「極楽征夷大将軍」垣根涼介
垣根涼介さんの新刊。
2023年 第169回 直木賞受賞。
以前は、現代小説を書いていたが、このところ歴史小説にシフトされている。
本作品は、室町幕府初代将軍・足利尊氏を中心とした群像劇。
鎌倉幕府滅亡、室町幕府の誕生&南北朝時代が描かれている。
2段組549頁で読み応えたっぷり。
P20
頼朝の寡婦、政子は、腹を痛めて産んだ自らの長子と孫を殺されることを黙認した。肉親の情より、得宗家の権益を守ることを優先した。
P53
今の鎌倉府に君臨する北条家は、その源氏の末端ですらない。鎌倉府が出来た頃には平氏の木っ端だった家柄が、辛うじて頼朝の係累ということだけで成り上がってきたにすぎない。
P193
初代征夷大将軍である源頼朝が、武士の土地所有を正式に守る法制度を確立した。以来、御家人たちの権益は、常に鎌倉府の許で保持されてきた。逆に言えば、権益を幕府から守られてきた武士たちを、御家人という。
P199
国司とは、朝廷の地方長官のことで、行政権、租税徴収権を含めて、その一国の支配を委任された官職のことである。対して守護職とは、幕府が任じた地方管の名残であり、該当国の治安、武士の統率という警察権を持つ。
P328
光厳上皇からの院宣を賜るべく、持明院統と近しい公卿、日野資名に協力を仰ぐ使者を送った。(中略)
ちなみにこの縁が契機となり、室町幕府の基盤が安定した後年、日野家は歴代将軍家に次々と正妻を送り込み、公卿としての権勢を極めることになる。(8代将軍義政の妻・日野富子が有名――応仁の乱を背景に巨万の富を築いた。でも、夫が入れ込んでいる銀閣寺には金を出さず悪妻の評を高めた)
P357
(楠木)正成は北条家の御内人であった。源氏はおろか平氏の陪臣か陪々臣で、詰まるところは素性定かならぬ即席の朝臣に過ぎない。(でも、軍略の天才で、戦をさせれば連戦連勝。そのカリスマ性により神となり、神戸市湊川神社に祀られている)
【感想】
足利尊氏が毛沢東で、弟・直義(ただよし)が鄧小平。
毛沢東と鄧小平は仲が悪かったが、
足利兄弟は仲がよかった。
尊氏は戦上手だけれど、実務能力がペケだった。
弟はその逆。
だから、最強タッグとなり室町幕府を開くことが出来た。
【参考リンク】
「信長の原理」垣根涼介
「室町無頼」垣根涼介
「光秀の定理」垣根涼介
【ネット上の紹介】
やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて、鎌倉府の信用は地に堕ちていた。足利直義は、怠惰な兄・尊氏を常に励まし、幕府の粛清から足利家を守ろうとする。やがて天皇から北条家討伐の勅命が下り、一族を挙げて反旗を翻した。一方、足利家の重臣・高師直は倒幕後、朝廷の世が来たことに愕然とする。後醍醐天皇には、武士に政権を委ねるつもりなどなかったのだ。怒り狂う直義と共に、尊氏を抜きにして新生幕府の樹立を画策し始める。混迷する時代に、尊氏のような意志を欠いた人間が、何度も失脚の窮地に立たされながらも権力の頂点へと登り詰められたのはなぜか?幕府の祖でありながら、謎に包まれた初代将軍・足利尊氏の秘密を解き明かす歴史群像劇。
「幻の声」宇江佐真理
髪結い伊三次捕物余話シリーズ15冊読み返し。
江戸に暮らす人々の生活が、情感ある文章で描かれる。
①幻の声
②紫紺のつばめ
③さらば深川
④さんだらぼっち
⑤黒く塗れ
⑥君を乗せる舟
⑦雨を見たか
⑧我、言挙げす
⑨今日を刻む時計
⑩心に吹く風
⑪明日のことは知らず
⑫名もなき日々を
⑬昨日のまこと、今日のうそ
⑭月は誰のもの
⑮竈河岸
「竈河岸」P449著者あとがきより
