新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

太郎代駅2002(その2)

2008-05-21 22:09:05 | 臨海鉄道

 2回目はいよいよ太郎代駅に踏み込みます。行ったことのある人は当時を懐かしみながら、行ったことの無い人も大まかなイメージを掴めれば幸いです。
(撮影年月日 2002年3月28日)

まずは入口の踏切(観音様踏切)。ささやかな看板も出ています。



踏切から黒山方を望む。


踏切を渡るとすぐ駅舎。撮影するときは挨拶をお忘れなく。


振り向けばそこは貨車ヲタク垂涎の光景。

歩道とヤードの間を遮る物はありません。

構内側から眺めるとこう。松林が良い感じ。
左端にはかなり広い空き地があるので、将来的には更なる拡大を考えていたのかも(涙)

更に足を終端方面に進めます。左端の草生した線路は、かつてコープケミカルのタキ11200が長期留置されていたのを憶えている方もいることでしょう。真ん中の線はカーブの先でスイッチバックして、クラレ、三菱瓦斯化学の積込施設に至ります。右端はコープケミカルの工場に至ります。

クラレ/三菱の積込施設はこんな感じ。タンカー船に積まれて新潟東港まで来たアセトンやメタノールはパイプラインを経由して、ここでタンク車に積み替えられます。


太郎代駅2002(その1)

2008-05-20 00:20:25 | 臨海鉄道

 最初に紹介するのは新潟臨海鉄道の太郎代駅です。皆様もご存知の通り、同鉄道は新潟東港の河川工事で路線が分断されるに至り、2002年9月末日限りで廃止となりました。どちらかと言うとメタリックな巨大プラントとパイプライン、どこと無く無機質で人工的な緩衝緑地帯というイメージを臨海鉄道に抱いている人がこの鉄道を訪れたら、きっとちょっとしたギャップを感じることでしょう。黒山を出て広がる風景は長閑な田園と静かな郊外の住宅地、唯一の途中駅、藤寄を出てしばらくするとコンテナターミナルの中を走り、少しらしくなってきたかな、と思ったら、松林をバックにした静かな環境の中に広がる、終点太郎代駅です。

 フェンスや架線柱など邪魔な物は一切無く、光線状態も良好で、私の好きな駅でしたが、何分にも公共交通利用前提では不便極まりない場所でもありました。万代バスセンターから「太郎代浜」行きバスに乗り、「太郎代局前」で降りれば歩いて数分なのですが、確か2時間に1本位しかバスが無かったと思いました。あとは豊栄駅でレンタサイクルを借りる、黒山駅から気合で歩く(1時間は優に掛かります。。。)しかありません。クルマ使えば大した事無いって?私はクルマ運転しないので。。。(一応免許はありますが)

 さて、この駅の概要ですが、私が最初に訪れた1995年頃は、発送のみの扱いだった模様です。発送貨物は、クラレ、三菱瓦斯化学のアセトン、メタノールが秋田港、中条、青海、黒井、新井に向けて、コープケミカルの濃硫酸が羽前水沢、中条、東新潟港、黒井向けに送られていた(と思いました。。。他にもあったかも?) あと藤寄駅に置き切れない日本曹達扱いのカセイソーダや三菱瓦斯化学扱いのホルマリン、メチルメタアクリレート、アセトアルデヒド等、各種化成品タンク車が置いてあることもありました。

 貨車の形式的には、かつてはタム3450、3700等の2軸車やタキ5200、6500、内外輸送のタキ9900や35000とか、珍しい物も見られましたが、末期にはメタノール、アセトン輸送用車はタキ7250と7950、13700、13800の35系軍団に集約されて面白みが無くなりました。硫酸車は殆どがタキ5750で、カクタス化成、三谷産業、日本鉱業他、末期には神岡鉱業からNRSの29300、46000も転入し、小坂以外では珍しかったドーム付きの住商化学品の汽車製5750(15769-15771)も姿を消しました。

 また前置きが長くなりましたが、次回は駅構内の様子を画像で紹介したいと思います。


「新専貨」とは何?

