お手紙届きました。
僕はきっとショックだったことでしょうね。
テレビで、自ら命を絶ったニュースなどは、目にしたり耳にしても、まさか自分の身近な人が。
ご両親の悲しみを思うと胸がせつなくなります。
命を絶ってしまった理由がわからないだけに、悲しみの行き場をご自分達のせいにしてご自分達をせめてしまわないでしょうか。
それがとっても心配です。
子供が小さい時、感受性が豊かに育って欲しいと、本を読み聞かせ、虫に触らせ、海に連れて行き、自然を体に感じさせてあげました。
でも、ふっとあたりを見回すと、一生懸命持たせようとした感受性がかえって足かせになるのではないかとさえ思うことがあります。
空を見上げて美しいな~と感じ、花を眺めてきれいだな~って思い、名文に感動して胸をあつくしたり・・・
その反面、ちょっとした心無い言葉にもとても敏感になります。
近頃では、傷ついた心を慰めたりしてくれる人より、その傷口に塩を塗る人さえいます。
何も感じない傲慢で自己中心的な人間だけが生き残れる、そんな世の中になってきているような気がします。
どうしたらいいのでしょう?
これからの若いお母さんは、我が子に何て言って育てたらいいのでしょう?
人のことはいいから、自分だけは強くなりなさい?
強くなれないんだったら、強い人の後ろに着いていきなさい?
でも、それはやっぱり違いますよね。
優しい子でいて欲しい!
人の気持ちを思いやれる人に育って欲しい!
ですよね。
その、自ら命を絶ってしまった僕のお友達は、お手紙から察しても感受性豊かな優しい性格だったようですね。
人には限りなく優しいのに、自分には厳しすぎるくらい厳しかったのではないでしょうか?
願わくば、自分にも優しくしてあげていたら。
人に言ってあげるように、自分にも
「大丈夫、大丈夫」
と言ってあげていたら・・・・・。
偶然にもお手書が届く前日に、友達がこんなことを話してくれました。
一時期、死にたい、死にたいと真剣に思った。
悩んで、悩んで、苦しんで、苦しんで・・・。
そんな時、自分の兄に
「私、死にたい」
と訴えた。兄の励ましてくれる事を期待して。
すると
「死ねば!」
と言う一言が返ってきた。
その一言を聞いた瞬間
「私、死にたくない。生きたい。何があっても、どんな事をしても生きたい!」
と心の底から思った。
彼女は、お兄さんの「死ねば」の一言で、死にたい願望から開放されたそうです。
これが誰にも通用するかどうかはわかりません。
お兄さんは彼女の性格を知り尽くしているからそう言ったのかもしれません。
私の身近にも死ぬこと、生きることを真剣に考えてる人がいたことをその時始めて知りました。
私、今日の夕方、104歳で天にめされた方のお通夜に参列します。
「長寿の秘訣?
私は馬鹿だからね~、な~んもクヨクヨ考えんからだろうね~ハッハッハッ・・・・・・」
といつもそう言って豪快に笑っていました。
数ヶ月入院されるまでは、心も体も健康そのものでした。
でも入院中に息子さんを亡くされましたが、その事は彼女には伝えられていませんでした。
天国に行って、息子さんの顔を見て彼女何ていうかしら?
「あら~、先に来てたん?知らなかったわ~ハッハッハッ・・・」
多分、そう言うような気がします。
もう彼女のあの笑顔が見れないと思うととっても淋しいです。
今晩のお通夜、きっと私号泣すると思います。
若くして命を散らす人、104歳まで天寿を全うした人。
かけがえのない命は一つしかないということだけはわかっています。
このお二人に合掌。
僕の心がゆっくりでも癒えていく事を心からお祈りしています。
追伸
編みあがったフレンチスリーブのサマーセーターは何色?
又、写真送ってください。
楽しみに待っています。
若者達の自殺のニュースを聞くとやはり心が痛みます。もっと他の方法は無かったのかと思わずにはいられませんが、そこまで追い込まれていたんでしょうね。
わたしも甥や姪には人を思い遣る事の出来る人になりなさい。人の嫌がる事をしてはいけませんと言いますが、誰もがそう思ってはいないと言う現実があるのも事実です。若い時分は心がむき出しですから反応も様々ですね。
それに比べて明治生まれの祖母は芯の強い柔軟な心の持ち主です。104歳の方と同じで大らかです。わたしも祖母のような心のあり方を目指しているんですが・・・亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
心のこもったコメントをどうもありがとうございます。
今日は葬儀に参列してきました。
お孫さんがご挨拶をされました。
「祖母はいつもクヨクヨしないことが長生きの秘訣だよと言っていました。でも明治、大正、昭和、平成を激動の時期を生きてきて悩まずにこれたはずがないと思うのだけれど、そこのところを生きているときに詳しく聞いておけばよかったと悔やまれます」
104歳の葬儀は、もう悲しみを超えて、おめでたいことですと皆さん言われていました。
でも若い命は悲しみのほかなにものでもありませんね。