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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『偶然の恋人』

2015-07-01 22:48:21 | goo映画レビュー

原題:『Bounce』
監督:ドン・ルース
脚本:ドン・ルース
撮影:ロバート・エルスウィット
出演:ベン・アフレック/グウィネス・パルトロウ/ナターシャ・ヘンストリッジ
2000年/アメリカ

ドラマをぶち壊してしまうゲスな理由の是非について

 一見するならば良い話のように思えるが、個人的には主人公のバディ・アマラルの裁判所での発言が引っかかる。バディは最後の方で以下のように発言する。
「彼(=グレッグ・ジャネロ)は怯えていた。とても不安そうだった。でも昔はもっと勇気があったと言っていた。独り身で家族もなく、財布に誰の写真も入っていなかった頃は。彼には妻と2人の子供がいた。彼は分かっていた。不幸が起きて家族の元に戻れなかったら代われる者は誰もいないのだと。それなのに何も分からない者が手を差し伸べようとした。僕は愚かだった。何も分からずに言った。『チケットをあげる。タダだよ。遠慮するな。心配ないから。』彼は受け取った。そして死んだ。僕は一生重荷をおう」
 しかし作品の最初のシーンを改めて観なおすならば、バディがグレッグにチケットを譲った理由は、その日に出会った臓器センターの開発担当を担っているミミ・プレーガー(ちなみに話題になっているデヴィッド・クロスビーは有名なアメリカのロック・ミュージシャンで実際に1994年に生体肝移植を受けている)と意気投合してホテルで一夜を共にするためというゲスな理由であって、飛行機が墜落してしまったのは、正に作品の原題通りに「必然的な結果、運命(=Bounce)」でしかなく、「何も分からない者が手を差し伸べようとした」バディの責任ではない。そもそも運命に対しては誰も何も分からないはずなのである。
 さらにバディに頼まれて乗客名簿の名前を書き換えたことで勤務先をクビになったジャニス・ゲレロに対するフォローもなく、そうなるとバディが語っているグレッグの言葉がどこまで本当なのか怪しくなってきて(誤解を生まないようにここはグレッグ自身が語る回想シーンにするべきだった)、父親とバザーでツリーを売る約束をしていたことに関してスコットに真実を言わなかったことは良いとしても、「きれいごと」を言うだけのバディの人間性に疑問を持たざるを得ないのであるが、「壊れたドラマ」をアビーに提供できるはずもなく、難しい問題ではある。


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