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ひとりごつ

ラヴ・ピース・フリーダム

サンクトペテルブルク2

2011-02-12 01:36:19 | 東亜旅行
旅日記はできるときにできるだけ更新することにしましたので、本日第二本目。

サンクトペテルブルクでの二日目です。


宿に戻って早々に爆睡したおれですが、二時くらいに目を覚ましてしまいました。

とゆうのもコモンルームでロシア人客達が騒いでるとゆうか、普通のボリュームで喋ってらっしゃる。

さらに夜遊びしてきたみたいなロシア人のねーちゃん達も喋りながら寝室で荷物をガサガサさせて。

実はモスクワの宿でもロシア人達がうるさかったんですよね。

そいだらおれは二段ベッドの下で寝てたんですが、上で寝ていたカップルの女性が「シー!」とかやって。

少し静かになったのでそのまま朝まで二度寝。


朝起きてそのカップルと話したんですが、フランス人とのこと。

背が低めでぴちぴちしていためっちゃおれ好みの女性でした。

そんなどうでもいい話に重ねてどうでもいい話なんですが、彼らがZhu Zhu Petなるハムスターのオモチャを持ってたんですね。

これがオフィシャルサイトなんですが。http://www.zhuniverse.com/

どう見てもハム太郎の勝ちかな笑


んで今日は市街を歩くことにしました。

サンクトペテルブルクはピョートル大帝の意志と多くの人の犠牲の上に出来た人工の都市なんですが、噂に聞く通りヨーロッパな街並がキレイです。

あんまし写真は撮らなかったんですが、下は運河沿いの。


ちなみに『007ゴールデンアイ』でボンドが戦車を乗り回したシーンもここで撮られたんじゃないのかと見ています。

おれなんかは64でゴールデンアイをやり込んだ世代です。


それから日本海海戦にも参加していたとゆう巡洋艦オーロラ(アヴローラ)号を見に行きました。


もったいないことに見ただけで乗ったりしてないんですけど。

博物館として公開されてます。


そっから歩いて数分のところにあるのが対スウェーデン用に築かれたペトロパブロフスク要塞。


政治犯の収容所としても使われてたみたいですね。


んで世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館に向かったんですが、中に入る前に腹ごしらえってことでキレイめなレストランでメシを食うことにしました。

前菜で頼んだのがイクラと軽い揚げパンみたいの。

ロシアではイクラ結構食います。

なんてったってイクラってロシア語ですからね、最近まで知らなかったんですが。


んでメインが鹿肉のステーキにブルーベリーソースをかけたもの。


初めての鹿肉ですがなかなかに臭みがあります。

ブルーベリーソースもよかったけど醤油と胡椒だけで食ってもよかったかな。


そしてエルミタージュ美術館。


ここはヨーロッパ中+その他の美術品の展示がありまして、全部見切ろうとしたら一日じゃ足りないです。

おれもとりあえず興味のあったドイツやらイギリスやらの西欧に絞って見ました。

でも個人的には美術品より内装。

ここもエカテリーナ宮殿のように豪華です。

ある一部屋。


ちなみに正規の入場料は結構したはずなんですが、米国時代のstudent IDを出したらタダで入れました。


美術館を出るとこんな風景です。


前に立ってるのはアレクサンドルの円柱といって、ナポレオン戦争の勝利を祝って立てられたんですが。

なんと固定されていないらしいです。ポンと置いてあるのかな。

でも風が吹いたりとかでは倒れませんね。

そして後ろに建っているのが旧参謀本部。

んでこの広場は宮殿広場と呼ばれているんですが、世界史でおなじみの血の日曜日事件が起きた場所でもあります。



そんなサンクトペテルブルク二日目ですが、早くも夜行バスでエストニアへ向かうことにしました。

バスまで時間があるので荷物を預かってくれていた宿へ戻るとスタッフの一人が「せっかくだからシャワーとか使ってけよ、ベッドで休んでもいいし。おれ日本の文化大好きだから日本人が来て嬉しんだわ」みたいに親切にしてくれたのでお言葉に甘えることに。

んでベッドで休んでると同室だった韓国人がネットでサッカー観てるんですわ。

そう、その日はちょうどサッカーの日韓戦です。

んで一緒に最後まで見届けてしまいました。

米国で韓国人とWBCの日韓戦を見たことあるけど、まさかロシアでサッカーまで…。

とりあえずナイスゲームでお互いに楽しむことができました。


いよいよ宿を離れバス停へ。

バス停といっても「駅前にバス来るから」みたいに書かれてるんですわ、Eurolineって長距離バス会社。

んで実際どれがおれの乗る長距離バスなのかわからん!

