新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

タキ42250

2025-01-10 20:37:40 | 臨海鉄道

 問題のタキ42250、オリジナルのポジフィルムが見付からないのでプリントを複写したまずい写真ですが…(まあ原板もイマイチなカットですが) 西八幡→酒田港の運用は42250-53が廃車となった平成元年度末頃には終了、新製車の42254のみそれ以来神栖で廃車まで遊休車となっていたようです。用途はフタル酸エステル用だと、最終製品を運ぶタキ5950の運用拠点が末広町→和歌山操→浪速なので、酒田港はもう一つのナフタレンスルホン酸系AE減水剤かも知れません。

AE減水剤とは、コンクリートに添加することで細かい気泡をたくさん含ませ、セメントに対する水の添加量を少なくしても流れやすくする界面活性剤の一種です。単にセメントと骨材を所定量の水で練っただけだと流動性が悪く、かと言って作業しやすくするために大量の水を加えたら「シャブコン」になって本来の強度が出なくなるので、強度と作業性を両立するためにこの様な薬剤を添加する、と言う訳です。同目的の薬剤は何種類もあるようですが、これの場合は、ナフタレンを発煙硫酸か濃硫酸でスルホン化したナフタレンスルホン酸とし、フェノール樹脂を造るときと同じようにホルムアルデヒドを縮重合し、ナトリウム塩としたものが用いられるようです。

(1995年3月29日 鹿島臨海鉄道 神栖駅)


月のマークの

2025-01-08 19:50:21 | 京阪神各線

 今まで見たことがある貨車の中でも、運用が不明だったものの一つにタキ42250形ナフタリン専用車があります。とは言っても運用を外れて神栖で休車留置中の42254を一線空きの苦しいアングルで撮ったのみですが…

そこで、つい最近こんなのをxで見付けました。酒田港の日立セメントのスイッチャーも貴重なんですが、花王専用線に出入りするタンク車の中にその加熱管が特徴的なタキ42250形(タキ1500形改造の42250-53のどれか)が2輌も写っているではありませんか! 発送元は新日鐵化学(西八幡)と思われますが、花王でナフタリン(ナフタレン)って何に使うのか?ですが、同社は一般的に日用品、化粧品で有名なので、衣料用防虫剤?と思いがちですが(この用途も約40年前に無臭で低毒性のピレスロイド系防虫剤が登場して以来、市場からほぼ駆逐されて独特の匂いを嗅ぐ機会も無くなり久しいですが)、一方で花王は各種界面活性剤、合成樹脂の可塑剤、コンクリート添加剤など産業用の化学品も古くから製造しています。花王以外のブランドの化粧品、トイレタリー製品、食品、医薬品等にも多くに花王の界面活性剤、油脂、香料等が入っている筈で、多分花王製品を全く使わずして日常生活を送るのは不可能と言って良いと思います。

ここで本題、タイトルカットが何でタキ42250じゃなくてタキ5950?なんですが、5950,51は最初は花王石鹸の所有で、JOTに移籍後も最後まで実ユーザーは花王でした。同社の主要生産品目でナフタレンに関連がありそうなのは2つありますが、そのうち一つがこの塩ビ用可塑剤として使われたフタル酸エステルです。

四角で囲んだ式の様に、フタル酸エステルの前駆体となる無水フタル酸は、ナフタレンを酸化して(あるいはオルトキシレンを酸化して)造られます。これにアセトアルデヒドから造られる2-エチルヘキサノールを縮合してフタル酸ジ(2-エチル)へキシル(DEHP)にします。ここでややこしいのは赤で示したところ、私有貨車の専用種別名では(1)はオクタノール、(2)はフタル酸ジオクチルと慣例的に標記することで、下図(A)n-オクタノール、(B)フタル酸ジ(n-オクチル)では無いことには注意が必要です(本来はこちらを指すのが正しいと言えるのですが)。式の途中にもクロトンアルデヒドとかブチルアルデヒドとか私有貨車の積み荷としてもお馴染みの物質が登場しますね。

  

そのタキ5950形、末期は(花王和歌山工場→)浪速→越中島貨物間で運用されていました。形態はタキ2100形から加熱管を省略したようなものですが、3輌とも少しずつ違うのが面白いですね。

(1994年1月2日 浪速駅)


謹賀新年

2025-01-01 07:00:00 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 新年あけましておめでとうございます。今年こそはもうちょっと更新しなくては、と思うのですが…

 今年の一発目の写真は、何か2025年や干支に因んだネタを、と思ったのですが、すぐに出てこなかったので、取り敢えず目に留まった一枚を...東邦亜鉛のタキ4000ですが、何か違和感がありませんか?


