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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

牧師館の朝顔(詩篇98)

2008-03-23 13:59:00 | 詩篇
全地よ、
主に向かって喜びの叫びをあげよ。
歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
琴に合わせてほめ歌え。
琴に合わせ、楽の音に合わせて。
ラッパを吹き、角笛を響かせて
王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。


轟け、海とそこに満ちるもの
世界とそこに住むものよ。
潮よ、手を打ち鳴らし
山々よ、共に喜び歌え
主を迎えて。
      (詩篇98;4~9)


精一杯開いている。
太陽に向かって。

復活の賛美歌(詩篇96)

2008-03-23 12:15:00 | 詩篇
新しい歌を主に向かって歌え。
全地よ、主に向かって歌え。
主に向かって歌い、御名をたたえよ。
日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
国々に主の栄光を語り伝えよ。
諸国の民にその驚くべき御業を。(詩篇96;1~3)


この日のために有志達で聖歌隊として
復活の賛美歌を歌った。
その歌声を聞いて、美しいと思った。
何だか、
今までになく全体に調和が取れていて、
とにかく美しかった。
しみじみ聞き惚れた。
お世辞や身贔屓ではないよ。
皆、
仕事や介護や子育てに追われながらで
練習時間も十分では無いのに
素晴らしく調和の取れた、
美しい賛美の歌声だった。


教会に来て、
いつもと変わらない日常の中で
同じ教会の兄弟姉妹の歌声や
奉仕で働いたり
福音を語って証しするその姿を
美しいと思う事がある。
美しくてはっとする事がある。


そして
いかに仲間が美しいかについて
別の仲間と語り合ったりして
その感動を分かち合う事が出来る。


水野源三の詩のような
美しい復活の朝の空、
美しい仲間達の歌声。

聖霊の働き(詩篇42)

2008-01-30 03:34:47 | 詩篇
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜうなだれるのか。
神を待ち望め。(詩篇42;6)


今、読んでいたある随想の中に
こんな事が書かれていた。


"・・・私たちの内に働いておられる聖霊は
 私たちを動かして、
 一日で最も忙しい時にも
 私たちの心の一部分をイエスのために
 とっておいてくださるのです。"
  (『毎日の黙想』2008年四旬節号 みことばの泉社)


その通りかも知れない。
日常の雑事に埋もれて掃き溜め同然の
自分の心のあり方を考える。
掃き溜めで一杯になった心から
私は時々キリストを締め出している。
その事に気づかされたのは、
先日の夜勤の夜。


日勤者から引継ぎを受けてすぐに
私は寝たきりの50人のうちの32人のベッドを
一人ずつ巡回していた。
残りの16人は遅番がフォローしてくれていた。
穴の開けられた気管から痰を吸引し、
流涎を拭き、
Yガーゼを交換し、
留置カテーテルの中の尿の流れを確認し、
点滴の残量と滴下数を合わせ、
吐き気や体熱感が無いかなどを見て歩いた。
たったそれだけの作業でも
時間はあっという間に過ぎていく。
早く1回目の巡回を済ませてしまわないと
経管栄養の栄養液が来てしまう。
チューブをつなぐ前に
出来るところまで
1回目の巡回の看護記録を書かなければ
もし急変があった時には
業務に時間的な皺寄せが大きく出てしまう。
それで急いでいた。


気管内吸引する最後の一人のベッドサイドから
ラジオの音が聞こえていた。
本人は植物状態で意識は全く無い。
脳血管障害で決定的な所に絶望的なダメージを受けて
意識が回復しないままもう何年経つのだろう。
ラジオは家族がいつも
耳元に置いてFMを聴かせているものだ。
ラジオの刺激でいつか意識が戻らないかと
僅かな望みを託して。


同じ病室のほかの人々も同様に
ラジオを聴いて音楽を楽しんだり気晴らしするなど
叶わない状態の人ばかりだ。
職員は時間に追われてせかせかと
入って来ては出て行く。
鳴り続けるばかりで誰にも聴かれない音楽。