そうこうしてるうちに時間が迫って焦りまくり。

駅前で二人でタバコ吸いながら喋っていたおじさん達に「ここの住所これであってますよね?バスEurolineって会社なんだけど」みたいのを電子辞書使って説明。

ほいでおじさん達も一緒になってバス探してくれて、なんとか時間ピッタリにバスを発見。

バスに近づくと乗員が「たけ坊だね、待ってたよー!」みたいな。

いや外で待っててくれたらありがたかったなぁ。

そんな感じでいざバルト三国へ。

シベリア鉄道

2011-02-06 03:20:32 | 東亜旅行
キエフのたけ坊です。

今日は射撃ツアーに行きまして、明日はチェルノブイリツアーとゆうことで。

また地元の人との絡みが多少あったり、同宿者が増えたりで少しテンションアップです。



さて旅日記の続きです。

夜まで北京のホテルのカフェでネットをして、時間になったので出発。

そういやホテルのトイレに寄ったんですが、おっきい荷物を抱えるおれにトイレ掃除のおっちゃんが至れり尽くせりのサービス。

チップで適当なお金をあげたらトイレットペーパーを餞別にくれました、ありがたい笑


そいで列車に乗り込んだんですが、コンパートメントは四人乗りながらなんと二人きり。

白人が中国語かなんかで「モスクワ?」とか言ってて、おれはてっきりロシア人かと思ったんですがなんと米国人。

彼は同い年のリチャード君で、スタンフォードで言語学のマスター一年目。

研究の一環でチャイナへ半年留学して、それが終わったのでちょいとロシアに足を伸ばそうとしてるとのことでした。

今まで散々会ってきた米国人ってことでちょっとがっかりしたんですが、このリチャードがなかなかいいヤツで彼とグダグダ過ごした六日間はなかなか楽しかったです。

はい、冬季シベリア鉄道の旅なんてただ六日間グダグダするだけなんですわ笑


夕方には西に日が沈む。



朝には東から日が昇る。




基本的にこれの繰り返しで、あとはたまに駅に止まってキヨスクで飲み物や食い物を買ったり。

そういや一回東シベリアのある駅で町まで出て覗いてみたんですが、こんな車が意外と多かったです。


この車がなんだってゆうとですね、右ハンドルなんです。

おれが知ってる限りで車が左通行なのは英国と日本。

ロシアも当然ながら右通行なので左ハンドルが当たり前のはずです。

おそらくこれらは日本からの中古車なんじゃないのかなと推測しています。


風景もあんま変わんないです。

雪原が広がり、細い白樺なんかがでーっと続いてて。

たまにスパイス的にロシアな村が見えたりするんですがね。




ただ一個だけ楽しみにしてたのが世界遺産でもあるバイカル湖の風景。

バイカル湖は世界で最も水深があり、世界で最も透明度が高いことでも有名です。

まぁ当然ながらおれが見たバイカル湖は氷結しきっていました。



これはこれで圧巻ですね。

ジープが走ってたり氷もかなり分厚いみたいですし、モスクワで会ったスウェーデン人によると犬ぞりで遊んだりできるそうです。

遠くから見ただけってんではちょっと寂しいんで、ある駅のホームでおばちゃんからバイカル湖産の魚を干して何かに漬けたヤツを買って食いました。



しょっぱい…。


そうそう、食い物はほとんど食堂車で食いました。

おれはキヨスクで適当なもん買って食ってもよかったんですが、リチャードに誘われて通いました。

ぶっちゃけ量少ないのにお値段が日本並みの高さとゆうことで多分客はおれらぐらいしかいませんでした。

その分食堂車のコックもウェイターも言葉わかんないながら親切にしてくれました。

ロシアンな食べ物だと独特の酸味がある黒パンとか


ボルシチとか


ビーフストロガノフとか




シベリアって言えば寒いことで有名ですよね。

もちろんもっと寒いとこはあったんですが、温度計があるところで一番寒かったのはズィマ駅、-28℃。



リチャードのヒゲも凍り付きました笑



シベリア鉄道のガイドブック、日本語でも英語でもそうですが、同乗するロシア人と親しくなっていろいろ振る舞ってもらえるとか書いてあるじゃないですか。

おれらはオフシーズン過ぎで人が少なく、コンパートメントも完全に外人枠。