では良いお年を

2024-12-31 23:41:44 | Weblog

 ギリギリになりましたけど、今年もどうもありがとうございました。

今年最後は化学式シリーズ第二弾? さてこれに関係するのはどこでしょうか? 回答は複数御座いますが、駅名でも最終製品を積む私有貨車の形式名でも、事業所名でもOKです?


アセトアルデヒド補足

2024-12-26 18:40:29 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

デンカのアセトアルデヒドのことを調べ始めたついでに、1960年代以降の同業他社を含む動向を検索ヒットした範囲でざっくりまとめてみました。貨車運用と直接関連の無い事項も多いですが悪しからず…

 

電気化学工業:68年に青海のアセチレン法アルデヒド停止、以後は千葉の日本アルデハイド(住友化学とダイセルの合弁)より調達、69年千葉工場のアルデヒド法酢酸設備完成により、71年青海の酢酸設備停止。76年千葉にアルデヒド自社設備完成するが、80年協同酢酸への出資によりアルデヒド、酢酸設備停止。

ダイセル:62年に三井石化のエチレン法アルデヒド(97年休止)供給による大竹での酢酸製造開始、68年に千葉にエチレン法アルデヒド(日本アルデハイド)完成により、新井のアセチレン法アルデヒド停止、80年にダイセル、三菱瓦斯化学、電化、協和発酵、チッソの合弁で設立した協同酢酸により網干にメタノール法酢酸設備稼働で、新井の酢酸設備休止。

日本合成化学:64年稼働の化成水島(三菱化成系)からのエチレン法アルデヒド、酢酸調達に変更し、64年大垣、65年宇土のアセチレン法アルデヒドと酢酸の設備停止。

協和発酵:大協石油との合弁で設立した大協和石油化学により、63年四日市にエチレン法アルデヒド設備稼働。70年協和油化により四日市に酢酸設備稼働。

チッソ:64年五井のチッソ石油化学でエチレン法アルデヒド、酢酸設備稼働により、水俣のアセチレン法アルデヒドと酢酸の設備停止。78年五井のアルデヒド設備停止。80年五井の酢酸設備停止、協同酢酸へ参加。

昭和電工:64年、日本瓦斯化学との合弁企業、徳山石油化学により、更に69年、味の素、三楽オーシャンとの合弁の昭和アセチル化学大分工場により、エチレン法アルデヒド、酢酸が稼働、それにより65年鹿瀬のアセチレン法アルデヒド、酢酸設備停止。97年大分にエチレン直接酸化法酢酸設備稼働。

日本瓦斯化学→三菱瓦斯化学:徳山石油化学への出資により64年新潟のアセチレン法アルデヒド停止、77年協同酢酸への出資、徳山石油化学より撤退。

鐵興社:64年酒田でのアセチレン法アルデヒド設備停止。

***

電化青海が71年に酢酸製造を停止、ダイセルが80年に協同酢酸のプラント完成により新井の設備休止は、それぞれタキ9250形の他社放出、タキ6850形の廃車時期と一致します。電化は数年後の千葉のプラント完成までのつなぎでタキ9250形を造ったことになりますね。まあこれは計画時に同業他社の動向や転用先なども織り込み済みだったのでしょう。タキ6850形は車齢11~16年だったのでちょっと勿体無い気もしますが、酢酸製造プロセスが10年そこらで一変してしまうのはなかなか予測できませんし、そこは特殊構造の貨車の宿命でしょう。

あれ?青海のアルデヒド、酢酸プラントは71年まで、電化自体の酢酸も80年までに操業停止している筈なのに、その後も残ったタキ9250の用途は?なんですが、電化青海では酢酸ビニルモノマーから酢酸ビニル樹脂(PVAc)→加水分解してポリビニルアルコール(PVAL)を製造しており、その際に回収される酢酸から水素化して造られるアセトアルデヒドを運ぶためでは?と推察しました。酢ビモノマーからPVALを一貫生産している工場なら、回収される酢酸はモノマー合成工程にリサイクルされますが、酢ビモノマーを他から調達する工場なら他に使い道が無ければ、他の工場に持って行くか売るかしかありませんし。(因みに電化青海でのアセチレン法酢ビモノマーは86年に設備停止) 同じ新潟県内の東の端の方にあるクラレ中条工場(現、新潟事業所)もPVAc、PVALの有力な生産拠点ですが、ここも以前はあった天然ガスからアセチレンを経て酢ビモノマーを生産する設備が83年に停止されています。(ここが持っていたタム8400、タキ10400形アセトアルデヒド専用車は恐らく酢ビモノマーの併産品として出来るアルデヒドを運んでいたとみられ、プラント休止と同時期に廃車となっています)従って、クラレ中条からダイセル新井にタンク車輸送されていた酢酸はPVAL製造過程で回収された副産物だと思われます。クラレとしても千葉やら四日市やらの酢ビモノマープラントまで長距離輸送するより、ダイセルとしても協同酢酸(網干)→安治川口→新井と輸送するより、中条→新井の県内輸送ならお互いに運賃が節約できる、上手いこと考えたものですね。