その病室に入って、
一人目の喀痰吸引をしたり話しかけたりしている時、
ラジオの歌が耳に入って
聞き覚えのある歌だな、と思った。
二人目の吸引をしている時、気づいた。
ヘンデルのオラトリオの中の一曲ではないか。


No.38アリア(バス) 
 なぜ国々は騒ぎ立ち、
 国民はむなしくつぶやくか。
 地の王達は立ち構え、
 治める者達はともに集まり、
 主と、主に油を注がれた者とにさからう。
            (詩篇第2篇1~2節 新改訳)


微熱の人が多くて、
気管切開した穴から痰が噴き出す人が多かった。


No.39コーラス
 さあ、
 彼らの枷を打ち砕き、
 彼らの網を解き捨てよう。
             (詩篇題2篇3節 新改訳)


ある人は白色泡沫状、
ある人は黄色粘稠状、
ある人は透明水様状・・・
あの人もこの人もYガーゼが
噴き出した痰でべとべとになっていて交換した。


No.42アリア(テノール)
 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、
 焼き物の器のように粉々にする。
             (詩篇第2篇9節 新改訳)


最後の一人であるその人の気管吸引をしている時、
オラトリオは佳境に差し掛かり、
曲はハレルヤコーラスになった。


器械がジュルジュルと濁音を立てて
気管の穴から痰を吸い取る間ずっと、
私の横でラジオからハレルヤが聞こえていた。
こんな時にまで。


王の王、主の主。ハレルヤ。


あの時、
キリストが私の傍に立っていた。
掃き溜めたゴミで一杯の心から締め出されて。
無言で。

心の準備(詩篇42)

2008-01-28 12:59:46 | 詩篇
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜうなだれるのか。
神を待ち望め。(詩篇42;6)


さっき
近所の聖堂に入って
しばらく考え事をしようとしたけど
隣の幼稚園の子供達が引率されて大勢やって来た。
お祈りの時間だって。


「ほら、ちゃんと靴揃えて、
 そんなに走って階段で遊んでたら
 これから神様にお祈りするのに、
 心の準備が出来ないでしょ、
 ちゃんと心の準備出来たのかな、
 ・・そんな所に座らないで!」


皆、それぞれ
一人一人好き勝手に床に座り込んだり
中に入ろうとしなかったり
先走って階段を駆け上がったり降りたり
冬靴がなかなか脱げなかったり
全然違う方角見てぼーってしてたり
こんなに大勢いるとどれが誰だか
先生わかるのかな。


イエス・キリスト、よかったね。
あなたの大好きなちびっ子達が大勢来たよ。


あの子供達もいつか
それぞれに
生活を背負って
それぞれの現実を背負って
考え込んだりするのかな。


・・・心の準備・・・・・・神の前で祈る時の。

しみじみ。(詩篇19)

2008-01-26 00:01:35 | 詩篇
天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。(詩篇19;2~5)


ここ数日
自分がこれまでに撮った写真を見て
しみじみ。


何処までも高く深い空の青、
太陽の描く弧の大きさ、
光の屈折、反射、風の向き、水の動き。


これら全て主なる神の作品。
天地の造り主なる神の御業。


涯てしも知られぬ あまつ海原を
渡るや朝日の うららに匂いて
御恵みあまねき 父なる御神を
顕す光りぞ 日々に新たなる


暮れゆく空に 月星ほのめき
盈ち隠る影に 替わるきらめきに
永遠に変わらぬ 御神の真理を
顕す光りぞ 夜々に明かなる


昼はもの言わず 夜は語らねど
声無き歌声 心にぞ響く
「我等の生命に まします御神の
 律法は賢く 稜威こよなし」と
         (賛美歌74番 日本基督教団出版局)

神を賛美する(詩篇)

2007-10-15 14:30:21 | 詩篇
FEBC聴き書きノート
『神との親しみを深めるために
       ―祈りを身につける―』(英隆一朗司祭)


