「ぶらり車イス紀行」 その275<o:p></o:p>
☆ 倒れて学んだこと<o:p></o:p>
鍼の先生は、連日『怪我の功名』と言う。そこで『何が怪我の<o:p></o:p>
功名ですか?』と聞いてみると<o:p></o:p>
「今日も、真っ直ぐ立っています。だから、どこも修正せずに済<o:p></o:p>
みます。倒れる前は、障害が残っている右側をかばって、どうし<o:p></o:p>
ても『く』の字に体が曲がっていたのに、今日は左が痛いのか、<o:p></o:p>
無意識に左をかばっていて、真っ直ぐに立っています。これは、<o:p></o:p>
『怪我の功名』ですね」<o:p></o:p>
と言う。でも、本人は、ただ立つことに集中しているだけで、真<o:p></o:p>
っ直ぐに立っている自覚がないと言うか、何も考えていない。こ<o:p></o:p>
の時に、少しでも他のことを考えると、立つことが疎かになって、<o:p></o:p>
また倒れるなど、どうなるか分からない。でも、今回の事故は、<o:p></o:p>
真っ直ぐに立つ良い結果を生んだ。だから、このまま真っ直ぐに<o:p></o:p>
立てるようになれば、結果オーライである。なにが良い結果に結<o:p></o:p>
びつくか分からない。やっぱり『怪我の功名』であった。<o:p></o:p>
今回、倒れたことで学んだことは、倒れるのを防ごうと腹筋に<o:p></o:p>
力を入れたことで、腹部の深い筋肉に力が入り、打った自覚がな<o:p></o:p>
いのに打撲のような痛みが出ることや、腹筋に力が入ったことで<o:p></o:p>
便秘になることを思い知らされた。それにも増して、杖を突いて<o:p></o:p>
歩いている時には、まだ一つのことしかできない現実である。<o:p></o:p>
それは、話し掛けられて、それに返事をしようと考えていると、<o:p></o:p>
返事に気を取られて、脳から足に指令がいかずに、歩くことが疎<o:p></o:p>
かになり、遂には、足が前に出ずに、バランスを崩して倒れる。<o:p></o:p>
でも、この痛さを良い薬として、これからも気を抜かずに、一歩<o:p></o:p>
一歩確実に歩くことを自覚させられた。<o:p></o:p>
この時、京都の歴史に造詣が深いので、勝手に京都歴史学教授<o:p></o:p>
と呼んでいる知人の言葉を思い出した<o:p></o:p>
「どんな条件のところからでも這い上がり、藁をも掴み、糞をも<o:p></o:p>
掴み、掴めるものはなんでも掴んで、とりあえず生還する心意気、<o:p></o:p>
近辺で見ているようで爽快でした」<o:p></o:p>
とあった。今回も倒れたことを良い薬として、ただでは起き上が<o:p></o:p>
らない気質が出たようである。 <o:p></o:p>
たかし でした。