私が江戸時代の人々に惹かれるのは、誰しも現実を直視して生きているからだと思います。(中略)髪結い伊三次シリーズを家族の話と片づけられるのは承服できません。私は人が人として生き行く意味を追求したいのです。それに家族の問題がたまたま絡んで来るだけのことなのです。
「明日のことは知らず」著者あとがきより
P293
私の病状が悪化して、よれよれのぼろぼろになっても、どうぞ同情はご無用に。私は小説家として生きたことを心底誇りに思っているのであるから。
「昨日のまこと、今日のうそ」大矢博子さんの解説より
P293
宇江佐さんはもういなくても、本を開けば、彼らはそこにいつでもいてくれる。こうして遺された作品がある限り、読み続ける限り、読者は宇江佐真理を忘れない。それが本当の供養なのだ。
宇江佐真理さんは2015年、乳癌で亡くなられた。66歳。
もう少し長生きしてほしかった。
【ネット上の紹介】
町方同心のお手先をつとめる廻り髪結いの伊三次。恋しい思い女・深川芸者のお文に後ろ髪を引かれながら、今日も江戸の巷を東奔西走…オール読物新人賞受賞
「妖しい刀」櫻部由美子
シリーズ3作目。
P153
因縁のはじまりは、神君家康公の祖父にあたる松平清康公を殺害した刀が村正銘だったことだ。続いて父・広忠公の命を奪った刀も村正の手になるものだった。その後、嫡子である信康公が切腹した際の介錯に使われたのが村正で、家康自身も少年のころに村正の短刀で怪我をしたとされている。
P276
「神農とは、はるか大昔の唐国を治めたとされる皇帝の1人で、医薬の神としても知られている。まだこの世に医術というものがなかったころ、神農は己のまわりにあるすべてのものを口に入れ、食べられるか、食べられないか、薬になるか、毒になるか、身をもって試したそうだ。見よ、常人でない証に角が生えておろう」
【ネット上の紹介】
「一刻も早く相手の女を呪ってくださいまし」。人生の仕切り直しを願う人々が訪れる“出直し神社”に、穏やかでない願いを訴える者が訪れた。袋物問屋・茜屋のお松と名乗る女は、店主で夫の茂兵衛が伯父から相続した家に入り浸るようになり、女を呼び入れているに違いないと言う。その家には大黒さまが化けて出るとの噂もある。うしろ戸の婆はお松に、まずは浮気を確かめよと、神社の手伝いをしている少女・おけいを連れていくように言い…。流行り病に人殺し事件と、大忙し。抜群の読み応えと大好評のシリーズ、第三作。
「神のひき臼」櫻部由美子
シリーズ2作目。
少しのファンタジー色を加味した時代小説の佳編。
1作目もよかったけど、さらに面白く楽しい仕上がり。
P146
乞胸とは、寺社の境内や空き地なので、芸を見せて世渡りする人々の総称である。町人としての身分を認められてはいるが、物乞いと同列に扱われることもある家業だった。
P214
そもそも〈うわなり〉とは、光源氏のような男が複数の妻をもっていた時代、先妻のあとから迎えた後妻をさして言った言葉である。それから時代が下り、先妻が一族の女たちを頼んで、憎い後妻の家へ押しかける風習が〈うわなり打ち〉と呼ばれた。→「山桜記」葉室麟
【関連図書】
「くら姫 出直し神社たね銭貸し」櫻部由美子
【ネット上の紹介】
人生に行き詰まり、やり直したいと願う人々が、縁起の良い“たね銭”を授かりに訪れる“出直し神社”。神社を守るのは、うしろ戸の婆と呼ばれる老女。不器量だが働き者の娘・おけいがその手伝いをしている。ある日、赤ん坊を背負った千代という少女が神社に迷い込んできた。お千代は婆に促され、搗き米屋のおかみである母の、度が過ぎる吝嗇ぶりに家じゅうが悩まされていると打ち明ける。手習い処に通いたいお千代が子守りに縛られずにすむよう、おけいは女中として搗き米屋に住みこむことになったが…!?抜群の読み応え、シリーズ第二作!
