「ぶらり車イス紀行」 その512
☆ 『雨傘革命』を香港の歴史から考える ②
1839年に始まった第一次アヘン戦争は、イギリスが、清国
から中国茶を輸入し、その代金決済にアヘンを充てたことが引き
金になった。それは、次第にアヘンの恐ろしさを知った清国が、
アヘンでの代金決済を拒否します。これが原因で、イギリスと清
国の間で、第一次アヘン戦争が勃発し、清国は戦争に巻き込まれ
ていきます。しかし、イギリスが仕掛けた第一次アヘン戦争に清
国は敗れ、1842年の南京条約で、香港島は英国へ永久割譲さ
れます。さらに、1856年に第二次アヘン戦争が始まり、これ
にも敗れた清国は、1860年の北京条約で、九龍半島南部の市
街地も英国に割譲されることになります。
そして、長らくイギリスの統治下に入ってしまいますが、19
41年に太平洋戦争が始まると、日本軍が香港に上陸し、日本軍
に占領されてしまう。しかし、1945年に日本の敗戦が決まる
と、再びイギリスの統治下に入ってしまう。
そして、1889年から続いた香港島・九龍半島・新界地区の
99年間の咀嚼も1997年に終了し、イギリスから中華人民共
和国(中国)に返還された。その時、返還から50年間は、旧来
の香港の法制度を継承し「一国二制度」体制での運営が約束され
た。
ところが、2014年になって、中国共産党の意向に従う人し
か出馬できない選挙制度に変更されることになって、それまでイ
ギリスの統治下にあった香港でも、いつの間にか自由主義に感化
された民主派の学生や市民は、中国式の共産主義の選挙制度は受
け入れがたく、共産党主導の選挙制度への反発が強くなってくる。
そこで、真の普通選挙を求める学生や市民は、香港の繁華街を占
拠して、抗議デモに立ちあがった。
これに黙っていられなくなった中国共産党は、香港警察にデモ
の制圧を命じます。この時、デモ隊は、雨からも暑い日差しから
も身を守るだけでなく、デモを制圧する警察が投げつける催涙弾
からも身を守るため、雨傘を持参した。ここから『雨傘革命』と
呼ばれている。でも、話がこじれて解決の糸口が見えない。
たかし でした。