goo blog サービス終了のお知らせ 

新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

廃線ウォーク

2023-07-23 09:20:36 | 民鉄・3セク

 先日、わたらせ渓谷鉄道間藤駅の先、貨物線の廃線跡を歩くツアーに参加してきました。

  

同社では、同様の企画は時々開催されているようですが、

今回の目玉は、この門の先まで行けるのであります。

ただ、残念ながら、構内で撮影した写真はUP禁止とのお達しがありましたので、これより先はナイショ、と言う事で。因みにこのツアー、結構好評だったようで、今回も次回(8/18)も満員御礼になっていますので、興味ある方はまたの機会に期待、と言う事で。

さて、間藤駅まで戻って、駅の駐車場の片隅にあったこの建屋、何か怪しい…古レールの柱が飛び出しているし。と思って帰宅後調べてみると、やはりこの辺りに貨物ホームがあった模様で、現在は路盤が埋め立てられていますが、これは貨物上屋だったのかも。


秩父鉄道のプラ製車票

2018-12-02 19:53:51 | 民鉄・3セク

 某大手私鉄の基地公開イベントでの物販コーナー、秩父鉄道が出店するブースが目に留まりました。そこにはセメント貨車の車票が陳列されているので、これいくら?と聞いたら、硬券つかみ取り1回(200円)に付き1枚おまけ、とのこと。それって車票1枚買ったらおまけとして硬券のつかみ取り1回出来る、の間違えじゃないか?と思いうつも、2回引いて、2枚貰ってきました。

何れもプラ製で、石油やセメント、鉱石等の定型輸送に良く見られる、復路は裏返して繰り返し使用を前提としたものです。右側のは懐かしくもお馴染みの高麗川→石和間です。何で高麗川の車票が秩父鉄道のブースに並んでいるんだ、と言うツッコミはさて置いて。(まあ同じ資本系列だから、高麗川の専用鉄道施設廃棄の時にでも使えそうな用品と一緒に回収してきたのでしょう)問題は左側の方です。到着側は信越本線の上沼垂駅、同駅の貨物扱いは58-X改正で廃止されているので、少なくとも1984年2月以前のもの、ということになります。随分と物持ちが良い会社ですね。

裏返して往路側は、何故か駅名を拭き取った形跡があります。到着駅の廃止で用済みになった車票を書き換えて再利用しようとしたのでしょうか? 紙製の車票は未使用のものがイベントで放出されることは時々ありますが、使用済みは目的地に到着した時点で捨てられてしまうため、放出品として出てくることは滅多にないので、こうやってまとめて出てくるのは再利用可能なプラ製ならではでしょうか。


初訪問

2018-11-04 23:56:57 | 民鉄・3セク

 昔から散々行っている筈の秩父鉄道ですが、そう言えば何故か大野原で降りてここまで来た記憶ないな…20年前なら山ほどセメントタキとホキで溢れ返っていましたが、今となっては大変寂しい状況になっています。

それでも結構頻繁に?鉱石列車が来て、入換作業が眺められるので見どころはありますが。ホッパーでの鉱石積み込み作業が非常に高速なのと、騒音や粉塵の発生がほとんど無いことに驚き。昔のイメージだと、石灰積み込みホッパーって、ガラガラと大音響を立てて積み込み、辺り一面石灰の粉塵で真っ白、というのがお約束でしたが、まあ住宅地も近いので、それなりに気を遣うのでしょうね。

  

ここの駅に隣接する秩父太平洋セメントの工場建屋、確か昭和30年代の建築ですが、何気に洒落たデザインで、駅の詰所とかも統一されたデザインコンセプトなんですね。

テキ218も相変わらずで。

 

構内入換用のDLは比較的新しめのタイプです。以前いたマルーン色の旧めの日立45tはもういないのかな?