「誰に似たのか」中島要
中島要作品、最新刊。
筆墨問屋・白井屋の人々を描いている連作長編。
全6話収録されていて、全て語り手が異なる。
過去の中島要作品の中でもトップクラスの面白さ。
シリーズ化して、続編もぜひ出版して欲しい。
今年ベストの1冊。
P102
墨は煤を集めてにかわを混ぜ、香木で香りをつけて固めたものだ。主に松の木を燃やした煤を固めた松煙木と、菜種油や胡麻油の煤で作る油煙木がある。
P258
「親は神でも仏でもない。我が子をかわいがった分だけ、許せないこともあるんだよ。(後略)」
【ネット上の紹介】
江戸日本橋の筆墨問屋白井屋は、太兵衛が大店にした。妻のお清は、太兵衛の女遊びに苦労させられたが、隠居後は夫婦で穏やかに暮らす。しかし、夫の死後に裏切りを知り、大激怒。妻に逃げられた年下の蕎麦屋の男に自らを重ねて、貢ぎはじめる。世間体を気にする長男、貧乏長屋に暮らしお清からの援助を期待する長女は、老母の恋を止めようとするが…。隠居した母の恋に振り回される兄妹、実家の隠し子騒動に苛立つ嫁、料理人修業中の孫娘―。
「ヨーロッパ史入門」池上俊一
P10
前1世紀以後、ゲルマン人が東方からケルト人を押しこみ、ライン川方面に移動させました。ローマ帝国もケルト人を屈服させて、そのためケルト人はまもなく大陸にはいらなくなってしまいます。彼らは西の方に追いやられ、アイルランド、スコットランド、ウェールズなどの島嶼と大陸の先端のブルターニュにのみ残ったとされています。
P15
ゲルマン語系の代表はドイツ語で、そのドイツ語にももちろんさまざまな分枝があり、低地ドイツ語とか、高地ドイツ語などと呼ばれています。オランダ語もドイツ語系の言語です。英語もゲルマン語派に属しますが、その共通型からは離れて、フランス語やラテン語からの借用も多く、独自の展開をとげました。
P40
ゲルマン人たちは、自然崇拝をし、多神教を信じていました。彼らは、キリスト教に改宗してからも、じつは旧来の信心を守っており、いわば表面のメッキがかわっただけだったのです。個人崇拝や聖遺物崇敬は、異教時代の大樹や巨石・泉信仰、それら自然物に宿る神々への帰依を、聖母マリアや他の聖人たちへの崇敬に置きかえたものでしたし、現にそうした樹木や巨石、泉などを破壊・除去した跡地に、教会が建てられたのです。また、キリスト教会暦、聖人暦などの暦も、異教の祭儀の時を置きかえたものでした。たとえばキリスト生誕を祝うクリスマスは、じつはローマの「不敗の太陽」の祭儀の日の置きかえでした。
P92
十字軍は教皇が唱導し、それに呼応して各国の君主・諸侯が家臣と共に十字架を負って聖地エルサレム解放に向かう企てです。(中略)
ところでキリスト教徒がこれほどまでにエルサレムにこだわったのは、そこがキリスト受難と復活の地だったからです。しかしイスラーム教徒にとっても、638年にこの町を支配下に収めてからは、メッカ、メディナに次ぐ第3の聖地になっていたのでそう簡単には手放せません。またそこは、紀元前1000年頃ダビデ王が古代ユダヤ王国の聖都とした都でディアスポラ(離散民)となったユダヤ人やその子孫にとっても聖なる都でした。
P138
「近世」というのは一般にはその終点がフランス革命とされることが多いので、近世の途中まで、と言ったほうが正確かもしれません。この期間のしょっぱなには3つの転換、近代化の指標があります。「地理上の”発見”」と「ルネサンス」と「宗教改革」です。
アステカ王国とインカ帝国の滅亡
P153
血も涙もない労役と、天然痘・チフス・はしか・インフルエンザなどヨーロッパ人が持ち込んだ疫病で、先住民は激減します。そこで労働力を補うため、奴隷としてのアフリカ人の「輸入」が始まりました。
スペイン人・セプルベダの言葉
P154
「先住民は悪徳に満ちた残虐な野蛮人だし、偶像崇拝や人身御供などの蛮習にふけっているゆえに、懲罰としてスペインの支配を受けるのは当然だ。それは神の法・自然法によりスペインに課された義務だ」
「先住民は、キリスト教への改宗を強制されれば、魂の救済も得られるのだから、スペインの支配には悪いところはひとつもない」
(白人優位主義の考えの基本がこれ、と思われる。また、日本人女性は白人至上主義者に好まれる、という話もある――日本女性イメージとして、小柄、スリムで、性的、男性に尽くす、との偏見がもたれているから。ジェンダーギャップG7最下位だし)
【ネット上の紹介】
「ヨーロッパ」誕生以前の古代ギリシャ・ローマから、文化的統合体としてのヨーロッパが成立した中世半ば、そして大航海時代、ルネサンスや宗教改革を経て、絶対王政の全盛期である17世紀末までを考察。まとまりでありながら常に多様性を内包し、個性的なプレーヤーがぶつかり合いながら推進されてきた、その歴史とは?
