あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

民事訴訟 意見陳述【平成24年2月1日(水)】

2012-02-01 | 日記

【意見陳述】

 本件損害賠償請求訴訟は、平成23年4月18日、運転手の男の運転する大型クレーン車によって引き起こされた事故について、その損害の賠償を求めるものです。

 私達の大切な子供達6人の命は、わずか9歳から11歳という短さで、無惨にも奪われてしまいました。

 運転手は、かねてよりてんかんの疾病を有し、医師から抗てんかん薬の投薬治療を受けていました。

 そして、本件事故に至るまでの過去10年間で、自動車の運転中にてんかんの発作により意識を喪失し人身事故・物損事故を起こしたことが5回、そしてそれ以外の事故も7回合計12回も起こしていました。

 運転手は、医師から自動車、特に重機などの大型特殊自動車の運転をしないよう厳しく指導されていたのにもかかわらず、てんかんの病気と全く向き合おうとせず自動車や重機の運転を続け、その結果、重量12トンもの大きなクレーン車で、何の罪もない、ただ歩道を歩いていただけの、あんなにも幼い子供達を次々と轢き殺していったのです。

 ご承知の通り、クレーン車を運転していた運転手は、宇都宮地方裁判所で、自動車運転過失致死事件として刑事裁判を受けました。

 運転手の男の運転は、自分が運転することによる危険を十分に認識したものであり、故意の犯罪であると認識しています。ですので、私たち遺族は、運転手に対する刑事裁判が、自動車運転過失致死事件という、過失の事件として起訴されたことについては、未だに納得できず、そしてもがき苦しんでいます。

 しかし、12月19日、自動車運転過失致死罪としては、最高刑の7年の懲役刑が言い渡されました。

 本件事故が単なる過失犯ではなく、危険運転致死傷罪で処罰される行為と全く同価値の、違法性の強い、きわめて反社会的で悪質かつ重大な犯罪であるという私達の主張が、幾分かでも認められたからだと思っています。

 私達は、本件事故は、起こらなくてすんだはずの事故だと考えています。

 運転手が、それまでに自分の行ってきたことを十分反省していれば、本件事故は起こりませんでした。

 運転手が、主治医の忠告に十分に耳を傾けていれば、本件事故を起こすはずはなかったのです。

 運転手が、平成20年4月に起こした人身事故の裁判で、母親が、その事故の原因は、てんかんであると正直に話していれば、本件事故は発生しなかったはずです。

 重機会社が、仕事中にてんかん発作を起こした運転手の健康管理をしっかり行っていれば、本件事故は防ぎえたと考えています。

 6人の未来ある子供達は死なずにすんだのです。

 

 私達は、今回、運転手、母親、重機会社を被告として、損害賠償請求を求める民事訴訟を提起しました。

 原告らのうち、亡くなった子供達の両親は、刑事裁判で、被害者参加制度を利用し、私たちの気持ちを訴えてきました。

 それは、是非とも、運転手が十分に反省し、二度と、本件事故と同様な事故を起こして欲しくなかったからです。

 そのためにも、運転手が十分に反省することを期待しました。

 だからこそ私達は、運転手の男が、今何を思い、どのように反省し、どれだけ事故を悔いているのか、そして、今まで、どのように病気に向き合ってきたのか、刑事裁判で知ろうとしました。

 しかしながら、その期待は、裏切られてしまいました。

 計4回にわたる公判廷でのあまりにも無責任な言動の数々にあきれざるを得ませんでした。

 運転手は、意識喪失を伴うてんかんの病気をもっており、運転免許の相対的欠格事由に該当しているのですから、そもそも自動車やクレーン車を運転すべきではなかったのです。そうであるにもかかわらず、運転手は、薬を飲めば大丈夫だと思ったと供述しました。

 過去10年間に12回の事故を起こしている事を尋ねられ、「運が悪かった」と供述しました。

 裁判長から「社会には様々なハンディキャップを持っている人がいて、それぞれが自分でできる範囲の中で必死に努力して生きていますが、あなたは普通の人間ではなかったのですか」と尋ねられたときも、「自分は病人だ」と発言しました。

 運転手には、てんかんと向き合っていこうとする姿勢を全く感じませんでした。

 さらに、「反省している」 「償いたい」 と発言した運転手に対し、被害者代理人が被告人質問をした結果、我々の子供達がどのような子供でどのような生活をしていたのかについて、何らの関心も寄せていなかった有様で、反省の気持ちが上辺だけのものに過ぎないことも明らかになりました。

 私達は、全く病気と向き合おうとせず、そして、このように反省のできない人間が、懲役7年という短い期間ではとうてい反省できるとは思えませんでした。

 出所後の再犯の可能性に恐怖を覚えました。

 私達は、改めて、運転手の男が、この民事裁判を通じて、自分の何が悪かったのかを、十分に考えて欲しいと期待しています。

 