(2018年11月3日 秩父鉄道線 武州原谷駅)


こんなもの拾った

2014-10-19 21:55:17 | 民鉄・3セク

 小田急海老名のイベント、相鉄の物販コーナーでこんなの拾ってきました。「3363」の数字に惹かれて… あれ、厚木の航空燃料輸送列車って3363に継送されていたっけ?と思い、発駅コードの「4301」って…あ、そうそう、越中島だったっけ? で、この指定票は何者?発駅からして、少なくとも航空燃料じゃありません。それなら「4512」(安善)か、「4543」(田浦)ですからね。越中島は化成品タンク車を良く撮りに行っていましたので、隣にレールセンターがあるのを思い出しました。と言うことで、この指定票はレール輸送チキの物と断定。継送ルートは、越中島→小名木川→川崎貨物→相模貨物→茅ヶ崎→厚木です。小名木川→川崎貨物の8997レはかつての新専貨4997レの臨時格下げスジ、ここで一泊して翌朝の3363レに継送されて相模貨物で解放され、9390~9491レで相模線を下ります。元は燃料輸送のスジですが、甲種輸送とかレールの様な業務用貨物にも活用されていたと思いました。相鉄線内は「早レ」と表記されているだけで、列車番号が設定されていない様です。燃料輸送と違い、終電後の深夜の作業だったのかな?(燃料は確か、901~904レが振られていたはずです)

 一般の貨物営業が廃止された後も、この手の業務用貨物は続けられていることも多かったですが、牽引する動力車の廃車進展と共に、今でも残るのは伊豆箱根の駿豆、大雄山両線程度でしょうか?


ダルマさん その2

2013-02-10 10:25:28 | 民鉄・3セク

 パワムやワラ1のダルマさんはそこら中で良く見かける(流石に最近は減って来たけど…)、ワム60000も時々は見る、でもワム70000はありそうで意外と希少です。純正のワム90000もどこかに転がっていないでしょうか…

(2013年2月2日 小湊鐵道 上総牛久駅付近)


ダルマさん その1

2013-02-03 16:27:22 | 民鉄・3セク

 小湊鐵道には国鉄ワム1形と同形の自社発注車がおり、このダルマも同じと思いきや、実は国鉄ワム3500形の払下げ車だったりします。良く見ると、端梁にバッファの取付穴が残っていたり、後天的に追加された車体補強など、小湊ワム1には無い特徴が伺えます。雨漏りするのか、上から帽子を被せてもらったりしていますね。

こちらから見ると妻板のベンチレータ部分に窓が開けられています。因みに原番号はワム7296だそうで、小湊鐵道での在籍歴はありませんが、一説によると国鉄五井駅構内で事故を起こし損傷廃車となったのを譲り受けたということらしいですが…

大正期を代表する有蓋車であるワム3500形も、某JRが教材用に保管し続けたワム7053(現存確認が10年以上前なので、これもまだあるのかは確証がありませんが…)と、名目上は昭和34年自社製造であるものの、実態は国鉄ワム3500形の更生車とされる蒲原鉄道ワム1程度なので、いずれにしても貴重なものだとは思いますが。

(2013年2月2日 小湊鐵道 五井機関区)


足尾のタキ

2011-09-25 20:42:52 | 民鉄・3セク

 4380はちょっと中断して、久し振りに新ネタです。

 タキ29312が小坂から足尾に里帰りしてからまだ見たこと無かったので、イベント公開を機会に見に行きました。

 コアなファン向けの撮影イベントでは無いので、撮影条件は必ずしも良くはありませんが、形式はまあこんなものでしょう。社名は「古河機械金属」から「古河鉱業」に直されていましたが、常備駅標記はまだ小坂のままでした。昭和55年川崎重工宇都宮製作(東北本線岡本駅接続、旧汽車製造斜陽の象徴になった工場でした)で、生まれながら栃木県に縁のある車輛です。

 撮影条件としてはあまり良くなかったですが、アント15やスイッチャーでの入換実演も有り結構楽しめました。目の前で転がるタキ29300や35000に久々の新専貨の匂いを大いに嗅ぎ取ってきました。どこでも当たり前に見る事の出来たタキ35000も、最早ここでしか見る事は出来なくなりましたね…

(2011年9月25日 わたらせ渓谷鉄道 足尾駅)