英神父様は、
FEBC放送の中で賛美の祈りについて語っている。


  自分が何かを出来た時、
  神の力によって自分はそれを出来たと考えて、
  神様の素晴らしさを褒め称える。
  それが賛美するという事。


  賛美するのは
  物事がうまくいっている時にするだけが
  賛美の祈りではない。
  苦しみの真っ只中で神を信頼し賛美する。
  苦しみ、困難、辛さ、絶望の中でこそ
  賛美の祈りの本当の力が働く。
  私達が苦しみの中にありながら
  その苦しみに巻き込まれない強い力が
  賛美の祈りにはある。


  賛美の祈りによって、
  苦しみは心を占領出来なくなる。


ああ。
そうだ。
その通りだ。
苦しい時であっても
苦しみに自分の心を占領させてはならない。


  多くの殉教者達は
  迫害の最中にあって賛美の祈りを唱えていた。
  苦しみに心を支配される事なく
  心が平安の中で自由な心で
  自分の生命を終えていく。


  賛美の祈りの中で私達の心は解放される。


聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。
三つにいまして一つなる
神の大御名褒め奉らん。
        (『賛美歌66番』日本基督教団出版局より)

修道女のライラック(詩篇1)

2007-06-07 22:21:19 | 詩篇
その人は流れのほとりに植えられた木。(詩篇1;3)


今日、
ご近所のカトリックの御聖堂に立ち寄った後、
敷地の端のライラックが花をつけているのに気づいた。
8年前、
私が札幌からここに来たばかりの時、
この教会には数人の修道女がいた。
皆高齢だったと思う。
中でも特に高齢らしい一人の修道女の方を
私は今でも時々思い出す。


「ライラックの元気がありません。
 札幌みたいに花をたくさんつけてくれません。
 気候が合わないのかしら。」


その人は
このライラックの木の下で溜息をついていた。
札幌の修道院から持って来た苗木なのだろうか。
札幌と違ってここ釧路は寒過ぎて
海からの潮風にやられる。
花や実のつく植物がなかなか育たない。


たまたま居合わせた時の立ち話で
その人が私に言った言葉を
私は今も時々回想し反芻する。


「あなたは
 よくこうしてお祈りにいらしてますね。」


お祈り・・・
祈りというよりは
自己嫌悪のドつぼにはまり込んで
自分のしでかした失態や迷いを
くよくよ考えているだけだった。
何でその時、
その人に話す気が起きたのか、
今もってわからない。
しかし私はつい全部話してしまった。
自分がプロとして最低な事も
人間として最低な事も。
手一杯仕事を抱えて時間に追われて苛立ち、
感情の抑制が効かない自分の事を話した。


その人は言った。


「あなたが悪かった失敗したと思えるのは、
 まだ生きている証拠です。
 忙しさに埋もれて、
 そんな事ぐらいどうでもいいと思うようになったら、
 もうそれは死んだものです。
 あなたは生きた看護をして下さい。」


あれから何年も経つけど、
その人の語った言葉は真実だと思う。


またある時、
準夜勤務から残業になって朝を迎えてしまい、
同僚と明け方3時過ぎから
夕食とも朝食ともつかない飲み食いをした後、
駅前を通りかかった時、
突然その修道女と鉢合わせになった。
その人は私に言った。


「まあ、あなたどうしたの。
 何て顔色なの。
 顔色が良くないですよ。
 自分の身体に気をつけなさい。
 自分が健康でなければ、
 他人の苦痛に目を向ける余裕がなくなります。
 自分が疲れていると、
 心の看護が出来なくなりますよ。」


