ケンのブログ

日々の雑感や日記

十月十日

2019年10月11日 | 日記
新聞を見ると神戸の小学校で起きた教員による
教員に対するいじめの問題が大きく取り上げられている。
先輩の教諭4人が後輩の若い教諭にどんなことをしたか
表で一覧になっている。
LINEで女性教諭にわいせつな内容のメッセージを送るように強要。
ボケ、カスなどの暴言を浴びせる。
車での送迎を強要。
など本当にこんなことが大人の世界であるのだろうか
というような内容が並んでいる。
いろいろ並んでいるなかでもっともショックだったのが
被害を受けた教員の先輩教員が
被害を受けた教員のクラスの生徒に
被害を受けた教員に反抗しまくって
被害を受けた教員の学級をつぶしたらいいと
けしかけたとされること。
本屋の教育のコーナーにいくと
学級崩壊を招かないクラス運営の方法論を
書いた本が何冊が並んでいる場合が多い。
それはそうだとおもう。
僕も予備校でクラス担任をしているとき
クラスの生徒になめられて
クラスの生徒が制御不能になること
つまりクラスがつぶれることが一番怖かった。
それはどのクラス担任も多かれ少なかれ
そうであると思う。
自分が恐れていることを後輩の教員の
クラスに起きるように仕向けるって
ちょっとありえないことのように思う。
ありえないことが起きるから事件なのだけれど。
記事のしたの方には大学の教育学の先生の
コメントが載っていて
人権意識の希薄さ、それに
組織上の問題がある可能性が指摘されている。
もちろんそうだと思う。
しかしどのような組織であったとしても
その組織を作るのは一人ひとりの人間だ。
一人ひとりの人間が心を改めないと
組織だけいじってもどうにもならない可能性もある。
人権意識の希薄さということも記事は
大学の先生のコメントとして指摘している。
もちろんそれはそうだけれど他方で
人権というのは絶対王政に対する市民の権利、
資本家に対する労働者の権利など
階級闘争のなかで出てくることが多い概念であることも事実。
その限りにおいて権利というのは闘争的概念であるとも言える。
なので権利を教えるだけでは人の心は穏やかには
ならないのではないかと思う。
LINEで女性教員にわいせつな内容のメッセージを送るように
強要とか
被害教員のクラスが崩壊するように生徒にけしかける
といういじめの内容を読んだとき
心理学の文脈でよく使用される倒錯という言葉が
頭に浮かんだ。
この倒錯という言葉
辞書によって語義の説明は異なるけれど
僕が思っているのに一番近い説明は
次のようなものだった

さかさになること。また、さかさにすること。特に、本能や感情などが、本来のものと正反対の形をとって現れること。

本当に本能や感情がさかさになってしまっているように思う。
八王源先生が晩年にみんなの前で言っていた。
「人は愛がなかったらもう人間ではありません」と。
本当にその通りだなと思う。
人を敬愛することの大切さを折に触れて
指摘する人が少なくなったなあと思う。




十月九日

2019年10月09日 | 日記
朝のラジオで日本航空のパイロットのかたが
飲酒して航空機に乗る事態がかなり頻繁に
あるということを言っていた。
ちょっと考えられないことですよねえ
とパーソナリティもアシスタントも口々に言っていた。
僕も本当にそれはおかしいと思った。
しかし、結局飲酒して乗れば事故が起きるという
恐怖感がリアルにないからそういう事態が起きるとも思った。
飲酒して乗れば怖いという意識があれば
そう簡単にそういった状態で航空機に
乗れるものではない。
そう考えたときにいまの航空機は
自動操縦システムがもう相当発達していることに
思い至った。
きっと自動操縦システムの存在と
これだけ飲酒して航空機にのるケースが増えるのとは
かなり密接に関係しているのだろうなと思った。
本当に航空機の操縦する人の肩に
多くの乗客の命がかかっているということが
忘れ去られてしまっている。
自動操縦にまかせていればほとんどすることはない
という状態に慣れきってしまった
なれの果てなのではなかろうかと想像してしまった。
本当に想像ではあるのだけれど
人工知能の台頭で私たち人間の
意識も以前には考えられなかったような
方向に変わりうるのだなと思う。
そういうことに流されないように
ひとりひとりが気を付けることが大切と思う。

