港の前から広がる集落の家は 立派な瓦屋根で、
真っ黒にコールタールを塗って、
少し高い天井は 葉タバコの乾燥の為に用いてたが
今は、タバコを栽培していない。
島を時計回りに出発すると、すぐ左に義経の【屋島】が見えてる。
しばらく走ると眼下の海岸にもの凄い鉄筋のビルが見えて
「ケーソンドック」 ? ? ?
『鶏 ? ?』と 恥ずかしい質問をした私に
『橋や埋め立てをする時、先ずコンクリートの箱を海の底に設置し
其処にコンクリートを流し込み柱を立てるのだが、
その箱を造る会社なんです』
と 高東氏がわかり易く説明してくださる。
知らなかった~~ぁ
小学校は西地区・東地区にお子さんが居るのに開校できず、
休校中なので山口市内まで通っている・・・・
都会がこんなに近いのに 勉強できない子供達が居るんです。
棚田の名残が・・・・
「掛津島」に明神様が祭ってあるが、
島に渡らなくっても参拝できるようにと、
しめ縄が平群島から見えるようにしてあります。
山桜が咲いて 天然記念物の柳も~~~
戦後4500人だった人口 今は591人、
東港漁港に到着、ォギャァ~~オギャア~~と泣く赤ちゃんの声??
カモメだった___
すずめ鯛やメバルの子が沢山海中に~~~
「祝島」にある練壁とは違うけど、此の島にもありました。
学者の目の付け所~~~
凡人の私には只の石積の塀・壁としか見えない・・・・
平郡の蛸の漁場は毎年1回くじ引きで、壺の設置場所を決めている。
連合会長のサカイさんが、
島の公民館で教授達からの質問に対しての説明があるので、
凡人の私は別行動___って思ったら、
高東氏も一緒に行くと言い
『なら、僕が案内しよう~~』と柳井市の方が車を出して下さる。
うれしい~~~ 助かった~~~ァ
島の中央に標高468mの深山を最高点として、
山が背骨のように走っているので「五十谷三島=いやみしま」まで
登り道だったから 短縮できます。
「島旅」の私だもの~~『先ず、五十谷三島へ行きましょう~』
歴史では、
厳島の宮島様たちが 当初此の地へ安住したいと島の周囲を図った所、
僅かに長さが不足したので
『ここは いやや いやや』と
現在の宮島に移られた・・・との伝説が あります。
遠浅で白砂の浜が続き、東端には小島が3つ連なって
干潮だから渡れたけど、満ちてくると渡れない。
水の色・・・水色で美しい!!
私ひとりでチョット走り、歩かせてもらう。
近くの牧場では 牛が放牧され、
昭和34年、石原裕次郎の映画・・題名は思い出せないけれど
『ゼロ戦の映画だった~~』と 伊藤さんが話してくれたのですが
この浜で撮影した記念に、椰子の木を植樹したのが
今、こんなに大きくなったんです~~と説明してくれた。
(石原 裕次郎 植樹の椰子の木と詠ってたら・・・きっと・・)
昭和30年に放された「キジ」も沢山生息し
キィー キィーと鳴くのだとも~~~
ウグイスの声が聞こえ
『こんなに穏やかな日は、最近珍しいです』 からと
浦地区全体を写真に。
標高200m位の所に「大嶽」 岩は30m位の大きさですが
戦時中の 見張り台があったところだそうです。
「海蔵院」には、柳井市天然記念物の大ケヤキや大ソテツも~~~
地元の「鈴木家」には、「円の行者」を祭ってる御堂があって
今は80代のおばあちゃんが一人なので、地元の人を招いて
毎月一回お祭りを開いている~~とも 話してました。
ランチは「民宿・大野屋」 0820-47-2237
なまこ・ブリ刺し・とんかつ・おろし合え・蛸めし・・美味しかった。
とんかつは、中国人の龍さんへ。
ビール3本は私のプレゼントですが、教授たちは飲まず
私と橋部さんと高東氏で・・堂々と いただく・・・・
話題豊富な人達・・・
其処に 私のような畑違いが参入させていただき
楽しく 刻は過ぎてゆく・・・・
真っ黒にコールタールを塗って、
少し高い天井は 葉タバコの乾燥の為に用いてたが
今は、タバコを栽培していない。
島を時計回りに出発すると、すぐ左に義経の【屋島】が見えてる。
しばらく走ると眼下の海岸にもの凄い鉄筋のビルが見えて
「ケーソンドック」 ? ? ?
