ひとりごつ

ラヴ・ピース・フリーダム

キエフ

2011-02-24 02:19:58 | 東欧旅行
今はトルコのパムッカレでバス待ちです。

明日はカッパドキアとゆう日本人には有名とゆう大自然を満喫したいと思います。



さて旅日記ですが、鉄道にて国境越え。

ちなみにポーランドの寝台車はプライベートでした。別料金払わされましたが。

ウクライナはシェンゲン協定に入ってないみたいで、ちゃんと夜中に国境審査がありました。

ウクライナ人もロシア人みたいになんか陽気で楽しい感じ。

キレイなおねーさんとおじさんの二人が車内に来て点検。

おじさんにパスポート見せるとニヤニヤしながら「おまえパスポートと顔違くないか」みたいに絡んできて。

おねーさんが「ちょっと止めてあげなさいよ~」って、漫才みたいな感じ。


んで朝にウクライナのキエフ駅着。

駅前はなんだか物乞いみたいな人も多く、ちょっと雰囲気悪いのでビビりました。

とりあえずソヴィエト時代のアパートに入ってる宿へと歩きました。

そこは他の宿泊客が全然おらず、娘の代わりに宿を取り仕切ってるおばさんも英語あんまできず。

ただ一人でゴロゴロしてたら白ワインをすすめてくれたり、とても優しいおばさんです。

ドミトリーは10人部屋なのにおれ一人とゆう状態。

ただプライベートルームにスロヴァキア人の学生カップルが泊まっていて、この人たちがいい人でまぁ一安心です。

入れ替わり立ち替わりボランティアで英語教えてる米人の集団が来ましたが特に話すこともありませんでしたわ。


そいでキエフ歩き。

キエフでは特に博物館とか有名なところも特に行かず、長く滞在しながらホントに街をプラプラしただけでした。

これは映画撮影のシーンだそう。


これはソ連時代の学生寮。


旧ソ連の雰囲気を味わうならおれ的にはモスクワよりもこっちをオススメしたいかな。

無機質な感じの建物が結構ありますので。


これは休日かなんかで歩行者天国になっていた大通り。


それから独立広場にあった地球儀と像。


あとは夜に見かけたロシアでおなじみの頭がタマネギな教会ですかね。




そんな感じでろくな写真もないキエフです。

あとは特にウクライナ料理ってわけでもないメシ。

まずはチョーヤの梅酒。


白ワインカテゴリーなんですね。ワイングラスだとまた違った趣きがある。

子牛のステーキ。


子牛って欧米ではvealってゆってそうゆう肉として扱われるんですね。

いや日本でもそうかも知れませんが庶民なもので…。

それからロシアでも食ったウサギ肉。


ホントにチキンの味に近いです、美味いです。

次がスシ。


ウクライナだけでなく海外で食べれるスシは日本人シェフでもない限り基本的に米国で独自に発展したものです。

次にチーズプレート。


いろんなチーズがありましたがブルーチーズくらいしかはっきりわかりませんでした笑

チーズに蜂蜜をつけて食うってのは今までしたことがありませんでしたね。

んで牛タンサラダ。


牛タンを細かく切って調理したのにキュウリを巻いた感じ。

そんなに堅くなく、とても食べやすいです。


特に何もしなかったキエフですが、射撃ツアーには行って参りました。

AK-47って武器に疎いおれでも聞いたことある名前の武器を撃てるってことで。

他にもクレー射撃なんかも付いてます、お値段は結構するツアーですが。

雰囲気がわかるようにクレー射撃のときの写真。


他のはブサイク過ぎてあげられません。

一応指導員みたいのが付いてくれるんですが、英語がほとんどできないのでコツとかは自分で呑み込むしかないっす。

おれもクレー射撃は横から出るヤツを何枚か割っただけですので。


そんな感じのキエフでした。

今振り返ると真面目に観光しとけばよかったなぁ。

とりあえず次回はチェルノブイリツアーです。

クラコフ&アウシュヴィッツ収容所

2011-02-21 18:44:25 | 東欧旅行
おれの旅日記は他の旅行者に貴重な情報を提供したりとかないですし。

写真もブレてたり、感想も適当なんですがなんとか最後まで続けます。


ちなみに今はトルコのイスタンブールです。

今夜パムッカレなる街へと向かいます。

そこでパラグライダーやらをしてからグルジアへと進んで行く予定です。



さて旅日記なんですが、ワルシャワを鉄道で離れ古都クラコフへ。

夜に着いたのでネットで探しといたホステルへ向かうもやってない。

バーだけは開いていたのでいいホステルはないかと聞いて別のところへ移りました。歩いて五分とか近かったですが。

そこの大部屋には先客がいて、しかも超久々の日本人。

クラクフへ来た大きな目的がアウシュヴィッツなのは一緒で、明日一緒に行くことになりました。


クラクフ二日目、朝早めに起きて朝食を済ませてからバスターミナルへ。

ポーランド名のオシフィエンチムと表示されたバスに乗り込み、一時間もしないうちにアウシュヴィッツ収容所に着きました。

ちなみに周りは普通の町って感じでした。

まずはビデオを観て大まかな歴史や収容所内で何が起きていたのかを知り、中に入って行きます。

これは有名なゲート。


"B"が上下逆さまなのはささやかな抵抗だったとか言いますよね。

絶望のあまり高圧電流の流れる有刺鉄線に触れて自殺する人もいたそうです。


