ひとりごつ

ラヴ・ピース・フリーダム

アレッポ

2013-10-20 09:20:17 | 中東旅行
前回の記事に「桜が咲いてた」と書いたんですが、どうもこれアーモンドの花だったみたいです。

2年越しの勘違い笑


それでトルコとシリアの国境にバスが着きます。

着く直前くらいのバスの運転手から「みんなビザはあるね?」みたいな確認。

おれだけなくって運転手が「現地で取れなかったら帰ってもらうぜ」と。

ネットとかで調べると確かに現地で取れるって人と同じくらい「リスクがあるので前もってとっておきましょう」って人もいるんすね。

ちょっと不安になりながら到着、そしてビザなし外国人として入国審査みたいのを受けます。

多分30分くらいかな、時間はかかったけどなんとかなりました笑

アルメニアのビザとか、「なんだこれは!?」とかいろいろ言われながら、3日間のトランシットビザをゲットです。

普通一週間とかもらえるらしいですが、もらえただけラッキーです。


この時印象に残ったのが欧米人の国連職員とかがバンバン入国してったのと、ずっと相手にされないパレスチナ人。

パレスチナ人は、本人たちがそう言ってただけで違うのかも知んないですが、故郷に帰りたいのに入れてもらえないと。

理由はよくわからんのですが、やっぱパスポートがイスラエルで発行されてるとかなのかなぁ。

それともこのまま入国されて不法移民的に定住されたら困るとかって話なのか。


無事に入国して砂漠とゆうか荒野を行きます。

学生時代を過ごしたユタを思い出しますね。


途中メシ休憩とかトイレ休憩とかあったんですが、アラブもインドと同じでクソした後のケツは水洗いです。

おれはどうしても勇気が出ず、外国人が泊まるようなホテルとかでクソしてました。


そんな感じで夕方にアレッポに着きました。

アレッポはダマスカスに次ぐシリア第二の都市で、古い歴史があるみたいです。

こないだテレビで内戦によって破壊された街の写真を見ましたが、この頃はまだ平和でした。

宿にチェックインしてスタッフさんからいろいろ情報収集。

翌日はそこでたまたまいた日本人のおねえさんと行動をともにすることになりました。

まずはスーク。商店街です。


次はアレッポ城。


アレッポ城は丘(人工の盛り土?)の上にあって、そこから市街を見渡してみます。

ちょっと空気が汚くて遠くまでは見通せません。


前にいるのは小学生の遠足かなんかでしょうか。


この子たちはおれら外国人を見るやギャーと大騒ぎ。手を振ってくれます。スターになった気分です。

子供たちだけじゃなく、若いにーちゃんとかも「写真撮らせてくれ」と言っておれらの写真を撮っていきます。

シリアではアジア系が珍しいんでしょうか。


アレッポ城の次はここら辺で大きめのモスクです。


モスクは男女別なんでそれぞれ別れて見学しました。

モスクの後は隊商宿をペルシャ語でキャラバンサライと呼ぶらしんですが、そのエリアとか。


24時間テレビで流れるサライってのもこのサライから来たらしいですね。


スークの外を歩いててもあちこち商店だったり路上の物売りとかがいます。

この人は蜂蜜売ってました。


こんな蜂の巣ごと売ってるの今まで見たことがなかったんで、身振り手振りで一口食いたいと伝えたら、タダで一切れ試食させてくれました。

なんて優しい。そして甘くてうます。

あとは木の実みたいの売ってたり。



そんなこんなであっとゆう間に一日が過ぎました。

おれには時間がないのでこのままダマスカスへ向かいます。

日本人のおねえさんはレバノンに行くとゆうことで、また途中まで同じ長距離バスに乗ることに。

ところが、長距離バスターミナルへの行き方がようわかりません。

ローカルなバスとか乗り方難易度高いし。

まぁそこら辺の人に聞けばわかるだろうとか思って宿を出発して、とりあえずローカルなバス停をうろちょろして、優しそうなおじさんに声をかけてみました。

したら着いて来いとの身振りなんで、彼にくっついてローカルバスに乗って移動。

十数分くらいで長距離バスのターミナルへ着いたんですが、このおじさんがさりげなく二人分のバス料金を払って、そして「君のバスはあれ、君はあっち、じゃあ気を付けて」と言って去っていきます。

