マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

いのちの息-人間の霊性

2006-07-01 21:43:23 | 教会の風景
明日の説教のダイジェスト
聖書箇所:創世記2:4-7 「いのちの息-人間の霊性」

「・・・その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は生きものになった。」(7節)

「形造る」・・・原文のヘブル語では、陶器師が粘土で器を造ることを表す動詞が使われている。

聖書は、創造主である神様と被造物である人間の区別を明確にしている。
多神教の創造物語では、神々と人との区別があいまいにされている。
古代バビロニアの創造神話や古事記の創造神話など。
その点において、聖書の記述は独特である。
神様が、ご自分の目的のために世界を造り、人間を造られた。

「いのちの息」・・・聖書において、「息」は「霊」や「風」と訳されて使われることがある。ここでも「霊」を象徴していると考えられる。

人間の存在が単に肉体からなるのではなく、「霊」という要素を与えられていることが分かる。
この「霊」の部分を持つがゆえに、人は神様と親しく関わることができるというわけである。
もともと愛である神様は、愛する対象として人間を造られた。
そういう意味で、私たちが霊的な存在であることは、神様の愛を知り、体験していく上で重要なことだと言える。

キリスト教界でも「霊性」ということが注目されるようになっている。
昨日買った「キリスト教の霊性」の中で次のような定義があった。

「キリスト教の霊性は、満たされた本物のキリスト者の存在となることを求めることであり、キリスト教の基本的な考え方と、キリスト教信仰の基礎と枠組みの中で人生のすべての経験とを統合させるものである。」

クリスチャン各自が、聖書の教えから神様の御旨を知り、それを自分の生活に適用していくことが、霊性を養うことと言えるだろう。
その時、私たちの生き方の中にイエス様の姿が反映されていくことになる。
霊性が養われる中、私たちは一様な生き方になるどころか、かえって、個性豊かな生き方になるだろう。
神様の息吹が吹き込まれる時、ひとりひとりの人生から異なる音色が奏でられる。
ある人はフルート、ある人はハーモニカ、ある人はトランペット・・・。

教会は、いくつかのルールを守るためだけの退屈な場所であってはならない。
むしろ、神様の息吹(聖霊様)によって、様々な音色の楽器が演奏されるような、個性豊かなユニークな集団であるべきだと思う。
そのために、私たちは造られた。
イエス様の栄光を反映する者として、聖書に向き合って、愛である主との交わりを楽しんでいきたい。
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