マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

希望はここに

2011-04-01 17:50:19 | 教会の風景
春らしくなってきました。
教会の庭の木々やハーブも芽吹いています。
ビオラも活き活きと咲いています。
いのちを感じますね。

 

月報に掲載した、先月の説教のあらすじです。

すでにこれまでの章で、神がイスラエルに授けた5つのいけにえの規定を見てきた。今度は、祭司の立場での規定や注意点が述べられる。祭司の王国と呼ばれるイスラエル(出エジプト記19:6)の祭司は、神の定めた務めを忠実に果たすことで、神にふさわしい栄光を帰す。また、彼らの秩序ある奉仕が、神の民を正しく教え導くのである。神は祭司に『祭壇の火』に関する命令を授けた。(6:9)「祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。」(6:12)「祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。」、(6:13)「火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。」とくり返している。
 火は、それまでしばしば神の臨在を示してきた。(モーセの召命の燃える柴、エジプト脱出時の火の柱、モーセとの会見のシナイ山頂の火) 今度は、神の民イスラエルの宿営の中心に位置する、幕屋の祭壇の火をもって示す。また、その神は聖なる方である。祭壇の上にささげられる犠牲が焼かれることで、人の罪に対するさばきを示している。祭壇の火が絶えず保たれることで、イスラエルは聖なる神を覚え、同時に自らの罪深さをも覚えたであろう。しかし、祭壇の火は贖いをもたらすものである。自らの罪深さゆえの絶望で終わらず、罪の赦しと神との交わりの回復の道を示す。私たちは、ここにキリストの贖いの死を覚える。救いは十字架で死なれたイエスによる。
 祭司は、祭壇の火を保つために朝ごとに薪を加え、いけにえを祭壇に供えるという作業を担った(12)。それは決して高度な技術を要するものではないが、祭司の務めとして定められていた。かつて祭司が祭壇の火を絶やさなかったように、私たちはキリストの贖いによる救いを常に告白し続けたい。

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