2008-05-18 00:45:23 | 新専貨とは

 「新専貨」という言葉に聞き覚えが無いという方もいらっしゃいますとは思いますが、旅客列車に例えれば、「専用貨物列車(専貨)」=団体貸切列車、とすれば、「新専貨」=全席座席指定の快速列車、と言ったニュアンスでしょうか。

 「専貨=団体貸切列車」は荷主が列車単位で貸切らなくてはなりませんが、希望する目的地まで運転停車以外ノンストップ乗り換え無し最短距離で直行し、大口割引もあります。

 それに対し「新専貨=座席指定快速列車」は予約さえすれば1車単位で利用できますが、目的地まで直行する列車の設定が無ければ、ヤード駅で「乗り換え」が必要になり、しかも列車の設定がある線区が限定されるので、最短ルートになるとは限らず、その分若干余分に時間が掛かります。

  旧国鉄時代は更に、「集配列車=全席自由席の普通列車」がありましたが、これは予約無しで1車単位で利用できるものの、連結したい列車が「満席」なら次の列車を待たねばなりません。しかも途中のヤード駅で継送列車が一杯なら、また空席のある列車を待たされる羽目になり、到着日が発送時点で分からない問題がありました。

 この「新専貨」、国鉄時代は「車扱直行列車」と呼ばれていましたが、国鉄も末期になり、ヤードで中継扱いする貨物列車は非効率として全廃し、専貨とコンテナ列車に集約、直行化を推進する方針に転換していきます。しかし、1輸送単位が小さく、かつ安全上の問題で製品のトラック輸送への転換が困難な化学業界からヤード系存続の声が上がり、またそれらの貨物の多くが発着する各地の臨海鉄道が経営基盤を守るため、従来国鉄が行っていた車扱直行列車のヤード入替業務を臨鉄間で相互代行する形として誕生したのが、「新専貨」であります。

 具体例を挙げると、1990年代半ば頃では
東北線 5175/5172レ 川崎貨物~陸前山王(仙台港)
上越・信越・羽越線 3881/3880レ 熊谷タ~土崎(秋田港)
東海道線 3363/3362レ 川崎貨物~笠寺(東港)
北陸線 3561/3560レ 新潟タ~笠寺
山陽線 3865/3864レ 笠寺~黒崎
以上の列車を核とする列車群です。

 「新専貨」はその特性上、化成品タンク車を主体に、種々雑多な形式の貨車が併結され、変化に乏しいコンテナ高速貨物が主役となった中で、ひときわ異彩を放つヤード系全盛期を髣髴とさせる姿に魅了された方も多いと思います。しかしながら、所有者も雑多な私有貨車の混成故、貨車の走り装置の新陳代謝が阻害される結果となり、保守コストの増大、老朽化による輸送障害多発や高速化の妨げになるとして、更にコンテナ化が推進され、遂に2008年3月のJR貨物ダイヤ改正で事実上消滅しました。


見学・撮影等についての管理人のスタンスとか

2008-05-17 06:50:53 | 最初にお読み下さい

 この趣味は鉄道に携わる現場の協力抜きには考えられませんが、貨車に関わらず、鉄道趣味界で永年に亘り「マナー」論で激しい論争が繰り広げられてきたテーマであります。私自身、決して模範的趣味人とは思いませんが、公共スペース以外の鉄道線路敷地、工場構内等、最低限必要と考えられる場所では現場機関等の許可を得るように心掛けて参りましたし、現場の作業の邪魔や危険の無い様、私なりに細心の注意を払ってきたつもりです。

 しかし、撮影時点では許可が得られた場所でも、その後の情勢の変化等で禁止された場所もありますし、工業地帯の構内外の境界が曖昧な部分で、立ち入ってはいけないラインを踏み越えていないと断言できる自信も御座いません。現場関係者の許可が得られたと言っても、会社の規則上NGで現場レベルで黙認されていたに過ぎない、というケースも考え得るのですが、私には全ての状況を把握し切れません。もし疑惑のカットを発見されましても、「この場所は撮影禁止だろ!」というツッコミはご容赦願います。尤もここで紹介するつもりの車輌たちの99%は過去帳入りしており、風景自体も痕跡を辿ることすら困難になった場所も多いこともあり、情報としては無価値ですし、もはや現場に迷惑が及ぶ危険性はほぼ皆無でしょうが。。。


はじめまして

2008-05-16 22:00:26 | 最初にお読み下さい

本日は当ブログにご訪問頂き有難う御座います。

ここでは主に全国主要幹線に設定されていた、化成品等混載専用貨物列車(所謂"新専貨")と私有貨車、及びそれらの列車や貨車のあった情景を紹介していきたいと思っていますが、時々?旅先で見たものやカメラ機材、鉄道模型、その他日常で出会った物とかの話題に脱線するかも知れませんので悪しからず。色々と間違っていることも多々ありますとは思いますが、コメントでご教示頂けると有難いです。

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