第1章 ヨーロッパの誕生―古代ギリシャ・ローマの遺産(古代)(自然と地理
人種と民族 ほか)
第2章 ロマネスク世界とヨーロッパの確立―中世前半(原形としてのフランク王国
アンビバレントな「他者」としてのイスラーム教徒 ほか)
第3章 統合と集中へ―後期中世の教会・都市・王国(中世後半)(学問の発展と俗語使用
騎士と騎士道 ほか)
第4章 近代への胎動―地理上の「発見」とルネサンス・宗教改革(15~17世紀)(中世末期の光と影
スペイン・ポルトガルの海外進出と価格革命 ほか)
「嘘つきは姫君のはじまり」シリーズを再読した。
次の13冊。
「ひみつの乳姉妹」
「見習い姫の災難」
「恋する後宮」
「姫盗賊と黄金の七人 前編」
「姫盗賊と黄金の七人 後編」
「ふたりの東宮妃」
「東宮の求婚」
「寵愛の終焉」
「少年たちの恋戦」
「初恋と挽歌」
「千年の恋人」
「貴公子は恋の迷惑」
「夢見るころを過ぎても」
最後の2冊は外伝。
「姫盗賊と黄金の七人 前編」P273
「おれは文殊丸――いや、源頼光だ。父は左京一条に住む源満仲という者だ」
「千年の恋人」P241
「酒飲みの童子か・・・・・・そのまま名前にすれば、酒呑童子だな」
酒呑童子と茨木。流れ者みたいな奇妙な男たちだったが、(後略)
源頼光といえば、酒呑童子退治のエピソードが有名。
茨木は酒呑童子の配下。
その話が巧みに盛り込まれている。
以前も描いたが、このシリーズで一番気に入っている登場人物は、五節と姫子のペア。この二人が描かれる短編が、「尼姫さまがやってきた!」「ふつうの速さで歌うように」は、特におもしろく、何度も読み返している。
スピンオフで、また描いてくれないだろうか?