その人と行き合って言葉を交わす度に思った。
キリストはすぐそばにいる。
キリストはすぐそばにいて、
私をじっと見ている。


その人が自らの事を私に語った時もあった。


「私はこの歳になって
 晩年を迎えて、
 自分がしてきた全部の罪を
 許して頂きたい、
 神様にも皆さんにも。
 許して許されて神様の元に行けたらと
 そればかり願ってます。
 だから
 私のためにも祈って頂きたいです。
 ・・・あら、変ね。
 どうして私、
 あなたにこんな話をしたいのかしら。
 おかしいわね。」


その人が見上げていたライラックは
あれから少し背が高くなった。
敷地の隣がコンビニの駐車スペースになって
陽を遮る物が無くなったからだろうか。


何年か前に
修道会がこの地から立ち去って
今では
近所のスーパーで買い物する修道服姿を
見かける事も無くなった。
でもこうして
世話する人がいなくなっても
木は年々成長して行くのだ。

言葉の響き(詩篇42)

2007-01-30 01:55:17 | 詩篇
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜうなだれるのか。
神を待ち望め。(詩篇42;6)


一昨日、
夜勤明けで黙想に立ち寄った近所の聖堂で耳にした、
幼稚園の引率をしていた若い女性の声が耳に残っている。


「ほら、ちゃんと靴揃えて、
 そんなに走って階段で遊んでたら
 これから神様にお祈りするのに、
 心の準備が出来ないでしょ、
 ちゃんと心の準備出来たのかな、
 ・・そんな所に座らないで!」


その言葉が自分に向けられた気がした。
これから神様にお祈りするための、
心の準備。
居住まいを正し、
身を整え、
心を鎮め、
自分の心に主なる神をお迎えし、
自分の心を主なる神に明け渡す。


 "あなたはここに祈りに来ているが
  あなたの主の御前で心の準備は出来ているのか。
  主なる神をお迎えし、
  自分の心を主なる神に明け渡すために
  自分の心を鎮め、整えているか。"


そう呼びかけられた気がした。
いつもそうだが
聞き流す平凡な日常会話の無数の言葉の中に
神から自分に向けられた言葉がある事に気づく。
特別な響きをもっていつまでも残っている。


私はいつも
あらゆる生活の雑用や経済的な事や
時間配分や
仕事の事で頭が一杯になっている。
頭が一杯だとくたびれるので
その疲労感を解消したくて
僅かでも時間を見つけると
すぐにそこら中を歩き回って
阿呆のように頭上の空ばかり見る。
時々雲の流れが変だとか
空の色が綺麗だと思うと
所構わず写真に収める。
ブログが徘徊の副産物で一杯になるほど。


落ち着かない、
むやみにうろうろして
祈る時ですら鎮まる事のない
自分自身の心のあり方を指摘された気がした。

聖書を味わう(詩篇119)

2007-01-22 18:28:34 | 詩篇
あなたの仰せを味わえば
わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。
                  (詩篇119;103)




聖書を読むのは楽しい。
面白いから。


聖書を読んで感じた事を分かち合うのは
とことん聖書にはまってる人とするのが楽しい。
イエス・キリストが大好きで
登場人物の誰彼に共感して
笑ったり怒ったり涙する事の出来る人。
聖書を読む事を楽しんで
神に感謝している人。


聖書を読んだ感想は
人のいる場所であまり口に出すべきではない。
何かの場でうっかり口に出すと
「いいお話でした。」とか
「勉強になりました。」とか
「熱心に聖書を学んでますね、
 私のような者はとてもとても・・・」とか
分かち合いにならない。
聞き流しながらもがっかりする。
喋んなきゃ良かったと思うし。


聖書を好きで読んで楽しんで、
別に褒められる類のものではないし
聖書を読む行為が
信仰の態度の良し悪しの評価になる訳でもない。
にも関わらず、
聖書を読むと時々変な事を言われたりする。
「熱心ですね」とか
「そんなに勉強しなくても」とか。
受洗して2、3年の頃は特に
母教会以外の人々からよく言われた。


