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☆ 『雨傘革命』を香港の歴史から考える ②

2014-10-17 08:45:43 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その512

 

☆ 『雨傘革命』を香港の歴史から考える ②

 

1839年に始まった第一次アヘン戦争は、イギリスが、清国

 

から中国茶を輸入し、その代金決済にアヘンを充てたことが引き

 

金になった。それは、次第にアヘンの恐ろしさを知った清国が、

 

アヘンでの代金決済を拒否します。これが原因で、イギリスと清

 

国の間で、第一次アヘン戦争が勃発し、清国は戦争に巻き込まれ

 

ていきます。しかし、イギリスが仕掛けた第一次アヘン戦争に清

 

国は敗れ、1842年の南京条約で、香港島は英国へ永久割譲さ

 

れます。さらに、1856年に第二次アヘン戦争が始まり、これ

 

にも敗れた清国は、1860年の北京条約で、九龍半島南部の市

 

街地も英国に割譲されることになります。

 

そして、長らくイギリスの統治下に入ってしまいますが、19

 

41年に太平洋戦争が始まると、日本軍が香港に上陸し、日本軍

 

に占領されてしまう。しかし、1945年に日本の敗戦が決まる

 

と、再びイギリスの統治下に入ってしまう。

 

そして、1889年から続いた香港島・九龍半島・新界地区の

 

99年間の咀嚼も1997年に終了し、イギリスから中華人民共

 

和国(中国)に返還された。その時、返還から50年間は、旧

 

の香港の法制度を継承し「一国二制度」体制での運営が約束さ

 

た。

 

ところが、2014年になって、中国共産党の意向に従う人し

 

か出馬できない選挙制度に変更されることになって、それまでイ

 

ギリスの統治下にあった香港でも、いつの間にか自由主義に感化

 

された民主派の学生や市民は、中国式の共産主義の選挙制度は受

 

け入れがたく、共産党主導の選挙制度への反発が強くなってくる。

 

そこで、真の普通選挙を求める学生や市民は、香港の繁華街を占

 

拠して、抗議デモに立ちあがった。

 

これに黙っていられなくなった中国共産党は、香港警察にデモ

 

の制圧を命じます。この時、デモ隊は、雨からも暑い日差しから

 

も身を守るだけでなく、デモを制圧する警察が投げつける催涙弾

 

からも身を守るため、雨傘を持参した。ここから『雨傘革命』と

 

呼ばれている。でも、話がこじれて解決の糸口が見えない。

 

                   たかし  でした。

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☆ 『雨傘革命』を香港の歴史から考える ①

2014-10-14 12:14:59 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その511

 

☆ 『雨傘革命』を香港の歴史から考える ①

 

香港(ホンコン)は、心地よい香りを放つ香木(こうぼく)が

 

集積され、その香りが港中に漂ったところから香港の名がついた

 

と言われる。

 

また、香木は、熱帯・亜熱帯の東南アジア地方で採取された樹

 

木の中で、薫り高い樹脂が沁み込んでいるものと言われ、香りを

 

放つ樹木全般を香木と呼びますが、通常は、伽羅(きゃら)・沈

 

香(じんこう)・白檀(びゃくだん)の3種類を指します。

 

これらの樹木を香木にするにも方法が違っていて、『白檀』は

 

樹木中心部の芯材をくりぬいて、よく乾燥させてから使う。『伽

 

羅』と『沈香』は樹木内に樹脂を蓄積させ、さらに、長い年月を

 

かけて香りを熟成させてから使う。これらの樹木は、沈丁花科の

 

樹木から採取していますが、人工的に増産することが困難である

 

ことから、自然に生育したものが殆どと言われています。

 

日本には、香道という伝統的な芸道があります。香道は、香木

 

を細かく刻んだり、粉末にして香炉で焚く。その香炉から立ち上

 

る香りを鑑賞するものである。でも、香道では、香りを『嗅ぐ』

 

とは言わずに、香りを『聞く』と表現する。だから、別名、聞香

 

(もんこう)とも言う遊びでもある。

 