【誤植】
「恋する後宮」P206
(誤)宮子のぞんだ事態ではなかった。
(正)宮子ののぞんだ事態ではなかった。
「ふたりの東宮妃」P64
(誤)兄の伊尹が大姫の事件に関するいっさいを兼通に
(正)兄の伊尹が大姫の事件に関するいっさいを兼家に
「ふたりの東宮妃」P64
(誤)「何しろ母上は兼通の粗暴・乱暴な性質を
(正)「何しろ母上は兼家の粗暴・乱暴な性質を
「東宮の求婚」P202
(誤)一条殿に後押しをされてる二条の姫の
(正)堀川殿に後押しをされてる二条の姫の
「初恋と挽歌」P14
(誤)そして烏鷺切りの持ち主は
(正)そして狭霧の持ち主は
【参考リンク】
初瀬観光協会公式ホームページ
「刀圭」中島要
今では、中堅ベテランの領域に入ってきたが、
本作品が、初の長編にして、単行本デビュー作だそう。
読み残していたので、読んでみた。
P25
薬を盛るために使う匙は別名「刀圭」と呼ばれ、医師のことを「刀圭家」とも言った。
古代中国の貨幣「斎刀銭」の下端にある丸い孔を「圭」と言い、その孔の大きさが薬を量る基準になったことから生まれた言葉と聞いている。
【ネット上の紹介】
井坂圭吾は長崎帰りの若き町医者。亡き父の教えに従い、貧しい町人たちを安く、時に無償で治療していた。ところが、懇意にしていた薬種問屋の若旦那・生三郎と言い合いになり、援助を打ち切られてしまう。圭吾の診療を手伝っていたタキは、新たな援助先を頼るが、そこには思いも寄らぬ因縁があった…。期待の新鋭が精魂こめて描き上げた、傑作時代長編。
「仮面後宮 女東宮の誕生」松田志乃ぶ
新シリーズ発動、しかも平安朝が舞台。
松田志乃ぶさんは、このところ単発の現代ものばかり。
それはそれで面白いんだけど、時代物はそれだけで格別感がある。
「嘘つきは姫君のはじまり」シリーズに匹敵する長い作品になってほしい。
ちなみに、「嘘つきは姫君のはじまり」シリーズは、本伝11冊+外伝2冊。
P192
「兄は報酬を期待せずに他人に親切を施す人間ではありません。示した厚意があるならば、必ずそれに見合うだけのものを回収しているはずです。今までも、これからも、義兄が贈りものとして気前よく広げて見せる美しい布には、必ず下心という厚い裏地が縫いつけてあることを覚えておかれたほうがよろしいでしょう。
(「小さな親切大きな下心」というフレーズがあるくらいだから。はたまた「信じる者は騙される」という金言もある。カップルには「性交は失敗の素」という格言を送りたい)
【感想】
今のところ、ミステリ要素の高い作品になっている。
「嘘つきは姫君のはじまり」でも殺人事件が起こったりして、要所要所にミステリ要素があった。本作品でも、いずれ違う要素も出てくるんでしょうか? 新たなキャラクターも登場するのでしょうか?
「嘘つきは姫君のはじまり」も、途中から五節と姫子が登場したりして、ストーリーとキャラクターに幅がでてきたし。
【参考リンク】
「嘘つきは姫君のはじまり」再読
「悪魔のような花婿」再読
「赤ちゃんと教授」松田志乃ぶ
「ベビーシッターは眠らない」松田志乃ぶ
「かぐや姫三世 わたしを月まで連れていって!」松田志乃ぶ
「号泣」松田志乃ぶ
【ネット上の紹介】
平安末期。葡萄(えび)病(や)みという謎の疫病が猛威をふるう京の都。多数の庶民が命を落とす中、宮廷でもまた、東宮(皇太子)三人が立て続けに死亡するという前代未聞の事態が起こり、貴族たちは恐怖と混乱に陥っていた。そこへ、大斎院(だいさいいん)と呼ばれ、強力な予言力をもつ賀茂の老巫女から神託が届けられる。大斎院いわく、このたびの疫病の災いは皇族の男子に集中している、そこで次の東宮には一時、皇女を立てるべきである、女東宮がしばらく皇太子の座を守れば、神仏の加護により、皇族男子の死は必ずや止まるであろう──とのことだった。帝の兄であり、実質的にこの国を支配している上皇、八雲の院はこの神託を受け入れることを決定し、ただちに女東宮の候補となる数人の皇女たちが選び出される。都から離れた宇治の地で、両親を亡くし、双子の弟である映(はゆる)の宮と、妹の貴(あて)の宮とともに人々から忘れ去られた寂しい暮らしをしていた十六歳の火の宮も、そのうちの一人だった。女東宮候補となった火の宮を待つ、試練とは―――。
かりんとう侍」中島要
幕末を舞台にした青春小説。
主人公は、のんきな旗本の次男坊。
だが、黒船騒ぎで世の中が大きく変わろうとしていた。
幼馴染みの切腹騒ぎから、物語は回転しだす。
介錯は、切腹する人間を苦しませないために行うものだ。脇差が腹に刺さるや否や、すかさず刀を振り下ろす。そのとき、首の皮一枚を残して「抱き首」にするのがよいとされている。うっかりすべてを切り落とすと、はずみで首が飛ぶらしい。
【ネット上の紹介】
日下雄征は旗本の次男坊、気ままな部屋住みの身だった。ところが、黒船来航で世の中は大騒ぎ。武士として先行きに不安を抱く雄征は、意気投合した戯作者・鈍亭魯文とともに、幼馴染みの切腹騒ぎや爆発した水車小屋をめぐる幽霊話の真相を探ってゆく―。時代の荒波の中で格闘する若侍の成長を描いた、極上の時代エンターテインメント!