とゆうわけでロシア人とは食堂車の人や車掌さん以外と絡みがほとんどなかったんですが。

やたら懐いて隣の部屋からちょくちょく遊びに来てたのがコイスチャとゆう男の子。


お陰で車をロシア語でマシーナとゆうんだと学びましたね。

ってかなぜか子供とイヌにはどこ行っても好かれるんですねおれ、なんか臭うのかな。



まぁそんな食っちゃ寝、子供と遊んで本読んで、たまに駅で寒さを体感して。

そんな六日間でした。

物凄く長かったけど、あっとゆう間といえばそうでもある。

不思議な時間の流れを経験できました。

まぁもう一回乗りたいかと言えばイヤですが笑


次回はモスクワに着いてからの旅日記です。

北京

2011-02-05 05:59:43 | 東亜旅行
ただいまウクライナの首都キエフにてのんびりしています。

明日はAK-47などを射つツアー、武器に慣れとこうと思って。

米国では誘われてピストルとクレイ射撃をちょこちょこやったくらいなので。

それと明後日はチェルノブイリツアー。

もうキエフにはこれのために来たと言っても過言ではないっすから。


さて、旅日記はまだチャイナでしたね。

長春から夜行列車に乗り北京に着いたのは昼頃。

とりあえず前もって調べてメモっておいたホステルを探します。

「さてタクシーでも捕まえるか」と思っていたらそのホステル、なんと駅の目の前にありました。

二日続けての夜行列車に極寒の長春でのムリがたたってカゼ気味、下痢、左足痛むの三重苦を背負っていたのでその日はゆっくり休むことにしました。

メシは駅前のファストフードで済ませました。

吉野家も近距離に二軒ありましたし。

翌日も良くなる気配がないのでyoukuで日本のドラマを観て過ごしました。


さて三日目、リハビリも兼ねて軽く観光することに。

まずは宿から2kmくらいの天安門です。



「うおっ、これか」的な感動はありましたね。

あと未だに飾られてる毛沢東の肖像。

そういえば人民元の紙幣はどれも毛沢東ですから。

シベリア鉄道でコンパートメントが同じだったリチャード君によると、チャイニーズの毛沢東への敬意が薄れてきたために取られた手だとゆうことです。


中に入るとそこは紫禁城です。

明からチャイナが近代国民国家になるまでの間王宮として使われていた場所です。

入ってすぐのところではショー的に練兵が行われていました。



ラストエンペラーの愛新覚羅傅儀の即位式が行われたのもここです。太和殿広場。


ちなみにこの紫禁城はお金を払えばオーディオガイドが付きます。

歴史に興味がある人はこれを借りる価値はあります。

ちょっと発音とか不自然ながら日本語のもありますので。


奥に進んで他にもいろんな建物や二本の木をくっつけて「人」型にしたものなど見ました。


まだ全快してないのでその日はそれでお終い。

帰りにインターナショナルホテルに寄ってシベリア鉄道の切符を買い、万里の長城ツアーを予約して宿に戻ります。


北京四日目、万里の長城ツアーです。

ツアーの同行者は中華系フィリピン人の姉妹二人だけ。

この妹ってのが賑やかなおばちゃんでして、ガイドさんと四人でわいわいやりながらの観光となりました。

万里の長城だけでなく明の陵墓、翡翠工場、お茶屋なども含まれたツアーでした。








もちろんメインは万里の長城。

これも「うおっ、これか」的感動。

ただ思ったよりも細い感じ。



それで一時間くらいもらったので、おばちゃん達は下に待たせて一人で長城を登ります。

そう、登るんですね、登山って感じです。



時間に間に合うよう適当なところで折り返し。


それで最後の茶屋なんですが。

ここでフィリピン人姉妹が大量に買い込んだんですが交渉がめちゃくちゃうまい。

「これも買うからこれただにしろ」
「こりゃ高いな、んじゃ買わん」

だのなんだの仰って相当な値引きをさせます。

「チャイニーズの血をひいてんだから考えてることわかんのよ!」みたいなことも言ってましたね。

店員も総出になってちょっとした騒動でした。



中華系のおばちゃんパワーに感服です。


その日宿に戻ると発熱。

水分を大量にとってから汗かきまくりで寝ました。

お陰で次の日はだいぶすっきりしていました。

今日はシベリア鉄道でチャイナをあとにする日です。