人間は、昔から植物の香りを生活に取り入れ、植物の香りで心

 

身をリラックスさせ、気持ちよい生活を保つ環境を作ってきた。

 

ところが、現在では、香木が手に入りにくいこともあり、アロマ

 

オイルの世界が、香木の役目を担おうとしている。

 

話は本題に戻って、香港は、港として自然の立地に恵まれ、島

 

が風除けになって、良好な港として大いに繁栄した。ところが、

 

良好な立地が、逆に、災いをもたらし、数奇な歴史を繰り返して

 

きた。

 

 それは、イギリスの植民地政策によって、インドを征服し、清

 

国にも上陸してきた。まず、イギリスは、清国から中国茶を輸入

 

するようになり、その代金決済にインドで入手したアヘンを充て

 

ることになった。これが1839年から始まる第一次アヘン戦争

 

のキッカケとなっている。そして『雨傘革命』にも繋がっている。

 

                 たかし  でした。

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☆ 身近で見られた天体ショー

2014-10-11 09:40:00 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その510

 

 身近で見られた天体ショー

 

   『つきづきに  つきみるつきは  おおけれど

 

          つきみるつきは  このつきのつき』  

 

月があまりにも綺麗すぎるので、他の言葉が出てこずに、咄嗟

 

に月を8回詠み込んで、名月を讃えた歌として有名です。

 

今回、2014年10月8日の夜、日本全国で2011年12

 

月以来、3年ぶりに皆既月食が見られた。

 

 皆既月食の原理を簡単に言うと、太陽と地球と月が一直線に並

 

んだ時に、太陽と月の間に地球が入り月食になる。逆に、太陽と

 

地球の間に月が入ると日食になる。

 

月食の当日は、2日前の10月6日に台風18号が日本列島を

 

通り過ぎ、雲の少ない絶好の天体ショー日和(美夜)となった。

 

そして、月は、太陽の光で輝いているので、地球が太陽と月の間

 

に入ると、月は光を失って暗くなって見えなくなるものと思って

 

いた。

 

 ところが、月食が始まっても暗くならず、次第に赤みを帯びて

 

きて、皆既月食になった時には、赤く染まった丸い月が登場した。

 

しかし、月の光も最初は白い色をしていて、私たちの目に届くま

 

でに、地球の大気の中を進んできます。その時に、大気の中の分

 

子にぶつかって、次第に赤い月に見えてきます。なぜ、赤い月に

 

見えてくるかと言うと、青い光は、大気の中を進んでくる時に、

 

大気の中の分子とぶつかると、あちこちに散乱されやすい性質を

 

持っていて、大気の中を長く通過すればするほど、青い光は、私

 

たちの目に届き難くなってきます。一方で、赤い光は、大気の中

 

を通過しても散乱され難いので、私たちの目まで届くことになっ

 

て、月が赤く見えることになります。

 

 こんな素敵な天体ショーが1時間余り続き、多くの人が見るこ

 

とが出来たと思われる。ところが、今回見逃した人には、次の機

 

会を待てばいい。それも、早速、来年2015年4月4日夜9時

 

頃の見やすい時間である。だけど、約13分間と短いので、今回

 

のようにじっくり見られないのがガンである。それでも、今回の

 

ように、じっくり見たい方は、2018年1月31日夜、およそ

 

1時間17分間、皆既月食になるようである。

 

                 たかし  でした。

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☆ 木曾の御嶽さんは『ナンチャラホイ』

2014-10-08 10:02:24 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その509

 

 木曾の御嶽さんは『ナンチャラホイ』

 

木曽のナ― 中乗りさん

 

木曽の御嶽(おんたけ)さんは ナンジャホイ

 

夏でも寒い ヨイヨイヨイ

 

ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ   <木曽節>

 

 

 

木曽節は、木曽地方に伝わる民謡で、木曽の山で伐採された材

 

木を木曽川に流して運ぶ「川流し」を題材にして、木曽川や周囲

 

の山々と、そこに住む人たちの人情を歌っている。

 