(母教会の牧師先生や年配の教会員からは
 受洗したばかりの井上が
 『聖書読みの聖書知らず』にならないか
 受洗直後の一時は
 危機感をもって見られていたらしい。
 そのための警告も頂いた。
 ありがたい事だ。
 でもやがて
 私がただの幼稚な聖書おたくで
 楽しんでいる事に気づいてくれた。)


聖書を読む事が
成績の良い生徒が勉強熱心な姿勢を
学校の先生から褒められるような
そんな次元の評価をされるべきではないと
私は思う。
誰かに褒められたくて聖書を開くなどは論外。
それなら読まない方がいい。
読む事が虚栄心をくすぐる為だったり
苦行の手段ならば
別の方法で目的を達成出来る。
聖書を道具にしなくてもいいはずだ。


だから
聖書を読む自分も
週刊モーニングを読む自分も同じ。
読みたいから読む。
それ以上でもそれ以下でもない。


受洗からしばらくの間、
聖書にのめり込んで読んだのは
魂が長年の飢え乾きに耐えかねて
目の前に食える物を置かれ、
食べるための機能を与えられて、
ただガツガツと貪ってたのだ。
(腹へってたんだよね。)


ある日、
ゲストとして教会に来ていた80代の女性から
言われた。


  「聖書には
   貪るなと書いてあります。
   たとえ聖書であろうと
   貪ってはいけません。
   私はもっと読みたい時でも
   一日1章で我慢します。」


言いたい事は理解できる。
しかし
それこそパリサイ的発想。
聖書を一日1章しか読んではならないという戒律は
いつ誰が作ったのか。


読みたいから読む。
読みたいから読みたい所まで読み進んで何が悪い。
飢えてるから食って何が悪い。
するなと言われるとしたくなるものだ。
それで
私は聖書を裂いて持ち歩く事にした。


裂いて分冊した聖書を
通勤やバス地下鉄の待ち時間や
通院の待ち時間に常に持ち歩いた。
聖書という、
お弁当と言うかおやつと言うか
飢えを満たすための福音を
そうやって貪って、
受洗から2、3年の間は
年間4、5回くらい通読してた。
小学生がマンガを読み耽るように。


そうやって
いろんな事を感じながら聖書を読み続けた体験が
自分を取り巻く現実を見る時の見方に
自然と角度を変えて影響するようになって来た。


聖書を読む事は勉強ではない。
試験前夜みたいに四六時中聖句を暗誦したり
日常会話の中でいちいち聖書の引用をする必要もない。
息苦しくなったら祈る。
飢えたら聖書読む。
呼吸と食事は生きる事の基本だと教わってきた。
祈りは呼吸、
聖書を読む事は食事。


「聖書を貪るな」と
私を諭した80代の女性は
聖書に書かれている一字一句を
丁寧に味わい、
深く考えて
祈りながら感謝して頂く事の出来る70年間の
信仰生活を生きていた。
その女性が読む一日1章は
受洗2、3年で
聖書の味を知ったばかりだった私の一日1章とは
読む事の意味がまるで違う。


その人が聖書を読むのは
与えられた事を感謝し、
硬く乾いたパンを割って
音と感触を楽しみ、
薫りを喜び、
一口ずつ噛み締めて味わい、
養って下さる御方に心から感謝して
祈りを捧げるのと同じ。


一方、
私が聖書を読むのは
生まれて間もない乳児が
腹を空かせて泣き喚き、
理性も分別もなくガツガツと
味もわからず乳を飲むのと同じだった。


「聖書を貪るな」と
その人から言われた時、
私は思った。


いつかあなたのようになりたい。

待てない自分(詩篇42)

2006-10-15 10:34:14 | 詩篇
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。(詩篇42;6)


