あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

今まで励まし、支えてくれた皆様へ

2011-09-02 | 日記

 平成23年4月18日(月)、長男 大芽は、わずか9歳で命を落としてしまいました。

 親である私や妻よりも先に、更には、おじちゃんやおばちゃんよりも先に、逝ってしまいました。

 事故の事を考えると、あんなにも大きなクレーン車に轢かれ、どんなに怖かったか、、、どれほど心の中で私や妻に助けを求めたことか、、、そして、どんなに生きようとしたことか、、、その事を考えると胸が締め付けられ、今、自分自身が生きていること自体が辛く苦しいことに感じています。

 大芽が所属していた北押原FCの皆様を始め、栃木SCさんやサッカー関係者の皆様、学校関係者や地域の皆様、その他、大芽や私達に関係する全ての皆様には、大芽が亡くなってから今日まで、本当に大勢の方々に弔問に来ていただき、涙を流し、一緒になって悲しんでいただきましたこと、あらためて、大芽に代わりお礼申し上げます。 

 大芽は、私の4月17日(日)のブログへの書き込みにもありますように、亡くなる前の日の日曜日は、サッカーの春季大会に出場し、4月18日(月)の朝も元気に登校していきましたのに、 学校までほんのわずかの距離で、あのような恐ろしい事故に遭い、たった9歳で命を奪われてしまいました。

 大芽は、サッカーがとても大好きな子でした。 家の隣の公園で、小さい頃から、私と、暇さえあればサッカーをやっておりました。 昨年からサッカー部に入部し、3年生ながら上級生に混じって試合に出場し、一生懸命頑張っていました。 同じチームの上級生からは、「大芽っ」、「大芽っ」って言って、とてもかわいがって頂きました。

 事故前日の日曜日も、新4年生になって初めての大会で、フォワードをやり、頑張っていました。 いい試合内容だったので、チームは大変褒めましたが、大芽には、「もっとスピードがないと抜けないよ」と、厳しいことを言いました。  だから、、、事故現場に残されていたランドセルから出てきた大芽の最後の日記には、 「ぼくは、フォワードをやりました。」  「ぼくは、できるだけがんばってはしりました。」  「だけど、あまりせめることができませんでした」  「だから、去年の6年生みたいにうまくなりたいです。」 と書かれていました。  4年生になったばかりで、相手の6年生を抜けるはずもないのに、厳しいことを言ってしまった自分に対し、がんばっている大芽を何故褒めてあげることができなかったのか、今は後悔の気持ちでいっぱいです。

 大芽は、本当にサッカーが好きで好きで、本当に大好きで、これから体も大きくなって、やっと思い通りのプレーができることを楽しみにしていた時に、こんなにも残酷な事故に巻き込まれてしまったことが、本当に悔しくてなリません。

 また、大芽は、とっても明るくて、とっても素直で、とっても甘えん坊な子でした。

 そして、何をやるにしても、いっつも一生懸命に取り組んでいました。

 いっつも笑ってて、親の私も、怒ったところを見たことがありませんでした。

 そして、親を困らせたりすることはほとんどなく、「お風呂に入ってこい」 と言えば入るし、「もう寝なさい」 と言おうと思えば、「ぼくはもう寝るよっ おやすみなさいっ」 って言って寝てしまう子でした。

 学校や塾の宿題だって、サッカー、サッカーで時間のない中、サッカーに行きたいために一生懸命やっていました。  また、甘えん坊な一面もあり、4年生になっても、こたつでママのひざの上に割り込んできてだっこしてもらい、パパに冷やかされたりしていました。 

 大芽が、こんなにも明るく、こんなにも素直な性格であったのも、亡くなってから4ヶ月の間に私達家族を励まし、暖かく接してくれた皆様が、私達同様、生前の大芽に対し、愛情をもって接してきてくれたおかげであると実感しております。

 大芽に代わりまして、お礼申し上げます。

 9月28日には、第一回公判が開廷されます。

 裁判が近づくにつれて、 柴田将人 という人間が、16歳から26歳までの10年間で今回の事故を含め13回もの事故を繰り返し起こしていた事、てんかんの主治医にも、相当厳しく車や重機の運転をしないように言われていた事、そのように厳しく言われていたにもかかわらず、持病を無申告で運転免許を取得していたこと、母親も同様に聞いていたにもかかわらず、車を買い与え運転させていた事、3年前の人身事故の裁判で執行猶予の判決が出た直後にも事故を起こしていた事など、信じがたい事実が次々と分かってきました。

 しかし、このように社会のルールが守れず、医師の忠告も聞けず、裁判の判決で執行猶予期間中に反省もせず運転をし続け事故を起こしてしまう人間が、たとえば百人、人をを殺したとしても現行法では最高7年しか刑務所に入所させることができません。

 たぶん、このような人間は、何年か後に刑務所を出所し、運転し、また誰かを殺してしまうのだと思います。

 

 今後、私達遺族は、柴田将人や柴田将人のようにてんかん無申告で運転し続けている人に轢かれる人が出ないよう、今回の裁判を通じ、「悪質な運転者による交通死亡事故の量刑の軽さの問題」 「持病自己申告の運転免許制度の問題」 等々と闘って行こうと思います。

 大芽、そして、その他5人の子供達が生きて帰ってくるわけではありませんが、その行動を起こす事こそが、あの子達の死を無駄にしないことだと信じ、闘っていこうと思います。 

 これから先、どんな困難や苦悩があるか想像もつきません。 どう頑張っても我々だけではどうすることもできず、皆様にお力添え頂かなくてはならない時があろうかと思いますが、その時はどうかよろしくお願いいたします。 

 長々書いてしまいましたが、この4ヶ月の間、私ども遺族に対する暖かいお言葉や励まし、本当ににありがとうございました。

伊原大芽(父)   伊原 高弘

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