ひとりごつ

ラヴ・ピース・フリーダム

(貿易に絡めた)国益とは

2011-01-30 17:08:35 | メモ
旅行中ながらミクシーで友人とおもしろいやりとりをしまして。

旅日記のかたわらこれについても考えたことをメモっておきます。


友人がミクシーにて「どう考えたらTPPのような糞協定に賛成できるのかわからない」とゆう発言をしていました。

おれは「経済学の貿易理論なんかだと基本的に自由貿易は関係国両者にとって利益となるwin-winなものとゆうのがコンセンサスだからでは」とレス。

結局その後の話はまったく噛み合ないまま逸れてしまったのですが、このやり取りの中で“国益”とゆう言葉が出てきました。


「自由貿易がいいとゆうが各国とも国益を追求しているからいざとなったら保護貿易に走る」とは友人の発言です。

さて、国益とは何なのでしょうか。そして各国は本当に国益を追求していると言えるのでしょうか。


広辞苑にあたれば国益とは「国家の利益」のように書かれています。

これではなんもわからないので、おれはここでは「国家を一つのコミュニティとしたときに“community indifference curve”を右上に維持、シフトさせるもの」と定義して話を進めたいです。

community indifference curveは経済学の貿易理論で使われる概念で、一つのコミュニティの構成者一人一人の効用を合計したもので、同じ程度の効用を得られる財の組み合わせを示したものです。

