MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ある天文学者の恋文』

2016-11-08 00:52:51 | goo映画レビュー

原題:『The Correspondence』
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
撮影:ファビオ・ザマリオン
出演:ジェレミー・アイアンズ/オルガ・キュリレンコ/ショーナ・マクドナルド/パオロ・カラブレッシ
2016年/イタリア

ファンタジー映画に必要な「リアリティー」について

 現在、空に輝いている星のその光は、遥か昔に放たれた光が地球に届いており、星によっては既に星自体が消滅している可能性がある。本作は主人公で天文学者のエド・フェールムが末期の癌で既に「消滅」している星として恋人のエイミー・ライアンの前に様々な方法で現れ、そのようなファンタジー映画として観るならば良く出来ているとは思う。
 しかしいくらファンタジーとはいえ、ストーリー設定があまりにも雑ではないだろうか? 例えば、エイミーが18歳の誕生日を祝ってもらうシーンがあるのだが、それは6年前の出来事で、2015年現在との境界がはっきりしない。しかしそれでもエイミーはまだ24歳で、エドに「カミカゼ」とあだ名をつけられるほどスタントウーマンの仕事をこなしながら大学で博士号を取るのだからかなりの秀才である。
 エイミーは20歳前に父親と乗っていた自動車で事故を起こし、エイミーは助かるのであるが、父親は亡くなり、自分が代わりに死ねばよかったと思うことで母親との関係がこじれ、エイミーがスタントという危険な仕事をするきっかけとなる。そのエイミーが持つファザーコンプレックスがエドに惹かれる要因になっていると想像はできるが、エイミーとエドの馴れ初めが具体的に描かれておらず、エドと妻の関係がどうなっているのかも分からず、ついでに言うならば、死んだエドから誕生日のプレゼントとしてサムスンのノートパソコンをもらうのであるが、その後も調子の悪い自分のヒューレット・パッカードのノートパソコンをエイミーが使い続けている理由も不明で、ファンタジーの部分はともかく現実の部分が曖昧で、ファンタジーというよりも「空想」というレベルで、ラストのエイミーの全身を模った「失敗作」の石膏像にも説得力はないように思う。


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