BCFから一週間経ちましたが、今は戦後処理をしながら日常への回帰を目指して生きております。
戦後処理っちゅうても企業からのメールを確認するだけなんですけどね。
とりあえずお祈りされたのを見届けて、「東京帰ってから引き続き…」とゆうお話には辞退のメールを送って、とゆう感じです。
どうでもいんですが、「お祭りってのは準備してる時が一番楽しい」みたいな言い回しありますよね。
おれは「お祭りは終わってからしばらくが一番楽しい」です。
大きなイベントを経験して変化を感じながら、それと同時に当たり前の日常に戻っていくこの感覚がよくわからんけど好きです。
ゲーム『信長の野望』も強敵を滅ぼしてからの新しい体制づくりみたいのが一番好きです。
ところでBCFで学歴について思ったことがいくつかあったので書いておこうと思います。
学歴ってのは機能としてと価値そのものとしての二つの性格があるような気がします。
機能ってゆうのはシグナリングとして。
シグナリング理論は聞いたことありますでしょうか。
ミクロ経済の理論なんですが、情報の非対称性があるとき、つまり売り手と買い手で商品に関する情報に差があるとき、情報を持ってる側が持ってない側に情報を伝えようとすることを言います。
就活に関してゆうなら、労働力の売り手である学生が買い手である企業に対して、自身の生産性の高さを学歴やら資格などを通してアピールするっちゅうこんですね。
ちなみに一般に企業が高学歴の人を好むのは「ちまたで一流と呼ばれる大学で教育を受けることが生産性を高めるから」とゆう理由である必要はありません。
一流大学に行って教育を受けることが個人の生産性にどれだけの影響を与えるのかはおれは知りませんが。
しかし仮にどの大学へ行っても学ぶことは一緒だとしても、もしくはもっと突っ込んで大学教育が生産性の向上に一切役立たないとしても、一流大学に入る人はそれだけ準備をして勉強をして成績優秀でとゆう条件が揃ってるんだと予測できますので、そうゆう意味で学歴がシグナリングの効果を果たすわけです。
もし大学教育が生産性に影響を与えないとしたら大学の四年間って勉強して知識身につけて遊べてって以外には社会的なムダと呼べるかもですね。
んでそのシグナリングとゆう機能以上に学歴自体が価値を持つことがあるんだなとゆう発見をしました。
もしかしたら普通の人に取ったら暗黙の了解とゆうか、当たり前のことなのかも知れませんが…。
学歴自体が価値を持つとゆうのは、まぁあるコンサルファームとの面接でのことなんですけども。
最後に質問あるかって聞かれて、ほいで「実際キャンディデイトの学歴ってどんくらい見てます?」って聞いてみました。
そしたら「やっぱクライアントも学歴高ければ安心しますしね。でももちろん学歴がそんな良くない人も採ってます、まぁバランスですかね」みたいに答えていただきました。
この話ではクライアントはシグナリングとして学歴を見るわけですが、コンサルファーム自体はその学歴のシグナリング効果に価値を見てるわけです。
学歴のシグナリングとゆう機能が学歴自体に価値を産み出した、だから何だって話なんですが。
まぁこれって学歴の物神崇拝なんじゃないのかなってことを言ってみたかっただけです。
やっぱマルクスが好きなんです。
戦後処理っちゅうても企業からのメールを確認するだけなんですけどね。
とりあえずお祈りされたのを見届けて、「東京帰ってから引き続き…」とゆうお話には辞退のメールを送って、とゆう感じです。
どうでもいんですが、「お祭りってのは準備してる時が一番楽しい」みたいな言い回しありますよね。
おれは「お祭りは終わってからしばらくが一番楽しい」です。
大きなイベントを経験して変化を感じながら、それと同時に当たり前の日常に戻っていくこの感覚がよくわからんけど好きです。
ゲーム『信長の野望』も強敵を滅ぼしてからの新しい体制づくりみたいのが一番好きです。
ところでBCFで学歴について思ったことがいくつかあったので書いておこうと思います。
学歴ってのは機能としてと価値そのものとしての二つの性格があるような気がします。
機能ってゆうのはシグナリングとして。
シグナリング理論は聞いたことありますでしょうか。
ミクロ経済の理論なんですが、情報の非対称性があるとき、つまり売り手と買い手で商品に関する情報に差があるとき、情報を持ってる側が持ってない側に情報を伝えようとすることを言います。
就活に関してゆうなら、労働力の売り手である学生が買い手である企業に対して、自身の生産性の高さを学歴やら資格などを通してアピールするっちゅうこんですね。
ちなみに一般に企業が高学歴の人を好むのは「ちまたで一流と呼ばれる大学で教育を受けることが生産性を高めるから」とゆう理由である必要はありません。
一流大学に行って教育を受けることが個人の生産性にどれだけの影響を与えるのかはおれは知りませんが。
しかし仮にどの大学へ行っても学ぶことは一緒だとしても、もしくはもっと突っ込んで大学教育が生産性の向上に一切役立たないとしても、一流大学に入る人はそれだけ準備をして勉強をして成績優秀でとゆう条件が揃ってるんだと予測できますので、そうゆう意味で学歴がシグナリングの効果を果たすわけです。
もし大学教育が生産性に影響を与えないとしたら大学の四年間って勉強して知識身につけて遊べてって以外には社会的なムダと呼べるかもですね。
んでそのシグナリングとゆう機能以上に学歴自体が価値を持つことがあるんだなとゆう発見をしました。
もしかしたら普通の人に取ったら暗黙の了解とゆうか、当たり前のことなのかも知れませんが…。
学歴自体が価値を持つとゆうのは、まぁあるコンサルファームとの面接でのことなんですけども。
最後に質問あるかって聞かれて、ほいで「実際キャンディデイトの学歴ってどんくらい見てます?」って聞いてみました。
そしたら「やっぱクライアントも学歴高ければ安心しますしね。でももちろん学歴がそんな良くない人も採ってます、まぁバランスですかね」みたいに答えていただきました。
この話ではクライアントはシグナリングとして学歴を見るわけですが、コンサルファーム自体はその学歴のシグナリング効果に価値を見てるわけです。
学歴のシグナリングとゆう機能が学歴自体に価値を産み出した、だから何だって話なんですが。
まぁこれって学歴の物神崇拝なんじゃないのかなってことを言ってみたかっただけです。
やっぱマルクスが好きなんです。