この一年を考えると、
私は自分がつくづく待てない人間だと認めざるを得ない。
主なる神のご計画をうすうす感じながら
知らないふりをしたり絶望したりした。


クリスマスに第一歩を踏み出して間もなく、
私の自己満足はぺしゃんこになった。


年明け早々、
父が自宅でクリスマスと正月を過ごすのは
これが最後だと思い込んだ。
大きくレベルが落ちてきているのが分かったのだ。
認知症までは至らないが、
自分で自分の事が出来なくなってきていた。
(老齢にならずとも、
 日本人のオスは元々
 自分の身の回りの事を自分で出来ないように
 躾けて育てられているし、
 父という人間の若い頃からの習性であって、
 驚く事も無かった筈だが。)


元旦早々、失禁頻回。
しかも床を汚したままそ知らぬ顔して
私が床を拭くのを黙って見ていた。
私はそうと知らずに家事をしながら
何度も濡れた床で足を汚した。
床の水濡れが父の尿だと気づいた時は逆上しそうだった。
我慢した。
手を上げないようにだけは我慢した。


医療従事者である私にとって
尿で床が汚れるなど何でもない。
それよりも洗濯物から垂れた水だと嘘吹く父の
プライドの高さに腹が立って私は言葉で追い詰めた。


洗濯物の水が何で黄色いのか。
何で全自動で脱水された洗濯物の水が
今座っていた椅子から台所、廊下、トイレの前まで
何故長々と濡らすのか。


紙パンツから脚をつたって流れるから
間に合わないと言って、
父は涙目になったが私は許さなかった。
紙おむつが一個残らず無くなっても
他人事みたいに知らん顔していながら、
夜の9時ぎりぎりに何度私を慌てて買いに走らせたか。
何で大量に買い置きしてある尿取りパットを使わないのか。
尿取りパットのあて方など何故自分で工夫しないのか。
誰でも自分で工夫しているのに。
汚して知らん顔して私が踏んで足を汚すのを
空とぼけて見ているのはどういうつもりか。
人に後始末させるのが当たり前と思っているのか。
どこまで甘えるつもりなのか。


しかし私は感付いていた。
尿失禁が頻回になってきたのは老化ではなく、
前立腺でもない。
多発性脳梗塞が拡大してきて排泄を
コントロールできなくなってきてるのではないか。
私が仕事に明け暮れている間に、
派遣で来ていた社会福祉協議会のヘルパーの作る食事が
秋頃から手抜きになっていた事に気づくのが遅れた。
これは私自身の責任だ。
約3カ月の間、父は一日置きに
地震時の非常用ストックのレトルトカレーを食べていた。


 「ご本人がカレーをお好きなので」


社会福祉協議会のヘルパーの責任者はそう言い逃れした。
私が気づいたのは、
父が歩けなくなって仕事を辞め、
エレベーターのあるマンションに引っ越してからだ。
片付いた部屋でヘルパーのノートを見て愕然とした。
レトルトカレーと魚卵、揚げ物の惣菜の羅列。
私は自分が働いている間、
ヘルパーが作る食事の内容まで細かくチェックしなかった。
あまりにも父の日常動作が悪くなって慌てて退職し、
引っ越して、
全て片付いてからヘルパーのノートをまとめて読み返し、
やっと初めて気がついた。


そういえば秋頃から急激に太ってきていてた。
腰から下の特に脚足が異常に浮腫んできていた。
動悸や息切れを訴えていた。
脳梗塞の後遺症で片足引き摺っているのに、
体重が増えたのだ。
歩けなくもなる。
心臓に相当負荷がかかっていたはずだ。


気づいてすぐにカレー、魚卵、揚げ物の惣菜を禁止にして、
私は失業中の職業訓練の帰りに
毎晩食事の煮物やおひたしを作るため父宅に通った。
食生活の改善で1~2カ月様子見て、
浮腫みが改善したらヘルパーにクレームを、
改善しなかったら元の勤務先で
心臓の検査入院させようと思った。
食事内容を変えて3ヶ月、
父の足から浮腫が完全に消えた。
全身状態の悪化は食事が原因だと証拠付けられた事になる。
私はヘルパーを派遣していた社会福祉協議会に
徹底的にクレームをつけた。
ヘルパーの派遣は別の事業所に移管して貰うよう
ケアマネージャーに調整を頼んだ。


