新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

マル通も過去の物かぁ

2024-11-03 01:09:19 | 首都圏各線

ちょっと遅くなりましたが、日通のシキ車の社章、新しいものに交換されてからは初めてかな? 

 

まあ1回目の時も行ったのですが、土曜日に行ったのが間違えで、休日ダイヤの日は9時過ぎから18時過ぎまで電車が留置線に入っているので撮れない、ことを忘れていたお粗末な結果で...確か十数年前の前回の輸送時も同じ失敗をやらかしているのに…

今度は平日ダイヤの日に行ってみることに、八王子にまだヨ8000が残っていると言う事は、返しはまだ行っていないな、と確認。

    

とりあえず今回は無事確保、ドン曇りなのが残念ですが…

 

高麗川駅の木造駅舎も間も無くお別れ、ですね。

バラエティに富んだ形態と所有者標記に魅せられたのが私有貨車にのめり込むきっかけになっただけに、所有者がわずか6社になってしまったのは寂しい限りです。貨車自体の形態、構造のみならず、所有者自体の歴史も研究対象としてはまた面白いものがあるのですが。現存しない所有者、それもネットが普及する以前のことはネット上ではほぼ追いかけられません。例えば有名どころでは、日新電化(株)は工場設備と私有貨車、一部の事業については東北東ソーに受け継がれているのは明らかなのですが、法人として最終的にはどのような経緯をたどったのとか、「日東味の精」はヤマサ醤油のブランドとしては残っているものの、これも沿革が不明な一つ、タキ5750トップナンバーで有名な大和商会も、検索すると同名の会社はいくつも出てくるのですが、事業内容等で一致しそうなのがこれまたなく...


臨時専用種別

2024-03-14 00:32:25 | 首都圏各線

 六価クロムの話題に関連してタキ30100形の写真を探してたついでに目に留まったのがこれ、極普通のタキ7900形...なんですが、臨時専用種別と第三者使用の札が刺さっています。他の専用種別のタンク車をラテックス仮専用として使っているのは良く見たことがありますが(普通は凍結防止のためキセ付のタンク車が指定されることが多かったですが、安治川口→岳南原田とか、新茂原→浪速とか温暖な地域限定では、裸タンク体のタキ8000やタキ35000とか使っていました)、逆にラテックス専用車を他の用途に転用した例って少ない様な気がします。

さて、何を積んでいたのでしょうか…15倍ルーペでポジを見ると、「コンクリート混和剤」と書いてあるのまでは読めましたが、臨時常備駅と借受者までは読めませんでした。

ふと、同時期に同じ越中島貨物で「コンクリート混和剤」を運んできた奴がいなかったっけ? と探してみると、タキ8000形ホルマリン専用車にありました。こちらは辛うじて「臨時常備駅 倉敷貨物タ 借受者 日本ゼオン(株)」と読めました。冒頭のタキ7900も多分同じだと思いますがさて... 日本ゼオンはラテックスのメーカーとして大手なので、ラテックス専用車を使うのも何となく納得できますが。

しかし、コンクリート混和剤、と一括りにされますが、日本ゼオンと花王と日産化学と藤沢薬品とでは指すものが全く別物なんですよね。


六価クロム

2024-03-13 00:20:43 | 首都圏各線

 とあるメッキ工場で六価クロム含有処理槽の中に落ちた猫が脱走、と言うニュースを耳にしました。少し前まで猫を飼っていた者としては悲しい出来事ですし、事故防止上も、品質管理上も、きちんと蓋しておけよ...と言う案件ですが、中小零細製造業って結構ゆるゆるな所が多いからね…(全てじゃないけどね。私が以前いたところもまあ...頼むからシンナーが満たされたたらいの前でたばこ吸うのだけは勘弁してくれ...)