お気楽に撮影に行ったら…

2011-03-13 19:30:49 | 民鉄・3セク

 この度の地震で被災された方には謹んでお見舞い申し上げます。

 平日に休みが取れたとお気楽に岳南に貨物を撮りに行ったら、帰りの沼津駅で436M熱海行き乗車中に地震のとばっちりを受けました。まさかこの電車内で一晩を過ごす事になろうとは…もっとも命があるだけで幸せなのかもしれませんが、携帯は全く通話不能で、家族に連絡するのもままならないのには参りました。電車が駅に停車中だったのと、電源が生きていたので照明も暖房も使用可能だったが不幸中の幸いであったと共に、周囲の皆に菓子パンを買ってきて振る舞ったくれた方、手持ちのノートPCでニュースサイトを開いて見せてくれた方、等居合わせた乗客の方々の様々な優しい心遣いに随分救われた気がします。

 いち早く復旧した御殿場線経由で何とか翌朝戻りましたが、家族にも家にも大した被害は無いことを確認し、ようやくほっと一息。

 最後になりますが、岳南の貨物、基本は月・水・金曜日のみの運転で、705レ(1403吉原→1419比奈)~708レ(1604比奈→1620吉原)が比較的走る確率が高いようです。

(P:2011年3月11日 岳南鉄道 吉原→ジヤトコ前)


浦島太郎

2011-02-27 18:56:39 | 民鉄・3セク

 久々に訪問の岳南鉄道、お目当ての貨物は日曜はだいぶ前から走らなくなっていましたけど、遂に土曜もウヤになってしまった模様で、仕方ないから沿線をぶらり…

 

 これまた久々の須津駅、確か山側に側線が数本あって、20年以上前、そこに播磨化成のタキ11750や20300が並んでいるのを見たよな…ひょっとしてこの右側の住宅が並んでいるあたり?

駅吉原方の踏切に側線を撤去した痕跡を発見。アスファルトで埋められた踏切のレールや、土に埋まった枕木が… その先には例の住宅なので、側線の跡地は遊休地として宅地分譲されてしまった模様です。

 終点岳南江尾も終端の引き上げ線部分が宅地になっていました。20年前は何も無い荒涼たる光景が広がり、時折高架上を疾走する新幹線の走行音が響き渡るのみだった江尾も、周辺には随分住宅が増えたものです。沿線の宅地化が鉄道の乗客増加に全くと言って良い程寄与していないのは悲しい現実ですが…駅入り口の踏切が未だ電鐘式の「カンカン」と懐かしい音を奏でるタイプのままでホッとします。

(P:2011年2月26日)


西濃鉄道点描2 昼飯駅

2010-11-23 15:53:36 | 民鉄・3セク

 当時もうほとんど目にする機会も無かった木造の鉱石ホッパー、実に模型的な情景です。近年まで残った木造ホッパーと言えば、秩父鉄道三峰口の奥に日窒鉱業の巨大な木造ホッパーがありましたね。私は残念ながらタッチの差で見れず、解体された直後でコンクリートの台座が残っているのみでした… 

 昼飯線自体61-11改正でほぼ役目を終了していた筈ですが(平成になってからも極稀に発着があり、パワム車が昼飯駅ホームに1輌ポツンと置いてある、と言うこともあったそうですが)、ここで最後に貨車に鉱石を積み込んで送り出してから何年経つのでしょうか…

 草生したヤードに錆びたホキ車数輌、手前のカマボコ屋根3輌は元三岐ホキ3000形で、清水工業がドロマイトタンカル輸送に転用する為ここに持ってきたそうですが、結局一度も使われる事無く朽ち果てていました。奥の台形2輌は清水工業のホキ3100形、端の方はトップナンバー3100です。これもやはり元は小野田セメント所有で、新製配置は伯備線石蟹の新見工場(閉鎖)でした。

 石積みの貨物ホームに木造の上屋も朽ち果て、大自然に還りつつありました。彼方には昼飯の駅舎と、鉄製有蓋車のダルマさんが…

(1994年8月10日 西濃鉄道 昼飯駅)