アウシュヴィッツはポーランド軍の兵舎であったこともあって思ったほど劣悪な環境ってわけではありませんでした。

たくさんの建物がありまして、中はいろんな展示がありました。


んでしばらく行くと復元されたガス室。


中はこんな風に。


焼却炉も復元されてます。



あとは銃殺が行われた死の壁。


ここら辺の建物は管理棟みたいな感じなのかな。

あとは中に悪名高い"飢餓室"や"立ち牢"がある建物もありました。


さてアウシュヴィッツの見学後は無料のシャトルバスで十五分くらいかけてビルケナウ収容所へ行きます。

アウシュヴィッツに比べて施設が劣悪な感じで、とても寒々しい風景になってます。


多くのバラックは破壊されたのかな。とにかく広いですね。

あとは有名な鉄道の引き込み線。


残ってるバラックの多くは鍵かかってて中に入れないものが多いですが、こうゆうトイレみたいに中に入れるのもあります。


あとは奥のほうに破壊されたガス室なんかがあります。

まぁそんな感じのアウシュヴィッツ見学でした。

感想は言葉にするのは難しいかな。自分がそうゆう歴史的な場所に立ってた実感ってのも無いわけじゃないけど、うん…。

それに加えてホロコースト否認論とゆうか、確かに通説におかしな点がないわけではなく、素直に全てを鵜呑みにはできませんでした。

もちろん多くの犠牲者の方々の苦しみを否定するわけではありません。



さてアウシュヴィッツ見学後はクラコフに戻ってショッピングモールを見たりしました。

帰りは中央市場広場を通って宿に向かいました。


この広場でガイドブックに載ってるとゆうロールキャベツも食いました。


中に米が入っててなかなかにボリューミー。


宿に戻ってからは地下に併設されてるバーで一杯。

ウォッカの白とラズベリーシロップの赤でポーランド国旗なヤツ。


サッカーのゲームがあったりするとよく飲むみたいなことを言ってました。

お酒はおいしかったけどポールってゆうイングランド人の飲んだくれおっさんがいまして。

アイルランド人の若者二人にケンカ売り出して間に入ったりと大変でした。


クラクフの三日目は鉄道のチケット購入と軽い町歩きです。


昼間の中央市場広場にも行ってみました。

ワルシャワに続いてエホバの証人の女性二人に声をかけられました。

なんでも週末にイベントがあるのかな。


そんなこんなして宿に荷物取りに戻りました。

途中でカチンの森事件に関連のありそうな十字架を発見。



物凄く滞在時間の短いポーランド。

それでもこの旅行は時間が足りない。

夜行列車にてウクライナのキエフへと向かいます。

ワルシャワ

2011-02-19 21:15:59 | 東欧旅行
今はアテネでイスタンブール行きのバス待ちをしています。

同じ程度の価格でフライトがあったらしく、ちゃんと情報集めしなきゃダメっすね笑

アテネではぼったくりにもやられかけたので要注意です。


さてカウナスを出てワルシャワに行ったんですが。

バスから眺めるワルシャワの印象は広くってバルト三国の都市に比べて大都会。

ただどことなく無機質な建物が多く、旧共産圏らしさも感じました。

しかもバスターミナルには英語の表記なんかもなく、売ってる地図も全部ポーランド語。

ワルシャワでは水上ホテルに泊まる予定だったんですが、これでは歩いて行けそうもないのでタクシーを拾いました。

タクシーの運転手は幸い英語ができて水上ホテルにある川岸へ連れてってくれたんですが、冬期はやってないらしくて船すらなし。

それで彼が紹介してくれたオキドキホステルへ泊まることに。

ちょっと贅沢してプライベートルームに泊まりました。


疲れも溜まってたので一日目はひたすら寝るか日本のドラマ観て過ごし、二日目から軽く観光。

キュリー夫人もショパンもそこまで興味なかったので旧市街をまわっただけです。

まずは広場。


ワルシャワ旧市街は1944年ワルシャワ蜂起の際に徹底的にドイツ軍に破壊され、今の旧市街は戦後にヒビ一本に至るまで正確に再建したものだそうです。

破壊されたワルシャワの写真は街中の看板に貼ってあったりするんですが、爆撃を受けた東京や広島・長崎を彷彿とさせます。

このワルシャワ蜂起はウィキペディアを読んでみても興味深いって意味でおもしろいです。

ソ連軍が動かなかったこととか、ドイツ軍に犯罪者集団みたいな部隊があったとか。


そいで街のシンボル人魚。


よく覚えてないんですが、男が美人の人魚を拾ってどうこうって伝説があるらしっす。

それと駅の側にはスターリンに”贈られた”とゆう文化科学宮殿。


そういやロシアの外務省の建物もこんな感じですね。

またソースウィキペディアなんですが、こうゆう建築はスターリン様式と呼ばれるそうです。


ワルシャワは寿司屋が並ぶストリートもあったんですが、大したものは食いませんでした。

マックのポーランドメニューはなかなか。


グラコロ+ベーコン+厚めのパティって感じです。


そんな感じでろくに観光もしなかったワルシャワです。

ただジーパンがぶっ壊れたのでH&Mでお買い物したのと、エホバの証人の女の子二人組に声かけられたことと、銀行で間違って警備員の部屋に入ってブチ切れられたのが思い出に残ってますわ。


