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☆ ヴォーリズ建築『旧水口図書館』

2012-10-15 07:43:54 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」  その278<o:p></o:p>

 

☆ ヴォーリズ建築『旧水口図書館』<o:p></o:p>

 

1905年(明治38年)、若き青年ウィリアム・メイル・ヴォ<o:p></o:p>

 

ーリズ(当時24)が、はるばる海を渡って、アメリカから日本<o:p></o:p>

 

にやって来た。彼は、キリスト教の伝道に熱意を燃やし、滋賀県<o:p></o:p>

 

近江八幡市に英語講師として居を構えた。ところが、当時、布教<o:p></o:p>

 

に反発する人も多く、その志も2年で挫折してしまいます。<o:p></o:p>

 

志を断念した彼であったが、本国アメリカに帰国せず、若いこ<o:p></o:p>

 

ろからの夢であった建築家に目覚め、来日3年目に、建築設計事<o:p></o:p>

 

務所を開設する。そして、彼は、キリスト教の伝道を生かした教<o:p></o:p>

 

会や礼拝堂を始め、病院や図書館、学校の校舎から個人の家まで、<o:p></o:p>

 

全国各地で数多くの建築設計を手掛けている。<o:p></o:p>

 

そして、38歳の時に、子爵令嬢の一柳満喜子さんと結婚し、<o:p></o:p>

 

一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った。その後、太平洋<o:p></o:p>

 

戦争が勃発し、多くの外国人が日本を離れる中、日本に帰化し、<o:p></o:p>

 

日本に留まり続けた。そして、1964年(昭和39年)に亡く<o:p></o:p>

 

なるまで、日本に滞在した。<o:p></o:p>

 

彼の設計した建物は、派手さはなくてシンプルで、実用的であ<o:p></o:p>

 

っても温かく、人の心に長く残るデザインになっている。その彼<o:p></o:p>

 

が設計した建物が、意外と身近な場所に点在していることを知り、<o:p></o:p>

 

早速、出掛けてみた。<o:p></o:p>

 

 まずは、甲賀市水口町の水口小学校の校門前にある『旧水口図<o:p></o:p>

 

書館』である。水口図書館が建てられた当初『宿場町の古い町並<o:p></o:p>

 

みに突如現れたモダンな建物は、当時の人々をあっと言わせ、知<o:p></o:p>

 

の館として、またランドマークとして多くの人々に親しまれた』<o:p></o:p>

 

正面のプレートに書いてあった。そして、2階建ての建造物の<o:p></o:p>

 

塔屋の上部にはランタンが設置され、また、玄関の両脇には円柱<o:p></o:p>

 

を配し、玄関の上の壁に、書物と燭台などを半円アーチ状の中に<o:p></o:p>

 

レリーフで施し、図書館らしさを現している。これは、ヴォーリ<o:p></o:p>

 

ズ最盛期の代表作で、ヴォーリズらしい建物と言われる。長く図<o:p></o:p>

 

書館として使用された後、現在も、水口小学校の一部として活用<o:p></o:p>

 

され、毎月第2、第4日曜日に一般に開放されている。
次回は、ヴォーリズ建築『旧豊郷小学校』です。<o:p></o:p>

 

                   たかし  でした。

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Photo

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☆ 『ぶつからない自動車』は誰の為か?

2012-10-12 07:21:55 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」  その277<o:p></o:p>

 

☆ 『ぶつからない自動車』は誰の為か?<o:p></o:p>

 

自動車が、前方に人や自動車などの何かを感知すると、運転者<o:p></o:p>

 

の意思に関係なく、自動的に急ブレーキが掛かり、感知したもの<o:p></o:p>

 

の直前で自動車が停止するCMが、テレビ画面で流されている。<o:p></o:p>

 

一昔前では、まず、自動車の衝突実験がTV画面で流されて、<o:p></o:p>

 

シートベルトをしていない人形が、衝突のショックでフロントガ<o:p></o:p>

 

