昭和30年代、駐在所と消防番屋までが中鷹で、その先は上鷹地域であった。
中森鉄工所、桜沢米穀店、表魚屋、宮部商店、大塚豆腐店、田中製材所などがあった。
今、国道沿いには住宅は見あたらない。
昭和36年のデータで上鷹だけで世帯数36戸、人口157人であった。信じられない変化である。
ほどなく学校跡への分岐点まで到着。小学校があった関係で、手押し式信号機が今も残っている。
上鷹地域は学校に近いし、近くの神社ですぐスキーができるし、子供にとってはいい所に住んでいるとうらやましく思っていた。(鷹泊駅には若干遠かったが)
今はバス停がこの地域にあり、便利にはなっている。
写真は、一般の住宅がほとんどない上鷹地域。正面北方向のはるか遠くに浅羽山が少し見える。
写真は昔の宮部商店のあたりにあるJR北海道バス 鷹泊自然公園入口バス停。もう1カ所ある鷹泊待合所と較べるとトイレもなく小さい造りである。
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