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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

国益にプラスになる仕方

2010-03-25 00:02:10 | Weblog

鳩山首相「官房機密費、一定期間後すべて公開」(朝日新聞) - goo ニュース

 鳩山由紀夫首相はすでに、機密費の支出先や金額などを記録するよう義務付け、

重要性に応じて数年から数十年後に公開するという「基本原則」をつくるように指示

していたらしいのだが、平野博文官房長官は「国益にプラスなのか」と述べてこうした

指示を受けた事は明らかにしていなかった。つまり平野が隠したい事は官房機密費

だけではなく、自分の都合の悪いこと全てを隠したがっているわけである。記者会見

を見てもわかるように平野は都合の悪いことを聞かれると耳が悪い振りまでする男

である。平野のような全く信用できない男が官房長官についている限り機密費の

使途は一定期間後に公表する方が結果的には国益にプラスになることは間違い

ないはずである。


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クールファイブの“予言”

2010-03-24 09:22:58 | 邦楽

東京砂漠 内山田洋とクールファイブ 歌詞情報 - goo 音楽

 内山田洋とクールファイブは1969年2月に「長崎は今日も雨だった」でデビュー

している。1982年7月に長崎大水害が起こっている。この間は約13年6ヶ月。

クールファイブは1972年11月に「そして、神戸」をリリースしている。1995年1月

に阪神・淡路大震災が発生している。この間は約22年2ヶ月。クールファイブは

「東京砂漠」を1976年5月にリリースしている。インターバルに規則性があるのか

どうかこれだけの情報では私には分析のしようがないし、迂闊な事も言えないので

後は各自の判断に委ねるしかない。


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真理とは何なのか?

2010-03-23 00:12:50 | Weblog

ブレない美輪明宏「真理は永久に変わらない」(スポーツニッポン) - goo ニュース

私は美輪明宏のコラム「明るい明日を」を2,3度読んだことがあるが、賞を受ける

ほどのものだとは正直思えない。例えば記事に載っている鳩山首相が母親から

資金提供を受けていた問題に関する与謝野馨元財務相に対して美輪明宏の

「その中身は本来明かされる事はないと信じられた上での鳩山家の内輪話。多くの

人が与謝野氏の事を“親でも売りかねない信用できない男”と感じたでしょう」と切り

捨てたコラムは確かにその通りではあっても、私には与謝野以上に鳩山邦夫こそ

まさに“親でも売りかねない信用できない男”と感じたものである。真理は永久に

変わらないことも確かではあるが、真理が何なのか分からないから私たちは問題

を抱えてしまうはずなのである。それよりも美輪明宏が江原啓之なる怪しい男と

CMなどでつるんでいる事に問題はないのだろうか? 江原が“真理”だとは私には

どうしても思えない。


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『愛のむきだし』 80点

2010-03-22 23:21:43 | goo映画レビュー

愛のむきだし

2008年/日本

ネタバレ

猥褻という目眩まし

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 園子温監督の『愛のむきだし』は映像の‘猥褻さ’とは裏腹に物語自体は極めて真っ当なものである。主人公のユウの父親で神父のテツが息子の盗撮を赦せなかった理由は、盗撮という行為が被害者が気がつかない限り‘実害’のないものであり、しかし盗撮したことを知ることを隠蔽することは共犯になる可能性がでてくるが、‘懺悔’したことを警察に届けるわけにはいかない神父のテツはユウの告白を聞きたくないために息子を変態扱いして殴るのである。
 しかし父親に殴られることを目的に盗撮しているユウは変態ではない。亡くなった母親の面影を持つヨーコに勃起してしまう彼の性欲はごく自然のものである。本当は男性である‘サソリ’を好きになるヨーコのレズビアンも‘勘違い’である。寧ろ問題となるのはユウやヨーコと同じように家族の愛に恵まれなかったコイケが新興宗教という形にしてでも築こうとする‘理想の家族形態’に対する異常な執着心である。
 あらゆる手段を駆使してユウやヨーコたちに押し付けるコイケの‘理想郷’に巻き込まれながらも、心から沸き起こる愛を手がかりにユウとヨーコは‘変態’を経て、自分たちを縛ろうとする‘家族’を始めとする教団や病院や警察などのあらゆる種類の団体から逃れようと試みる。
 それ故にこの作品のラストは余りにも呆気なかった。呆気なさすぎて私には監督がテーマを掘り下げることの煩わしさを避けて、エンターテイメントに逃げたような印象を持った。しばしばこの作品の上映時間の長さが問題になるが、テーマを追求するためには4時間では短すぎたのではないのかと思う。例えばフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(1979年)のようにカットした部分を加えて6時間くらいの再編集完全版にすればもっと分かりやすくなるのではないのかと思うが、発売されたDVDを見る限り園子温監督にはそこまでする気はないようである。


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県立鶴翔高校を支援する会の会長の“恫喝”?

