新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

播磨の国から(2)北沢産業DB-2

2008-08-30 21:11:09 | 民鉄・3セク

 続いては、北沢産業2輌目の保存車、DB-2です。同鉄道の網干駅ヤード跡地に出来た、北沢産業直営駅前駐車場の片隅に保存されています。周囲はフェンスに囲まれていて、写真は撮りにくいですが、こちらも状態良好です。

 個性的なデザインの帝車製DB-1に対し、形態的にはニチユの規格型10t半キャブで、旧国鉄の貨車移動機と同等のものですが、ロッド式のは流石に動くものはほとんど無くなりましたね。何故か日通みたいなオレンジ色になっていますが、本来はDB-1の様に黄色でした。鉄道休止中も網干駅構内にポツンと置いてあったので、憶えている方も多いかと思います。

 駐車場事務所の表札は「網干鉄道事務所」…今は鉄道跡地を管理しているセクションらしいです。網干駅構内の線路は撤去済みですが、構内の外れの、JR網干電車区の脇あたりからは線路が残っています。但し、この日は余りの酷暑に訪問は断念…機会を改めて訪問したいところです。

(撮影:2008年8月13日 山陽本線 網干駅前にて)


播磨の国から(1)北沢産業DB-1

2008-08-28 21:55:27 | 民鉄・3セク

 北沢産業…この社名を初めて知ったのは小学生の頃、鉄道No.1大百科?だったかな? 最も保有車輌数の少ない私鉄(勿論、神戸高速鉄道は例外扱い)として紹介されていたのを読んだ時でしたっけ。DLをたった2輌しか持っていない貨物専業私鉄、どんな鉄道なんだろう?と好奇心を抱いても、余りにも地味な存在だっただけに、詳細が紹介された印刷物は非常に少なく、特に現役で走る同鉄道の列車の記録はほとんど見当たりません。1回だけ鉄ピクの記事で見た記憶がある位です。この様に極めてマイナーな私鉄であるにも拘らず、廃線時の在籍車輌が2輌共、しかも非常に良い状態で保存されているのは喜ばしい限りです。

高砂市某所で保存されているDB-1。国鉄の10t貨車移動機相当のスペックですが、デザインは帝車オリジナル。これと反対サイドのナンバープレート、社章が無い以外は欠品も無く、状態は良好。

反対側のボンネットにはラジエーターグリルが無いので、表情がまた違います。

帝国車輌の銘板。恐らく国内現存唯一の帝車製DLだと思われます。

解放テコの両脇に角の様に生えたレバーがユニークで、デッキの上からも解放操作が行えて機能的。

足回りはジャック軸駆動のロッド式。最近はなかなか見られなくなりました。

 因みにこの鉄道の前身は東芝姫路工場の専用鉄道で、同工場では終戦直後の一時期、鉄道車輌も製作していました。有名なところでは三井三池のコハ100形電車型客車があります。余談ですがこのコハ100、1輌だけ今年の1月まで三池港に残っていたそうです(しかも足付き!)…残念ながら今は姿を消しましたが、見たかったな…

(撮影:2008年8月13日 高砂市某所)


伯備線その2-井倉駅-

2008-08-17 16:23:59 | 山陽線/山陰線

 続いては少し戻って、井倉駅です。日鉄鉱業の鉱山と専用線があり、飾磨港線が廃止される昭和61年まで、この駅からも新日鐵広畑向けの石灰専貨が設定されていました。

こちらは石灰石をセキ車に積み込む立派なホッパーが現存しており、往時の面影を十分偲ぶことが出来ます。

日鉄鉱業の工場敷地内なので近付くことは出来ませんが、町外れの高台から望むとこんな感じ。

ここは足立駅とは大違い、観光地である井倉洞の最寄り駅なので、それなりに街を形成していますし、何より伯備線は新見までは普通列車の本数も多い?ので、それ程困ることは無さそうです。良い感じの駅前商店や、何気無いけど趣のある町並みも記録しておくことをお勧めします。

(撮影 2008年8月15日 伯備線井倉駅にて)


えらい所に降りてしまった話

2008-08-17 15:44:07 | 山陽線/山陰線

 短い夏休みを利用して、山陽~山陰方面へ旅をしてきました。今まで気になりつつも、なかなか行く機会の無かった場所を集中的に巡る、言わば「落穂拾い」の旅ですね。とにかく暑いのと、天気が不安定なのには参りましたが。

