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新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

磐梯町

2020-09-23 21:25:31 | 東北線/常磐線

 書きかけで放置していた磐越西線シリーズ、久しぶりに書いてみるか、と。

2回目は日曹金属化学会津工場の最寄り駅、大寺駅改め、磐梯町駅です。少し前のレポートだとホーム上屋が旧い木造の物でしたけど、最近改築された様で残念。かつては側線が広がっていたであろう空き地が往時の栄華を偲ばせます。

 

駅舎は軌道面より一段低い位置にあり、ホームとは地下道で繋がれています。スイッチバックではありませんが、ちょっと信越線二本木と似ていますね。駅舎は内外とも一見新しい様に見えますが。

 

裏に回ると妙に古臭い様な。どうやら旧い木造駅舎をリフォームした模様です。

駅直ぐ前には、道路を挟んで件の工場があります。社章はお馴染みの「雪うさぎ」ですが、昨年にグループ企業のCIをこれに統一していたんですね。

守衛詰所は旧いものですが、割と簡素な造りです。

表から見えるところにある鉄道輸送の遺構は、入り口直ぐの場所にある、この貨物ホームと上屋程度でしょうか。

これは直接関係は無いかも知れませんが、良い雰囲気の倉庫が気になります。

(2020年8月14日 磐越西線 磐梯町駅)

 


驚異の3段スイッチバック

2020-08-23 19:52:37 | 東北線/常磐線

 磐越西線から定期貨物列車の設定が無くなって13年経ちますが、各所にはかつて貨物街道だったころの面影が数多く残されています。阿賀野川水系で盛んに行われた水力発電を背景に、電気化学やアルミ製錬、電炉メーカーが多数立地したのが特徴でしょうか。それらの工場には専用線が敷設され、そこで活躍した機関車にも歴史的に注目すべきものが多くありましたが、今回は線路自体の線形が強烈な専用線の跡です。

そのうちの一つ、東長原駅、今となっては待合室がポツンとあるのみの無人駅ですが、隣接する昭和電工東長原事業所へ専用線が昭和59年までありました。

駅の構内はそれほど広くありませんが、この写真の一番上の、並木がある場所が工場のあるレベルです。えらく高低差が無いか?と思えましょうが、3層の築堤があるのがお判りでしょうか?

この写真の左端から専用線は上り勾配になり、会津若松方の踏切手前で一度折り返し、写真で架線柱が突き刺さっている2段目の築堤で郡山方の構内端まで行って更に折り返し、3段目は工場構内の端を突き抜け、会津若松方の踏切で跨いでいる道路をオーバークロスし、更に折り返して工場の荷役線に入っていた…そうです。

会津若松方の踏切から駅構内を望む。この右端の辺りから1段目のスイッチバックしていた筈です。

この踏切から工場側を望むと、築堤と陸橋跡があります。これは郡山方でスイッチバックして工場構内を突き抜けてきた3段目の築堤と思われます。

築堤の上から工場側を。この先で右側に分岐して、荷役線に向かっていたと思われます。

 

工場の周囲を、貨物ホームがあったあたりに向かってみます。このフェンスは軽レールの再利用かな? と言う事はこの工場に関連して、ナロー軌道があったと言う事でしょうか?

   

歴史のある工場らしい佇まいのある建物も多数見受けられます。近隣住民を対象とした見学会も時々あるようですが、近くで見てみたいな…

 

関連会社の事務所とかもムードがあります。

  

専用線はこの辺りで終点のはずです。貨物ホームと上屋らしきものもありますね。

この専用線のレイアウト、最初から作られたにしては、明らかに不自然に思って調べてみると、工場が立地した当時はまだ専用線はおろか、東長原駅自体が無く、ナロー軌道によって広田駅と連絡していたそうです。輸送量の増加に対応するため、後に費用を会社が負担する請願駅として開設されたので、専用線を敷設する十分なスペースを取れず、この様な苦しいレイアウトになった模様です。

(2020年8月14日 磐越西線 東長原駅付近)


これ違うよね?

