「ぶらり車イス紀行」 その281<o:p></o:p>
☆ ヴォーリズ建築『旧豊郷小学校』③<o:p></o:p>
1937年(昭和12年)に、旧豊郷小学校の校舎が、当時の<o:p></o:p>
『東洋一の小学校』とまで謳われ、この町に誕生した背景に、豊<o:p></o:p>
郷町の人々の教育に対する並々ならぬ熱意と厚意があった。その<o:p></o:p>
歴史をたどると様々な人間模様が見えてきた。<o:p></o:p>
それは、旧々豊郷小学校の校舎が老朽化するのに伴い、建て替<o:p></o:p>
えの話が持ち上がった時、古川鉄治郎は『国の発展は国民の教育<o:p></o:p>
の振興にある』との考えから、母校の移転新築を提案する。
母校の移転新築の建設には、43万円の費用が必要と見込まれ、<o:p></o:p>
当時の豊郷村の年間予算の10倍以上になる。それを、小学校の<o:p></o:p>
敷地約1万2千坪の取得費用から校舎建設費用と、図書館・体育<o:p></o:p>
館・講堂・プールなど、当時、考えられる最新設備を備え、その<o:p></o:p>
他、学校に必要な備品などすべてを用意したため、最終的に総額<o:p></o:p>
で約60万円に上ったと言う。(これを現在の価値に換算すると、<o:p></o:p>
30億円とも40億円とも言われる)これらのすべてを、寄付に<o:p></o:p>
よって賄うことに決められたが、結局は、その内の3分の2が、<o:p></o:p>
古川鉄冶郎氏の私財であったと言われる。<o:p></o:p>
古川鉄冶郎氏は、豊郷村の出身で、明治22年に豊郷小学校の<o:p></o:p>
前身・至熟尋常小学校を卒業後、叔父が経営する伊藤忠兵衛商店<o:p></o:p>
(現在の伊藤忠商事株式会社)に丁稚奉公で入り、近江商人の『<o:p></o:p>
さんよし』(=売り手よし・買い手よし・世間よし)を実践して、<o:p></o:p>
全国を行商、次第に頭角を現し、伊藤忠商事㈱ならびに前身の丸<o:p></o:p>
紅㈱の専務として活躍、そこでコツコツ蓄えた私財を、旧豊郷小<o:p></o:p>
学校の建設に、巨費を投じて大事業を完遂させた。<o:p></o:p>
旧豊郷小学校の完成の日は、近江商人の『さんよし』で培われ<o:p></o:p>
た『篤』の精神が、故郷に結実した日であった。彼の篤志に、村<o:p></o:p>
人から賛辞が延べられるたびに『貧者の一灯ですよ』(=たとえ<o:p></o:p>
わずかでも、心のこもった行為こそ尊い)と語った。<o:p></o:p>
この旧豊郷小学校の校舎は、ヴォーリズ建築の貴重な建築物と<o:p></o:p>
高く評価され“歴史の生き証人”として、いつまでも豊郷の人々<o:p></o:p>
の心に残る、そして、誇れる宝物として愛され続けるだろう。 <o:p></o:p>
次回は、ヴォーリズ建築『ヴォーリズ記念病院』です。<o:p></o:p>
たかし でした。
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