魚河岸女将の地球探索(勝手に専務)

地の隅々まで 旅しながら ・・・

 終の棲家を探し・・・

   生きるって・・・

山口県。広島県の島巡り (其の 2)

2010-04-25 05:29:22 | Weblog
港の前から広がる集落の家は 立派な瓦屋根で、
  真っ黒にコールタールを塗って、

  少し高い天井は 葉タバコの乾燥の為に用いてたが
     今は、タバコを栽培していない。


島を時計回りに出発すると、すぐ左に義経の【屋島】が見えてる。


 

しばらく走ると眼下の海岸にもの凄い鉄筋のビルが見えて


  
  「ケーソンドック」 ? ? ?

『鶏 ? ?』と 恥ずかしい質問をした私に

『橋や埋め立てをする時、先ずコンクリートの箱を海の底に設置し
  其処にコンクリートを流し込み柱を立てるのだが、
   その箱を造る会社なんです』
     と  高東氏がわかり易く説明してくださる。

   
     知らなかった~~ぁ


小学校は西地区・東地区にお子さんが居るのに開校できず、
休校中なので山口市内まで通っている・・・・



  都会がこんなに近いのに 勉強できない子供達が居るんです。

棚田の名残が・・・・

「掛津島」に明神様が祭ってあるが、
  島に渡らなくっても参拝できるようにと、
    しめ縄が平群島から見えるようにしてあります。

山桜が咲いて 天然記念物の柳も~~~

 戦後4500人だった人口 今は591人、

東港漁港に到着、ォギャァ~~オギャア~~と泣く赤ちゃんの声??
     カモメだった___
   
  すずめ鯛やメバルの子が沢山海中に~~~



「祝島」にある練壁とは違うけど、此の島にもありました。
  
  学者の目の付け所~~~

   凡人の私には只の石積の塀・壁としか見えない・・・・


平郡の蛸の漁場は毎年1回くじ引きで、壺の設置場所を決めている。

連合会長のサカイさんが、 
島の公民館で教授達からの質問に対しての説明があるので、


 

凡人の私は別行動___って思ったら、

  
 高東氏も一緒に行くと言い
 『なら、僕が案内しよう~~』と柳井市の方が車を出して下さる。

    うれしい~~~ 助かった~~~ァ

 島の中央に標高468mの深山を最高点として、
山が背骨のように走っているので「五十谷三島=いやみしま」まで
   登り道だったから 短縮できます。


「島旅」の私だもの~~『先ず、五十谷三島へ行きましょう~』





  歴史では、
厳島の宮島様たちが 当初此の地へ安住したいと島の周囲を図った所、

 僅かに長さが不足したので
   『ここは いやや いやや』と
 現在の宮島に移られた・・・との伝説が あります。


遠浅で白砂の浜が続き、東端には小島が3つ連なって
 干潮だから渡れたけど、満ちてくると渡れない。
 
     水の色・・・水色で美しい!!





   私ひとりでチョット走り、歩かせてもらう。

近くの牧場では 牛が放牧され、



 
昭和34年、石原裕次郎の映画・・題名は思い出せないけれど
 
『ゼロ戦の映画だった~~』と 伊藤さんが話してくれたのですが
 この浜で撮影した記念に、椰子の木を植樹したのが
  今、こんなに大きくなったんです~~と説明してくれた。


 (石原 裕次郎 植樹の椰子の木と詠ってたら・・・きっと・・)


昭和30年に放された「キジ」も沢山生息し
      キィー キィーと鳴くのだとも~~~

ウグイスの声が聞こえ
  『こんなに穏やかな日は、最近珍しいです』 からと

     浦地区全体を写真に。



標高200m位の所に「大嶽」 岩は30m位の大きさですが
 戦時中の 見張り台があったところだそうです。



「海蔵院」には、柳井市天然記念物の大ケヤキや大ソテツも~~~


 
地元の「鈴木家」には、「円の行者」を祭ってる御堂があって


 
  今は80代のおばあちゃんが一人なので、地元の人を招いて
   毎月一回お祭りを開いている~~とも 話してました。



ランチは「民宿・大野屋」 0820-47-2237
 なまこ・ブリ刺し・とんかつ・おろし合え・蛸めし・・美味しかった。
   とんかつは、中国人の龍さんへ。

 ビール3本は私のプレゼントですが、教授たちは飲まず
  私と橋部さんと高東氏で・・堂々と いただく・・・・


話題豊富な人達・・・
  其処に 私のような畑違いが参入させていただき
    楽しく 刻は過ぎてゆく・・・・