朝、びわこ学園へ領収書を郵送。
11時過ぎの京都発にのって、6時過ぎに、弘前に着いた。
新幹線の中で、青木先生のテープを聴きつつ、デジタル化をする。
1つは、1972年の日本教育学会の課題研究の発表。青木先生が実戦と運動の立場からの提起をおこなったものと池上惇先生の障害児行財政の分析(与謝の海の設置に関わる財政支出の分析もおこなっているようだ)。討論は別のテープで以前に聴いている。
2つめは、1982年頃の与謝の海養護学校の定例研での斉藤浩志(神戸大学)の、教育運動・教育労働・教育行政・教育実践などのカテゴリーの整理と関連について。この時期、青木先生は、与謝の海をはなれていて、しかも、このころから、与謝の海の「実践・研究・運動」という紀要に対して、「運動をとれ」といった攻撃がなされていたことに対しする対応の中での学習ではないかと思う。1985年頃には、「発達」という言葉狩りがあんされていくことを思い浮かべる。東京教研のとき、今は亡き荻野先生が「発達」の言葉狩りについて、全体会で発言し、それを清水寛先生がとりあげて発言されたことを覚えている。
もうひとつは、わけのわからないもの。「中央研修 漢詩朗読」というもの。聴いてみると、詩吟みたいなことがあって、その注釈をいい、また漢詩を朗読するというもの。わけがわからなかったので、データにしなかった。
比較的長く、新幹線にのっているので、ききながらデータ化の作業もできる。
弘前で、ビジネスホテルにチェックインして、食事に行こうとすると。
別府君がいた。白石君をはじめ、いろんなひとが、民謡酒場に行っているよとのこと…。どうでもいいので、じゃあということで、一人でラーメンを食べて、ホテルに戻る。
11時過ぎの京都発にのって、6時過ぎに、弘前に着いた。
新幹線の中で、青木先生のテープを聴きつつ、デジタル化をする。
1つは、1972年の日本教育学会の課題研究の発表。青木先生が実戦と運動の立場からの提起をおこなったものと池上惇先生の障害児行財政の分析(与謝の海の設置に関わる財政支出の分析もおこなっているようだ)。討論は別のテープで以前に聴いている。
2つめは、1982年頃の与謝の海養護学校の定例研での斉藤浩志(神戸大学)の、教育運動・教育労働・教育行政・教育実践などのカテゴリーの整理と関連について。この時期、青木先生は、与謝の海をはなれていて、しかも、このころから、与謝の海の「実践・研究・運動」という紀要に対して、「運動をとれ」といった攻撃がなされていたことに対しする対応の中での学習ではないかと思う。1985年頃には、「発達」という言葉狩りがあんされていくことを思い浮かべる。東京教研のとき、今は亡き荻野先生が「発達」の言葉狩りについて、全体会で発言し、それを清水寛先生がとりあげて発言されたことを覚えている。
もうひとつは、わけのわからないもの。「中央研修 漢詩朗読」というもの。聴いてみると、詩吟みたいなことがあって、その注釈をいい、また漢詩を朗読するというもの。わけがわからなかったので、データにしなかった。
比較的長く、新幹線にのっているので、ききながらデータ化の作業もできる。
弘前で、ビジネスホテルにチェックインして、食事に行こうとすると。
別府君がいた。白石君をはじめ、いろんなひとが、民謡酒場に行っているよとのこと…。どうでもいいので、じゃあということで、一人でラーメンを食べて、ホテルに戻る。