なんと見ず知らずの旅行者のために身銭と時間を使ってわざわざ道案内をしてくれてたようです。

おれらはもうシュクランと言うしかなかったですわ。

この人に限らず、アレッポで絡みがあったシリア人はいい人多過ぎです。

イスラームの教えで旅人を大事にしろってのがあるらしんですが、それにしてもですよ。

この時の思い出があるからシリア大好きだし、今の状態がホントに悲しいです。

アテネで同じ部屋だった韓国人のおねえさんが言ったとおりでした。


そんな暖かい気持ちでアレッポを離れダマスカスへ向かいます。

石油産業は大きくはないらしいシリアですが、こんな光景を目にしました。


フレアスタックってゆうらしんですが、油田の煙突から炎が出て余剰ガスを処理してるんですね。

トビリシ2

2013-10-12 09:48:00 | カフカス旅行
2011年3月2日の夜にトビリシに着いたわけですが、途中の山道の写真があったので。


山が段々畑みたいになってますな、雪崩防止?

右のほうには城塞が見えます。


んでトビリシに着いた翌日、午前中はのんびりし、午後からまた街を徘徊。

今日はトビリシのマックで出会った日本人から聞いていたネリダリの家と呼ばれる家に行ってきました。

ネリダリさんって人が安く家に泊めてくれてるんすね。

マケドニアで泊まったのはそんなシステムのとこだったな。

んでグルジアをバックバック旅行する日本人の間でめちゃくちゃ有名らしく、いわゆる「日本人宿」です。

日本人宿の雰囲気ってのを久々に味わいました。

うまく言えないんすけどね~、長期滞在者による小さいムラが出来上がってて、まぁ苦手な人は苦手だと思います。

マックで会った人もいなくなってたので早々に退散しました。


夜も出歩きまして、ハマム(ソープじゃないリアルなトルコ風呂)の側を通ったけど入らなかったり。

宿に戻ってからは新しいイスラエル人やらヨーロッパ人やらの旅行者が来てて、また遅くまで飲みました。

ちなみにその宴席で「ショータ」って名前の宿のオーナーが言ってたんですが。

日本でありふれてる「しょうた」って男の名前はグルジア人が由来だと笑

なんでもグルジアでも「ショータ」って名前はありふれてるそうですが、あるグルジア人柔道家かなんかがショータって名前で。

その人が日本で大会があった時に大活躍、以来その人にあやかって日本人は男の子に「しょうた」って名前をつけるようになったそうです。

どうなんそれ!?ガセビアか?

