あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

横田めぐみさん 15日で拉致37年 前日に父に贈り物

2014-11-15 | 日記

横田めぐみさん:15日で拉致37年 前日に父に贈り物
毎日新聞 2014年11月14日 07時00分(最終更新 11月14日 08時35分)

1977年11月、新潟市で横田めぐみさん(行方不明時13歳)が北朝鮮に拉致されてから、15日で37年を迎える。先月末、10年ぶりに日本政府の代表団が訪朝したものの、家族が待ち望む進展はなかった。「もう一度、この腕で抱きしめたい。それまでは、一生懸命頑張って生きないと」。父滋さん(82)と母早紀江さん(78)はその一心で、娘の帰りを待ち続けている。

 「毎日持ち歩いていたから、だいぶ汚れてしまったな」。滋さんは、携帯用のくしを見つめた。茶色い革製のケースは少し黒ずんでいる。拉致される前日の77年11月14日。45歳の誕生日にめぐみさんからプレゼントされた。「これからはおしゃれにも気をつけなきゃだめよ」。中学生になり、急に大人びた言葉が胸に残る。うれしくてその夜は大好きなビールが進んだ。翌日、姿が見えなくなるとは思ってもいなかった。

 97年に拉致の疑いが浮上してから、滋さんと早紀江さんは全国を飛び回り、拉致問題の解決を訴えてきた。しかし最近は高齢による体力の限界を感じる。10月には滋さんが自宅近くで転倒し、前歯を折るけが。早紀江さんも声が思うように出なくなってきたという。政府代表団帰国後の説明会ですら、通院のため二人して欠席した。「このままではめぐみを助け出す前に私たちが倒れてしまう」。年内の講演活動の休止を決めた。

 37年前の新潟での夜を忘れることはない。「めぐみちゃん、どこにいるの」。震える手で懐中電灯を握り、廃業したホテルや空き地、松林に囲まれた神社、人けのない海岸を、家族で捜し回った。「寒くて真っ暗で、思い出すのもつらい」と早紀江さんは言う。

 あの日から、滋さんはスーツの胸ポケットに、プレゼントされたくしを入れて持ち歩いた。「そんなにとかしたりはしないんだけどね。時々触ったりしていた」。ケースは所々すり切れている。傷まないよう、最近はめぐみさんの写真を飾った自宅の棚の一番上の引き出しにしまっている。

 滋さんは、きょう14日で82歳。37年の間に髪は白く染まったが、くしの歯は1本も欠けていない。「すごく丈夫なくしなんです」と滋さんは笑みを浮かべた。早紀江さんは「こつこつためたお小遣いで、お父さんのためにくしを買ったこと、めぐみちゃんも覚えているかな。きっと、覚えてくれているよね」。【斎川瞳】


 

37年もの長い間のご両親の愛する我が子への想いを考えたら、コメントする言葉もみつからない・・・
胸が苦しい・・・