新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

浜安善

2013-10-18 00:20:44 | 首都圏各線

 最近はこの辺でカメラを向けると米軍燃料廠から守衛が飛んでくると言う話ですが、9・11以前は至って平和なものでした。クモハ12も、多くの私有貨車も消え、鶴見線には随分と御無沙汰しています。

国鉄が無くなってから3年位経っていたのに、「東京南鉄道管理局」です。この駅舎まだあるのでしょうか?

ヤードは遊休車置き場になっていました。この界隈では当たり前にいたホキ2200も懐かしの車になってしまいました。

塀の向うは「アメリカ」です。米タンもタキ3000が主力の時代でしたが、今やタキ1000JRF形が新車で投入されていますから…

モービルの構内にはタキ7250形の姿が。確かここは潤滑油の工場で、末広町との短距離輸送用に最後のタサ1700形が残っていた事で有名でしたね。

浜安善の末端には日本ガテックスの専用線があり、各種の化成品タンク車が出入りしていました。三井東圧のPPG、石炭酸は常連でした。その他に三菱化成のタサ6000やタキ10300も出入りしていた記憶があります。

当時走っていたクモハ12と101系はおろか、その後釜の103系もとっくに無く、今の205系もあと何年走るのでしょうか…時の流れるのは速いです。数年後には都区内から押し出されたE231系とかになっているかも。

(1990年頃)