鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

上鷹地域を歩いてみて。

2020年09月26日 | Weblog

昭和30年代、駐在所と消防番屋までが中鷹で、その先は上鷹地域であった。

中森鉄工所、桜沢米穀店、表魚屋、宮部商店、大塚豆腐店、田中製材所などがあった。

今、国道沿いには住宅は見あたらない。

昭和36年のデータで上鷹だけで世帯数36戸、人口157人であった。信じられない変化である。

ほどなく学校跡への分岐点まで到着。小学校があった関係で、手押し式信号機が今も残っている。

上鷹地域は学校に近いし、近くの神社ですぐスキーができるし、子供にとってはいい所に住んでいるとうらやましく思っていた。(鷹泊駅には若干遠かったが)

今はバス停がこの地域にあり、便利にはなっている。

写真は、一般の住宅がほとんどない上鷹地域。正面北方向のはるか遠くに浅羽山が少し見える。

写真は昔の宮部商店のあたりにあるJR北海道バス 鷹泊自然公園入口バス停。もう1カ所ある鷹泊待合所と較べるとトイレもなく小さい造りである。


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