「吉原(なか)と外」中島要
美晴は花魁だったが、身請けされる。
そこにお照が女中として住み込み、2人の生活が始まる。
中島要さん最新作。
6編からなる連作長編。
第1章以外、書き下ろし。
仕掛けが施されていて、最終話で「そうなのか!」となる。
ことしベストの1冊、楽しめる。
P41
「地女(しろうと)は加減を知らないからね。塩と悋気はほんの少しにしておかないと、取り返しがつかなくなるんだよ」
P63
「金と男の機嫌はとりあえず取っておく。それが吉原(なか)の女の心得ざます」
P139
「女郎は男に嘘しかつかないと言われたって?そんなの当たり前じゃないか。女郎に嘘をつくなというのは、坊主に経を唱えるなと命じるようなもんさ」
P150
美晴によると、客にあれこれ強請る女郎は売れっ妓になれないという。にっこり笑って、「ぬしのほかに欲しいものなどありんせん」と言っていれば、客が進んで貢いでこれうようになるそうだ。
【ネット上の紹介】
元花魁と女中が二人暮らし。出るのは鬼か…。気っ風と純情――江戸の女を描き尽くす著者新境地! 「あんたがお照で、あたしが美晴。何ともお似合いの二人じゃないか。」 お照は義父の卯平に命じられて、亀井町の妾宅で働いている。主人は卯平の奉公先である室町の呉服屋、砧屋喜三郎だ。 喜三郎は手代上がりの婿養子で、妻のお涼に頭が上がらない。そのため、吉原の花魁だった美晴を囲っていることは秘密である。通い番頭の卯平は喜三郎の兄貴分で、自分を引き上げてくれた弟分を守るべく、義理の娘に美晴の世話をさせることにしたのだ。 卯平は「美晴が男を連れ込んだら、すぐに教えろ」とも、お照に命じていた。それぞれが手前勝手な思惑を抱える中、美晴とお照の付き合いは思いがけず深まっていく……。
「隠居すごろく」西條奈加
主人公は、老舗糸問屋の店主・徳兵衛。
還暦を機に隠居生活に入った。
平穏な日々が訪れるかと思ったら、とんでもない。
老後、新たな人生が始まる!
さすが西條奈加作品、レベルが高い。
人情ものを書かせたらトップクラス、と思う。
面白いから読んでみて。
P234
「経世在民という言葉は、ご存じでしょうか?」
「うむ、一応はな。商人仲間の寄り合いなぞで、たまに耳にするが」
「昨今は、経済とも言うそうです」
「経済・・・・・・それは耳新しいですね」
経世在民とは、唐の古い書物にある言葉で、世を治め、民の苦しみを救うことを意味する。もともとは治世、つまりは政治や行政のあり方を示唆していたが、貨幣の流通が盛んになると意味合いが変わってきて、生産や消費、売買などをさすようになった。
P258
寺町奉行・町奉行、・勘定奉行は三役と称されて、いわば後の出世に繋がる花形の役目であったが、町奉行と勘定奉行が旗本の役職なのに対し、寺社奉行だけは大名が指名される。
【参考リンク】
西條奈加「隠居すごろく」 何歳からでも人は変われる|好書好日 (asahi.com)
【ネット上の紹介】
巣鴨で六代続く糸問屋の嶋屋。店主の徳兵衛は、三十三年の働きに終止符を打ち、還暦を機に隠居生活に入った。人生を双六にたとえれば、隠居は「上がり」のようなもの。だがそのはずが、孫の千代太が隠居家を訪れたことで、予想外に忙しい日々が始まった!千代太が連れてくる数々の「厄介事」に、徳兵衛はてんてこまいの日々を送るが、思いのほか充実している自分を発見する…。果たして「第二の双六」の上がりとは?