2017-08-19 23:19:45 | 東北線/常磐線

 某ナローな電車の保存車を見に行こうと駅から足を進めると、視界に入ってきたのが、木造建築が渋い工場。そう言えばこの工場、昔は専用線があって、俗に「高下駄」とか呼ばれた、妙に腰の高い加藤のロコが居たんだったっけ、と観察していると、工場内に白いタンク体の様なものが…

拡大してみると、東洋レーヨンのタム900っぽい4本の帯金で固定されている様ですが、元タンク車ならある筈の踏み板が撤去した痕跡すらこの画像では確認できないし、ドームの形態もどう見てもタンク車っぽく無いですね。北上のタ3050とか、南相馬のタム500とか、東北方面では新発見が相次いだので、ちょっと期待してしまったのですが。

 

工場は赤煉瓦の煙突や門柱とか、歴史を感じて実に良い感じなんですが。因みにこの門の前はナローな電車の走っていた廃線跡です。


タム500

2017-04-16 17:01:32 | 東北線/常磐線

 足回りをもがれた所謂「ダルマさん」状態での据置タンク転用は、かなり古い時代から良く見られますが(逆に平成に入る頃にはそのような例を見ることは稀になったので、99系以降のタンク車はタンク体すらも残らないんでしょうな)、足回り付きで燃料屋の据置タンクとして転用されている例は極めて稀ではないでしょうか? それだけでも形式問わず見に行く価値があろうものですが、2軸タンク車、それも戦時製だと聞けば行くしかありません。

新幹線とローカル列車を乗り継ぐこと約5時間、その目的地はあります。電車の中から見えるのに、これまで誰も気付かれること無く、と言うか、つい最近まで原子力事故の避難区域指定にあったエリアなので、ここ5年程は立ち入ることすらままならない場所で人知れず存在し続けたのでしょう。

何の予備知識もなく、車窓からこんなものが視界に飛び込んで来た日にはパニックですね。

電車は2時間に1本しか無いし、ここまで来るのは一日がかりで大変ですが、駅からは非常に近くて助かりました。昔の燃料屋は駅に隣接していることが多く、その場合は専用線を持っていたことも多いですが、ここの場合はそのような痕跡はありませんでした。さて、入り口にて作業中のおじさんに挨拶して、観察させていただくことにします。

    

1輌目、こちらは如何にも旧そうな形態、ちょっと私有貨車をかじったことのある方なら、丹生川で保存されているタ2000形タ2001との類似性に気付くのではないでしょうか?

     

2輌目、こちらはタム500形と聞くとこういう感じかなーと連想させる一般的形態かな。

危険物屋外タンクとしての技術基準を満たすためには、しっかりと固定されていなくてはなりません。で、車輪をコンクリに半分埋めて固定しています。勿論周囲にはコンクリの防油堤が規則通り設置、こんなの初めて見ました。東日本大震災でも転がったりズレたりしなかったことを見ると、適切な施工だったのだと思います。板バネが生きていれば適度な衝撃吸収効果も期待できそう?

 

ただ、「車輛」としてみると、大変残念なことに。台枠中梁が液出し管の改造に際し一部切り欠かれてしまっています。まあ、チャンネル材を継ぎ足して復元しても、適切に補強されていれば問題は無いとは思いますが。60年前に17m木造客車3輌分の台枠を切り刻んで、接ぎ合わせて20m車2輌分に仕立て直した客車が、今でも95km/hで本線を走れるのだし。

 

タンク貨車の製造時期を見極めるポイントはいくつかありますが、そのうちの一つが自連胴受けです。勿論古いのは左側の方で、戦前から終戦直後に製作された車輛に良く見られるタイプですが、私の様に平成になってから貨車を追い掛けだしたファンにとっては滅多に見れない、と言うか現役車としてはタ2000形位しかありませんでした。