 私達は、母親についても被告として、本件訴訟を提起しました。

 母親は、当然ながら、刑事裁判を受けてはいません。しかし、私達は、本件事故については、母親も法的責任があると考えています。

 母親は、愛するわが子が死んでしまう可能性や犯罪者になってしまう可能性があるのに、積極的に運転免許の取得を容認し関与しています。

 クレーン車免許の受験まで容認し、受験日の朝にてんかん発作を起こしているのにもかかわらず、受験のために宇都宮駅に送迎までしています。

 私達は、子供達を本当に大切に育てていましたし、心から愛していましたので、運転手の男の親である彼女のとった行動が未だに理解できません。

 そして、母親は、再三にわたり全損の物損事故を起こしているにもかかわらず、その都度車を買い与えてもいます。

 更には、平成20年の人身事故のときの刑事裁判で、法廷の場においても嘘の証言までしているのです。

 母親は、刑事裁判で証人として出頭し、「償いたい」と言っています。

 しかし、一方で、事故後重機会社には、事故直後に謝罪文を渡しているのに、遺族に対してはそれより遅れています。

 そして、刑事裁判の判決前の休日に突然現れ、そこで遺族に「自爆して死んだり、犯罪者になってしまう可能性もあるのに、なぜ、息子がてんかんで事故を起こしたと警察に言わなかったのか。 愛しているとは言っているが、本当は暴力をおそれ、死んでしまってもいいと思っていたのではないか。」と問われ、 「やりたいことをやらずに荒れた生活を送るよりも、やりたいことをやって死んでしまうのはいいと思った」と平然と答えました。

 この言動に対しては、「それは自分の子どもの命でしょう。息子さんは公道を走っているのですよ。 医者からも、小学生の列に突っ込んでしまったらどうするのですかって言われていたのではないですか。 そういうことを考えなかったのですか」 という、社会常識さえ問い返さなくてはならないことに、やりきれない気持ちでいっぱいになりました。

 ましてや、ルールを守らないこれらの人達のために、ルールを守り必死に病気と向き合っているてんかん患者の人達に対する偏見を助長してしまったことに対し、激しい憤りを感じています。

 私達は、母親の責任を明らかにすることによって、母親と運転手が同じような事を起こさないようになることを期待しています。

 

 重機会社について、私達は、何度か職場で運転手の男が倒れているという事実がある以上、どうして「てんかんの疑い」を調査しなかったのか。 どうして精密検査をしなかったのか。運転手の男のてんかん発作は特有の動作であるにもかかわらず、本当に知らなかったのかという思いが拭いきれずにいます。

 何度も繰り返しますが、今回の事故は防げた事故です。

 運転手の男が作業中に倒れたとき、ましてや救急車で運ばれているのであれば、クレーン車の運転が出来る健康状態の人間であるかどうかを確認する義務があります。

 それを怠ったがために子供達が亡くなったと言っても過言ではありません。

 重機を扱う会社の社長が、危険を予知する能力がないということは、現場の作業員が絶えず生命の危険にさらされている状況であるとさえ言えます。

 平成23年4月18日に、大森卓馬の両親や親族、伊原大芽の両親や親族が鹿沼警察署で遺体と直面しなくてはならなかったとき、関口美花、熊野愛斗、下妻圭太、星野杏弥が必死に生きようとしていたとき、重機会社は、何をしていたのでしょうか。

 聞くところによれば、重機会社では、全力を挙げて全社員一丸となって子供達を救護する前に、運転手の男が行けなかった鹿沼警察署隣接の下水道事務所に、代わりの重機を送り込んでいたようです。 従業員の起こした事故の救護を優先するのが、会社としての責務なのではないでしょうか。

 早々に母親の謝罪文を公表し、 「私達は被害者です」 と訴える姿勢に、会社側の誠意を微塵も感じることは出来ません。

 まして、早々に別な関連会社を使って公共事業を受けようとする、重機会社の姿勢は、我々遺族には、運転手の男がてんかんという病気に向き合っていない姿勢と重なって見えました。

 

 私達は、今回の民事裁判は、運転手の男はもちろんのこと、刑事責任に問えなかった母親、そして重機会社の責任を問うことの出来る大きな意義があると考えています。

 運転手、母親、重機会社が、被害者はもちろんのこと家族や親戚や子供達の仲間、そして地域の方々に与えた悲しみは図り知れません。

 運転手は生きていますが、私達の子供達は一生、生きて帰ってはこないのです。

 この裁判は、防げた事故に対する責任を問う民事裁判だと考えています。

 私達は、昨年末からこのような悪質な事故の撲滅に向け、てんかん無申告の運転免許不正取得者による死傷事故が危険運転致死傷罪の適用となるよう、また、そのような不正取得が出来ないような免許制度の構築を求め、署名活動を開始しました。

 事故は、被害者、加害者、そしてその家族や親戚、仲間、全てが辛く、悲しいことです。

 いい事なんて一つもありません。

 宇都宮地方裁判所においては、今回の民事裁判を行うに当たり、今後、第二、第三の犠牲者を出さないために、私達のように悲しむ遺族を出さないために、そして、これ以上加害者になってしまうてんかん無申告の運転者を出さないために、三名の被告に対する事故の責任を明確に示し、法の立場からの事故防止を、社会全体に示して頂きたいと切に願っています。

                                                   以上