デンカのタキ9250あれこれ

2024-12-21 14:01:33 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 デンカ原石のテコ401の素性の話でカーバイドホッパの話をしたところで、思い出したのがこれ、タキ9250の青海―新井間の短距離輸送について。確かに1968年まで電化青海工場ではカーバイドの水和で得たアセチレンよりアセトアルデヒドを生産していましたけど、それ以降は京葉コンビナートに設立したデンカ石油化学(専用線所管駅:京葉臨海鉄道玉前駅)でのエチレンからの製法に転換したはずでは?と気付いた方もおられるかと思います。さて、千葉に大規模なプラントを造ったはずなのに、何でわざわざ青海で小規模に?なんですが、他所からエチレンを持って来てわざわざやるには如何にも不合理です。ではアセチレンから造っているかと言えば、それは「水俣病」の問題が付きまとうので最早無いでしょう。そこで、アセトアルデヒドの工業的製法について改めて調べてみました。

ここで化学反応式を出すのも何ですが、(1)はアセチレンから水銀(II)塩触媒(cat.は触媒を示す)で水を付加する、高校教科書にも出てくる有名な反応ですが、日本を始め先進国では過去のものとなっています。(もしかすると中国とか北朝鮮とか、石油資源に乏しくて石炭が豊富にある国ならやっているかも知れませんが…)このプロセスを巡る経緯は、興味があればこのリンク先を読んでみると色々発見があるかも知れません。
https://kagakushi.org/wp-content/uploads/2022/08/Kagakushi_053_1990.pdf

(2)はエチレンの接触空気酸化法(ヘキスト=ワッカー法)、石油ナフサの分解でエチレンが安価に得られるようになったため、電力コストが高くつくカーバイドアセチレン法よりコスト的に有利となった60年代以降主流になりました。ただ石油ショックで原油価格が高騰する中、また新たなライバルが登場してきます。

(3)70年代以降、天然ガスや石炭から大量生産されるメタノールを一酸化炭素でカルボニル化する方法(モンサント法、カティバ法)で安価に酢酸を製造するプロセスが確立したので、昔はアセトアルデヒドを酸化して造っていた酢酸を、逆に水素化してアセトアルデヒドを造った方が簡単じゃない? となってきてます。

これを踏まえ、貨車の動きを見ていくと、電化青海へは太郎代からタンク車積メタノールの到着もあったので、これも関連していたと見られます。ところで電化のタキ9250は、石油化学プラントの新設に合わせて玉前→八木原、青海の工場間輸送用に21輌(伊藤忠所有の9271を除き全部)を用意したのに、数年後には5輌を残して大半を他社に放出したのは、酢酸プロセスの転換絡みでしょうか?


東邦亜鉛安中製錬所

2024-12-20 20:18:24 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 東邦亜鉛安中製錬所の亜鉛製錬事業の停止が報道されました。あの山肌に拡がる製錬所の施設、初めて見た時は強烈なインパクトで、「工場萌え」界隈の人たちにも人気なのは頷けるところです。今後は金属リサイクル事業に集中するとのことなので、小名浜からの亜鉛鉱専用列車の動向が気になるところですね。

東邦亜鉛安中と言うと、近年からのファンにはタキ1200(JRF) 形亜鉛焼鉱専用車とトキ25000(JRF) 形亜鉛精鉱専用車でしょうが、おじさんファンにはやっぱり硫酸タンク車です。まずは蔵町工業の若番車4081。

次はまた珍所有者で若番の寶商店5795。


デンカ原石線の鉱石車

2024-12-14 01:12:51 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 ヤフーでなかなか興味深い記事を見つけたので書いてみます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/80988583a0d7a515b0fdf6aa1a3bc0d841ef749f

 デンカ青海工場原石線の近況について取材した記事なのですが、鉱石車テコ300,400の一部に入れられた白帯が積み荷の粒度を示すものであるとか、1輌だけ在籍するテコ400形401がカーバイト専用車の改造であることなど、初めて見聞きしました。

