goo blog サービス終了のお知らせ 

MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』

2014-10-06 00:09:35 | goo映画レビュー

原題:『Guardians of the Galaxy』
監督:ジェームズ・ガン
脚本:ジェームズ・ガン/ニコール・パールマン
撮影:ベン・デイヴィス
出演:クリス・プラット/デビッド・バウティスタ/ゾーイ・サルダナ/マイケル・ルーカー
2014年/アメリカ

ヒーローになり切れない者たちの「せこさ」について

 あの『スーパー!(Super)』(2010年)を撮った監督が再び「ヒーローもの」に挑んだということでかなり期待して観に行った。期待していたといっても、もちろん『スーパー!』を観た上での期待であるから普通の期待とは違い、ヒーローという存在をどのように捉え、描いているのかということに関心があったのである。
 そもそも主人公のピーター・クイルは「スター・ロード」という「ヒーロー名」を持っているはずなのであるが、本作ではそれはピーターと彼の母親にしか共有されていないように、チームワークが欠けた5人の主人公たちがヒーローといえるのかどうかは疑問である。ヒーローとしての資質を持っていない者たちが、それでもヒーローとして戦わなければならないとしたら、どのような行動を取ればいいのかが本作のテーマとなっているように思う。
 例えば、ローナンの宇宙船のダーク・アスター号でガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの5人を、ガモーラの妹のネビュラが銃を構えて待ち伏せしていたのであるが、ネビュラが自己紹介ついでに前口上を言い終える前にドラックスが先に銃で撃ってしまい、そのドラックスがローナンに捕まり、脅そうとする前に、ロケットが運転する戦闘機が2人の間に突進してくる。あるいはダーク・アスター号がザンダー星に墜落した後に、無傷だったローナンが、グルードを除く残った4人のメンバーたちを襲おうとした際に、『フットルース』(ハーバート・ロス監督 1984年)の ケヴィン・ベーコンばりにピーターは何故か歌い踊るのである。
 つまりヒーローになり切れない彼らは「ダークヒーロー」が生まれることを阻止するために敵の「勇姿」を表現できないように図っているのである。宇宙の存亡を賭けた戦いとその戦法のみみっちさのギャップが本作の魅力と言えよう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする