ひとりごつ

ラヴ・ピース・フリーダム

ワカチナ

2010-04-14 14:03:41 | ラ米旅行
今セメスター最後の講義も終わりまして、プレゼンやペーパーも一通り終えまして、残すところはファイナルのみとなりました。

他の大学の学生さんからBYUはセメスター終わるのが早いとよく言われるんですが、うちには春ブレークってのがなかったですからね。

ハーバード大学が来年より春ブレークをなくすとゆう話に絡めて、ぺトレイアス大将をはじめとする訪問者がよくジョークを飛ばしてたものです。

「BYUに追いつかなきゃとハーバード大学が春ブレーク廃止を考えてるそうで笑」

最後の最後で『信長の野望』中毒もだいぶ良くなってきまして、ゲーム時間も少しづつ減らしております。

ファイナルでそれなりの成果残して、なんとか全クラスパスしたいのう。


さてさて、振り返れば人生の大きな転機となったラ米旅行からもう二年も経つのかとしみじみ。

実はそのラ米旅行で出会い、個人として大きな影響を与えて下さった佐藤健寿さんの二つ目の著作『奇界遺産』が今年一月に刊行されていました。

下がアマゾン
http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%81%A5%E5%AF%BF/dp/4767808987

健寿さんのホームページはオカルトの世界では有名なhttp://x51.org/

作品に関する本人インタビューhttp://www.cyzo.com/2010/02/post_3955.html


おれ自身はまだこの本を手にしていないのですが、健寿さんの何年にも及ぶ取材の一つの集大成。

オカルトや変てこなモノ大好きですし、ちょっとお値段はしますが買ってみようかなと思ってます。


さて、タイトルのワカチナですが。

これはペルー西南部、イカとゆう都市の近郊にあるオアシスの名前。

町の外観


ワカチナも『奇界遺産』に入ってるとのことで、懐かしくなったので記事にしときます。

ウィキペディアによれば1999年の人口が115人。当然ながら観光でもってる町です。

旅行者はイスラエル人ばっかりだった印象。

アジア人ではおれや健寿さん以外にも韓国系米人がいましたけど。

まぁこの町で何ができるかとゆうと、やっぱり砂と戯れることですかね。

日本では鳥取砂丘にでも行かないとないんじゃないでしょうか、こうゆう砂漠は。


それからなんと言ってもサンドボード&サンドバギー。

これは宿のフロントとかで予約できるんですけど。

サンドバギーで砂漠を爆走、これが意外と起伏があっておもしろかったりする。

そしてサンドボード。スノボーの砂バージョンと思っていただければ。

板底にバターを塗って滑るんですが、これもまたなかなかにおもしろい。雪より痛くないし、障害物もないのでスピード出せますし。

砂まみれのちょっとした冒険の終わりは素晴らしい夕日で締めくくります。


ちなみにカンデラブロなるオーパーツへのツアーもここの宿で予約が取れます。

カンデラブロはUFOの灯台じゃないのかとか言われてますが、まぁ何でもない地上絵がちっちゃくなった感じ。


カンデラブロ程度ではラ米をしばらくぐるぐるしてると見慣れてしまって新鮮な驚きはないんですが。これをボートから見ます。

ただツアーはリトルガラパゴスもしくは貧者のガラパゴスとも呼ばれるバジェスタス島ツアーもセットになっておりまして。

ガラパゴズゾウガメみたいのはおりませんが、ペンギンやアザラシ、珍しい鳥が見れます。


またイカにはカブレラ博士の博物館があったり。おれらが行った数日の間はずっと開いてなかったですが。

それでも頭蓋穿孔施術をした頭蓋骨や頭をやたら長くしてフリーザの完全体一歩手前みたいな見かけをしたミイラが展示された博物館があり、そこはちゃんと開いてます。

また地酒ピスコの工場も観光でき、いろんな種類のお酒を一口づつ試飲できたり。


そんな感じでして、イカやバジェスタス島も含めたワカチナの観光地としての評価は★★★★☆。

時間はあるけど金はそんなにないって人、是非行ってみてほしいと思います。

クスコ━マチュピチュ間

2010-01-31 15:55:31 | ラ米旅行
世界遺産マチュピチュとインカ帝国の首都だったクスコを繋ぐ鉄道が土砂崩れで橋梁などが崩壊して不通になり、マチュピチュの麓の村アグアスカリエンテスに数千人の人々が取り残されてたのがペルー政府のヘリで救出されたとゆうニュース。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN201001300016.html