出発時間は夜なので、切符を買いツアーを予約したインターナショナルホテルのカフェでゆったりネットをして過ごします。

そして北京駅へ。



いよいよシベリア鉄道六日間の旅が始まります。

長春

2011-01-29 00:50:54 | 東亜旅行
またまたご無沙汰をしております。

本人はただいまリトアニアにおりまして、今夜ワルシャワへ旅立つ感じです。

そうゆうわけで旅行記も相当遅れが出ておりますが。

気ままに更新していくので今後とも覗いていただければと思います。


さて、大連と旅順でまぁそれなりに楽しい時間を過ごしてから夜行列車で満州国の首都新京だった長春へと向かいます。

初めての夜行列車だったんですが、足を伸ばせて寝れる点で夜行バスより全然ラクです。

そして着いたのは夜が明ける前、六時くらいだったでしょうか。

大きい商業用の冷凍庫に付いてるビニールのびらびらあるじゃないすか。

あれがかかった駅の出口を出ると極寒。

多分-20℃を下回ってたかと思います。


とりあえず日が出るまでKFCにてお粥をすすりながらのんびりします。

それから観光。

と言っても特に見たいものがあったわけではなく、ただ足を伸ばしてみたい、機会があれば日本の足跡に触れてみたいとゆう感じだったので。

とりあえず寒い中ひたすら歩き回りました。


そしてまず見つけたのが旧関東軍司令部。


大陸にこんな和風な建物があって場違いな感じがなかなかいいです。

今は共産党の委員会かなんかの建物となっております。


そして次が旧国務院。


今は大学の医学部の建物のようです。

ホントは中に歴史的な展示もあるらしんですが、ちょっとビビってめんどくて入れず。



観光自体はこれで終了です。

実際相当迷いましたし、地図がなかったので。

なので皇帝の宮殿だった施設にも足を伸ばせず。

ホントはタクシー拾えばよかったんだけど、めんどくさいとゆういつもの悪癖が。


とりあえず昼飯は、歩き方に載ってて気になっていた北朝鮮料理屋でとることに。

ピアノの生演奏もあったり、結構キレイめなお店です。

基本的に韓国料理と変わりませんが、おもしろかったのがこれ、イヌの脳味噌。


味的にはボソボソしてないゆでたまごの黄身って感じです。



メシを食ったら速攻で駅に戻り、近くのデパートの食堂みたいなとこで時間を潰すことに。

寒い中歩き回ったせいか、左足の甲が痛むし、風邪気味です。

デパートのテレビではひたすらK-popの動画が流れてました。

少女時代を待ったんですが出てきませんでした。


夜はダメージを負った体を引きずり二日連続の夜行列車で北京を目指します。

大連&旅順

2011-01-15 19:34:25 | 東亜旅行
前回の決意にも関わらず更新できませんでした、お許しあれ笑

しかも今回の旅日記はミクシーの焼き直しなので、マイミクの方にはおもしろくないと思います。


旅は朝五時くらいに起き最寄り駅に着いてから始まりました。

成田からインチョンでの乗り換えを経て中国の大連です。

大連空港に着いてから、まずは両替です。

レートは0.074で、1元は13.5円くらいと見積もって間違いはないかと。

ちなみに物価の実感としてましては、日用品は日本の半分くらいかなって感じです。水とタクシーは安い。

そいで空港内で観光情報センターみたいのを探します。

一応あるにはあったんですが、もらった地図にも大した情報は載っておらず。

とりあえず街に繰り出そうと空港を出てタクシーの運ちゃんと交渉です。

「大連駅周辺まででいくらか」と聞くと100元と。

絶対ふっかけたろとゆうことで50元で一回押してみます。

ただ正直相場もわからず心細いのもあって80元でディール。

宿もあらかじめネットで調べておいたところを指定すると「外人はダメだ!」みたいな感じなんで、まぁめんどくさいし彼が連れてった万港酒店って宿に泊まることに。

でも旅の予定を聞いてきて長春に電車で行くと知ってから、並ばなくてすむように小さな駅まで行って切符を買うのを手伝ってくれたりいい運ちゃんです。

「タバコ?オメコ?ビール?」と聞いてきたんですがたかられそうなので全部noと答えときました。