んで鉄道でクラクフに向かいます。ここはアウシュビッツ収容所へのアクセスの拠点です。

カウナス

2011-02-16 07:15:39 | 東欧旅行
今ブルガリアのソフィアにいるたけ坊です。

先にアテネへ行く予定だったんですが、バスで直通がない。

バイクや車の旅行は確かに観光するときとか制限がありますが、こうゆう長距離移動では自由でいいなと思ってしまいます。



さて旅行記の続きですが、リガからのバスで深夜のリトアニアの古都カウナスに到着です。

白っぽい教会を見てもやっぱリガとは全然違います。


おれは黒っぽいリガよりもカウナスのほうが好きかな。


んで深夜に前もってネットで探しといた宿へと歩いて向かいます。

宿に入ると南米系の偉そうな男性客が「スタッフはいねんだ今」と言ってとりあえず中に入れてくれました。

彼がスタッフに電話入れると彼はどうもクラブで遊んでたらしく、手続きを「終えると一緒に行くか」とゆうので近くのクラブへ行くことに。

そこはまぁクラブとゆうよりライブバーと言ったほうが近いんですかね。

ステージでバンドが演奏してて、客はゆったり酒飲んだり踊り狂ったり。

とりあえずビールを一杯注文し、同じホステルの客がたくさん集まってるテーブルにすわりました。

ベルギー人の女三人、メキシコ人の男一人、米国人の女一人って感じ。

米人の隣に座ったんですが、なんとこの人社会学を専攻しててこないだまで日本へ半年留学してたんだそうで。

「こんなとこでまで日本人に会うとは」とか言ってきたんで「んじゃほっといてちょ」と返したんですが。

日本人への説教がタラタラ始まりましたわ。

曰く、日本人は若い頃から洗脳されてみんな一緒だ。

曰く、誰一人として英語を話さない。

曰く、都市化が激しく地方にはなんもない。

基本的に聞き役のおれははいはいそうですねと相づち打ってたんですが、うーん、的を得ている部分もあるけど微妙にズレてるとゆうか…。

そんな彼女ですが、おもしろい酒があるとゆうことで蜂蜜酒を紹介してくれました。


蜂蜜でできた酒はそれまで知らなかったんですが、ハネムーンの語源になったり、中世にはスラブ人ゲルマン人の間でビール並みに一般的なお酒だったそうです。

まろやかな甘みがあって結構好きです。


んでみんな宿にぽろぽろ帰り始めて、最後のほうまで残っていたおれとメキシコ人も帰ることに。

ところが帰りのエレベーターで地元リトアニア人の薬学を学ぶ女子大生三人と仲良くなったので少し話すことに。

リトアニアへ来た目的を問われて「杉原ハウスを訪ねに」と言うと「スギハラ?誰それ?」って感じで誰も知らず。

なのにおれの名前を聞いて「あー、あのたけし城のたけしね」みたいな反応。

風雲たけし城を知ってながら杉原を知らないとは…。

もう遅かったのと寒かったのと疲れてたので早々に切り上げてホステルに戻り就寝です。


んで翌日、杉原ハウスを見てきました。

日本領事館を記念館にして残したものでちょっとした丘の上にあります。


その日はリトアニア人のおじさんが応対してくれました。

中には執務机やら当時の松岡外相からの電報なんかも展示されています。


ビデオを日本語で見たんですが、個人的な感想としてはちょっとプロパガンダチックとゆうか。

途中まではよくて感動してたんですけど、後から冷めちゃって。

日本人によって作られた自慰的な感じがしたのが若干イヤでした。

調べてみると杉原さんは有名なビザ発給よりも前半生がおもしろそうです、実際優秀な人物だったそうで。


それからバスの時間まで街をちょろっと徘徊することにしました。

旧市街を歩っていくと河沿いにカウナス城があります。


城とゆうより城跡って感じですかね。

写真の建物以外は広い公園のようになっていて散歩してる人たちが結構いました。


ちなみにリトアニアのメシなんですが、ヘスバーガーってリトアニアのバーガーチェーン店がうまかったです。

昼と夜と二回食ってました笑

ポテトもサンドウィッチも日本人の口に合うと思うんですよね。

日本に進出してメリケンのへたれバーガーを駆逐して欲しいですわ。


さてバスターミナルへ行ってキンドルで本を読んでるとちっちゃい三歳くらいの子供がこっちにてくてく来ました。

キンドルに興味津々で、親が「こら触っちゃダメ」みたいなことは言ってたんですが適当に弄らしてあげました。