『鶏 ? ?』と 恥ずかしい質問をした私に
『橋や埋め立てをする時、先ずコンクリートの箱を海の底に設置し
其処にコンクリートを流し込み柱を立てるのだが、
その箱を造る会社なんです』
と 高東氏がわかり易く説明してくださる。
知らなかった~~ぁ
小学校は西地区・東地区にお子さんが居るのに開校できず、
休校中なので山口市内まで通っている・・・・
都会がこんなに近いのに 勉強できない子供達が居るんです。
棚田の名残が・・・・
「掛津島」に明神様が祭ってあるが、
島に渡らなくっても参拝できるようにと、
しめ縄が平群島から見えるようにしてあります。
山桜が咲いて 天然記念物の柳も~~~
戦後4500人だった人口 今は591人、
東港漁港に到着、ォギャァ~~オギャア~~と泣く赤ちゃんの声??
カモメだった___
すずめ鯛やメバルの子が沢山海中に~~~
「祝島」にある練壁とは違うけど、此の島にもありました。
学者の目の付け所~~~
凡人の私には只の石積の塀・壁としか見えない・・・・
平郡の蛸の漁場は毎年1回くじ引きで、壺の設置場所を決めている。
連合会長のサカイさんが、
島の公民館で教授達からの質問に対しての説明があるので、
凡人の私は別行動___って思ったら、
高東氏も一緒に行くと言い
『なら、僕が案内しよう~~』と柳井市の方が車を出して下さる。
うれしい~~~ 助かった~~~ァ
島の中央に標高468mの深山を最高点として、
山が背骨のように走っているので「五十谷三島=いやみしま」まで
登り道だったから 短縮できます。
「島旅」の私だもの~~『先ず、五十谷三島へ行きましょう~』
歴史では、
厳島の宮島様たちが 当初此の地へ安住したいと島の周囲を図った所、
僅かに長さが不足したので
『ここは いやや いやや』と
現在の宮島に移られた・・・との伝説が あります。
遠浅で白砂の浜が続き、東端には小島が3つ連なって
干潮だから渡れたけど、満ちてくると渡れない。
水の色・・・水色で美しい!!
私ひとりでチョット走り、歩かせてもらう。
近くの牧場では 牛が放牧され、
昭和34年、石原裕次郎の映画・・題名は思い出せないけれど
『ゼロ戦の映画だった~~』と 伊藤さんが話してくれたのですが
この浜で撮影した記念に、椰子の木を植樹したのが
今、こんなに大きくなったんです~~と説明してくれた。
(石原 裕次郎 植樹の椰子の木と詠ってたら・・・きっと・・)
昭和30年に放された「キジ」も沢山生息し
キィー キィーと鳴くのだとも~~~
ウグイスの声が聞こえ
『こんなに穏やかな日は、最近珍しいです』 からと
浦地区全体を写真に。
標高200m位の所に「大嶽」 岩は30m位の大きさですが
戦時中の 見張り台があったところだそうです。
「海蔵院」には、柳井市天然記念物の大ケヤキや大ソテツも~~~
地元の「鈴木家」には、「円の行者」を祭ってる御堂があって
今は80代のおばあちゃんが一人なので、地元の人を招いて
毎月一回お祭りを開いている~~とも 話してました。
ランチは「民宿・大野屋」 0820-47-2237
なまこ・ブリ刺し・とんかつ・おろし合え・蛸めし・・美味しかった。
とんかつは、中国人の龍さんへ。
ビール3本は私のプレゼントですが、教授たちは飲まず
私と橋部さんと高東氏で・・堂々と いただく・・・・
話題豊富な人達・・・
其処に 私のような畑違いが参入させていただき
楽しく 刻は過ぎてゆく・・・・