 さて、そのテコ401、銘板が2枚付いていることから、何らかの改造車であることを示唆するレポートはこちらでも目にしたことはありましたが、その正体について触れた記事は初めてではないでしょうか。更に、具体的に種車となった形式が気になりますが、記事と銘板の写真によると、製造は昭和36年日立製作所、改造は昭和46年で同じく日立、該当しそうなのはホキ5600形5611-28のロットですが、5612-28は昭和46-47年にホキ6300形セメント専用車に改造され、5611のみ昭和45年に車籍除外されています。と言う事でテコ401はホキ5600形5611の成れの果てと推定されますが如何でしょうか? ホキ5600形を含むカーバイトホッパ車は普通の平台枠の上に箱を載せた構造だけど、このタイプの鉱石車は台枠の中梁を省略して、漏斗状の荷台を落とし込む構造になるのが通常で、写真を見る限りでもそのように見えます。但し外見上は種車の台枠は流用したと思われるので、種車の台枠にあるはずの中梁を除去して、空制装置一式を台枠上に移設して側梁間に新造したホッパを落とし込むという結構面倒そうな改造をしていることになりますね。そう聞くと間近で確認してみたくなりますが、ここはえちごトキめき鉄道あたりとコラボしてTSD40ボンネットバスで巡る見学撮影会でも実施してくれないかな…勿論只とは言いません。有料でもある程度需要はあると思いますが如何でしょうか?


ゴムライニング

2024-11-24 20:34:37 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 塩酸タンクローリーの漏洩事故とか言うニュースを聞いて、やっぱり半世紀前に江津でタム5000形がやらかしたあれか? 報道ではローリーの現車映像が出ていなかったので、それともFRP製タンク体だったのか?とかまず考えてしまいます。FRPの塩酸タンクの天板を踏み抜いて転落した話は聞いたことがありますが、タンク体にいきなり亀裂が入ってダダ洩れになったそうなので、やっぱりゴムライニングの不良で鋼製タンク体が腐食して割れたのでしょうか?

 それは良いとして本題、塩酸やカセイソーダ液のタンク車には欠かせないゴムライニング、東新潟港駅跡の近くに社屋を構える「日本海護謨」という会社があります。特にタキ2600形の車歴を調査すると良く出てくる社名ですが、昭和58年度専用線一覧では、東新潟港駅は新潟臨港の海陸4番線に第三者利用者の記載があります。既に跡形もありませんが、焼島駅接続の旧新潟硫酸石山工場→サン化学跡地の専用線を間借りして作業中と思われる日本曹達のタキ7750?を見た記憶があります。東新潟港の臨港線廃止後は新潟臨鉄の藤寄でやっていましたっけ?

それにしても、このサイトにある施工実績、社名をイニシャルにしているけど、業界の人や私有貨車ファンならほとんどバレバレで伏せる意味が無いような(笑)


マル通も過去の物かぁ

2024-11-03 01:09:19 | 首都圏各線

ちょっと遅くなりましたが、日通のシキ車の社章、新しいものに交換されてからは初めてかな? 

 

まあ1回目の時も行ったのですが、土曜日に行ったのが間違えで、休日ダイヤの日は9時過ぎから18時過ぎまで電車が留置線に入っているので撮れない、ことを忘れていたお粗末な結果で...確か十数年前の前回の輸送時も同じ失敗をやらかしているのに…

今度は平日ダイヤの日に行ってみることに、八王子にまだヨ8000が残っていると言う事は、返しはまだ行っていないな、と確認。

    

とりあえず今回は無事確保、ドン曇りなのが残念ですが…

 

高麗川駅の木造駅舎も間も無くお別れ、ですね。

バラエティに富んだ形態と所有者標記に魅せられたのが私有貨車にのめり込むきっかけになっただけに、所有者がわずか6社になってしまったのは寂しい限りです。貨車自体の形態、構造のみならず、所有者自体の歴史も研究対象としてはまた面白いものがあるのですが。現存しない所有者、それもネットが普及する以前のことはネット上ではほぼ追いかけられません。例えば有名どころでは、日新電化(株)は工場設備と私有貨車、一部の事業については東北東ソーに受け継がれているのは明らかなのですが、法人として最終的にはどのような経緯をたどったのとか、「日東味の精」はヤマサ醤油のブランドとしては残っているものの、これも沿革が不明な一つ、タキ5750トップナンバーで有名な大和商会も、検索すると同名の会社はいくつも出てくるのですが、事業内容等で一致しそうなのがこれまたなく...