9月14日愛知県芸術劇場に名古屋フィルハーモニ交響楽団第526回定期演奏会を聴きに行った。
指揮は小泉和裕さん
最初にモーツァルト
ディベルティメント17番K.334が演奏された。
チューニングでホルンが鳴る。
普通チューニングで最初に音を出すのはオーボエ。
ええ?オーボエはどこ と思ったけれどどこにもない。
管楽器はホルンだけの編成と気づいた。
演奏は弦の音が割と濃厚で滑らかにつながる印象で、なんとなくカラヤンのモーツァルトを思い起こさせる。
小泉さんの演奏を聴いているとカラヤンを思い起こすことが時々あるなと思う。
ホルンの柔らかい響きを聴いていて こういう響きがベートーヴェンの英雄交響曲のホルンそしてロマン派の音楽でのホルンの音につながっていくのかなと そんなことを考えながら演奏を聴いていた。
二楽章は深い趣の音楽だけれど ふっと演奏の印象が変わるときに思わずコンサートマスターの方に目が行ってしまった。
演奏の要所、要所を締めるのがコンサートマスターの役割のひとつなんだなと思った。
そして、そういう仕事のうまい方なんだろうなとそんなことをぼんやりかんがえながら演奏を聴いていた。
三楽章のメヌエットは聴き覚えのあるメロディだったので楽しい気分になった。
ただ、微妙な変化にとんだモーツァルトの音楽全6楽章を40分余り聴き続けるのはけっこうしんどいことでもあるなと思った。
休憩をはさんで次に演奏されたのが
チャイコフスキー交響曲4番 作品36
第一楽章では
音が大きいところよりも小さいところの方が僕にとっては味わい深いものがあったように思う。
木管の響きはメランコリックでもありロマンチックでもあり時に安らぎを感じさせてくれるものだったと思う。
バイオリンを中心に静かにロマンチックな旋律を奏でるところもきれいだなと思って聴いていた。
第二楽章
ここはオーボエの長いソロで始まる。
やっぱり美しいなと思う。
こういうところは生演奏でないと味わえない響きがあるなと感じる場面だった。
オーボエのソロが終わってチェロなど低音の弦楽器が響いた時にはホッとしたというか何とも言えない弛緩効果があるなと思った。
緊張から弛緩、それはチャイコフスキーの音楽のひとつの大きな特色であることに生演奏を聴くことで今さらのように気づいた。
第三楽章
弦のピチカートで演奏される。
特に細かい音をクレッシェンドしていくところは音の効果、弦楽奏者から受ける視覚的効果の相乗でちょっと鳥肌モノだった。
第四楽章も怒涛の盛り上がりの中で演奏が終わった。
大きい音が出るところでもう少し音の密度が高ければさらにいいのにと思った場面もあった。(音は物質ではないので密度があるかどうかわからないけれどあくまでイメージです)
あとビオラの奏者の方々がスッとした感じで弾いておられるので目をやってもさほどクリアに音が聴こえてこない。
それで 僕の座席からだとビオラはもろに楽器の背を向ける位置になってしまうことに改めて思いが行った。
ホールの音響がどうとか十把一からげのように語ることは出来なくてどこの位置にどういう音が聴こえてくるかということも大切と感じた。
カーテンコールの時の拍手に 名古屋のお客さんの何とも言えないぬくもりを感じた。
そういうものをしみじみと感じたのは関西からこちらに越してきて初めてだった。
だんだん そういうぬくもりを感じられるようになっていくといいなと思った。
それはともかく一日いちにち無事に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。