トゥルー・グリット
2010年/アメリカ
『勇気ある追跡』では見えなかったもの
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
サム・ペキンパー監督によって撮られた1969年公開の『ワイルドバンチ』は‘最後の西部劇’と呼ばれているのであるが、クリント・イーストウッド監督によって撮られた1992年公開の『許されざる者』も‘最後の西部劇’と呼ばれているように、何故か肝心の‘最後’がなかなか終わらないまま、結局コーエン兄弟までも『トゥルー・グリット』という西部劇を2010年に公開してしまっている有様で‘最後’が終わる気配が全く感じられない。
主人公のマティ・ロスは14歳の少女であるのだから、当然世間知らずなのではあるが、犬を撃つことを‘法律や道徳に則った悪(Malum prohibitum)’、その飼い主を撃つことを‘悪そのもの(Malum in se)’というラテン語の知識を披露出来るほどの知性の持ち主であり、マティは‘理屈’を駆使することで父親の仇であるトム・チェイニーを討とうと保安官のルースター・コグバーンとレンジャーのラ・ボーフと共に奔走する。
しかしマティ・ロスが様々な困難に遭遇するにも関わらず、‘現実’が分かっていない理由は、彼女が白人の少女という‘特権’を持っているからである。白人であるおかげでマティは先住民の子供のように理由無く殴られることもなく、少女であるおかげで川でトム・チェイニーと偶然出くわしても彼に撃たれることもなく、顔を踏み付けられはしてもネッド・ペッパーに撃たれることはなかった。賢いマティ・ロスではあるが、自分が少女であることで大人たちに見くびられている(=大目に見られている)ことが分かっていないのである。ルースター・コグバーンとラ・ボーフの後を追って川の中に馬ごと飛び込んで彼らがいる岸までたどり着いた時のマティの体が濡れていなかった理由は、まだ彼女が‘現実’を知らない暗喩と取れるであろう。
マティが‘現実’を思い知るのは父親の敵であるチェイニーを自らの手で射殺した後に洞穴に落ちて毒蛇に噛まれた時である。もちろん毒蛇は‘白人の少女’であるからという理由で遠慮などしない。コグバーンに応急手当をしてもらった後に、馬に乗せられて医師の家まで行くのであるが、限界まで馬を走らせた後に、コグバーンは走れなくなった馬を射殺してからマティを担いで医師の家まで命懸けで届けてくれた時、マティは自分が気がつかないうちに彼らに守られていたことを痛感し、彼女の空虚なラテン語の知識は脆くも崩れさり、ようやく生きることの厳しさを思い知るのである。
コーエン兄弟は誰も気がつかないような人情の機微を拾い上げることが抜群に上手いと思う。
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