足回りをもがれた所謂「ダルマさん」状態での据置タンク転用は、かなり古い時代から良く見られますが(逆に平成に入る頃にはそのような例を見ることは稀になったので、99系以降のタンク車はタンク体すらも残らないんでしょうな)、足回り付きで燃料屋の据置タンクとして転用されている例は極めて稀ではないでしょうか? それだけでも形式問わず見に行く価値があろうものですが、2軸タンク車、それも戦時製だと聞けば行くしかありません。
新幹線とローカル列車を乗り継ぐこと約5時間、その目的地はあります。電車の中から見えるのに、これまで誰も気付かれること無く、と言うか、つい最近まで原子力事故の避難区域指定にあったエリアなので、ここ5年程は立ち入ることすらままならない場所で人知れず存在し続けたのでしょう。
何の予備知識もなく、車窓からこんなものが視界に飛び込んで来た日にはパニックですね。
電車は2時間に1本しか無いし、ここまで来るのは一日がかりで大変ですが、駅からは非常に近くて助かりました。昔の燃料屋は駅に隣接していることが多く、その場合は専用線を持っていたことも多いですが、ここの場合はそのような痕跡はありませんでした。さて、入り口にて作業中のおじさんに挨拶して、観察させていただくことにします。
1輌目、こちらは如何にも旧そうな形態、ちょっと私有貨車をかじったことのある方なら、丹生川で保存されているタ2000形タ2001との類似性に気付くのではないでしょうか?
2輌目、こちらはタム500形と聞くとこういう感じかなーと連想させる一般的形態かな。
危険物屋外タンクとしての技術基準を満たすためには、しっかりと固定されていなくてはなりません。で、車輪をコンクリに半分埋めて固定しています。勿論周囲にはコンクリの防油堤が規則通り設置、こんなの初めて見ました。東日本大震災でも転がったりズレたりしなかったことを見ると、適切な施工だったのだと思います。板バネが生きていれば適度な衝撃吸収効果も期待できそう?
ただ、「車輛」としてみると、大変残念なことに。台枠中梁が液出し管の改造に際し一部切り欠かれてしまっています。まあ、チャンネル材を継ぎ足して復元しても、適切に補強されていれば問題は無いとは思いますが。60年前に17m木造客車3輌分の台枠を切り刻んで、接ぎ合わせて20m車2輌分に仕立て直した客車が、今でも95km/hで本線を走れるのだし。
タンク貨車の製造時期を見極めるポイントはいくつかありますが、そのうちの一つが自連胴受けです。勿論古いのは左側の方で、戦前から終戦直後に製作された車輛に良く見られるタイプですが、私の様に平成になってから貨車を追い掛けだしたファンにとっては滅多に見れない、と言うか現役車としてはタ2000形位しかありませんでした。
で、更に辺りを見廻すと、何か向こうにもそれらしきものがいます。手前のドームレス型2個は多分違いますが…
これはダルマさんですが、明らかに元タンク車ですね。何とか正体を暴いてやろうと舐めるように見廻してみましたが、出光のアポロマーク以外の手掛かりを見出すことは出来ませんでした。ただ、形態的には東洋レーヨン製のタム4000形と推定。出光のタム4000形で東洋レーヨン製だとすると、4019-4023のどれか、但し、4019はヨンサントオで道内封じ込めの(ロ)タム24000形になっているので、4020-4023のどれかと推定されます。
同じ敷地内にはこんな石積みの蔵も良い雰囲気。
最後に、2輌のタム500形の素性ですが、分厚く塗り重ねられた塗装のせいで元番号の読み取りは極めて困難でした。よって、データには間違っている可能性がありますので了承ください。別に聞いた証言によると、元売りの仲介で千葉の製油所から持ってきたと言う事なので、最終配置は京葉臨鉄の前川、廃車時期は検査期限からすると、昭和52年前後頃だと推定されます。
1、タム2526? S18新潟鉄工/S43大宮工改 出光興産/常備駅不詳 52-9/48-9新小岩車セ(B2)
2、タム2787? S29日車東京/S43郡山工改 出光興産/常備駅不詳 52-9/48-9新小岩車セ(B2)
(2017年4月15日 福島県南相馬市)