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☆ プロボクシング階級表 ②

2014-05-31 08:04:50 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その467 

 

☆ プロボクシング階級表 ②

 

フライ級     48.988Kg超~50.802Kg

 

  (108ポンド超~112ポンド以下)

 

現WBC世界王者:八重樫東(大橋)

 

元WBA世界王者:亀田大毅(亀田)

 

王座を返上し、スーパーフライ級に転向

 

元WBC世界王者:亀田興毅(亀田)

 

元WBC世界王者:内藤大助(宮田)

 

元WBA世界王者:坂田健史(協栄)

 

元WBC世界王者:勇利アルバチャコフ(協栄)

 

元WBA世界王者:花形進(横浜協栄)

 

元WBA世界王者:大場政夫(帝拳)

 

元WBA世界王者:海老原博幸(協栄)

 

元WBA世界王者:ファイティング原田(笹崎)

 

元WBA世界王者:白井義男(無所属)

 

スーパーフライ級  50.802Kg超~52.163Kg

 

 (112ポンド超~115ポンド以下)

 

現WBA世界王者:河野公平(ワタナベ)

 

元IBF世界王者:亀田大毅(亀田)

 

元WBA世界王者:河野公平(ワタナベ)

 

元WBC世界王者:佐藤洋太(協栄)

 

元WBA世界王者:清水智信(金子)

 

元WBA世界王者:名城信男(六島)

 

元WBC世界王者:徳山昌守(金沢)

 

元WBA世界王者:セレス小林(国際)

 

元WBA世界王者:戸高秀樹(緑ジム)

 

元WBA世界王者:飯田覚士(緑ジム)

 

元WBA世界王者:鬼塚勝也(協栄)

 

元WBA世界王者:渡辺二郎(大阪帝拳)

 

続きは、次回のブログをお楽しみに……。

 

                たかし  でした。

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☆ プロボクシング階級表 ①

2014-05-28 09:18:24 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その466 

 

☆ プロボクシング階級表 ①

 

プロボクシングの魅力は、厳格な体重検査により、確実に同

 

等レベル(体重の重さ)の相手と対戦できることにある。

 

これは、プロレスや大相撲のように、戦う前から体格や体重

 

によって優劣に差がついておらず、常に、この厳密な平等主義

 

が、誰もが一度は挑戦してみようという気にさせる。

 

この厳密な平等主義を貫く基準が、次の13階級の重さによ

 

って守られている。そこで、各階級名と重さ、それに、現在と

 

過去の有名日本人ボクサーを列記します。(懐かしい名前が出

 

てきます)

 

ミニマム級  47.627Kg以下=(105ポンド以下)

 

       現IBF世界王者:高山勝成(仲里)

 

元WBA世界王者:宮崎亮(井岡)

 

王座返上し、ライトフライ級に転向

 

元WBC・WBA世界王者:井岡一翔(井岡)

 

王座返上し、ライトフライ級に転向

 

元WBA世界王者:八重樫東(大橋)

 

元WBA世界王者:新井田豊(横浜光)

 

WBC世界王者:井岡弘樹(グリーンツダ)

 

元WBA世界暫定王者:高山勝成(グリーンツダ)

 

元WBCストロー級王者:大橋秀行(ヨネクラ)

 

*ミニフライ級やストロー級、ミニマム級と

 

呼ばれていたが、1999年に統一された。

 

ライトフライ級  47.627Kg超~48.988Kg 

 

(105ポンド超~108ポンド以下)

 

現WBC世界王者:井上尚弥(大橋)

 

元WBA世界王者:井岡一翔(井岡)

 

王座返上し、フライ級に転向

 

元WBA世界王者:亀田興毅(当時・協栄)

 

元WBA世界王者:山口圭司(グリーンツダ)

 

元WBA世界王者:井岡弘樹(グリーンツダ)

 

元WBA世界王者:渡嘉敷勝男(協栄)

 

元WBA世界王者:具志堅用高(協栄)

 

続きは、次回のブログをお楽しみに……。

 

                たかし  でした。

 

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☆ 村田諒太という男

2014-05-25 07:19:04 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その465 

 

☆ 村田諒太という男

 

「赤コーナーより、村田諒太選手の入場です」

 

とリングアナウンサーが声高々に呼び上げる。すると、赤コー

 

ナー奥の花道に、村田諒太選手が戦闘モードに入った神妙な顔

 

で現れる。と思いきや、村田諒太選手の顔を見ると、いくら贔

 

屓目に見ても、これからリングに上がって、ボクシングの試合

 

をする顔ではない。それなら、どんな顔かと言えば、知った顔

 

を見つけては、にやけた顔をして、手をげて挨拶をしている。

 

まるで、試合に勝った後の選手のようでもあるし、どちらかと

 

言うと、何処かへ遠足に行く子供のような嬉しそうな顔をして

 

いる。

 

 彼は、ロンドン五輪・ボクシング・ミドル級の金メダリスト

 

である。その彼もプロに転向して4戦目である。それも今まで

 

3戦は、すべてKO勝ちしている。だから、今回もKO勝ちが

 

期待されている。そんな彼なのに、余裕綽々なのか、緊張をカ

 

モフラージュしているのか、どちらか分からないが無邪気な様

 

子である。

 

ところが、そんな彼も一度ゴングが鳴れば、遠慮なく相手に

 

パンチを浴びせかける。そして、パンチを浴びせかける時にも、

 

さすが、ロンドン五輪で金メダルを獲得した筈である、相手の

 

パンチを堅くガードしている。しかし、ガードをしているとパ

 