夕方、関西電力の岩根社長と八木会長が辞意を
表明されたと知った。
なんかよかったなと思った。
よくこういう判断を下してくださったと思って
少しじーんと来た。
僕が聞いているラジオのパーソナリティの浜村さんは
このニュースの出始めの頃から
今のところは辞意を表明していません
という表現を繰り返し用いてこられた。
もともと浜村さんはそういう言い回しをする場合が
多いけれど、関西電力のことに関しては
浜村さんの豊富な人生経験から
ひょっとしたら辞任があるかもと思っておられたのかもしれない。
僕も記者会見で、
どこまで演技でとこまで本当かわからないけれど
岩根社長のいじめられて固まってしまったような顔、
(なんか顔に、えらい局面になってもうたわ
という思いがにじみ出ていたように思う)
そして、八木会長の温厚そうな顔を見て
僕も辞任はありうることと一抹の期待を寄せていた。
辞任で終わりになるとは思わないけれど
もし、辞任しなければ
あとあとになって、あんなことがあっても
辞任しなかったという悪い例になりはしないかと
懸念していた。
ひきつづき関西電力がみんなの信頼を
取り戻せるようにと願っている。





血液検査とサプリ 薬

2019年10月08日 | 日記
曇り模様のお天気になっている。
ラジオでは週末に台風が来る可能性があるといっている。
このどんよりした天気は台風と関係があるのかどうか。
まあ、知識がないので考えてもわからないけれど。
ここ数日ちょっと血液検査に興味をもって
いろいろ検索してみた。
するとネットを開くと
血中脂肪を下げるサプリの宣伝が出てきた。
特に血中脂肪というワードで検索したわけではないのに、、、。
血液検査と血中脂肪は密接に関連するワードだから
それに人工知能が反応してそのようなサプリの宣伝が
出てきた可能性が高いように思う。
そんなことが意識にあるタイミングで
昨日の新聞を見ると
中高年の世代に向けて肝機能マーカーを改善という言葉が
サプリの全面広告の上で踊っている。
一般的な血液検査では肝機能の状態を示す数値はあるから
もうそういう会社の健康診断の結果などを意識している人の
購買意欲をそそる広告の内容になっている。
ある口のわるいお医者さんがある本で
血圧の基準値を下げると血圧の薬の売り上げがあがる
というようなことを書いておられた。
ようは基準値にやたらこだわることは
よくないということなのだと思う。
いろんな情報に触れるなかでそれをどのように取捨選択していくか。
考えているときりがないので
最後はいろいろ考慮しつつも直感的に決めるしかないのかなと思う。

                 