で、更に辺りを見廻すと、何か向こうにもそれらしきものがいます。手前のドームレス型2個は多分違いますが…

  

これはダルマさんですが、明らかに元タンク車ですね。何とか正体を暴いてやろうと舐めるように見廻してみましたが、出光のアポロマーク以外の手掛かりを見出すことは出来ませんでした。ただ、形態的には東洋レーヨン製のタム4000形と推定。出光のタム4000形で東洋レーヨン製だとすると、4019-4023のどれか、但し、4019はヨンサントオで道内封じ込めの(ロ)タム24000形になっているので、4020-4023のどれかと推定されます。

同じ敷地内にはこんな石積みの蔵も良い雰囲気。

最後に、2輌のタム500形の素性ですが、分厚く塗り重ねられた塗装のせいで元番号の読み取りは極めて困難でした。よって、データには間違っている可能性がありますので了承ください。別に聞いた証言によると、元売りの仲介で千葉の製油所から持ってきたと言う事なので、最終配置は京葉臨鉄の前川、廃車時期は検査期限からすると、昭和52年前後頃だと推定されます。

1、タム2526? S18新潟鉄工/S43大宮工改 出光興産/常備駅不詳 52-9/48-9新小岩車セ(B2)
2、タム2787? S29日車東京/S43郡山工改 出光興産/常備駅不詳 52-9/48-9新小岩車セ(B2)

(2017年4月15日 福島県南相馬市)

 


落日の新専貨

2010-04-04 21:37:55 | 東北線/常磐線

 日本合成化学大垣を振り出しに、その生涯の多くを酢ビモノマーや塩素酸ソーダ液など、他の積み荷の臨専扱いでの輸送に捧げたタキ3732、最後の数年はダイセル新井で本来の酢酸輸送に復活したが、それも束の間、新専貨の終焉で使命を終え、解体予定車の列に静かに並ぶ。

 その波乱の生涯を物語るように疲れ果てた体を、冬の西日が照らす。新専貨終焉を象徴するような、或る日の陸前山王でのひとコマ。

(P:2008年12月31日 東北本線 陸前山王駅)


去り行く者

2010-03-31 22:04:36 | 東北線/常磐線

 つい先日、日車を出場したタキ1000形の新車、「JP-8」標記付きだったそうで、中古老朽タンク車の寄せ集めという印象の強かった、米タンへの新車投入は何年振りの事でしょうか…

 これでタキ38000の米タンが短命に終わる事はほぼ決定的になりました。「東邦号」のタキ15600後継車の噂も聞かれる此の頃ですし、シキ車等の特殊車輛を除く75km/h系貨車が主要幹線から全廃されるカウントダウンに入った様です。

 今回は現在の米タン・タキ38000に追われ、解体を待つタキ35000米タン他、新専貨廃止で失職したタキ3700等の私有貨車が静かに佇む、冬枯れの陸前山王。この様なシチュエーションでは、コダクローム64が何とも良い味に描写してくれるような気がしますが、このフィルムももうありません…

西日を浴びて佇むタキ35000。液垂れやタッチアップの跡が痛々しいです。先代のタキ3000がこのタキ35000に追われ、東海道3363に繋がれて半田埠頭へ旅立っていったのも、ついこの間の様に思えます。

(P:2008年12月 東北本線 陸前山王駅)


或る日の勿来駅(3)

2009-10-11 18:50:23 | 東北線/常磐線

 前回紹介したように、呉羽化学へ出入りするタンク車は塩素と苛性ソーダ中心でしたが、少数他の化成品も出入りしていました。古くはサラシ液や四塩化炭素、そして晩年に保土谷化学との生産委託契約の関係で、郡山から移ってきたオルソジクロルベンゼンがありました。