2010-03-22 17:07:20 | Weblog

阿久根市長「ブログに出す」 県立校長に要求しつつ発言(朝日新聞) - goo ニュース

 だんだんと(元々だったのかもしれないが)鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の

言動がブレてきている。竹原市長が出場禁止を取り消すよう求めたことに対して

県立鶴翔高校の校長は「職員会議で決めたことは変更できず、応じられない」と

答えた。可笑しいのはここからで竹原市長は「ブログに記載する。報道各社にも

伝える」などと話したらしい。まず何も不正なことをしていない校長に関してブログ

に記載することでどのような効果を狙っているのか意味が分からない上に、自身の

ことに関しては黙秘を続けておきながら、他人の事では報道機関を利用するという

ご都合主義に関しても是非ブログに記載して、報道各社にも伝えて欲しいものだ。


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『追想(1956)』 100点

2010-03-21 20:22:04 | goo映画レビュー

追想(1956)

1956年/アメリカ

ネタバレ

自己認識の危機について

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 これほどの名作が正確に理解されている様子が全く見られないので、この作品の面白さを簡単に説明しておきたい。
 ユル・ブリンナーが演じるボーニンが率いるロシア人グループは、イングリッド・バーグマンが演じる、セーヌ河に身を投げようとしたアンナ・コレフをロシア革命のとき独り逃れることができて生き残った大公女アナスタシアとして、ロシア皇帝ニコラス2世が生前、大公女のために英国銀行に預金していた遺産を騙し取ろうと、革命前にアナスタシアと婚約していたポール公も仲間に加えて画策していた。
 クライマックスはヘレン・ヘイズが演じる、デンマークで余生を送ていたアナスタシアの祖母で大皇妃とアンナ・コレフとの対面である。大皇妃はアンナ・コレフがアナスタシアであると全く信じていなかった。他方記憶を失っていたアンナ・コレフはボーニンやポール公の意図とは裏腹に、遺産の獲得よりも自分のアイデンティティをはっきりさせたかったが、いくらアンナ・コレフが説明を試みても、大皇妃は彼女の説明を信じることはなく、面会が終わろうといたその時、咳き込むアンナに大皇妃が心配して体が悪いのかとアンナに訊ねる。アンナは緊張すると咳が出ると答えるのだが、それはアナスタシアが抱えていた症状と同じものだった。それを理由として大皇妃はアンナをアナスタシアだと認めたわけではない。その時大皇妃は気がついたのである。彼女は大公女という肩書きを持っていたからアナスタシアを愛していたわけではなく、アナスタシアを一人の魅力的な女性として愛していたことを。そして大皇妃は緊張すると咳き込んでしまう繊細な心を持っている目の前の女性をアナスタシアを愛するように愛することに何の問題があるというのか考え直したのであり、アンナに大公女の称号を与えて、確立しないアイデンティティに思い悩んでいる女性をアナスタシアにすることで救ったのである。
 大皇妃の最後の言葉「芝居は終わった」という意味は、自分の正体が分からないでいたアンナ・コレフが試行錯誤しながら演じていた‘自分自身’がアナスタシアに決まり、芝居をする必要がなくなったことを指す。
 話はこれだけでは終わらない。アンナ・コレフを演じていたイングリッド・バーグマン自身も当時、仕事も家庭も捨ててイタリアの映画監督であるロベルト・ロッセリーニの元へ走った後に彼との関係が破綻してしまったために、ハリウッド映画復帰第一作の『追想』のイングリッド・バーグマンはまさに主人公アンナ・コレフと同様にアイデンティティ・クライシスに陥っていたはずであり、その切迫さこそがバーグマンに迫真の演技をもたらし、彼女は大皇妃によってアンナが大公女の称号を与えられたように2度目のアカデミー主演女優賞を獲得したのである。


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“巨悪”は誰なのか?