しかし脳梗塞を繰り返す老人が
3ヶ月も高脂肪高塩分の食事を続けて
無事でいられるはずがない。
長期間の高脂肪高塩分の食事で進行した動脈硬化によって
悪影響が拡大するのは止められない。


カレー好きの私でも一日置きにレトルトカレーは食わない。
まして3ヶ月も。
父がどうしても食べたいとねだった訳でもないのに。
昨年秋の3ヶ月で
取り返しのつかないところまできてしまったと感じた。
こういう場合医師に相談しても無駄。
もう高齢だし何しても
これ以上良くはならないから何もしない。
医学的な積極的治療よりも
これ以上進行させないため、
食事と生活を注意すべき段階なのに、
一日置きにレトルトカレー食わせていたのでは。
入院などして治療をしたらしたで
本人が無用に苦しい思いをし、
寝たきりになってしまう可能性が高い。
脳外科受診時には主治医に一応報告だけして、
ケアマネージャーも脳外科のスタッフだから
採血データを注意すると協力が得られた。


ありがたいことだ。
この人の協力が無かったら
父を取り巻く状況は
悪化に歯止めがかからなかったに違いない。


父の状況悪化。
それは身体機能の低下、
日常動作能力の低下、
意欲の低下、
意識レベルの低下、
これらは父の努力と忍耐と私への気兼ねと、
私が失業してまで時間と手間隙をを費やした、
全ての事が無に帰す事を意味していた。
人間関係が億劫だと言いながら我慢して
デイケアでリハビリしてきた父の努力も、
父の生活環境を改善する為に私が仕事を辞めた事も、
不眠不休で一人物品整理と引越し作業をした事も、
全て徒労となる事を意味していた。


私自身、後々になって後悔しないようにと
随分いろんな事をしてきた。
父が脳梗塞になってからいろんな事を断念してきた。
札幌の脳外で正看コース進学を断念し、
釧路に来てから自分の時間はなく、
気がついたら信仰の砦だった黙想の時間すら失っていた。
そんなジレンマも終わりが近づいていると思うと
目の前が真っ暗になった。
こんな苦労は父が在宅で生活できる間だけだからだ。
夜の集会に誘いに来た友達の何気ない一言が突き刺さった。


 「えっ?夕食まだ食べてないの?
  お父さんと一緒に食べてあげればいいのに。
  どうして一緒に食べてあげないの?」


これ以上どうしろと言うのだ。
親切めいた脳天気な言葉に打ちのめされた。
その言葉は家族が仲良く自然に食卓を囲み、
一緒にものを食べるのが当たり前で暮らしてきた者にしか
吐けない言葉だった。
父や母と一緒の食卓でものを食べるまでに
これまでに
どれほどの忍耐と代償を必要としたかなど、
相手には想像もつかないのだ。
相手のその一言が引き金になって、
私の頭の中は呪詛と自己弁護で一杯になった。
被害者意識という悪霊が息を吹き返そうとした。


 「父が在宅で暮らせるうちに、
  私はできるだけ一緒に食べたり、
  一緒に何か見たり、
  時間を共有してやらなければならないと、
  札幌を離れた7年前の時点からすでに決心していた。
  現実は聖句の字づらを唱えるみたいには
  簡単なものではないと覚悟の上で釧路に来たのだ。
  絶縁して15年以上になる父親と一緒に暮らすために。
  言われるまでもなく
  毎年大晦日には年越しそばとかうま煮とか
  黒豆とかキンピラとかだし巻きとか雑煮とか、
  毎年必ず作ってきた。
  一緒に食べようと作って持って行って、
  全部捨ててきたのだ。
  この7年間。
  食べずに。
  毎年の事だ。
  夜勤だろうが何だろうが、
  料理を作って父の所に持ってってから出勤した。
  しかし父は箸をつけなかった。
  釧路では老舗の寿司屋から
  数万円もする御節料理を毎年予約して、
  父はそれを半分ほど食べるのだ。
  そして”格のある店の料理は味が違う”と言いながら
  金箔入りの酒を飲む。
  ここ数年は父が自分で取りに行けないので
  私がタクシーで取りに行ったのだ。
  夜勤明けの元旦に私が父宅に行った時は、
  父は取り寄せた料亭の重箱をつついていた。
  私の作ったものには一瞥もせず2日経ち、3日経ち、
  結局箸をつけることもなく全部捨てた。
  今年の料理も捨てた。 
  これで7年間。
  この思い上がった老人一人に
  どれだけの手間暇と食材と時間を費やしたか。
  自分の作った料理の重箱三段分全部を
  捨てて洗いながら思った。
  8年目はもうない。
  元々若い時からそういう人間だから父は。」