 本来の専用車であるタキ21700型と23500型の老朽置き換えで、塩素酸ソーダ液から専用種別変更されたタキ21350型が充当されていましたが、この姿で活躍した期間は短かったです。


或る日の勿来駅(2)

2009-10-04 14:21:20 | 東北線/常磐線

 勿来の呉羽化学錦工場での生産品目は、電解法による苛性ソーダと塩素、及びその誘導体である各種有機塩素化物が主力ですので、当然、出入りする貨車も塩素と苛性ソーダ専用車がほとんどでした。ここの私有タンク車は錦商事などの系列商社所有のものが多いのが特徴でした。

 別にごく普通のJOTのタキ5450、のようですが、良く見ると台車がTR211Bなのに側ブレーキテコが… TR41Dから211Bへの過渡期に製造された車(No.で言うと954**近辺)にはこの組み合わせが少数存在しますが、この車のNo.は125495、時期的には台車はTR211Bから216Bへ、補助ブレーキも手ブレーキへ完全移行後のはずです。種明かしをすると、流用した廃車発生品の台車がたまたま側ブレーキ仕様(ブレーキリンクの構造が手ブレーキと違う)で、それをそのまま使ったためですが、以後廃車発生品を流用の場合はリンクを改造して手ブレーキ仕様にするようになったので、この組み合わせは3輌1ロットのみに終わりました。

 所有者が珍しい以外、まあ普通のタキ5450ですが、青函、宇高航路廃止後、(航送用)の文字を消したのが見え見えなスペースが御愛嬌。

(P:2000年8月30日 常磐線 勿来駅にて)


或る日の勿来駅(1)

2009-09-22 18:28:45 | 東北線/常磐線

 私がこの世界に足を踏み入れたころ、既に化成品私有貨車のコンテナ化という話は何となく聞いていましたが、この勿来を始め、二本木や新井、中条など専用線荷役が活発な拠点までリストラの対象になるとは夢にも思わず…特に二本木など、廃止直前までISOコンテナによる新規輸送など活発な動きがあったのに、無くなる時は呆気無いものです。

 おっと、EF81がタンク車を牽いてやってきました。「星ガマ」もEF510への置き換え決定でもうすぐお別れですね…

今度は呉羽化学の工場からスイッチャーがタンク車を牽いて出場してきました。

今では稀少となったロッド式です。ステップに作業員を乗せてやってきました。

側線でJRに引き渡す貨車を解放。

キャブが大きく少し頭でっかちな印象です。

大手企業らしく?立派な社章プレートと切り抜きナンバー、そしてやはり地元日立の製造銘板。これが入線する前の昔、この専用線に国鉄D51の牽く列車が誤進入、工場内に留置されていた呉羽のA8?に衝突して大破する事故があり、その代償として国鉄から廃車予定のB6をもらったそうで。

(P:2000年8月30日 常磐線 勿来駅にて)


陸中松川の忘れ形見

2008-09-22 23:54:21 | 東北線/常磐線

 大船渡線最後の貨物列車、陸中松川発着のセメント列車が消えて早12年。当時、失職した東北開発のタキ1900が連日東海道の3363レに連結され、九州に旅立っていったのを思い出されます。九州に旅立った仲間たちも無き今尚、陸中松川のセメント工場入口に、2輌のタキ1900が取り残されたように置かれています。エアスライド関連の配管は全て撤去され、自然に呑み込まれつつも、帰らぬ仲間たちを待ち侘びているのであろうか…

 岩手はもうコスモスの季節。関東ももう少しかな…後ろの建屋は東北砕石工場の貨物ホーム上屋、昔は工場からトロッコで製品をホームまで運んでいました。今の東北砕石工場は宮沢賢治ゆかりの施設として観光地化され、トロッコの廃線跡には新たなレールが引き直されていますが、JRの中古レール流用らしく(37kg?)いくらなんでも太過ぎ…

(撮影:2008年9月21日 陸中松川にて)