北海道新聞配信の記事がYahooのトップ画面に上がり、目にとまった。
「今はただ生きているだけ。沙耶佳は私たちの希望であり、未来であり、全てだった。そういう意味で、私たちも殺されたんです」
昨年7月、北海道の小樽で発生した飲酒ひき逃げ事件。
高校の同級生だった3人の尊い命が奪われた事件・・・
あれから1年が経ち、29日に初公判を向かえるのだという。
北海道新聞さんの取材に応じたお父様の言葉は、愛する我が子を亡くし、同じ思いで過ごしていた僕の心に突き刺さった。
そして、言いようのない孤独と寂しさと悲しい気持ちを心に隠し、毎日、自分の気持ちに嘘をつきながら、何事もなかったかのように生活できてしまう自分がとても嫌になり、生きること、働くことの意味がまた分からなくなった。
「今はただ生きているだけ。沙耶佳は私たちの希望であり、未来であり、全てだった。そういう意味で、私たちも殺されたんです」
生きることの意味、その全てだった愛する人を亡くした時、人は何を希望に生きていくのだろうか。 僕自身、愛する我が子の命を奪われてから4年経つが、今もその答えは見つかっていない。
見つかるはずもない。