ところが、歌に出てくる囃子ことばの『ナンジャホイ』は、

 

正式には『ナンチャラホイ』と言われています。その『ナンチャ

 

ラホイ』にも諸説があって、その一つとして『どうしてだろう』

 

と言う疑問と『なんとまぁ!』と言う驚きの意味が含まれている

 

と言われています。しかし、今回は、この二つが一度に起こって

 

しまった。

 

御嶽山は、ハイキング気分で気軽に登れる身近な山として人気

 

が高かったため、誰もが御嶽山が噴火するなどとは夢にも思って

 

いなかった。そのため、もう一歩の用心に抜かりがあったと思わ

 

れる。だから、登山をしていた人も無事の帰宅を待っていた人に

 

も、御嶽山の『ナンチャラホイ』の牙を見せ付けられてしまった。

 

 そうすると、このような事故が起こると、有識者と称する人が

 

テレビに出演し、あれこれとコメントしている。それを聞いてい

 

て、監視体制の不備に愕然としてしまった。

 

それを紹介すると、活火山と呼ばれるものが日本全国に110

 

火山あって、それも世界の7%を占めると言う。その内24時間

 

の監視体制を執っているのは、わずか47か所と言う。それも、

 

人が常駐して監視しているのは5か所で、あとは、東京へデータ

 

を送って、まとめて監視しているのが実態と言う。これでは、ほ

 

とんどの活火山で、噴火の予兆があっても、登山者の身を守るこ

 

となど不可能である。と言うことは、事故が起こってからでない

 

と対処が出来ないと言うことである。この体制で、世界有数の火

 

山国と自負しているとは、何ともなげかわしい話である。

 

                   たかし  でした。

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☆ 夢の超特急も50歳になった

2014-10-05 09:41:44 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その509

 

 夢の超特急も50歳になった

 

1964年10月1日、東海道新幹線が東京~新大阪間で開業

 

された。そして、その日から10日後の10月10日には、東京

 

オリンピックが開催され、オリンピックの開催と新幹線の開通で、

 

日本も経済的に世界の仲間入りを果たせたと胸を張った。

 

東海道新幹線が開業するまでは、東京~大阪間を特急に乗って

 

も6時間半掛かっていたが、新幹線の開業で4時間に短縮され、

 

日帰り出張も可能になると、経済界に大きなインパクトを与えた。

 

その一方で、サラリーマンには、過酷な勤務実態を強いられるこ

 

とになった。

 

当初は、ひかり号(停車駅は名古屋・京都の全4駅)とこだま

 

号(停車駅は新横浜・小河原・熱海・三島・静岡・浜松・豊橋・

 

名古屋・岐阜羽島・米原・京都の各駅の全13駅)の2本立てで

 

運行が開始された。現在は4駅(品川・新富士・掛川・三河安城)

 

が新設されて全17駅になっている。

 

新幹線開業後、高度経済成長の波に乗って、成長路線を邁進し

 

ていったが、観光ブームや他の路線への乗り換えや地元などの要

 

望を考慮し、やむなく、ひかり号の停車駅を増やした。ところが、

 

競合する航空路線の追い上げが鋭く、それに対抗するため、車両

 

等の改良を進め、また、のぞみ号を新設し、東京~新大阪間の所

 

要時間2時間半に成功した。

 

なんと言っても、新幹線が自慢できることは、この50年間で

 

人身死亡事故を一度も起こしていないことである。そのために、

 

新幹線と同じ速度で走行して、架線やレールなどの異常がないか、

 

月に4度(のぞみモデル3往復、こだまモデル1往復)検査走行

 

をしている。この車両は、黄色い色をしているため『ドクターイ

 

エロー』の愛称を持ている。しかし、この『ドクターイエロー』

 

の運行日や運行時間は、特に公表されていないが、何処で調べて

 

くるのか分からないが、走行時間になると、シャッターポイント

 

に撮り鉄と呼ばれるファンが、カメラを持って集まってくる。

 

 そして、2014年10月1日、東海道新幹線も開業50周年

 

を迎えた。

 

              たかし  でした。

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