鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

昭和30年代、深川の高校への汽車通学。列車から飛び降りた猛者の話

2020年09月08日 | Weblog

 鷹泊から深川の高校に通うためには、通常は朝の一番列車に乗っていた。

 冬は6時といえば、まだ真っ暗な世界だ。朝の一番列車に間に合うためには、市街地に住んでいても大変なところを、自宅が駅から離れている通学生はさらに早起きしなければならず、雪と寒さのことも考えるとその大変さは想像に難くない。しかし、あの時代の鷹泊の高校生には、それがあたりまえだったと思う。

 せっかく駅まで来たものの、豪雪地ゆえ冬場には列車遅延、さらには運休ということもあった。駅員さんに状況確認してもらい、駅で列車が来るのを待つか、あきらめて帰宅するかを決定ということになった。このような時に、駅の石炭ストーブの暖かさは心強かった。

 乗り越ししたために走行中の蒸気機関車から飛び降りたという鷹泊出身者の武勇伝を最近あるブログで眼にした。すごい人だと私は感激した。(鷹泊OBの細田氏のブログを引用させていただく)無謀な行動のように思うが、柔道の受け身の技量があっての行動だったとも思える。これぞ「芸は身を助く」ということか。当時の鷹泊中学校は柔道が盛んであった。

写真は深名線の線路跡。駅跡から北方向(幌加内峠方向)を写す。

 


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