マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

スタート

2011-04-11 18:45:24 | 神学校・講座
今年度も神学校の聴講が始まりました。
今期は、金曜午後と土曜午前を聴講のために配分しました。
「実践神学特講」と「教理史」と「聖書歴史地理」のクラスを受講します。

「聖書歴史地理」のクラスでは、早速250,000分の1のイスラエルの地図が配られました。
聖書の記述と関連付けたM先生の解説は興味深いです。
今期も牧会と学びの両立を願い、祈りつつ励みたいと思います。



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咲いています

2011-04-11 17:57:15 | ちょっと息抜き
妻が自宅のベランダで育てている花もきれいに咲いています。




iPhoneでチューリップを撮って、ちょっと手を加えてみました。




教会にあるクンシランも咲き始めました。


今日の午前中は休養をとり、午後から教会でちょっと庭の手入れをしました。
草取りや追肥などの作業をしていると、雷鳴が・・・しばらくしたら雨が降ってきました。
作業も区切りをつけて、教会内へ。
ちょっとした作業でしたが、気分転換になりました。

さて、明日はM先生を多摩湖にお連れして、お花見の予定です。
定期的な受診で外出するので、帰りがけに少しばかり遠回りしての寄り道です。
程好い天気だといいのですが。



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集まって

2011-04-06 23:08:28 | 教会の風景
今日は、月に一度のワンデークラフト。
春のカード作り。









毎月十名ほどのご婦人たちが集まってます。
希望者はお弁当持参で、昼食もいっしょに。



そして、夜は祈祷会。
集まった方々と心をあわせて祈りをささげました。
そして、今晩の学びで開いたテキストの聖書箇所。
ちょうど先日の礼拝説教もこの章からでした。

第一コリント 11章13節
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

神さまの恵みの中で、今日もそれぞれの集いが開かれました。

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食卓を囲んで

2011-04-05 18:43:03 | 教会の風景
日曜の夕方は、今年度もYouth For Jesusを続けています。
中心的な参加者世代は、もうほとんどが社会人になっています。
5年前の当初と比べると随分様変わりしましたが、落ち着いて語り合える環境が役立っているようです。

前半の集会だけの人もいれば、後半の夕食と交わりに参加するメンバーもいます。
もちろん、両方の人も。
どの時間もYouth For Jesusの大切な時間です。
各自にあった参加のスタイルがあります。

先日の夕食メニューは、ハヤシライスでした。

この日も食卓を囲みながら、いろいろなことを語り合いました。
震災の支援のことにも話題が及びました。
それぞれ自分のできることを考え、模索しながら行動しているところです。

先日、私は心のケアの準備のために、ある教会で開かれた講習会に参加してきました。
長期的な支援の中で役立てたいと思います。
ちなみに、東京都保健福祉局の手引きがWeb上で手に入ります。
「災害時の『心のケア』の手引き」
実際に被災地へ行くことができる人ばかりではありませんが、理解をしておくことは有意義だと思います。

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希望はここに

2011-04-01 17:50:19 | 教会の風景
春らしくなってきました。
教会の庭の木々やハーブも芽吹いています。
ビオラも活き活きと咲いています。
いのちを感じますね。

 

月報に掲載した、先月の説教のあらすじです。

すでにこれまでの章で、神がイスラエルに授けた5つのいけにえの規定を見てきた。今度は、祭司の立場での規定や注意点が述べられる。祭司の王国と呼ばれるイスラエル(出エジプト記19:6)の祭司は、神の定めた務めを忠実に果たすことで、神にふさわしい栄光を帰す。また、彼らの秩序ある奉仕が、神の民を正しく教え導くのである。神は祭司に『祭壇の火』に関する命令を授けた。(6:9)「祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。」(6:12)「祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。」、(6:13)「火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。」とくり返している。
 火は、それまでしばしば神の臨在を示してきた。(モーセの召命の燃える柴、エジプト脱出時の火の柱、モーセとの会見のシナイ山頂の火) 今度は、神の民イスラエルの宿営の中心に位置する、幕屋の祭壇の火をもって示す。また、その神は聖なる方である。祭壇の上にささげられる犠牲が焼かれることで、人の罪に対するさばきを示している。祭壇の火が絶えず保たれることで、イスラエルは聖なる神を覚え、同時に自らの罪深さをも覚えたであろう。しかし、祭壇の火は贖いをもたらすものである。自らの罪深さゆえの絶望で終わらず、罪の赦しと神との交わりの回復の道を示す。私たちは、ここにキリストの贖いの死を覚える。救いは十字架で死なれたイエスによる。
 祭司は、祭壇の火を保つために朝ごとに薪を加え、いけにえを祭壇に供えるという作業を担った(12)。それは決して高度な技術を要するものではないが、祭司の務めとして定められていた。かつて祭司が祭壇の火を絶やさなかったように、私たちはキリストの贖いによる救いを常に告白し続けたい。

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