2010-03-21 00:02:28 | Weblog

阿久根市長家族の経営会社、市発注工事を1円差で落札(朝日新聞) - goo ニュース

 ずっと何かと話題が絶えない鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は実はかなり

質の悪い市長ではないのだろうか? 市政改革を掲げて市職員の給与が高いこと

を指摘して「市民のために働く、市民に役立つ役所に変えます!」といかにも市民の

味方のように振る舞っているがマスコミに対しては“歪曲報道”と決め付けて一切の

質問に答えることはなく、“議会との駆け引き”と称して議会出席をボイコットしている

理由は今の時点ではリコールされることがないという計算の上でのことであり、

阿久根市の市民の視線を“巨悪”に向けさせておいて、その間に実は竹原市長

本人が市長と言う立場を利用して甘い汁を吸っているとするならば、阿久根市の

市民は踏んだり蹴ったりという前例のない悲惨な状況に陥っていることになる。


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陣内智則が優勝を逃した理由

2010-03-20 00:02:24 | Weblog

「NON STYLE」優勝、賞金1億円(読売新聞) - goo ニュース

 「S―1グランドチャンピオン2010」の全てのネタの中で一番面白かったものは

NON STYLEの最初のネタだったが、安定した面白さを見せつけたのは陣内智則

だった。しかし優勝者は陣内ではなくてNON STYLEだった理由は携帯電話からの

一般投票だったからだと思う。陣内はゲスト出演していた郷ひろみに例の件で謝罪

していた。陣内は冗談を含めてあの場で謝罪したのだろうが、あの謝罪で離婚の

件を思い出した女性たちの票が大量にNON STYLEに流出したことは間違いない。

陣内は嫁だけでなく1億円も逃してしまったのである。それにしても司会に草野仁を

起用したことは正しかったのだろうか? 田村淳も含めて芸人がみんな彼に気を

使っていて場の空気が重かったような気がする。


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“大々的”になった理由

2010-03-19 15:31:33 | Weblog

民主内紛 生方氏、自己責任で話すのは当然 高嶋氏、外部に批判出たのは問題(産経新聞) - goo ニュース

 民主党の生方幸夫副幹事長が産経新聞のインタビューで小沢一郎幹事長を批判

したことを理由に、副幹事長職を解任されたらしいが、私は生方幸夫が解任された

ことで初めて彼が産経新聞のインタビューで小沢一郎幹事長を批判していたことを

知った。高嶋良充筆頭副幹事長は「党への批判を党外に大々的に言うなんて」と

批判しているが、結果的に“大々的に”してしまったのは高嶋良充の生方幸夫に

対する処分の仕方に問題があったことは間違いない以上、生方幸夫だけではなく

副幹事長をまとめきれなかった責任を取る意味で高嶋良充も筆頭副幹事長の職を

辞するべきであろう。票がますます逃げちゃうよ。


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『空気人形』 80点

2010-03-18 21:03:09 | goo映画レビュー

空気人形

2009年/日本

ネタバレ

心を持つという罪悪

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 ダッチワイフを主役にした映画として既に1975年に曽根中生監督によって『大人のオモチャ ダッチワイフレポート』が制作されている。その作品では生身の女性を嫌悪している主人公の医師が‘究極のダッチワイフ’作りに励むが、それがあくまでも理想とする女性のダッチワイフであり、理想の生身の女性ではない理由はやはり女性の‘心’を取り扱うことが面倒だったからであろう。しかし『ダッチワイフレポート』にはまだ笑いがあった。
 『空気人形』は‘うかつ’にも心を持ってしまったダッチワイフの物語である。クライマックスで純一が空気人形に「空気を抜かせて欲しい」と頼む理由は、元々男性の性欲の捌け口として制作されているダッチワイフとセックスをしても、それは愛の証にはならないからであるが、同様の行為が純一にとっては致命傷になってしまうことが悲しい。
 この作品は「ピノキオ」の変奏と言われているが、冒頭で秀雄が空気人形に、寝室で照らすプラネタリウムで星座を説明しているシーンや、ラストで拒食症のOLの美希が窓から見下ろした空気人形の、ガラス瓶に囲まれて星座になったように美しく横たわるシーンから鑑みるならば、宮沢賢治の童話『よだかの星』がモチーフになっていることは間違いない。
 ペ・ドゥナの美しさと愛らしさは絶品であるが、『よだかの星』同様に救いが感じられないところが見ていて辛い。


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