「あきない世傳金と銀」(13)高田郁
シリーズ最新刊にして、最終刊。
これで完結!
P350
――おあしにはな、金と銀がある。銭は日々の暮らしを支えるもの。お前はんがこれから生きる商いの世界で使われるんは、金と銀だす。金は銀より重うて、柔らかい。何より、いつまでも変わらんと光り続けることが出来ますのや。金と違うて、銀は曇ってしまう。けど、その曇りは、銀がひとからひとの手ぇに渡った証、仰山のひとの商いに役立った証だす。金と銀、両方揃わな、商いは出来ませんのや。五鈴屋のご寮さんは紛れもない、金貨だす。(タイトルの意味が分かった)
【作者のお言葉】
本作を手がけるきっかけとなったのは、「いとう呉服店」(のちの松坂屋)十代目店主の宇多という女性でした。
(中略)
少し先に、特別巻を2冊刊行させて頂く予定です。(楽しみに待ちましょう!)
【ネット上の紹介】
宝暦元年に浅草田原町に江戸店を開いた五鈴屋は、仲間の尽力を得て、一度は断たれた呉服商いに復帰、身分の高い武家を顧客に持つことで豪奢な絹織も扱うようになっていた。だが、もとは手頃な品々で人気を博しただけに、次第に葛藤が生まれていく。吉原での衣裳競べ、新店開業、まさかの裏切りや災禍を乗り越え、店主の幸や奉公人たちは「衣裳とは何か」「商いとは何か」、五鈴屋なりの答えを見出していく。時代は宝暦から明和へ、「買うての幸い、売っての幸せ」を掲げて商いの大海へと漕ぎ進む五鈴屋の物語、いよいよ、ここに完結。
「まるまるの毬」西條奈加
菓子屋を舞台にした時代小説。
店主は、武士から転身した変わり種・治兵衛。
驚異の記憶力を持つ出戻り娘・お永。
孫娘のお君。
この3人を中心に物語は展開する。
P84
「昔は月見と言えば、里芋だったんだがな」
(中略)
「麻布六本木に芋洗い坂があるだろ、あそこにはいまも青物屋がある。8月15日が近づくと、大きな市が立ってな、里芋を売り出すんだ」
「その里芋が、お団子になったのね」
【ネット上の紹介】
武士から転身した変わり種、諸国の菓子に通ずる店の主・治兵衛。菓子のことなら何でもござれ、驚異の記憶力を持つ出戻り娘・お永。ただいま花嫁修業中!ご存じ、南星屋の“看板娘”・お君。親子三代で営む菓子舗「南星屋」。繁盛の理由は、ここでしか買えない日本全国、銘菓の数々。でもこの一家、実はある秘密を抱えていて…。思わず頬がおちる、読み味絶品の時代小説!
シリーズ5冊目、完結編。
最終章に、後日譚=10年後が描かれている。
ソコが一番興味深く感じられた。
P241
「いまは食うや食わずの人だってゴロゴロしているんです。意地や矜持でお腹はふくれませんからね」
PS
思ったより、はやく完結した。
本屋に行っても、置いていない。
あまり売れなかったんでしょうね。
編集部としても、「もうオワってね」、ってなったんでしょうか?
実験的な時代小説として、気になる作品だったけど、ちょっと残念。
【ネット上の紹介】
実の娘である芹をさんざん蔑み、挙句の果ては自分と母を捨てた父親が、喧嘩沙汰で命を落とした。しかし亡骸となった父の懐には「少女カゲキ団」の錦絵が入っていたという。ろくでもない父だと思っていたはずなのに、本当は大切に想ってくれていたの―困惑し、気持ちとは裏腹に涙が止まらない。そんな中、カゲキ団の最後となる飛鳥山での披露の日が迫ってくる。縁談、出自、新たなる望み―。幾多の試練と様々な想いが交錯しながらも、少女たちは強い決意を胸に秘め、舞台の幕開けに挑む!!芝居をとおし、懸命に生きる少女たちを描いた物語、感涙の完結巻!!