ぶっちゃけヤフージャパンでニュース見るまで知りませんでした。

ただあすこは天気悪いとホントにどうしようもないんだと思いますわ、陸の孤島になります。

この遺跡麓の村も観光客用の宿とレストランばかりですし、補給断たれたらお陀仏。

おれがマチュピチュを訪れたときも降っていた雨のせいとかで村が停電を起こしていました。

ちょっと前の話ですけどおれの旅行の話書きますね。

もし行こうと思ってる人が参考にしてくれたらと思います。まぁ日本人宿行きゃ情報ノートがいっぱいありますけど。


さて、おれがクスコの日本人宿『ペンション八幡』からマチュピチュへ向かったのが2008年の6月10日の朝。

鉄道を使えばラクなんでしょうけどもなんせ貧乏旅行、そうゆうわけで宿の情報ノートで知ったルートを使って鉄道抜きで行くことにしました。

朝七時には宿を出てタクシーを拾い、まずはローカルのバス停へ。

そこからSanta Mariaとゆう何もない、言ってみれば村落みたいなところまで連れて行ってくれます。

スペイン語がわからないといろいろ苦労すると思うんですけど、ラッキーだったのはスペイン語も英語もペラペラなポーランド人のマチックに会えたこと。

彼はバンクーバー出身でアジア人が嫌いで仕方ないと公言して憚らないカナダ人のジャーミーと一緒にいて、最初はちょっとジャーミーがイヤそうにしてました笑

とりあえずマチックが一緒に行くべと誘ってくれて、そこからワゴン車みたいな乗り合いバスである駅まで向かいました。

この道程がまた凄い。ガードレールもない細い道、絶壁の上を行きます。
こんな

そして駅に着くんですが、この駅ってのは観光客が利用する鉄道の支線とゆうか、おもに民間人が利用する駅みたいです。

それでそっからおれらは線路を歩きました。

いやぁ男三人でむさいですけど線路の上を歩くのって小さいころに抱いたロマンじゃないですか。


写真見ていただけるとわかりますが、こんな地勢ですから土砂崩れ起きたら孤立するのもわかります。

それと植物。木なんかそうですけどホントにジャングルです。

マチュピチュへのアクセスの拠点となるクスコの標高がおよそ3399mですけどここはおそらく1000mほど低いです。

だから湿気もあるし気温もちょっと高いです。

それで遺跡麓の村まで結構ありました、数時間歩きましたね。着いたの夜でしたから。

線路の上が危ないのはもちろん非常に歩きにくいこととところどころ穴があること、それに橋が線路用なので人が歩くようなもんじゃなくちょっと怖いです。

暗くなってからは電灯もないので軽く命がけ。それに汽笛が聞こえるたびにビクビクします。結局電車に追い抜かれたりとかってことはありませんでしたが。

まぁそんなこんなの道のりで、一人だったら物凄く心細かったんだろうなぁと思いますよ、進んでいけば着くかってはっきりわからんし。

でも最初嫌がってたジャーミーも話してくうちに打ち解けれたし、マチックも全然よくしゃべるいいヤツだったし。

ポーランド人ってのは今住んでるとことラスベガスで会ったホームレス、それに西新宿のポーランド観光局の人とこのマチックと四人しかあったことないですけどみんな凄く明るく社交的です、歴史は暗いのに笑

まぁなんといってもこのクスコ━マチュピチュ間で一番思い出に残ってるのはホタル。

この時代に生まれたおれがあんな沢山のホタルを見たのは初めて。写真に残せなかったのが無念。

それから麓の村アグアスカリエンテスに着いたときの感動も言い表せないです。

長い道を歩いて遠くにぼおっと光が見えたとき、多分停電してたから普段より暗かったと思うんですけど、それはとても神秘的な光景で、なぜか『千と千尋の神隠し』の夜の宿を思い浮かべました。

正直一人歩きならオススメできないルートですが、もし集団で野郎のみだったら絶対に行く価値のある道です。

メキシコ2009-2010(※グロ注意)

2010-01-05 09:30:39 | ラ米旅行
あけましておめでとうございます!