 で、表題の写真の場所、伯備線の足立駅、かつてはD51の3重連が牽く新日鐵広畑向け石灰石専貨の始発駅として有名になった所です。昭和61年11月国鉄ダイヤ改正で石灰石列車も廃止された現在は、周囲に石灰工場以外見事に何も無い、本当に静かな山峡の小さな駅です。

これが時刻表、迂闊に降りるとえらい目に遭います?(笑)

 貨物扱があった当時はちゃんとした駅舎があったようですが、今はプレハブのお粗末な駅舎しかありません。周囲には商店はおろか、自販機すら1台とありません。飲食物は事前に必ず用意すべし、何より気の短い人は安易に降りないように注意?信越線二本木駅が天国と思える何も無さです。

駅から伯耆大山方へ数分歩くと、谷間に現れる要塞地帯のように巨大な石灰工場群が圧倒的大迫力。

 それで、何故こんなところに降りたって? 大分以前この駅を通過したとき、かつて貨物扱いがあった頃のホーム上屋とか荷役設備がまだ残っており、それがかなり良い雰囲気を醸し出していたので、間近で見てみたい、と思っていたのですが、残念ながらその目論みはあっさり崩壊しました(苦笑) 上の写真の左奥辺りにあった筈なのですが、きれいさっぱり撤去され後の祭りでした(涙)。確か一畑のデハ20とかデハ1とかが健在だった頃だから、もう10年以上前になるでしょうか。そんな古い情報じゃ無くなっていて当たり前だろとの声が聞こえてきそう…一応、その時車内からスナップしたカットがどこかにある筈なのですが、ポジフィルムの山の中から探さなければならないので、今回はお見せ出来ません。その代わりといっては何ですが、足立石灰工業さんのサイト中に、貴重な専用線現役時代の画像があるので、是非覗いてみてください。

 途中で交換する381系「やくも」や、通過するEF64-1000の貨物を撮ったりしながら、待つ事約2時間、新見行きの115系2連がやって来たときはホッとしました。では次の目的地、井倉に向かうことにしますか。

(撮影:2008年8月15日 伯備線足立駅にて)


失われた鉄路への憧れ(その2)

2008-08-09 10:15:27 | 民鉄・3セク

 今度は日新興業のタキ75765、ただ1輌の「八森駅」常備車です。勿論JR五能線の駅で、路線も駅自体も現存しますが、今となっては、こんな駅に私有貨車が常備されていたこと自体ピンとこないでしょうね。常備場所の専用線自体、この写真を撮った15年前に廃止されており、現車標記と書類上残るだけの、実態の無い「置籍常備駅」となっていました。私有貨車の一覧表で、1輌だけ八森駅常備のタキ5750が存在することを発見し驚いた記憶があります。

 かつて八森には大日本鉱業の発盛鉱山があり、閉山後も長らく製錬所が稼動していたので、硫酸タンク車の出入りがありました。坑内用ナローTLを改軌した、電気機関車と呼ぶより電動屋台と呼ぶに相応しい様な奇怪なスタイルのロコが入換をしていたことで有名ですね。私も学童向け百科モノで(!)パワムに押されて?走るこいつの写真を見たときにはたまげました。とあるサイトによると、専用線の架線が低いため、ワラ1とか少しでも全高が高い貨車が入線すると、屋根が架線に接触してスパークを散らす(!!!)、とても先進国にあるまじき情景が展開されていたそうです。

 このゲテモノロコ、地元でも良く知られた存在で、専用線廃止後も近くの神社の境内で保存される予定だったそうです。それが直後に発生した日本海中部地震でこの地域は大きな被害を被り、保存話も水の泡となったのは余りに残念です…

 話題を戻しますが、タキ75765の現車は実際には長らく宮下の小名浜製錬に臨時常備され、晩年に小坂へ移り最期を迎えました。当時の小坂鉄道は、長らく同地で活躍してきた同和鉱業所有の汽車製タキ5750型の老朽化が著しく、それの代替に全国各地から少しでも状態の良い多数の5750型を集め運用していたので、苫小牧ケミカルや住商化学品など珍しい所有者のものも見られました。