そもそも経済学をかじってindifference curveがどんなものかを知っている人にしか意味のない定義ではあるんですが。

ただ簡単に言うならそれは「コミュニティのメンバーのハッピー度を足した度合い」ってとこでしょうか。x軸y軸説明してませんが。

だからその曲線が右上にシフトするとゆうことは、コミュニティ全体のハッピー度が前より高くなるとゆうこと。


さて、個人の効用がどうなってるかはcommunity indifference curveからはわかりません。

なので国民全員がトータルでもっとハッピーになったとしても中では不幸になってしまっている人がいるなんてことがあり得ます。

自由貿易について言うなら、「自由貿易自体は経済全体にプラスだが、輸入する製品の国内生産者は職を失うなどの痛みを負う」ことがその一例です。

そのとき政治家は、特に支持団体がそういった国内の生産者である場合、彼らを保護するために貿易に制限を設けたりするようになるわけです。



さて、上に挙げた国は国益を追求していると言えるでしょうか。

もし上でおれが定義したものを国益とするなら、政治家は国益を犠牲にして自分の支持団体のハッピー度を最大化しているわけです。

もっと突っ込めば国益を犠牲にして支持団体を利して再選して自分のハッピー度を最大化するわけなんですが。


こう考えると世界で国益を追求している国家がいくつあるでしょうかね。

民主主義の国は当然支持者に利益を誘導しなきゃなりません。

独裁国家も国益どころでなく、例えば北朝鮮なんかでも国民を餓死させても金王朝を長らえさせるために必死です。

もちろんここでおれがした定義とは別の定義で論じれば結論はまた全然別ですが。

それでも多くの国家で政権にある政治家にとって、“国益”よりも自分を利するとゆうインセンティブが行動の源になっているのは間違いないと思うんですが。

どうでしょう。

長春

2011-01-29 00:50:54 | 東亜旅行
またまたご無沙汰をしております。

本人はただいまリトアニアにおりまして、今夜ワルシャワへ旅立つ感じです。

そうゆうわけで旅行記も相当遅れが出ておりますが。

気ままに更新していくので今後とも覗いていただければと思います。


さて、大連と旅順でまぁそれなりに楽しい時間を過ごしてから夜行列車で満州国の首都新京だった長春へと向かいます。

初めての夜行列車だったんですが、足を伸ばせて寝れる点で夜行バスより全然ラクです。

そして着いたのは夜が明ける前、六時くらいだったでしょうか。

大きい商業用の冷凍庫に付いてるビニールのびらびらあるじゃないすか。

あれがかかった駅の出口を出ると極寒。

多分-20℃を下回ってたかと思います。


とりあえず日が出るまでKFCにてお粥をすすりながらのんびりします。

それから観光。

と言っても特に見たいものがあったわけではなく、ただ足を伸ばしてみたい、機会があれば日本の足跡に触れてみたいとゆう感じだったので。

とりあえず寒い中ひたすら歩き回りました。


そしてまず見つけたのが旧関東軍司令部。


大陸にこんな和風な建物があって場違いな感じがなかなかいいです。

今は共産党の委員会かなんかの建物となっております。


そして次が旧国務院。


今は大学の医学部の建物のようです。

ホントは中に歴史的な展示もあるらしんですが、ちょっとビビってめんどくて入れず。



観光自体はこれで終了です。

実際相当迷いましたし、地図がなかったので。

なので皇帝の宮殿だった施設にも足を伸ばせず。

ホントはタクシー拾えばよかったんだけど、めんどくさいとゆういつもの悪癖が。


とりあえず昼飯は、歩き方に載ってて気になっていた北朝鮮料理屋でとることに。

ピアノの生演奏もあったり、結構キレイめなお店です。

基本的に韓国料理と変わりませんが、おもしろかったのがこれ、イヌの脳味噌。


味的にはボソボソしてないゆでたまごの黄身って感じです。



メシを食ったら速攻で駅に戻り、近くのデパートの食堂みたいなとこで時間を潰すことに。

寒い中歩き回ったせいか、左足の甲が痛むし、風邪気味です。

デパートのテレビではひたすらK-popの動画が流れてました。

少女時代を待ったんですが出てきませんでした。


夜はダメージを負った体を引きずり二日連続の夜行列車で北京を目指します。

大連&旅順

2011-01-15 19:34:25 | 東亜旅行
前回の決意にも関わらず更新できませんでした、お許しあれ笑

しかも今回の旅日記はミクシーの焼き直しなので、マイミクの方にはおもしろくないと思います。


旅は朝五時くらいに起き最寄り駅に着いてから始まりました。

成田からインチョンでの乗り換えを経て中国の大連です。

大連空港に着いてから、まずは両替です。

レートは0.074で、1元は13.5円くらいと見積もって間違いはないかと。

ちなみに物価の実感としてましては、日用品は日本の半分くらいかなって感じです。水とタクシーは安い。

そいで空港内で観光情報センターみたいのを探します。

一応あるにはあったんですが、もらった地図にも大した情報は載っておらず。

とりあえず街に繰り出そうと空港を出てタクシーの運ちゃんと交渉です。

「大連駅周辺まででいくらか」と聞くと100元と。

絶対ふっかけたろとゆうことで50元で一回押してみます。

ただ正直相場もわからず心細いのもあって80元でディール。

宿もあらかじめネットで調べておいたところを指定すると「外人はダメだ!」みたいな感じなんで、まぁめんどくさいし彼が連れてった万港酒店って宿に泊まることに。

でも旅の予定を聞いてきて長春に電車で行くと知ってから、並ばなくてすむように小さな駅まで行って切符を買うのを手伝ってくれたりいい運ちゃんです。

「タバコ?オメコ?ビール?」と聞いてきたんですがたかられそうなので全部noと答えときました。

翌日は旅順観光と決めていたんですが、運ちゃんが「400元で一日チャーター、旅順行こう」みたいに提案してくれたのでこれもディール。

さて、運ちゃんを去らせてから街を軽く散策することに。

大連の駅周辺など中心街は広場を中心に大きい道が放射線状に広がっています。

これが意外と方向感覚を失って歩きにくかったり。

とは言っても歩き甲斐のある街ではあります。

ちょっと裏路地入るといい感じの日本風居酒屋とか韓国風のお店もあるし。

あと個人的に気になったのは「ベイアグテ」とか間違ってる単語を掲げた性保健用品(sex用品店)がたくさんあったこと。

それからマッサージ店もやたら多いです。

ある地域に迷い込んだんですが、そこら辺のマッサージ店はほとんど確実にmore than massage店でしたね、入りませんでしたが。