「トリビアの泉」がまだやってたら投稿してガセかどうか確かめてもらうとこなんですがね、おれにゃわかりません。


さて翌日の3月4日。

この日はアゼルバイジャンビザを受け取りに行く日です。

親身に面倒見てくれてたコカって宿のスタッフがアゼルバイジャン大使館に電話。

夕方の5時に取りに来いってことで、それまで時間があるんでコカ達と街歩きすることになりました。

昼はグルジアを代表する料理らしいハチャプリ。


見てのとおりチーズのパンって感じです。形がいいですよね。


それからグルジアといえばグルジアワインってことで、ワイン屋さんにも連れてってもらいました。


赤いのから白いのから辛いのから甘いのまで凄い種類のワインで、しかもおいしい。

何種類か試飲させてもらいました。

んでコカは想いを寄せていた、かつてのお客さんのフランス人に送るワインを選んでました。

その恋は実らずつい最近アメリカ人女性と婚約したんですけどね。


そいでアゼルバイジャン大使館に指定された時間に行ったらなんと、既に閉まってました。

電話のやりとりで勘違いがあったらしく、まぁ残念ですが時間もないのでアゼルバイジャンは今回は行かないことに。

もともと旅を始めた時点でカフカス自体に行く計画もなかったですしね。


気を取り直して夕飯はヒンカリと呼ばれる水ギョウザ、これもグルジアを代表する料理です。


ギョウザはウクライナでも食いましたし、チャイニーズと思いきや世界区の料理です。

ヒンカリの正しい食べ方は、皮を閉じてるフタみたいになってるとこをかじって、そこからちゅーちゅー汁を吸って食うんだそうです。

みんな真顔でやってたんで多分ホント。

それとただチーズを煮込んだだけの食べ物。


米国で学生をやってたとき、たまにおやつにチーズをフライパンで溶かしたのを食ってたんで、なんかそれが懐かしかったなぁ。


夕飯を食ってから世話になったコカにバスターミナルまで送ってもらい、夜行バスにてトルコへ向かいます。

まずはトラブゾンと呼ばれる街へ。

しばらく米を食えなかったんですが、道中で米とチキンと野菜のセットが食えました。


こうゆう感じのメシをアラブ世界入ってからも、かつて旅行した南米でもよく見かけます。

米とチキン、おれの感覚だとかなりユニバーサルです。

そいで一日中バス旅を続け、トラブゾンからはまた一日越しのバスでシリアとトルコの国境アンタキアへ。

このバスの窓越しに見た風景になんだか感動しました。梅やら桜やらが花を咲かせてたんですね。

真冬の東欧を抜けてからの春の息吹、そして日本をこんなに離れて梅や桜を見れたのが相当嬉しかったですね。

アンタキアへ着いたのが3月6日。丸二日近いバス移動です。

ここからシリア行きの国際バスに乗り換え、まずは国境へ向かいます。

まだビザ取ってないんで入れるかどうかちょっと不安な移動です。

イェレバン

2013-10-08 17:19:35 | カフカス旅行
2011年2月28日ですが、昼過ぎにグルジアのトビリシを出てミニバスでアルメニアのイェレバンへ向かいます。

同乗者はアルメニア人ばっかりが四、五人、英語が達者な人間もいませんがなんだかんだコミュニケーションがとれるのはクリミア半島のタクシーと一緒ですね。

途中でかなりローカルな食堂に寄って、アルメニア料理なのかグルジア料理なのかわからんもんを食ったりしました。

ちなみにめっちゃ山道です。

その日の夜中にはイェレバンに着き、見当をつけといたホステルまで行ってもらって宿泊。


翌3月1日、九時頃に起きてホステルでゲットした無料地図を片手に街を徘徊します。

とりゃえず無料地図に載ってた広場に行ってみました。



カフカスってヨーロッパっぽいけどちょっと違いますよね、うまく言えないけど。

ここら辺の歴史ってのもよくわからんし。

中央アジアとか中東とかって言われる場所は民族の移動とかが激し過ぎて、島国日本育ちのおれとしては歴史を勉強してもイメージとして掴みにくいです。

アルメニアと言えばトルコと第一次大戦での虐殺だとかで仲が悪いんですが、両国の問題の一つにアララト山の帰属があります。

ノアの箱船が流れ着いたとも言われるこの有名なアララト山を拝んでやろうと高台に登ったんですがほとんど見えず。


霞がかってて、おれのデジカメにはまったく映ってませんね。


高台を降りてからアルメニア人虐殺記念公園に行きました。


いろんな展示もあって、どうゆういきさつでこうゆう事件が起きたかってアルメニア人の視点から学ぶことができました。

まぁ政治的に難しい話でなんとも言えんすな、哀しい歴史です。


んで夜は観光客相手にしたアルメニア料理屋でアルメニア料理を食おうと思いまして。

そこではアルメニア音楽の生演奏。


いろいろ注文したんですが、中でも気に入ったのがドルマと呼ばれる食べ物。


これは別にアルメニア料理ってわけじゃなく、ギリシャからアラブ世界に広くあるものらしんですが。

ぶどうの葉でソーセージ巻いたもので、ヨーグルトかけて食いました。美味。


そんなアルメニア料理屋からの帰り道、デモに遭遇しました。


宿の人に聞いてみたら、何年か前の大統領選の結果にたいして抗議した人たちと警察で衝突があって、そのとき死んだ人を悼んでのデモだったそうです。

まぁ別に危害加えるとかそうゆう雰囲気じゃなかったですが、おれみたいなよそ者はああゆう熱狂とゆうかよくわからん集団心理が働く空間には近づかないほうがいいなと感じました。