ラスを突き破って前に飛び出している。そして、2回目の実験で<o:p></o:p>

 

は、シートベルトをした人形が、衝突のショックはあったものの<o:p></o:p>

 

前には飛び出していなく、そして、大きな怪我もなく、と言うこ<o:p></o:p>

 

とは、命にも別状がない。これは、シートベルトをすることによ<o:p></o:p>

 

って、運転者の安全性を訴えたCMであった。<o:p></o:p>

 

 それが、今回の『ぶつからない自動車』の背景にあるのは、無<o:p></o:p>

 

くならない・減らない交通事故にあって、これまでにも反則金の<o:p></o:p>

 

増額や罰則の強化などで、交通事故の解消に知恵を巡らしてきた。<o:p></o:p>

 

ところが、一向に抑止力には結びつかずに経過してきた。そんな<o:p></o:p>

 

中、それを解消する手段の一つとして『ぶつからない自動車』が<o:p></o:p>

 

開発された。<o:p></o:p>

 

それは、1社の自動車メーカーのCMから始まったが、他の自<o:p></o:p>

 

動車メーカー各社も負けてなるものかと、競って『ぶつからない<o:p></o:p>

 

自動車』の開発を取り組み、現在、各社、様々な表現によって、<o:p></o:p>

 

安全性を訴えかけている。これによって、運転者に余裕が生まれ、<o:p></o:p>

 

安全運転に結びついたことも事実である。<o:p></o:p>

 

そして、一昔前の衝突実験では、シートベルトの着用によって、<o:p></o:p>

 

運転者や搭乗者の人命を守り、今回の『ぶつからない自動車』の<o:p></o:p>

 

開発によって運転者のみならず、前方の自動車の搭乗者や歩行者<o:p></o:p>

 

などの弱者を守ることになると、大いに期待されている。<o:p></o:p>

 

しかし、脇見運転や居眠り運転程度なら効果も期待できるが、<o:p></o:p>

 

無免許運転や無謀運転に加え、飲酒運転などの運転者の道徳・倫<o:p></o:p>

 

理に反する事故については、大きな効果が期待できないと思われ<o:p></o:p>

 

ることから、課題も残されている。だが、これもまだまだ絶対的<o:p></o:p>

 

なものではないが、これによって、歩行者・運転者の安全と交通<o:p></o:p>

 

事故の減少に、一歩近づいたことは間違いない。<o:p></o:p>

 

                   たかし  でした。

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☆ 金子哲雄氏が死去された

2012-10-09 07:46:27 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」  その276<o:p></o:p>

 

☆ 金子哲雄氏が死去された<o:p></o:p>

 

10月2日、通ジャーナリストの金子哲雄氏が、41歳の若<o:p></o:p>

 

さで亡くなられた。病名は、肺カルチノイドである。ここまでな<o:p></o:p>

 

ら普通の訃報である。そこで、簡単に紹介すると、彼は、徹底的<o:p></o:p>

 

な現場主義で、自分の目で確かめるから情報に説得力があり、だ<o:p></o:p>

 

から、直ぐにでも、その場に行って確かめたい衝動に駆られる。<o:p></o:p>

 

なおかつ、彼独特の語り口で話し掛け、聞いている人に親しみを<o:p></o:p>

 

与え、いつしか人を惹きつけ、ファンにしている。その他の凄い<o:p></o:p>

 

ところは、マスコミで紹介されている通りである。<o:p></o:p>

 

その凄さを少し紹介すると、彼は生前に、自分の通夜や葬儀・<o:p></o:p>

 

告別式の段取り、そして、墓の準備、それに、参列者に出す料理<o:p></o:p>

 

まで、誰にも知られずに、用意周到に準備している。極め付けは、<o:p></o:p>

 

参列者に、彼が用意していた手書きの手紙が配られた。<o:p></o:p>

 

その手紙の一節に<o:p></o:p>

 

「このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわ<o:p></o:p>

 

り、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期<o:p></o:p>

 

リタイア制度を利用させていただいたことに……後略」<o:p></o:p>

 

と、何とも彼らしい言葉を選んだ挨拶文で、死んだ時まで皆の心<o:p></o:p>

 

に気を遣って和まそうとしている。<o:p></o:p>

 

 その彼が病名と病状を知ったのは、1年半ほど前である。その<o:p></o:p>

 

後も自分の胸の中だけに収め、周囲の誰にも病状を知られること<o:p></o:p>

 

なく、激やせもダイエットと答え、周囲に余計な心配を掛けない<o:p></o:p>

 

気遣いをしている。だから、彼の訃報を聞いた時、誰もが唖然と<o:p></o:p>

 

した表情をしている。<o:p></o:p>

 

 ところが、医師から自分の余命の宣告を『受けますか、または、<o:p></o:p>

 

受けませんか』と問われれば、95%の人が『受けるのは嫌だ』<o:p></o:p>

 

と答えている。そんな中、彼は余命宣告を受け入れ、それを、自<o:p></o:p>

 

分の胸の中に秘め、彼の描いたシナリオ通りに運んで、人生の最<o:p></o:p>

 

後を迎えている。彼は、自分の現状を吐露したい衝動に何度も襲<o:p></o:p>

 

われたと思われるが、逆に、周囲の誰にも気付かれずにいること<o:p></o:p>

 

を、一人ほくそ笑んでいたと思われる。この格好よさに『あっぱ<o:p></o:p>

 

れ』の言葉を贈ると共に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。<o:p></o:p>

                    たかし  でした。 

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☆ 倒れて学んだこと

2012-10-06 08:41:17 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」  その275<o:p></o:p>

 

☆ 倒れて学んだこと<o:p></o:p>

 

鍼の先生は、連日『怪我の功名』と言う。そこで『何が怪我の<o:p></o:p>

 

功名ですか?』と聞いてみると<o:p></o:p>

 

「今日も、真っ直ぐ立っています。だから、どこも修正せずに済<o:p></o:p>

 

みます。倒れる前は、障害が残っている右側をかばって、どうし<o:p></o:p>

 

ても『く』の字に体が曲がっていたのに、今日は左が痛いのか、<o:p></o:p>

 

無意識に左をかばっていて、真っ直ぐに立っています。これは、<o:p></o:p>

 

『怪我の功名』ですね」<o:p></o:p>

 

と言う。でも、本人は、ただ立つことに集中しているだけで、真<o:p></o:p>

 

っ直ぐに立っている自覚がないと言うか、何も考えていない。こ<o:p></o:p>

 

の時に、少しでも他のことを考えると、立つことが疎かになって、<o:p></o:p>

 

また倒れるなど、どうなるか分からない。でも、今回の事故は、<o:p></o:p>

 

真っ直ぐに立つ良い結果を生んだ。だから、このまま真っ直ぐに<o:p></o:p>

 

立てるようになれば、結果オーライである。なにが良い結果に結<o:p></o:p>

 

びつくか分からない。やっぱり『怪我の功名』であった。<o:p></o:p>

 

今回、倒れたことで学んだことは、倒れるのを防ごうと腹筋に<o:p></o:p>

 

力を入れたことで、腹部の深い筋肉に力が入り、打った自覚がな<o:p></o:p>

 

いのに打撲のような痛みが出ることや、腹筋に力が入ったことで<o:p></o:p>

 

便秘になることを思い知らされた。それにも増して、杖を突いて<o:p></o:p>

 

歩いている時には、まだ一つのことしかできない現実である。<o:p></o:p>

 

それは、話し掛けられて、それに返事をしようと考えていると、<o:p></o:p>

 

返事に気を取られて、脳から足に指令がいかずに、歩くことが疎<o:p></o:p>

 

かになり、遂には、足が前に出ずに、バランスを崩して倒れる。<o:p></o:p>

 