翌日は旅順観光と決めていたんですが、運ちゃんが「400元で一日チャーター、旅順行こう」みたいに提案してくれたのでこれもディール。

さて、運ちゃんを去らせてから街を軽く散策することに。

大連の駅周辺など中心街は広場を中心に大きい道が放射線状に広がっています。

これが意外と方向感覚を失って歩きにくかったり。

とは言っても歩き甲斐のある街ではあります。

ちょっと裏路地入るといい感じの日本風居酒屋とか韓国風のお店もあるし。

あと個人的に気になったのは「ベイアグテ」とか間違ってる単語を掲げた性保健用品(sex用品店)がたくさんあったこと。

それからマッサージ店もやたら多いです。

ある地域に迷い込んだんですが、そこら辺のマッサージ店はほとんど確実にmore than massage店でしたね、入りませんでしたが。

日本の足跡ってところでは旧ヤマトホテルがありました。



二日目は旅順の観光。

昨日の運ちゃんが八時半に迎えに来てくれたのでそれに乗って向かいます。

車で三十分くらいですかね、旅順口と呼ばれるエリアに着きます。

旅順が何で有名かと言えば日露戦争の激戦の舞台になったことですよね。

まずは要塞跡へ行き、そこで掩蔽壕や兵舎跡などを見ました。





朝早かったのもあって観光客はおれ意外には日本人の団体10人ほどしかいませんでした。

次に203高地へ。


ここは旅順港内のロシア軍艦を砲撃するために日本陸軍が一万人を犠牲にして攻めとった場所です。

ここから旅順港を見てみましたが曇っててなのか空気が汚くてなのかうっすらとしか見えませんでした。


そういえば飛行機から大連を見たときもあまりの空気の汚さにびっくりしました。

発展途上国の大都市ってばどこもそんなもんですがね。

ちなみに203高地ではロシア人の男ども四人くらいと被りました。

あんま気まずくはなかったです。

次に旅順口がよく見える山に連れて行ってもらいました。

ここから眺めると旅順港が当時戦術的にいかに価値ある場所だったかがわかります。


ボトルネックな旅順の出入り口を砲台で固めてしまえば軍港、海軍基地としては完璧な場所だったんだなと実感しました。


まぁ今は港の外からハープーンでもなんでも撃ち込めるんでしょうが。

ここの観光センターでは86歳になる韓さんとゆうおじいさんが写真を見せながら簡単に日露戦争の解説をしてくれました。

韓さんは日本統治時代の大連を経験しているので個人的にはもっといろんな話を聞きたかったんですが他のお客さんが来てしまったので断念。

それからはよくわからんワニショーや虎園を見て




んでモーターボートで旅順港を外から見るってクルーズをしました。


少し広瀬中佐の気持ちがわかったような気がしました。

そしてその日は宿に戻り、疲れてもいたので外には出ずに本を読んでお終い。


三日目は十時くらいまでぐっすり寝て、もっと大連を知ろうと宿を出て歩くことに。

駅まで行って大きい荷物を預けてから散策します。

とりあえず旧満鉄を探したんですが、正直今は軍の施設かなんかみたいになっていて入りづらい感じで外から写真とってお終い。


あとは夕方に夜景で有名な貿易センタービルみたいなとこの展望台へ。

ところが工事中なのか55階まで昇るとまるで廃ビルな感じで怖い。

買ったばかりのヘッドライトを装着してとりあえず日が完全に沈むのを待ちました。

残念なことにオフシーズンなのか日曜だからなのか、夜景は全然大したことありませんでした。


あんな怖い思いしたのに…。


夜に初めてローカルな店に単身乗り込みました。

ずっとめんどくさくってマックとかケンタッキーみたいなとこで済ませてたんすよね~。

牛肉餃子(12元)を頼んだらこんな大量に出てきました。


味は普通。

それから駅に向かい、長春への夜行列車を待つことに。

ちなみに大連ではネカフェを全然見っけられず。

とりあえず家族がうるさく心配してたのでアップルストアでミクシーにボイス残しておきました。

ちなみに夜行バスしか知らなかったおれには夜行列車は超快適。

足を伸ばせるし広いし、ゴトゴト揺られて気持ちよく寝れました。

六時くらいに起きるとそこはまだ夜空けやらぬ街全体が冷凍庫みたいな、旧満州国の首都新京だった長春です。