ンチが出難いのが通例。ところが、1ラウンドからパンチを繰

 

り出している。そして、ついに6ラウンド2分35秒に右スト

 

レートで対戦相手ヘスス・ネリオ(メキシコ)をマットに沈め、

 

4試合連続KO勝利している。

 

 現在、プロボクシングには、体重別に17階級あり、彼の現

 

在のミドル級は、軽いほうから数えて13番目、重いほうから

 

数えて5番目で、もちろん体重が重い方が、パンチも重いので

 

KOの機会が高い。と言うことは、見る方は面白い。でも、現

 

在の日本人プロボクサーの世界チャンピオンは、軽量級が多い。

 

そんな中で、まだチャンピオンではないが、重いミドル級は珍

 

しい。だから、彼の今後の活躍が楽しみである。

 

                   たかし  でした。

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☆ 『遠藤』という名の力士

2014-05-22 08:19:02 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その464 

 

☆ 『遠藤』という名の力士

 

 大相撲5月場所が、東京・両国国技館で、連日白熱した勝負

 

が繰り広げられている。そして、日本相撲協会には、現在『白

 

鵬』・『日馬富士』・『鶴竜』の三人の横綱がいる。

 

ところが、平成に入って横綱空位という不遇な時代があった

 

し、21場所(3年半)も『朝青龍』の一人横綱の時代もあっ

 

た。この一人横綱の時代は、過去にもあったが、21場所とい

 

う長い期間は史上最長である。だから、現在の三人の横綱がい

 

ると言うことは、盤石と言っても過言ではない。でも、うがっ

 

た見方をすれば、皆どんぐりの背比べで、突出した力士がいな

 

かったとも言える。

 

しかし、この二、三場所の注目は、何と言っても『遠藤』で

 

ある。彼は、あまりにも昇進が速かったので、まげを結う髪の

 

毛の長さが足りずに、まげの無いオールバックという髪型の力

 

士として、土俵に上がった。そして、今場所こそは、まげが結

 

えるようにと期待されたが、まげが結えても相撲取りの命と言

 

われる大銀杏(おおいちょう)が結えるまでに至っていない。 

 

 そして、彼の本名は、遠藤聖大(えんどうしょうた)と言い、

 

四股名(しこな)もそのまま『遠藤』である。過去に、本名と

 

四股名が同じ力士も多数いて、それぞれ活躍している。だから、

 

必ず四股名に変えなければならないという定めはない。

 

その改名も、部屋ごとに決めごとがあったり、なかった

 

りと様々のようですが、どの部屋にも共通するのは、何

 

か昇進などの変化が有った時のようです。その例として、

 

横綱に昇進する時に改名した『北尾⇒双羽黒』・『保志⇒

 

北勝海』などがある。そして、最後まで本名を通した例

 

として、横綱にまでなった『輪島』や『出島』・『蔵間』・『長

 

谷川』・『板井』・『垣添』などがいる。そして、母親の旧姓を

 

四股名にした『寺尾』もいる。

 

しかし、『遠藤』は、先に紹介した三横綱がモンゴル出身

 

であり、ここしばらく日本人力士が活躍することがあまりな

 

かったので、日本の相撲界のホープとして期待されている。

 

                たかし でした。

Photo

 


☆ 『日本国憲法』も不易流行が大事

2014-05-19 06:51:51 | インポート

 

「ぶらり車イス紀行」   その463

 

☆ 『日本国憲法』も不易流行が大事

 

 安倍晋三首相は、集団的自衛権の行使容認を憲法解釈の変更

 

だけで対応できると述べた。ところが、憲法改正が持論の安倍

 

首相は、決して憲法改正を忘れたわけではなく、次は、必ず憲

 

法改正が出てくるものと予想される。それも近々である。なぜ

 

なら『日本国憲法』の改正論議が、出ては消え、出ては消えを、

 

繰り返しながら、長く燻ぶり続けてきたが、ここにきて本物に

 

なりそうな勢いである。

 

そんな中、改憲論者(憲法を変えようとする人)は、この部

 

分が不十分・分かり難い・どちらにも取れるなどと言わずに、

 

それに、この部分をこう変えると、はっきりと言わずに、ただ

 

ただ『現行の憲法は、太平洋戦争の敗戦後に、進駐軍の押し付

 

けによって作られたもの』としか言わず、それを基に、改憲を

 

訴えている。しかし、これでは改憲の必要性が分からず、何か

 

誤魔かされている気がしてならない。

 

その一方で、護憲論者(憲法改正を拒む人)も、何が反対な

 

のかが一切分からない、ただひたすら反対するだけのなんでも

 

かんでも反対派と、憲法第9条第1項の戦争の放棄にこだわる

 

大反対派との、最低でも2通りある。

 

 しかし、双方に良いところと悪いところがあって、どちらも

 

争点(言いたい部分)を明確にして、国民投票に訴えてみるこ

 

とである。その時、大きな争点になっている項目には、一つひ

 

とつ丁寧に国民の意見に耳を傾け、大きな争点になっていない

 

項目(例えば、文語体を口語体に変更するなど、改正に必要な

 

部分)には、政府、または、有識者などに任せて『日本国憲法

 

』の改正に取り組むことが必要である。

 

 その時の重要なポイントは、いつまで経っても変えられない

 

国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』の三大要素と、

 

いつまでも絶対変えられない『戦争の放棄』については残し、

 

移り変わる時代の新味を求めて変化を重ねていく流行には考慮

 

する。所謂『不易流行』こそが大事である。

 

                 たかし  でした。

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