといけない。



そーすから

25日付の韓国紙・中央日報によると、15歳の女子中学生を妊娠させた45歳の男に対し、最高裁が無罪判決を言い渡した。ショートメールなどの内容から2人が恋愛関係にあったことが証明されたためだという。26日付で環球網が伝えた。

事件は女子生徒側が性的関係を強要されたと提訴したことから明るみになった。女子生徒は15歳の中学3年生だった2011年8月、交通事故で入院し、45歳の男と知り合った。男は知り合った翌日、女子生徒に無理やりキスをして、その1週間後には性交渉に及んだ。2人はその後も複数回にわたって性行為を繰り返し、女子生徒は妊娠した。

女子生徒は男に性行為を強要されたと提訴し、男は強姦の疑いで逮捕された。男は「2人の間には愛があった」と主張したが、地裁は性暴力事件とみなし、男に懲役12年を言い渡した。二審では懲役9年に減刑されたが、有罪判決は覆らなかった。

ところが、最高裁は男の無罪主張を重視。2人のショートメールなどのやり取りから、男は女子生徒に「一目ぼれだった」「愛している」「一緒に暮らしたい」などと愛情表現をしていたとして、2人は恋愛関係にあったと判断、無罪判決を言い渡した。

これに対し、韓国の検察や女性団体が猛反発している。性暴力犯罪被害者の救済に力を入れている弁護士は「未成年の女性を狙った典型的な性暴力事件」と指摘。女性保護団体も「韓国も米国のように合法的に性交できる最低年齢を16~17歳に引き上げるべきだ」と訴えている。

(編集翻訳 小豆沢紀子)

離婚、転職、貧困…社会のスキマに堕ちていく女の物語【小説『絶叫』著者インタビュー】

2014-11-27 05:54:35 | 政治、経済
昨日の夜のTV番組で

若者女子の貧困をやっていた。

22歳の女性はネットカフェで生活、風俗で月10万って?

安くない?

風俗の世界も整形韓国女性に奪われているのか?

30代の女性は派遣で収入は月11万。

これが今の日本社会の実態。

なのに移民の受け入れとか留学生歓迎とか、、コンビニの店員は中国人だらけ、、

片言の日本語に違和感。。

アベノミクスって何なの?



そーすから

女性の平均給与は268万円で、男性(502万円)の約半分。

 単身女性の、3人に1人が年収112万円以下という貧困状態。

 こうしたデータとともに、ここ数年、「女性の貧困」が大きくクローズアップされています。NHKが『あさイチ』『クローズアップ現代』などで大きく取り上げ、また、女性の困窮をテーマにしたルポルタージュも多く出版されています。

 先日出版されたミステリー小説『絶叫』は、決して、「女性の貧困」をメインテーマにしたものではありません。が、「平凡」な「普通」の人生を送っていた女性が、バブル崩壊をきっかけとした父親の蒸発から家族を失い、幸せな結婚もつかのま、離婚。転職を重ねるうちに気づけば無縁状態となり、貧困のために体を売るようになり、その生活も破綻を迎えて……という、社会の隙間に堕ちていく女の生涯が、ある凶悪犯罪と絡んで描かれます。

 壮絶な主人公の人生がリアリティをもって迫るのは、作者の筆致の巧みさはもちろんですが、「社会の隙間に堕ちていく女」が、決して、現代の日本において絵空事ではない、という現実があるからではないでしょうか。

 作者の葉真中顕(はまなか・あき)氏に、『絶叫』に込めた思いを聞きました。

――デビュー作『ロスト・ケア』(第16回日本ミステリー文学大賞新人賞)では、介護問題を取り上げ、制度の未熟さや、社会の理不尽さを提示されていました。新作『絶叫』は、国分寺のマンションで「鈴木陽子」という女性の死体が発見されるところから始まります。その彼女の人生を追っていく過程で、「女性の貧困」のほか、ブラック企業、貧困ビジネス、DV、ネトウヨなど、さまざまな“現代”の社会問題が描かれますね。

『ロスト・ケア』は、介護問題というひとつの社会問題をクローズアップした小説です。一方、今回の『絶叫』では、さまざまな社会問題を取り扱ってはいますが、私の中では「時代を描く」ということを目指したんですね。

時代――つまり、個人の力ではどうにもならない大きなもの、流れのようなものを書きたいと思ったんです。

この世の中で、100%自分の思いどおりに毎日を生きている人なんていません。何か、自分の意志とは関係のない、大きなものに翻弄される感覚というのは、誰だって、多かれ少なかれ抱いているはずです。

とくに、バブル崩壊以降、それまでの「前提」というものが大きく崩れ、「そのうちなんとかなるだろう」という感覚はまったく共有できなくなった。2000 年前後から、より大きなものに翻弄される感覚っていうのは強まっていると思うんです。

「鈴木陽子」は架空の人物ですが、時代の変遷とともに彼女の一代記を描くことは、同じ時代を生きる、誰にでも当てはまる物語になるんじゃないかなと、思って書きすすめました。

――主人公の「鈴木陽子」は1973年にある地方都市に生まれ、両親と弟の4人家族。地味で目立たない「普通」の学生生活を送り、まあ、それなりに恋もして、「こんなもんか」と思いながら日々を過ごしています。それが、2000年、父親が失踪。そのとき、作品中にはこんな表現が出てきます。

 あなたはまだ気づいていなかった。(略)「地に足をつける」と思ったところで、その地面の中身がぼろぼろなら、ちょっとした拍子で崩れてしまう。

 ここから、陽子は堕ちていくわけですが、現在、注目を集める「女性の貧困」については、葉真中さんはどう思いますか?

昔からあったものではあるけれど、今、強く可視化されてきた、ということなんだと思います。社会の矛盾のしわ寄せは、基本的にいちばん弱いところにいきますから、それが近年になって、大きくクローズアップされるようになったのかなという印象ですね。

すごくわかりやすい例で言えば、たとえば、昔は女性が学校を出たあと、「家事手伝い」っていう、ひとつの身分というか進路がありましたよね。

もちろん、今でもそれが可能な家もあるとは思います。しかし、経済事情や家庭の事情で、いつまでも自立しない娘を家においてはおけないという家庭が圧倒的に増えています。

女の子は学校を出たら、家事手伝いをしてそのうち結婚でもすれば……というライフプランが成立しづらくなっていて、かといって、誰もが社会に出て働いて自立できるわけでもない。単身女性の3人に1人が貧困ライン以下の収入しかないことなどからも、個人の選択の問題以前に「イス取りゲーム」のイスが足りない状況は明らかです。

そもそも、女性が自立をして生きていくということを想定して、社会がデザインされていないわけです。かつての高度成長期なんかは、それで上手く回っていたのかもしれないけれど、バブル崩壊以降はそうはいかなくなってしまった。時代が変化しているのに、社会の枠が変わらないのですから、こぼれ落ちてしまう人が出てくるのも当然と言えば当然です。

そして、それは同時に「女性が弱い立場におかれやすい」ということの裏返しなんだと思います。社会に矛盾が生じたとき、そのしわ寄せは弱者にいきます。つまり、女性だけでなく、同じように弱い立場の人にも、同じような困難が降り注いでいるということもでもあるわけです。

メディアで「女性の貧困」がクローズアップされている影で、同じように貧困問題で矛盾のしわ寄せを受けている人も、当然いる、ということだと思います。