「ぶらり車イス紀行」 その747
☆ 勝訴『子供たちの声が届いた』
2011年3月11日午後2時46分、東北地方に地震が発生した。
その地震は、それまでに経験したことのない規模であった。そして、
後日、東日本大地震と名付けられた。
その時、石巻市立大川小学校では、校内にいた児童・教職員が校庭に
集められ、直ぐに全員の点呼が行われた。そして、全員がいることが確
認され、避難場所に移動して、全員無事に救われたとして、美談が残さ
れるところだった。
ところが、地震の影響で通信網が混乱し、教職員の情報収集がままな
らなかったのか、また、教職員自身が狼狽して、情報収集をしなかった
のか、それとも、どちらでもなかったなど、どこへ避難したら助かるの
か正確な判断できなかった。だから、50分の間、全員そのまま校庭に
止まり、大津波が到来寸前まで動かなかった。結果、動く始めるのが遅
かったため、大津波で児童74人と教職員10人計84人が亡くなった。
しかし、大津波が到来するまで、誰もが黙って待っていたわけではな
く、児童の中には、
「裏山の高台に逃げて、津波が来ても被害から逃れられる」
と訴えた。でも、この意見は取り入れられなかった。
なぜなら、昔、母親から毎朝学校に行く前に
「先生の言うこと、よく聞くのだよ」
と言われて、先生の言うこと・大人の言うことに従順であった。
しかし、宮城県や石巻市は、地震の揺れが収まったあとも児童の下
校を見合わせたのは、安全が十分確保されていなかった。裏山には
土砂崩れの危険があった。そして、市の広報車が高台へ避難するよ
う呼びかけた。と、一向に被害の責任を認めない両者に対し、津波で
犠牲にあった児童23人の遺族は、損害賠償を仙台地裁に訴えた。こ
れに対し、2016年10月26日、仙台地裁は遺族の訴えを認め、
両者に総額14億円余りの賠償を支払いを命じた。
しかし、遺族らは勝訴を喜ぶ一方、多くの子供たちが犠牲となった原
因が不明確のまま、また、津波の資料を廃棄するなど不適切な対応につ
いて責任が問われなかったことに不満も出た。
この度の司法判断は、教育現場に重い課題を突きつけることになった。
ところが、10月28日、市は仙台高裁の出した判決に、控訴する
方針を固めた。またも、結論が先送りされた。
たかし でした。
☆ 勝訴『子供たちの声が届いた』
2011年3月11日午後2時46分、東北地方に地震が発生した。
その地震は、それまでに経験したことのない規模であった。そして、
後日、東日本大地震と名付けられた。
その時、石巻市立大川小学校では、校内にいた児童・教職員が校庭に
集められ、直ぐに全員の点呼が行われた。そして、全員がいることが確
認され、避難場所に移動して、全員無事に救われたとして、美談が残さ
れるところだった。
ところが、地震の影響で通信網が混乱し、教職員の情報収集がままな
らなかったのか、また、教職員自身が狼狽して、情報収集をしなかった
のか、それとも、どちらでもなかったなど、どこへ避難したら助かるの
か正確な判断できなかった。だから、50分の間、全員そのまま校庭に
止まり、大津波が到来寸前まで動かなかった。結果、動く始めるのが遅
かったため、大津波で児童74人と教職員10人計84人が亡くなった。
しかし、大津波が到来するまで、誰もが黙って待っていたわけではな
く、児童の中には、
「裏山の高台に逃げて、津波が来ても被害から逃れられる」
と訴えた。でも、この意見は取り入れられなかった。
なぜなら、昔、母親から毎朝学校に行く前に
「先生の言うこと、よく聞くのだよ」
と言われて、先生の言うこと・大人の言うことに従順であった。
しかし、宮城県や石巻市は、地震の揺れが収まったあとも児童の下
校を見合わせたのは、安全が十分確保されていなかった。裏山には
土砂崩れの危険があった。そして、市の広報車が高台へ避難するよ
う呼びかけた。と、一向に被害の責任を認めない両者に対し、津波で
犠牲にあった児童23人の遺族は、損害賠償を仙台地裁に訴えた。こ
れに対し、2016年10月26日、仙台地裁は遺族の訴えを認め、
両者に総額14億円余りの賠償を支払いを命じた。
しかし、遺族らは勝訴を喜ぶ一方、多くの子供たちが犠牲となった原
因が不明確のまま、また、津波の資料を廃棄するなど不適切な対応につ
いて責任が問われなかったことに不満も出た。
この度の司法判断は、教育現場に重い課題を突きつけることになった。
ところが、10月28日、市は仙台高裁の出した判決に、控訴する
方針を固めた。またも、結論が先送りされた。
たかし でした。