 で、その話題の六価クロムを運ぶ貨車を。積み荷の重クロム酸ソーダ液は、メッキや化成皮膜処理(クロメート処理、アロジン処理など)の他、有機化学での酸化剤としても汎用されてきましたが、毒性の強さから使用が忌避されるようになってきました。輸出用製品ではRoHS指令などの環境規制で事実上使用不可なので、民生用途では六価クロメートやアロジン処理はほぼ姿を消しましたが、防衛装備品関連ではまだ結構使われています。(旧国鉄のJRSとかでもそうでしたが、役所関係の規格は一度決めるとそれを変更するのはえらく大変だそうなので、何十年も前の規格そのまま、と言う場合が多いので。今度は国産の兵器を輸出する、と言う話になってきてますが、六価クロムや鉛の問題はどうするのでしょうか?と思って調べたら、兵器や宇宙関連機器はRoHS指令除外品目なのね)


国鉄時代の貨物時刻表

2024-02-10 00:09:00 | Weblog

 90年代以前の貨物時刻表の古い奴、販路も限定されていたし、業務用はダイヤ改正されれば前のは即ゴミ箱行きだろうし、趣味で購入された方は恐らく少ないだろうから仕方ないんだろうけど、ヤフオクとかに出品されても競って結構な値段になるんだよな。78~84年位のとか、1冊3万とか5万とかで出している業者は流石に見向きもされず回転寿司になっていますが… 90年代終盤位から主要線区のダイヤが添付される頃になると、多分趣味購入の方が多くなったであろうことは想像できますが。

 復刻版も、旅客の時刻表はかなり出ていますが、貨物は一般販売されたのは、知る限りでは43-10だけなので(もちろん買いましたが)、国鉄末期のも復刻して欲しいですよね。


酒田港公共臨港線

2024-01-13 23:45:57 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 酒田港駅から東北東ソー化学酒田工場の北側を回って、旧日新電化工場(現、東北東ソー化学酒田西工場)と米田物産へ至る専用線について、日新電化と米田物産の構内で各1回ずつスイッチバックしていたり、何だか不自然な線形だと前から思っていたのですが、かつては海沿いを通り、大浜運河を跨いで工場内に入る専用線だったんですね。

https://akumisakata.exblog.jp/29511405/

当然運河の入り口に鉄橋があれば、大きな船や艀は出入りできないので、後に北側に迂回する公共臨港線が建設され、こちらの線路は廃止されましたが、大浜運河はその後も本来の目的で十分活用されることなく現在に至っています。お馴染みの羽越線資料館

https://uetsumuseum.web.fc2.com/sakatako.html

でも良く見ると配線図にさらっと紹介されていたのですが、このあたりの経緯については詳しく記述が無かったので見逃していました。どうせなら可動橋にしてくれれば面白かったのですが、この位の距離なら迂回線を敷いた方が、後々の維持費が有利と判断したのでしょう。時系列的には、

 1937(昭和12年) 鐵興社酒田大浜工場(現・東北東ソー化学酒田工場)開設
 1943(昭和18年) 帝國マグネシウム工業所(後の日新電化酒田工場)開設
           ※この時に大浜運河入り口の鉄橋を架橋?
 1955(昭和30年) 鐵興社工場北側を迂回する山形県営公共臨港線開通(鉄道公報掲載は昭和31年10月)。
           これにより日新電化/米田物産の旧専用線を廃止。
 1961(昭和36年)頃 大浜運河の鉄橋を撤去。
 1969(昭和44年) 米田物産専用線開通。
 1975(昭和50年) 鐵興社が東洋曹達工業に吸収合併。
 1980(昭和55年) 日新電化が東洋曹達と業務提携。
 1983(昭和58年) 旧鐵興社の酒田大浜工場が分社化、東北東ソー化学に。
 1988(昭和63年) 日新電化が東北東ソー化学に事業譲渡。同社の酒田西工場となる。
           ※この頃に旧日新電化線の使用を休止?
 2008(平成20年) 新専貨全廃により東北東ソー化学の専用線扱い廃止。同時に公共臨港線使用休止。

日新電化線の先に接続していた米田物産に関しては廃止時期は判然としませんでしたが、少なくとも昭和58年の専用線一覧表には掲載があるので、ヤード系輸送が無くなった59-2頃かと思われます。それにしても日新電化に関する情報がネット上に極端に少ないのは何故でしょう? 法人格が消滅している(だよね?)とは言え、そこそこの規模があった中堅化学メーカーなのに、と思うのですが。一方の鐵興社は傍系だけど、東ソーのサイトでも沿革は簡単に紹介されていますが、日新電化は完全スルーです。

 

晩年の旧日新電化線は、ご存じの通り、使わなくなった貨車の捨て場になっていました。既に旧鐵興社の工場と施設の統合が進んだ結果、旧工場施設は大半が撤去され、荒涼とした異様な風景が広がっていたのが記憶にあります。昭和63年に事業譲渡とありますが、私有貨車は昭和62年時点では全て東北東ソーに名義変更済みで、実態は既にほぼ抜け殻になっていたみたいですね。


新年おめでとうございます。

2024-01-01 13:18:59 | 臨海鉄道

 最近は年末年始しか更新しないような状態ですが…あまり出掛けていませんし。

 

これも一昨年のネタだし。昨年やったのは更に凝れとか構内で運転したんだったっけ?