 そういえばこれを撮影した小坂鉄道自体、硫酸輸送は3月で終了して休止状態です。小坂町、親会社DOWAホールディング共に今後活用したい意向はある様ですが、このまま「失われた鉄路」になっていくのでしょうか…広い構内を活かし、鉄道保存施設でも誘致できれば、とも思いますが、冬季は豪雪地帯なので丈夫な屋根必須な問題もありますね。

(撮影 1998年7月 小坂鉄道 小坂駅にて)


失われた鉄路への憧れ(その1)

2008-08-03 17:53:42 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 細倉鉱山、豊沼、厚木、南岡山、初島…貨物扱はとうの昔に無くなっているのに、私有貨車の常備駅としては何故か生き長らえている例…結構あったりしました。今回は、常備駅こそ書き換えられているものの、既に廃線となって久しい鉄道に密接に関わった車を取り上げてみます。

 フェンス越しでしか撮影できなかった為、非常にお粗末な写真ですが、この社章、地方私鉄ファンならきっと目にしたことのあるお馴染みのものですね。このタキ55074、落成当初は勿論、別府鉄道別府港駅常備で、別府港の多木化学本社工場から液体ポリ塩化アルミニウム(PAC)輸送に従事し、同鉄道の混合列車にも連結されている写真を見たことがあります。別府鉄道廃止後は、酒田港の東北東ソーからのPAC輸送に使われ、塩酸専用車なのに、生涯塩酸を運んだことはほとんど無いみたいです…
 私が幼少の頃、学童向け大百科(コロタンかケイブンシャかは忘れた)や、レールガイでこの鉄道の存在を知り、当時(昭和50年代)でもオープンデッキの2軸客車やバケットカー等の余りに浮世離れした姿に衝撃を受け、何時か絶対行きたい、と思いましたが、兵庫は神奈川の小学生には余りにも遠く、残念ながらその願いは叶えられる事無く、1984年1月末日を以って姿を消しました。それだけに、その断片だけでも触れられたのはちょっと嬉しかったりしました。

 後日、現役時代の別府鉄道に訪問経験のある知人に写真を見せていただきましたが、その土山線の混合列車がまた凄くて、DLの後にワムやトラ等の一般貨物数輌にハフ7がしんがり、と思いきや、更にそのハフの後に日本化成のオタキ18600が数輌と、今ではとても考えられない編成に驚いたことがありました。アンモニアは肥料の原料でもあるので、液安オタキがここにいても不思議は無さそうなのですが、何故ハフをサンドイッチにする編成?不思議に思ったら、どうもこのオタキは別府港行き積車ではなく、土山線中間の中野にある川崎重工で容器再検査を受けるために来たようです。それなら途中で解放するとき、入換を簡略にするため後ろにまとめたのも説明が付きます。別の話だと、川重へ入場車が有る場合、客が乗っていたとしてもハフを置いてきぼりにして貨車を入換した様で、これまた今では考えられない凄い運用でありますね…

(撮影 1998年7月 酒田港駅にて)


夏草や…

2008-08-03 17:02:23 | 臨海鉄道

 この夏も大変暑い日が続いていますね。クーラーの効いた部屋から出るのがついつい億劫になるこの頃。出不精になりがちになるのは、単に歳を食ったから、というのもあるかも知れませんが、暑いのを我慢しても、是非見に行きたい鉄道シーンというのが少なくなったのも大きいのかな…と。
 さて、今度の盆休みはどこに行こうかと考えても、貨物にはレンズを向けたいと思う、もう残り僅かなポイントはお盆はほとんどウヤ、地方私鉄はどこもステンレスの箱が溢れかえり魅力薄、いっその事、準大手ながら鋼製車比率大、沿線風景にも意外とローカルムードの残る神戸電鉄でも行って見ようかな…まだ行った事ないし…

 で、ちょうど10年前はどんな物を見に行っていたかとファイルを引っ張り出して見ると…田園と閑静な住宅地の真ん中にある、夏草が伸び放題なヤード、その向こうにはカセイソーダのタンク車が数輌、草を掻き分け、汗を拭いながら貨車達にレンズを向け、シャッターを切ったあの日、もう二度と戻ってこない、真夏の日の新潟臨鉄・藤寄駅の思い出。

(撮影:1998年8月 新潟臨海鉄道 藤寄駅)