日本の足跡ってところでは旧ヤマトホテルがありました。



二日目は旅順の観光。

昨日の運ちゃんが八時半に迎えに来てくれたのでそれに乗って向かいます。

車で三十分くらいですかね、旅順口と呼ばれるエリアに着きます。

旅順が何で有名かと言えば日露戦争の激戦の舞台になったことですよね。

まずは要塞跡へ行き、そこで掩蔽壕や兵舎跡などを見ました。





朝早かったのもあって観光客はおれ意外には日本人の団体10人ほどしかいませんでした。

次に203高地へ。


ここは旅順港内のロシア軍艦を砲撃するために日本陸軍が一万人を犠牲にして攻めとった場所です。

ここから旅順港を見てみましたが曇っててなのか空気が汚くてなのかうっすらとしか見えませんでした。


そういえば飛行機から大連を見たときもあまりの空気の汚さにびっくりしました。

発展途上国の大都市ってばどこもそんなもんですがね。

ちなみに203高地ではロシア人の男ども四人くらいと被りました。

あんま気まずくはなかったです。

次に旅順口がよく見える山に連れて行ってもらいました。

ここから眺めると旅順港が当時戦術的にいかに価値ある場所だったかがわかります。


ボトルネックな旅順の出入り口を砲台で固めてしまえば軍港、海軍基地としては完璧な場所だったんだなと実感しました。


まぁ今は港の外からハープーンでもなんでも撃ち込めるんでしょうが。

ここの観光センターでは86歳になる韓さんとゆうおじいさんが写真を見せながら簡単に日露戦争の解説をしてくれました。

韓さんは日本統治時代の大連を経験しているので個人的にはもっといろんな話を聞きたかったんですが他のお客さんが来てしまったので断念。

それからはよくわからんワニショーや虎園を見て




んでモーターボートで旅順港を外から見るってクルーズをしました。


少し広瀬中佐の気持ちがわかったような気がしました。

そしてその日は宿に戻り、疲れてもいたので外には出ずに本を読んでお終い。


三日目は十時くらいまでぐっすり寝て、もっと大連を知ろうと宿を出て歩くことに。

駅まで行って大きい荷物を預けてから散策します。

とりあえず旧満鉄を探したんですが、正直今は軍の施設かなんかみたいになっていて入りづらい感じで外から写真とってお終い。


あとは夕方に夜景で有名な貿易センタービルみたいなとこの展望台へ。

ところが工事中なのか55階まで昇るとまるで廃ビルな感じで怖い。

買ったばかりのヘッドライトを装着してとりあえず日が完全に沈むのを待ちました。

残念なことにオフシーズンなのか日曜だからなのか、夜景は全然大したことありませんでした。


あんな怖い思いしたのに…。


夜に初めてローカルな店に単身乗り込みました。

ずっとめんどくさくってマックとかケンタッキーみたいなとこで済ませてたんすよね~。

牛肉餃子(12元)を頼んだらこんな大量に出てきました。


味は普通。

それから駅に向かい、長春への夜行列車を待つことに。

ちなみに大連ではネカフェを全然見っけられず。

とりあえず家族がうるさく心配してたのでアップルストアでミクシーにボイス残しておきました。

ちなみに夜行バスしか知らなかったおれには夜行列車は超快適。

足を伸ばせるし広いし、ゴトゴト揺られて気持ちよく寝れました。

六時くらいに起きるとそこはまだ夜空けやらぬ街全体が冷凍庫みたいな、旧満州国の首都新京だった長春です。

旅の始まり

2011-01-12 12:17:23 | おしらせ
ご無沙汰をしております。

次の三ヶ月でこのブログともおさらば、ならできるだけちゃんと更新したいとこです!

前回の記事で書いたDSGEモデルを使った分析の例なんですが、もう旅に出ちゃってるので解説までいれるのはなかなか大変。

とゆうわけで興味のある人はおれが教わった教授のペーパーに目を通してもらえればと思います。
http://econ.byu.edu/Faculty/phillips/WorkingPapers.dhtml


さて今は北京にいます。

これからゆっくりネットやれる時間と場所があるかはわかりませんが、自分なりに全力で旅日記を更新していきたいと思います。

五年日記をつけてるんですけどスペース的に細かいことまで書けないし、こっちに写真入れて文章残しておきたいって気持ちもあるからです。

ちなみに今足を痛め、下痢やって、さらにカゼ気味。

シベリア鉄道の出発がしばらく先なのをいいことにゆっくり休養したいと思います。

そして休養しながら旅日記の更新ができるかなと。

モスクワ以降どうなるかはまったく想像つかないんですけどよろしく。

ルーカス批判

2011-01-02 15:33:26 | メモ
あけましておめでとうございます。

今まで更新が途絶えていたのは忙しいからではないです。

ぶっちゃけ寝ない日が続いたりした夏の帰国ほど忙しくないんです。

ただ平和な日常を送り過ぎていてネタがない。

ちなみにロシアビザは無事に発行してもらいました。


ネタがないからといってほったらかしにするのは残念なので、上級マクロ経済学のクラスで学んだことの話でもメモっておこうと思います。

今日はその前提になるルーカス批判について、自分の言葉で簡単にまとめておきます。



現代のマクロ経済学はミクロ経済理論がその基礎にあります。

マクロ経済学がケインズ経済学を離れてミクロ経済理論をベースにしたものが発展する大きなきっかけとなったのがルーカス批判です。

ルーカス批判がどうゆうものかっちゅうと、「伝統的なマクロ経済学では過去のデータから経済主体の動きを不変と仮定して推計し経済政策のもたらす影響を推定しようとするが、政策の変更は経済主体の期待を変えさらには行動をも変えてしまうので伝統的なマクロ経済学の手法では政策変更のもたらす影響は計れない」ってな感じです。

減税やら財政支出やらの効果を推し量るのにさまざまな乗数が問題になります。

この乗数はマクロ計量モデルを使って過去のデータから推定しているんですが。

ただその乗数は過去の財政政策の下での人々の行動なわけで、財政政策に変化があれば人々の行動も変化します。

伝統的なマクロ経済学のモデルではこの人々の行動の変化を織り込むことができないのです。


このルーカス批判をきっかけとして、人々の行動の変化をも組み込んだモデルを作るためにマクロでもミクロ的な基礎付けがなされるようになりました。

ミクロ的な基礎とは個々の経済主体がどのように振る舞うかとゆうことですから。

そんなミクロ的基礎を持つ現代マクロ経済理論の代表的なものがDSGEモデルだったりするんですね。

次回はこのDSGEモデルを使ってどんなことができるのかを我が大学で上級マクロ経済学を教えてくれた教授のペーパーを要約しながら紹介できればと思います。