 

これと同型のが昔、武蔵白石にいたっけ? 工場の奥の方に押し込められていたのをチラリと見ただけですが、90年代初頭までは残っていたような。


国鉄貨物の入門書

2023-08-12 14:16:48 | Weblog

 最近こんな本が出ていたので紹介。

 昭和の時代からの貨車ファンには今更何でしょうが、国鉄が消滅してから36年も経ち、当時の鉄道貨物の事情を知らない人も多くなってきたでしょうから、それをおさらいするのに好適な一冊じゃないでしょうか。直接は取り上げられてはありませんが、JRになってから20年間、国鉄を引きずるような存在だった新専貨をより深く知るためにも、その背景は知っておいても良いかと思います。

 本書では同じ鉄道を利用した物流サービスと言う事で、鉄道荷物輸送にも触れられています。これ読みながら、JR旅客会社で類似サービスが復活してきたり、北海道新幹線の並行在来線問題を鑑みると、貨物会社の役割も見直すべき時期に来ているのかな、というか、旅客会社がついでに貨物を運んでもよいなら、貨物会社がついでに旅客営業をしても良いのでは、と思ってしまいます。


廃線ウォーク

2023-07-23 09:20:36 | 民鉄・3セク

 先日、わたらせ渓谷鉄道間藤駅の先、貨物線の廃線跡を歩くツアーに参加してきました。

  

同社では、同様の企画は時々開催されているようですが、

今回の目玉は、この門の先まで行けるのであります。

ただ、残念ながら、構内で撮影した写真はUP禁止とのお達しがありましたので、これより先はナイショ、と言う事で。因みにこのツアー、結構好評だったようで、今回も次回(8/18)も満員御礼になっていますので、興味ある方はまたの機会に期待、と言う事で。

さて、間藤駅まで戻って、駅の駐車場の片隅にあったこの建屋、何か怪しい…古レールの柱が飛び出しているし。と思って帰宅後調べてみると、やはりこの辺りに貨物ホームがあった模様で、現在は路盤が埋め立てられていますが、これは貨物上屋だったのかも。


こんなもの発掘した

2023-07-03 00:27:13 | Weblog

 少し前の某イベントで、こんなものを見付けてきました。東急車輛の35t積ガソリンタンク車? タキ9900の事じゃないよね? 表紙のブレた写真は何故かタサ700の米タンみたいだし…

その正体は...何か10系みたいだけど、側梁がありますね。タキ1500のタンク体が太い変型車(大協石油所有のタキ15116-15120だったかな? 確か三菱製)にも似ていますが、良く見ると台車の上の部分のタンク体が平底になっています。このタイプは、かつてRMの吉岡氏の連載でチラリと触れていた記憶がありますが、その正体とはこれだったのか。ともあれ、実際には製作には至らなかったと思われますが、まあまあ詳しい図面も付いているので、模型化してみるのも面白いかも知れません。

タキ9750形(10系)に比べ重心が低く走行安定性が良いこと、タキ9900形(99系)に比べ保守性や安全性に優れていることを謳っていますが、一部平底型のタンク体の製作が手間が掛かり、コスト的に不利だったことが敗因だった様です。結局その後にメーカー各社で設計を標準化する方針になった(その成果が35系タンク車)のも不運であったのでしょう。


さっぱり

2023-05-28 13:19:37 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 久し振りに訪問した渋川、貨物扱いがあった当時は、所狭しと貨車やスイッチャーが押し込められていた印象ですが、こうやって全部更地になっちゃうと、案外広かったんだな、と。

 

関東電化の倉庫が当時のまま時の流れが止まってしまったようなのが、余計寂しく...