それから酔っぱらいに握手され「ジャパン、テコンドー!」とか言われて。そりゃコリアンだよって感じですが。

子供と酔っぱらいは言葉わからなくてもお互いに気遣いないのでラクですよね、あと動物とか。

そんな感じで時間を潰して、また夜行バスでポーランドの首都ワルシャワを目指します。

自由貿易とTPPについて

2011-02-15 04:07:29 | メモ
今夜は余裕があるのでちょっとメモ記事を。

旅をしてると細かい経済ニュースなんかをフォローするのは大変です。

ですが時間あるときにある程度整理したいですので。

とりあえず今回はこないだ友人と話した自由貿易やTPPについての今の自分のスタンスをクリアにしとこうと思います。

議論とかでなくて自分の頭の整理です。



まずおれが自由貿易をプッシュする二つの理由についてです。

一つ目に比較優位と特化ってのがあります。

比較優位とはある財の生産において他の生産者と比較したときに機会費用が少ないことを言います。

例えば日本と米国を比較するとします。この二国はそれぞれ200の資源を持ち、穀物と車のみ生産するとします。

日本が穀物の生産に要する資源は4、車の生産に要する資源は2、米国が穀物の生産に要する資源は4、車の生産に要する資源は4とします。

そうすると日本が穀物を1生産する際の機会費用は車2、米国が穀物を1生産する際の機会費用は車1となり、米国は穀物の生産に比較優位を持つことになります。

米国は穀物の生産に絶対優位は持ちませんが、貿易理論で重要なのはこの比較優位なんですね。

もし両国が自活していて貿易が全くなく、各国が各財に100づつ資源を振り分けているとすると、両国合わせた生産量は穀物が50、車が75。

この両国が貿易を始め、それぞれが比較優位を持つ財の生産に特化したとすると、両国合わせた生産量は穀物が50、車が100となります。

車の生産量が25も増え、世界が全体として豊かになったのがわかります。

このシンプルなモデルはリカーディアンモデルと呼ばれています。


現実世界に照らして考えるなら、例えばもし米国の50州が関税自主権や食料自給率や輸出競争力なんかを唱えて州を越えての自由な経済活動を制限し出したら米国は今ほど豊かだろうかとゆうことです。

現実は難しく、なかなか世界同時に自由貿易を実施なんてわけにはいきません。

国内産業を世界で競争できるまでに育てようと思うなら保護貿易になるのは当然ですし、いろんな利害が絡んできますから。

ですが原則的に自由貿易は世界を経済的に豊かにするものだと考えています。


二つ目の理由ですが、それはおれの思想です。

マルクスをちゃんと読んでないので勘違いしてるところがあるでしょうが、マルクスは資本主義が発達した先にアソシエートした個人が織りなす新しい社会が生まれると考えていたと思います。

んでおれはその考えを支持しているとゆうか、どことなく”信仰”しているわけです。

自由貿易は資本主義を高度なものとし、さらに人々をローカルからグローバルに導くものだと思います。

なので自由貿易は社会を発達させるものとして必要だと考えています。



それでTPP(環太平洋経済協定)ですが。

おれはこれについていろいろ勘違いしていたので、そこを書いときます。


①TPPはCAFTAの発展版ではないとゆうこと

環太平洋と銘打つものですから、おれは一年前くらいにちょろっと話題になったASEANとチャイナのFTAにさらに米大陸の諸国が加わったFTAだと思っていました。

これは完全に勘違いで、今のところ参加国は初期のニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイの四カ国と米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアの計九カ国。


②TPPは完全な貿易自由化ではないこと

TPPは自由度が高いと聞いていたんですが、どうも航空や金融サービスってジャンルになると話が違うみたいなので。


まぁそんな感じで、正直TPPについてはホントにベーシックなことすらわかっていない状況です。

きっとこれからはおれの関心が経済から安全保障とか国際関係とかに移っていくんでしょうが、これは国際関係に深く関わりがあるのでキチンと勉強したいなとは思ってます。