「ぶらり車イス紀行」 その278<o:p></o:p>
☆ ヴォーリズ建築『旧水口図書館』<o:p></o:p>
1905年(明治38年)、若き青年ウィリアム・メイル・ヴォ<o:p></o:p>
ーリズ(当時24)が、はるばる海を渡って、アメリカから日本<o:p></o:p>
にやって来た。彼は、キリスト教の伝道に熱意を燃やし、滋賀県<o:p></o:p>
近江八幡市に英語講師として居を構えた。ところが、当時、布教<o:p></o:p>
に反発する人も多く、その志も2年で挫折してしまいます。<o:p></o:p>
志を断念した彼であったが、本国アメリカに帰国せず、若いこ<o:p></o:p>
ろからの夢であった建築家に目覚め、来日3年目に、建築設計事<o:p></o:p>
務所を開設する。そして、彼は、キリスト教の伝道を生かした教<o:p></o:p>
会や礼拝堂を始め、病院や図書館、学校の校舎から個人の家まで、<o:p></o:p>
全国各地で数多くの建築設計を手掛けている。<o:p></o:p>
そして、38歳の時に、子爵令嬢の一柳満喜子さんと結婚し、<o:p></o:p>
一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った。その後、太平洋<o:p></o:p>
戦争が勃発し、多くの外国人が日本を離れる中、日本に帰化し、<o:p></o:p>
日本に留まり続けた。そして、1964年(昭和39年)に亡く<o:p></o:p>
なるまで、日本に滞在した。<o:p></o:p>
彼の設計した建物は、派手さはなくてシンプルで、実用的であ<o:p></o:p>
っても温かく、人の心に長く残るデザインになっている。その彼<o:p></o:p>
が設計した建物が、意外と身近な場所に点在していることを知り、<o:p></o:p>
早速、出掛けてみた。<o:p></o:p>
まずは、甲賀市水口町の水口小学校の校門前にある『旧水口図<o:p></o:p>
書館』である。水口図書館が建てられた当初『宿場町の古い町並<o:p></o:p>
みに突如現れたモダンな建物は、当時の人々をあっと言わせ、知<o:p></o:p>
の館として、またランドマークとして多くの人々に親しまれた』<o:p></o:p>
と正面のプレートに書いてあった。そして、2階建ての建造物の<o:p></o:p>
塔屋の上部にはランタンが設置され、また、玄関の両脇には円柱<o:p></o:p>
を配し、玄関の上の壁に、書物と燭台などを半円アーチ状の中に<o:p></o:p>
レリーフで施し、図書館らしさを現している。これは、ヴォーリ<o:p></o:p>
ズ最盛期の代表作で、ヴォーリズらしい建物と言われる。長く図<o:p></o:p>
書館として使用された後、現在も、水口小学校の一部として活用<o:p></o:p>
され、毎月第2、第4日曜日に一般に開放されている。
次回は、ヴォーリズ建築『旧豊郷小学校』です。<o:p></o:p>
たかし でした。
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