せいかつ創庫

野球・音楽・アート・街の風景など、自分自身のネタ創庫。
野球の楽しみ方、考えてます。自作イラストの展示も。

自己紹介シリーズ 野球その2

2005年11月25日 | Weblog
高校生になった頃…、野球観がちょっと変わる。
中学で少しの間いじめや挫折を味わったことがあり、高校進学に不安や迷いがあった頃、何気なく毎朝読んでいた中日スポーツのある記事にひかれた。
”鈴木誠”シアトルマリナーズと契約。
そう、今年いっぱいでオリックスを退団したマック鈴木の17歳当時の記事である。
”野球”というひとつの信念と、自分の腕ひとつを信じて遠い国で挑戦する17歳に、刺激を受けた。
マックがいなかったら人生観も野球観も変わっていたと思う。

そして高校に進学して、ボクは同級生に誘われてナゴヤ球場に行くのだが、なぜかレストスタンドにいた。
そいつは広島ファンだった。
当時、スクワット応援のはしりで、まだまだ何十人というファンが肩身狭く応援していたが、少人数のなかで応援する広島ファンの情熱は、ドラゴンズファンに負けてなかった。そして温かかった。
地元で当たり前のように人気のあるドラゴンズ。けっこう思い上がったファンも多く、試合が劣勢だと席をたつ。逆に大量リードをしていても帰る人がいる。
アウェーのなかで健気に応援している広島ファンの人たちを見て、”心から野球を応援している”と感じた。
そらそうだ、わざわざ名古屋で広島の応援をしてるんだから、そうとうの自負があるのだろう。
そう思わせる広島カープの魅力もきっとあるはずだ。
ドラゴンズだけを見てしまう環境にいると、世界の広さに気づかずに過ぎてしまわないかという疑問がわいた。

実際、当時の広島は面白かったけどね。
緒方、正田、野村、江藤、前田、ロペス、金本…。
今考えたら恐ろしい限りのメンバーだ。泥臭さも新しかった。

こんなおもしろいチームがドラゴンズの周りにはいる!と思うと、野球を広く見たくなった。
友達と広島も応援していたけど、ボクの興味は次第にパリーグに飛躍していく。。。

ちなみに、広島で好きな選手は野村謙二郎だった。長打の打てる身体じゃないボクは、野村のようなアベレージバッターを手本にしていた。野村はボクの先生。
当時、野村は赤いストッキングを膝下までのばしていた。ボクもいまでも野球のユニフォームを着る時は、ストッキングをのばしている。