98年頃の宮浦に来ていた塩素タンク車、南延岡の旭化成と、新南陽のトクヤマからの物がありましたが、注目すべきは高圧ガスタンク車では異例とも言える高車齢を誇っていた?旭化成所有の車輛でしょう。最後まで黄タムを使っていた会社ですし、私の訪問当時でも、本州では見る機会も稀だった254**~654**の若番が多数残っているのも感動モノでした。
それも旭化成自体が、国の認定する高圧ガス容器検査所に指定されており、自社で容器再検査が出来るので、20年落ちの高齢タンク車を使い続けるコストが低く抑えられるメリットがあったお陰です。
しかし、JR貨物が従来無償だった、経年30年を超える私有貨車の全検費用を所有者負担に規則改正されたのと、紙列車のコンテナ化と製紙業界の脱塩素化の流れの中、大量に余剰となったタキ5450形の車齢の若い車の転属で、それも思い出となりました。
これまた本州ではもう希少だった非航送車のスッキリしたプロテクタが新鮮です。
非航送車は2個の石灰箱が両サイドに分散して配置され、カセイソーダ箱は装備していないのも特徴です。
そう言えばタキ5450も、今年で1354**~1454**あたりが20年落ち、1554**~1654**も大多数は15年落ちなんですよね…
(P:1998年5月4日 宮浦駅にて)
今度はいよいよ最後まで残った三菱化学所有車です。この少し前まではトップナンバーもいましたが、後述する予定の日本化成宮下からの移籍車に押し出され廃車された後でした。末期には台車がTR225に振替えられていたのも記憶に新しいところ。九州地区拠点で使われていたのにも関わらず、踏み板が積雪地仕様の如く金網なのも興味深いです。当初は東北方面等への運用も多かったのでしょうか?
今度は影の薄い存在だった旭化成のタキ29100形です。このロット、旭化成時代より、宇部興産からの移籍車と入れ替わるように日陸にリースバックされ、速星に移った後の姿の方が有名かも知れません。
形態的には同じ川崎製の宇部興産所有車とほぼ同じですが、受台の塗り分けが違うのが見逃せません。
(P:1998年5月4日 鹿児島本線 大牟田駅にて)
鉄道写真を撮り始めて長くなると、溜まりに溜まった写真の整理保存と管理に頭を抱える事になります。分類整理も然ることながら、如何に良い状態で確実に長期間保存可能な手段を講じることの難しいこと。まあ個人的趣味でやっていることだから、費やすことのできるコストや時間には限界があるし、そう神経質になるのもナンセンスですが、かといって10年そこらで画像が劣化したり読み出し不能になったりでは面白くありません。
最近は写真のデジタル化も急速に進行し、デジタルデータ化と大容量メディアで保存が楽になったと言われますが、いろいろ話を聞くうちに、そう簡単なモノでは無いと…CDやDVD等の光磁気メディアも経年劣化しますし、その劣化速度がメディアの銘柄や原産国などで品質のばらつきが非常に大きく、不幸にしてハズレメディアに当たってしまったら、数年でデータの読み出しが不能になるとか・・・高価な国産メディアを使えばある程度回避できるかも知れませんが、それも絶対では無いそうで。
現代のフィルムはカビが生えたり褪色したりはしますが、直射日光や極端な高温多湿とか余程保存状態が過酷でない限り、数十年レベルで画像が判別不能になるほど劣化する事は考えにくいけど、デジタルデータは褪色しないけど、「全く読めない」状態に陥る可能性が容易に想定できるので、いまいち信用し切れません。そもそも現在のメディアやJPEGフォーマットの互換性が、いつまで保持されるかも問題ですし。
光磁気メディア以外の手段も、
大容量フラッシュメモリに保存…読み出し限定なら経年劣化は比較して少ないかも知れませんが、所詮ICチップだから、静電気で一瞬にしてクラッシュする危険がある。
HDDに保存…論外。読み出しのみでも長期間の使用で回転部分が摩耗するし、突然クラッシュして大量のデータをパーにした話はよく聞きます。
WEBストレージサービス…運営企業が健全な間は良いけど、サービス打ち切りの時困るし、不幸にも企業が倒産してしまえば、データは永遠に回収不能になる危険も。
…うーん、デジタルデータに関しては、信頼性の高い(=高価な)光磁気メディアに記録して冷暗所に保存し、更に特に重要と思うカットは大きめのサイズの銀塩プリントを作成して保存するのが、現時点では安全でしょうか…
デジタルデータはコンパクトに収納できると言うのは魅力的なのですが、データ自体は画像として可視化されていない故の危険性と言うのも孕んでおり、その管理を真面目にやるとフィルムより難しいのかな、と10年分位大量に放置されたポジフィルムのカビを拭いながらいろいろ考えてしまった…