でも、この痛さを良い薬として、これからも気を抜かずに、一歩<o:p></o:p>

 

一歩確実に歩くことを自覚させられた。<o:p></o:p>

 

この時、京都の歴史に造詣が深いので、勝手に京都歴史学教授<o:p></o:p>

 

と呼んでいる知人の言葉を思い出した<o:p></o:p>

 

「どんな条件のところからでも這い上がり、藁をも掴み、糞をも<o:p></o:p>

 

掴み、掴めるものはなんでも掴んで、とりあえず生還する心意気、<o:p></o:p>

 

近辺で見ているようで爽快でした」<o:p></o:p>

 

とあった。今回も倒れたことを良い薬として、ただでは起き上が<o:p></o:p>

 

らない気質が出たようである。 <o:p></o:p>

 

                   たかし  でした。

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☆ 倒れたのは『怪我の功名』

2012-10-03 08:34:10 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」  その274<o:p></o:p>

 

☆ 倒れたのは『怪我の功名』<o:p></o:p>

 

倒れたことで、打撲の痛みだけでなく、便秘に繋がると言う新<o:p></o:p>

 

たな問題が出た。打撲だけなら『日にち薬』なので時間が立てば<o:p></o:p>

 

解決するが、便秘は、時間が経っても解決しないどころか、その<o:p></o:p>

 

ままにしておけば悪くなる一方である。だから、薬を使わず、便<o:p></o:p>

 

が出ると言うことは、どんな方法であっても、例えば、大腸と同<o:p></o:p>

 

じ時計回りに、ひらがなの『の』の字を描くようにお腹をさする<o:p></o:p>

 

などの様々なアドバイスを取り入れ、どんなに時間が係っても、<o:p></o:p>

 

ナリフリ構わず、実行あるのみである。<o:p></o:p>

 

 ところが、倒れて20日ほど経っても、左腰の痛みが取れず、<o:p></o:p>

 

2週間と言われた『日にち薬』が一向に現れずにいた頃、鍼の先<o:p></o:p>

 

生から意外な言葉が出てきた。それは、倒れてから特別メニュー<o:p></o:p>

 

の鍼治療に変わり、左腰に痛みが出ないように気を配りながら、<o:p></o:p>

 

鍼治療が進められてきた。そして、いつも最後に、ベッドの端に<o:p></o:p>

 

座らされた。しかし、寝ている状態から起き上がって、ベッドの<o:p></o:p>

 

端に座る時、左腰から左脇腹に激痛が走る。この時の痛さと言っ<o:p></o:p>

 

たら、しばらく息が出来ないほど痛い。その痛さも時間が経つに<o:p></o:p>

 

つれ、次第に治まってきて、鍼治療が終わる。<o:p></o:p>

 

だが、この日はベッドに沿って設けてある手すりを掴んで立ち<o:p></o:p>

 

あがるように言われた。鍼の先生は、まだ左腰が痛いのを知って<o:p></o:p>

 

いる筈である。それなのにと思える言葉である。でも、いつもベ<o:p></o:p>

 

ッドから車イスに乗り換える時に立っているので、手すりを掴ん<o:p></o:p>

 

で立ってみると、思っていたよりもスムーズに立てる。しかし、<o:p></o:p>

 

この時、意外な言葉が飛び出してきた<o:p></o:p>

 

「あれ、真っ直ぐですね。今日は何も修正せずに済みます。これ<o:p></o:p>

 

は『怪我の功名』ですね」<o:p></o:p>

 

「これも『怪我の功名』ですか?」<o:p></o:p>

 

と言って、あまり気に掛けないでいると、翌日も同じ言葉が出て<o:p></o:p>

 

きたので<o:p></o:p>

 

「それって、どういう意味ですか?」<o:p></o:p>

 

と聞いてみると<o:p></o:p>

 

この続きは、次回のブログで……。<o:p></o:p>

 

                  たかし  でした。

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