無事メキシコから帰還、学校も早速始まりまして。

さっき今アリゾナで院生をやってる米人の旧友と五年ぶりに会ったり。

専攻のクラスでは以前に同じクラスを取ったことがある連中がいたり。

なんだかんだいい感じ、今年もいい年になる予感、ってかいい年にしていきましょう。


とゆうわけでメキシコであったこと、思ったことなんかを。

今回のメキシコ滞在で自分の中で一番いい意味でも悪い意味でも印象に残ったのは性についてのこと。

おれの友人の友人のキレイな女の子が23歳で処女、そしてこないだ初めて男を知ったんだけどコートに入れてたピルが母ちゃんに見つかって大変なことになったり。

カトリックの国だからとゆうか、そうゆうとこでは意外と貞操観念が強いのねなんて思ってたんですが、その友人のいとこの男たちはとゆうと。

新年早々どこに連れてくかと思えばセックス中毒の女性数学教師(35歳)の家。

家に飾られてる写真を見る分には家族いて娘も二人いるんである。

なのに思い出すのもイヤな、笑えると言えば笑える破廉恥行為の数々。。

そうゆう性の両極みたいなものをメキシコで見ました。いろんな意味でとても勉強になりました。少し大人の女性が怖くなりました。


まぁもちろん普通にパーティーとか楽しかったです。

食べ物は相変わらずでしたが、今回一番思い出に残った食べ物は農場で屠りたての羊を煮たヤツ。
※グロ(?)注意










初めて肉ができる過程を目の当たりにしました。

そしてできたのがこれ。


今まであまり羊肉に縁が無かったので何とも言えないんですが、臭みもなくてとってもおいしかったです。まさに新鮮。


旅行全体としてはやっぱり過密スケジュールでかなり疲れたのと、滞在期間が短く会いたかった人の半分くらいにしか会えなかったのもあってちょっと心残りもあったりで、80点。

うん、けどやっぱいろいろ勉強になりました。

反応に困る話

2009-03-19 00:29:09 | ラ米旅行
お友達から聞いたんですが、学校の知り合いのある白人の女の子が学校のカフェテリアで「アジア人はぶっさいくね~」な話をして盛り上がってたそうです。


公の場所で無神経な発言ができるのも彼女がアイダホ出身の文字通りの『イモ女』だからでしょうか。


もう一人アイダホ人の女の子知ってるけどこちらも似たような感じです。なめるのもいいけど普通少しは隠そうとしないか?


まぁこうゆう話を聞いても最近あんまし気にならないのはアジア人としての自信が芽生えたからでしょうか。


どんぐらい自信がついたかといえば、ジムに泳ぎに行ってシャワー浴びたり水着に着替えるときに一物をまったく隠さないくらいです。


それはいいんですが、「アジア人ぶさいく」系で困った話をひとつ。


おれがペルー北部であるツアーに参加したときでした。


ツアーのメンバーはおれ、英語をまったく話さないフランス人カップル一組、スペイン語より英語が達者なドイツ人のおっちゃん、オランダ人カップル一組でした。


ツアーも終盤に差し掛かりある博物館を訪れたときのこと。


中南米の街ってば野良犬がいっぱいいるんですが、やっぱそこでも犬がいまして。真っ黒で毛がほとんど生えてない、病気なのかと思うような品種の犬。今までもちょくちょく見かけたんですが。


ガイドさんに「あの犬はなんての?」って聞いたら『チノ(チャイナ人の男性名詞)』だって。


そばにいたオランダ人の女性になんでチノなんかねぇって言ったら彼女、「ぶさいくだからねぇ、アハハ」


いやぁ、おれが日本人なのを知ってるし悪意を感じなかったとはいえ所詮チャイナ人も日本人も連中にとっては一緒に見えるっぺ?だったらこれおれ一緒になって笑ってる場合じゃなかったよね。


そうゆうわけで一人苦笑いせざるえなかったとゆう。