ボリビアのポトシの労働者のストはお祭りみたいな雰囲気があったけど、あれもホントは近寄っちゃダメだったんだろな…


その翌日、お昼頃に乗り合いタクシーを見つけてトビリシへと戻ります。

乗り合いタクシーの窓からはキレイなアララト山が見えました。


この乗り合いタクシーもあっとゆう間にみんな友達みたいに和気藹々としちゃって。

グルジアに運転手さんの家があるんですが、そこに寄ってみんなでメシ食ったり。

楽しかったのと同時に、グルジアとアルメニアみたいな地続きで国境もコロコロ変わったような場所だと、例えば運転手さんの家みたいにグルジア国内のアルメニア人集落みたいのがあるんだなって、改めて島国の人間には勉強になりました。

そんなこんなで夜にグルジア着。

またskyhostelに泊まって他のバックパッカーなんかと夕飯食べてお休みです。

トビリシ1

2013-10-06 09:26:04 | カフカス旅行
やっと仕事も一段落ついたかなってとこで、そろそろ旅日記を書き終えてしまいたいと思ってる今日この頃。

もう一年半以上も経過しちゃってますしね。これ2011年2月26日からのお話。


さて、夜行バスでトルコを海岸沿いにバスで走り、昼前にホパという街を経てバスを乗り換えてからグルジアとの国境へ。

ホパあたりから英語通じる率がだいぶ下がってきて、やっとついたグルジア国境なんかはもう、いきなり貧しい感じ。

工事中だったグルジアとトルコの国境


物乞いが普通にいたんですが、今回の中国~ロ・東欧ってコースではそんな見かけなかったんでちょっと驚きました。

国境でバスが通過するのになんやかやと時間がかかり、国境からグルジアの首都トビリシまでも時間的に結構かかる。

トビリシに着いた時はもう夜で、1時過ぎてました。

あらかじめhostelworld.comで予約していたホステルへタクシーで行き、もう着いてすぐ寝かせてもらいました。

ここで泊まったSkyhostelってのが凄く良かったです。

ホステル始まって以来の初めての日本人客ってことで大事にしてもらったし。

また後で書くことになると思うんですが、東日本大震災で放射能の影響が心配された時に、パレスチナのベツレヘムにいたおれに「日本に帰るよりうちにタダで泊まってけ!」とメッセージをくれたのでした。


まぁそんで一晩過ごしてダラダラしてたらあっとゆう間に昼時。

国ごとのマクドナルドに必ず顔を出すおれ、グルジアのマックはどんなもんかと昼メシ食いに行ったら日本人の旅人と遭遇。

ここでいろいろ情報交換しました。

グルジアの見所とかで、難民の住居と化したイヴェリアホテルだとか軍用道路だとか聞いたんですが…

結局行かなかったな笑


日本人の旅人と別れて無目的に街を徘徊することに。

街中のこんな川岸


日本だったらコンクリートかなんかで固められてそうですが、ここではあるがままって感じですね。


丘の上に要塞みたいのがあったりして。



そこからの眺め



まぁホントに山国なわけですわ。

首都の割には高い建物とかもなく、道路もボコボコしてて。

でも空気が住んでてキレイだったな。


一通り回ってから宿に戻るとスタッフからチャチャと呼ばれる自家製のお酒を振る舞われました。


これが90を上回るアルコール度数だったらしく、喉が焼けてしばらく喋れなくなるほどでした。

他の西洋人のお客さんも加わってそのまま酒盛りに。

グルジアの伝統らしんですが、みんなで毎回トーストして飲むんだそうで。

トーストって食パンを焼いたのじゃなくって、乾杯の挨拶みたいなもんですね。

「異文化がこの世界を楽しくしてくれてる、文化の多様性に乾杯!」

みたいになんでも口上を述べて乾杯します。

グルジアとゆうとワインも有名で、おいしいワインもいっぱい戴きました。


酒盛りの翌日、アゼルバイジャン大使館へ行ってビザ申請。

なんの問題もなく手続きを終えて、宿へ戻って荷物の整理。

宿のスタッフさんにバスターミナルまで送ってもらって、ミニバスに乗ります。

ミニバス運行に必要な最低人数の客が集まるまで2時間くらい待って、次はアルメニアのイェレバンに向かいます。

アルメニアからアゼルバイジャンに直接行ければいんでしょうが、この2国が仲悪いんでそれができず。

どうせアルメニアからグルジアにいったん戻らにゃならんなら、アルメニアに行ってる間にアゼルバイジャンビザができるのを待っておこうとゆう魂胆です。