新南陽から応援に来ていたタキ2991、タキ2800の中でも比較的遅くまで頑張っていた1輛ですが、赴任先の酒田港でその生涯を終えました。大任を果たした疲れ果てた姿で正面玄関脇駐車場の側線にその姿を留めていたのを目にしたファンも多いのではないでしょうか。この場所に留置されていると、手前にクルマが停められている場合が多く、まともに撮ることが出来なかった苦い思い出のある人も同時に…この工場独特の少し寂れた空気感を演出していたバックの木造建屋も既に思い出になりましたね。
(1998年7月 酒田港駅)
新南陽から応援に来ていたタキ2991、タキ2800の中でも比較的遅くまで頑張っていた1輛ですが、赴任先の酒田港でその生涯を終えました。大任を果たした疲れ果てた姿で正面玄関脇駐車場の側線にその姿を留めていたのを目にしたファンも多いのではないでしょうか。この場所に留置されていると、手前にクルマが停められている場合が多く、まともに撮ることが出来なかった苦い思い出のある人も同時に…この工場独特の少し寂れた空気感を演出していたバックの木造建屋も既に思い出になりましたね。
(1998年7月 酒田港駅)
東北東ソーはタキ2600だけでなく、トップナンバーから平成の新製車に至るまで、タキ7750もバリエーション豊富でした。仔細に観察するとキセ胴板や鏡板の形状、手すり、S字管、補助ブレーキ、台枠…といろいろ変化があって楽しめました。極限まで切り詰めた感が強い日車とは好対照な重量感のある富士重製です。雨上がりの弱くも透明感のある日差しを浴びながら…
(2007年11月24日 奥羽貨物支線 秋田港駅)
東北東ソーのタキ2600形は、旧鐵興社、日新電化、東洋曹達工業の3社から継承した経緯から形態的にもバラエティに富んでいます。こちらは旧日新電化の若番車で、日立や富士重が幅を利かせる同社の中ではこれまた少数派の日車。日新電化の所有車は最後までドーム周りの手摺は未装備だったので、手摺は合併後近年の追加で、液出し管の干渉を避けるため手ブレーキと反対側の妻側で切れています。
(2002年2月頃 奥羽貨物支線 秋田港駅)
タキ400/1400からタキ2600へ移行する過渡期的な存在と思われているタキ2800ですが、ライニング無し鉄肌タンク体を好む特定ユーザー向けにタキ2600と並行して昭和40年代初頭まで生産されていました。これは末期の製作だけあって、台枠にジャッキ受けが装備されるなど大分近代的になりました。鏡板の点検蓋が厚みがあるのは、この時期の三菱製の特徴です。大半はタキ2600に改造されてしまったので、私が各地を巡っている頃には希少種になっていましたが…
ところでこの車、「内面ゴムライニング」と表記されていますね。実質タキ2600だったのでしょうか?
(1999年5月4日 新潟臨海鉄道 藤寄駅)
人気の異端児42641、42642も良いですが、昭和28年日立笠戸製タキ2800ファーストロットからの編入車、バラエティに富んだ東北東ソーのタキ2600群の中にあっても象徴的なグループであろうと思います。因みにトップナンバー2800は改造後42652になった筈です。古典的なマンホール開閉ハンドルに内側に妙に寄った台車、それに合わせて内側に寄せられた受台、キセから露出する締金を覆うカバーが大きく目立っていたりと、なかなか個性的なフォルムを持つ車輛でした。この時代にもなるとオールスポークなのは滅多に見られませんでしたが、やっぱりTR41系にはスポーク車輪がお似合いです。つい数年前までこんな旧い車が老骨に鞭打ちながら小坂、向浜、北沼、六原、石巻港、中条、藤寄、新井、伏木、扇町・・・と各地を忙しく巡っていたんですよね…
(1999年5月4日 新潟臨海鉄道 藤寄駅)
