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☆ 日本三大めぐり『藩校』

2015-01-18 09:46:35 | 日記
「ぶらり車イス紀行」   その542
☆ 日本三大めぐり『藩校』


前回のブログで紹介した長州藩 の藩校・明倫館(めいりんかん)
の他に、水戸藩(現在の茨城県水戸市)の弘道館(こうどうかん)
と、岡山藩(現在の岡山県備前市)の閑谷黌(閑谷学校=しずたに
がっこう)が、日本三大藩校(=学府:現在の県立大学・県立高校
にあたる)と呼ばれている。
萩の明倫館は、1718年(享保3年)に、長州藩6代目藩主・
毛利吉元が萩城の三の丸(敷地940坪)に創建したのが始まりと
言われる。その後、1849年(嘉永2年)の藩政改革に伴い、1
4代目藩主・毛利敬親が萩の城下(敷地15184坪)へ移転した。
それが、1863年(文久3年)に、藩庁が山口に移転したため、
萩と山口の両明倫館が並立した。萩の明倫館は、現在も萩市立明倫
小学校として存続し、敷地には、遺構が残っている。
水戸の弘道館は、1841年(天保12年)に、水戸藩9代目藩
主・徳川斉昭が水戸城の三の丸に創建した。水戸学の大家として著名
であり、幕末の尊皇志士に大きな影響を与えた藤田東湖の建学の精神
が、今も漢文で残されている。そして、学問は、武道だけでなく、
広く諸科学、諸学問が教育・研究された。また、学問は、一生行う
ものという考え方から、特に卒業の概念がなく、若者も老人も同じ
場で学んだと言われている。しかし、水戸藩の財政が豊かだったと
は言えなかったことから、当時の水戸藩の教育政策への力の入れ方
が並々なものであったと窺える。
岡山の閑谷黌は、江戸時代前期に、現在の岡山県備前市閑谷に、
岡山藩主・池田光政によって開設された。それまでは、地方の指導
者を育成するために、藩士のための藩校(岡山学校)は存在したが、
武士のみならず庶民も学べる日本最古の学校を開設した。また、広
く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができた。
建築には32年の月日を費やし、他に例をみない手間隙かけた質
とスケールを誇り330余年の歴史を誇っている。また、岡山藩は
学校領を設けて藩財政より独立させ、藩主が交替した場合でも学校
が存続できるように工夫し、学校をいかに重要視していたか、その
一端を窺い知ることが出来る。
                   たかし  でした。

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