金田元投手亡くなる

2019年10月07日 | 日記
昨日の夕方にネットのニュースフィードに
金田正一もとプロ野球投手がなくなったと出ていた。
今日の新聞の社会面も
その話題でもちきりになっている。
小学校1年生の時、つまり1969年に僕は
当時の中日球場に叔父に野球を見につれていってもらった。
中日対巨人戦。
3塁側ベンチの上あたりの内野席だった。
叔父が当時ジャイアンツのファンだったから
3塁側の席になったと思う。
試合の途中で金田投手がブルペンに投球練習に出てきたとき
叔父は僕に何度も
「ケンボウ、金田ブルペンで投げとるぞ」と言った。
もちろん僕はそういわれてブルペンを見て
だれかピッチャーが投球練習をしているというのは
子供なりにわかったけれどそれが
金田だというふうにしみじみと意識して見るということは
なかった。
思えばそれが金田の現役最後の年だったので
叔父は僕に何度も金田が投げとると言ったのかもしれない。
金田の姿はそんなに記憶になくても
叔父が何度も金田といっていたのは覚えている。
叔父は金田が好きだったのかもしれない。
とくに叔父から誰のファンとか言う話はきいたことないけれど。
ところが僕はその日の王さんのことはなぜか
かなり覚えている。
王さんはその日バックネットに当たるファールを連発していて
叔父の友達が「王はたまにバットが当たっとるけど
飛んでく方が逆や」と言っていた。
まあバックネットの方にたまが飛んで行くのだから
それは逆だなと僕も思った。
ところがそんなふうにバックネットの方に何度も
ファールしているうちにだんだんタイミングが
あってきたのかその日、王さんは
たしかホームランを2本打った。
大人になってからプロ野球の解説の人が
バックネットへのファールはタイミングがあっている証拠
というようなことを言っていて
ぼんやりとそのときの王さんのことを思い出したこともあった。
その日はちょっと早めに中日球場についたので
場末の中華料理の店にも入った。
僕は当時そういうところで外食したことが
一度もなかったので
もやしラーメンの出てくる店はこんな感じなんか
とその場末感になんだか感じ入ってしまった。
もちろん当時場末などという言葉は知らなかったけれど。

僕、正直いって金田さんの元気はつらつという感じの
パフォーマンスや発言にはそんなに興味がなくて
この年まできてしまった。

でも本当に僕の叔父の世代の人を熱狂させた人
がなくなって寂しいな
時が移っていくなと思う。
ご冥福をお祈りいたします。

秋も深まり

2019年10月06日 | 日記
今日はちょっと涼しくなったなと思う。
暦を見ると明日で二十四節気の秋分は終わりで
明後日から寒露になる。
晩秋から冬になっていく時期だなあと思う。
そう思うとまだまだ暑いけれど。
しかしだんだん涼しく
そして寒くなるのも時間の問題だなと思う。
そろそろ長袖かなと意識するようになった。
寒くなるときは一気に寒くなることもあるので
気をつけなくてはと思う。

自宅近所のM神宮のお茶会に行く。
神宮の参道の楓はちょっと葉がくたびれてきていて
紅葉が近いことを思わせる。
松の針葉が日光を浴びてきれいに輝いていた。
お参りを済ませて待ち合いへ。
待ち合いのお軸には鶉の絵が描かれていた。
漢字が読めなかったけれども
お茶室でご亭主のうずらという説明を聞いて
ああ、あれはうずらと読むんかと思った。
待ち合いでちょっと時間があったので
呉服屋さんが持ってこられた絹の
長襦袢を見ていた。
「これ女物ですよ。そんなにじっと見て
彼女にプレゼントしはるんですか」と呉服屋さんが言った。
「いいえ、彼女もいないしお金もありません」と僕は言った。
「まあ、うまいこと言わはるわ」と呉服屋さんが言った。
「これもシルクですか」と僕は呉服屋さんの
薄手のカーディガンのようなシルエットの
トップスをみて言った。
「いいえこれは綿です」と呉服屋さんは言った。
「この絹と同じ色ですね」と僕は言った。
「色はね」と呉服屋さんは言った。
着物なんてたぶん一生買う機会ないから
こういう時にいろいろ見ておきたいとは思う。
見るだけで買わないお客は
迷惑かもしれないけれど。
呉服屋さんが持ってこられた商品の中には
アシックスの草履というのもあった。
アシックスって和服に合う草履も作っているのかと
思った。
そういえば草履のフォルムが全体に流線型で
ちょっと機能性を感じさせるものになっている。
こういう商品もでてくるんだなと思う。
伝統美と人体工学的なもののコラボかなと思う。
もちろん見ていてそれなりに美しいと思うけれど。

もう来月のお茶会の頃には立冬になるなと思う。