東北東ソー工場裏手のゴルフ練習場脇にある倉庫線は、休廃車貨車の溜まり場で、いつも褪色してカサカサになったタンク車が並んでいました。薄暗い上屋の下に何輛かのタンク車が押し込まれていましたが、その中にタンク体が太い川崎製タキ1400形をルーツに持つタキ42641もその使命を終え、静かに佇んでいました。珍車としてファンの注目を集めながらも、酒田港よりの液体苛性輸送の最期を見届けた僚車42642の影で、あまり注目を浴びる事も無くひと足早く姿を消しました。現在は同車の銘板のみ貨物鉄道博物館に収蔵されています。
(2002年2月4日 羽越貨物支線 酒田港駅)
意外にも東ソー系のタキ5000形では唯一の東洋曹達工業よりの生え抜きがこの5046、これ又意外にも同形式唯一の日立製です。こちらは塩酸タンク車ではお約束的なフランジトップのドーム、受台も押え金式になって5002よりすっきりした印象になりました。台枠緩衝長がほとんど無いのが如何にも効率重視な高度成長期の製作であることを象徴しているようです。
末期の運用は他のタキ5000、5050と同様、中条や二本木向けに合成塩酸を運んでいました。呉羽勿来亡き後、関東で塩酸タキを見る機会はほとんど無くなったので、日本海側に出掛けた時のお楽しみでした。
(2002年2月4日 信越貨物支線 新潟貨物(タ)駅)
久し振りに新シリーズでも始めてみようかと思います。信越ネタはまだ紹介したいものは少し残っているのですが、それはそれで写真を発掘し次第改めて継続したいと思います。今度は二本木に比べると取扱品目こそ少ないけど、個性的なメンバーを擁した酒田港の東北東ソー化学酒田大浜工場の一大フリートを、完全網羅には程遠いですが紹介していきます。
私が貨車撮影を始めた頃、塩酸タンク車と言えば味タムを別にしたら、活発に動いていたのは能町の日本曹達と、この酒田港は東北東ソーでした。あと勿来の呉羽化学も少数残っていましたが、程なく消えて行きましたので、比較的遅くまで見られたのはこの2つでした。双方とも個性的なメンバーが集まっていましたが、トータルではタムまでいた酒田港の勝利? その酒田港の中でも注目株は7輛のタム5000と、タキ5000形第一ロットでしょうか。タキ5000形は5001、5002、5012、5013、5031、5046、5161、5162といましたが、最後の2輛は長期休車、最若番5001は少しのことで間に合わず、既に運用落ちしてゴルフ練習場脇の倉庫線にカサカサになって置いてあったのを見るに留まりました。と云う事で、私が実見した現役最古のタキ5000形はこの5002です。昭和30年三菱三原製で、その10年後の昭和40年には同じく三菱で改造(恐らくタンク体更新)を受けているので、何かタンク体に不具合が発生した様です。フランジトップのドームが多い塩酸タンク車の中で、プレーンなドームは比較的珍しく、また同じく東ソー所有の5013とかと比べるとタンク体が細長く、均整の取れたプロポーションが好ましいですね。
(1996年3月16日 羽越本線 中条駅)
ダイセル1形式1輛シリーズの3形式目、形態的には極めて普通の直円筒ドーム付きキセ付きの化成品タンク車らしい形態…それももう過去の話ですね。直円筒タンク体のタンク車はもう無いし、キセ付きのタンク車も本輪西~帯広貨物・北旭川運用で残っていたタキ11000形が無くなれば消滅します。
「パラアルデヒド」専用車もこれが最初で最後の孤高の存在でした。最も晩年には需要が無くなり、タキ8700形等と共に無水プロピオン酸に転用されていました。
(1996年8月25日 山陽本線 大竹駅)
青化ソーダ転用改造車3姉妹中では唯一保温キセが無いタキ25800形、青化ソーダ専用車は寒冷地への運用が多い為か、冬季に使い辛かったと見えて運用中なのを見る機会は少なかった記憶があります。アニリン専用車時代も後年は需要が無くなり村田に長期間留置されていた様で、晴れて転用改造の種車に抜擢されたは良かったけど、他形式が検査入場した時や需要期のショートリリーフ的に使われることが多く、後は倉敷(タ)のヤードで3輛揃ってお昼寝、というのが現実だったようです。
(1996年8月24日 名古屋臨海鉄道 東港駅)