デンカのアセトアルデヒドのことを調べ始めたついでに、1960年代以降の同業他社を含む動向を検索ヒットした範囲でざっくりまとめてみました。貨車運用と直接関連の無い事項も多いですが悪しからず…
電気化学工業:68年に青海のアセチレン法アルデヒド停止、以後は千葉の日本アルデハイド(住友化学とダイセルの合弁)より調達、69年千葉工場のアルデヒド法酢酸設備完成により、71年青海の酢酸設備停止。76年千葉にアルデヒド自社設備完成するが、80年協同酢酸への出資によりアルデヒド、酢酸設備停止。
ダイセル:62年に三井石化のエチレン法アルデヒド(97年休止)供給による大竹での酢酸製造開始、68年に千葉にエチレン法アルデヒド(日本アルデハイド)完成により、新井のアセチレン法アルデヒド停止、80年にダイセル、三菱瓦斯化学、電化、協和発酵、チッソの合弁で設立した協同酢酸により網干にメタノール法酢酸設備稼働で、新井の酢酸設備休止。
日本合成化学:64年稼働の化成水島(三菱化成系)からのエチレン法アルデヒド、酢酸調達に変更し、64年大垣、65年宇土のアセチレン法アルデヒドと酢酸の設備停止。
協和発酵:大協石油との合弁で設立した大協和石油化学により、63年四日市にエチレン法アルデヒド設備稼働。70年協和油化により四日市に酢酸設備稼働。
チッソ:64年五井のチッソ石油化学でエチレン法アルデヒド、酢酸設備稼働により、水俣のアセチレン法アルデヒドと酢酸の設備停止。78年五井のアルデヒド設備停止。80年五井の酢酸設備停止、協同酢酸へ参加。
昭和電工:64年、日本瓦斯化学との合弁企業、徳山石油化学により、更に69年、味の素、三楽オーシャンとの合弁の昭和アセチル化学大分工場により、エチレン法アルデヒド、酢酸が稼働、それにより65年鹿瀬のアセチレン法アルデヒド、酢酸設備停止。97年大分にエチレン直接酸化法酢酸設備稼働。
日本瓦斯化学→三菱瓦斯化学:徳山石油化学への出資により64年新潟のアセチレン法アルデヒド停止、77年協同酢酸への出資、徳山石油化学より撤退。
鐵興社:64年酒田でのアセチレン法アルデヒド設備停止。
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電化青海が71年に酢酸製造を停止、ダイセルが80年に協同酢酸のプラント完成により新井の設備休止は、それぞれタキ9250形の他社放出、タキ6850形の廃車時期と一致します。電化は数年後の千葉のプラント完成までのつなぎでタキ9250形を造ったことになりますね。まあこれは計画時に同業他社の動向や転用先なども織り込み済みだったのでしょう。タキ6850形は車齢11~16年だったのでちょっと勿体無い気もしますが、酢酸製造プロセスが10年そこらで一変してしまうのはなかなか予測できませんし、そこは特殊構造の貨車の宿命でしょう。
あれ?青海のアルデヒド、酢酸プラントは71年まで、電化自体の酢酸も80年までに操業停止している筈なのに、その後も残ったタキ9250の用途は?なんですが、電化青海では酢酸ビニルモノマーから酢酸ビニル樹脂(PVAc)→加水分解してポリビニルアルコール(PVAL)を製造しており、その際に回収される酢酸から水素化して造られるアセトアルデヒドを運ぶためでは?と推察しました。酢ビモノマーからPVALを一貫生産している工場なら、回収される酢酸はモノマー合成工程にリサイクルされますが、酢ビモノマーを他から調達する工場なら他に使い道が無ければ、他の工場に持って行くか売るかしかありませんし。(因みに電化青海でのアセチレン法酢ビモノマーは86年に設備停止) 同じ新潟県内の東の端の方にあるクラレ中条工場(現、新潟事業所)もPVAc、PVALの有力な生産拠点ですが、ここも以前はあった天然ガスからアセチレンを経て酢ビモノマーを生産する設備が83年に停止されています。(ここが持っていたタム8400、タキ10400形アセトアルデヒド専用車は恐らく酢ビモノマーの併産品として出来るアルデヒドを運んでいたとみられ、プラント休止と同時期に廃車となっています)従って、クラレ中条からダイセル新井にタンク車輸送されていた酢酸はPVAL製造過程で回収された副産物だと思われます。クラレとしても千葉やら四日市やらの酢ビモノマープラントまで長距離輸送するより、ダイセルとしても協同酢酸(網干)→安治川口→新井と輸送するより、中条→新井の県内輸送ならお互いに運賃が節約できる、上手いこと考えたものですね。