教会で、
あの引き金となった言葉を吐く人がまた私に言った。


 「ともちゃんは
  イエス様に仕えるように
  お父さんに仕えてるね」


虫酸が走った。
しかし忍耐。
教会でも忍耐。
信仰とは黙って忍耐し服従する事だ。
自分達家族の事を
キリストにつなげて考えると吐き気がした。
私はその人にメールで言った。


 「この次の正月を父も私もどうやって迎えるか、
  迎えることが出来るのかもわからないと思う。
  きっと父は自宅で年は越せないだろう。
  多分良くても循環器内科か脳外科の慢性期病棟か、
  あるいは老健で年越しだなきっと。
  祈りに覚えて貰ってたのに悪いね。
  限界だよ。
  引っ越した時、
  じじの寝室の窓の下に古い木製の台を置いた。
  夏になったら青い朝顔を置くから
  朝起きて窓の外に咲いてるのが見られるよとか、
  私はじじに言った。
  夏が来るまでに老健の入所の段取りをしなければ。
  疲れたな。
  引っ越したばかりだけど
  父が老健に入ったらあの部屋は引き払う。
  私も仕事探す。
  早急にね。
  いつかは父の写真見に来てくれてありがとう。
  虚栄心をくすぐられてたいそう喜んでたよ。
  私は疲れた。」


私は何と待てない人間だったのか。
年明けには
絶望して何もかも投げ出そうとしていたが、
正月明けからヘルパー派遣事務所を別の所に変え、
適切な生活援助を受けて
新しい在宅介護ヘルパーと人間関係も成立した父は、
今では週3回のデイケアの他に、
デイケアの無い日には運動のために
馴染みの喫茶店に連れて行って貰い、
話し込んで声を上げて笑うようになった。
ぼーっとする時間も減り、
デイケアでは囲碁を習い始めて勝負を楽しむまでになり、
一度は歩行を諦めて買った車椅子を置いて
ゆっくりと徒歩で喫茶店に行くまでになった。
この頃は虫眼鏡で『サザエさん』を読んでいる。


今年の夏には青い朝顔を楽しんだではないか。
青い朝顔のたくさん咲いた日曜日の朝に、
父は喜んで教会の礼拝に初めて与ったではないか。
昨晩から
ヘルパーが教会に連れて行ってくれるかどうか
気を揉んで心待ちにしているではないか。


待てない人間だった。
私は待てないで絶望する人間だった。

歩く(詩篇42)

2006-09-30 01:57:03 | 詩篇
昼には、主が恵みを施し、
夜には、その歌が私とともにあります。
私のいのち、
神への祈りが。(詩篇42;8)


一日の仕事が終わったその足で
父宅に向かう夜道を歩く。
ひたすら歩く。
嫌な事や
考えると胃が痛くなる事
寝不足な事
イライラする事
脚と腰が痛む事
自分の時間が削られている事
今現在にも
将来にも
何の希望も持てない事
金がない事
いろんな事を考えながら
うつむき、足を引き摺りながら
ただ歩く。
歩くとこないだ教会の礼拝で歌った子供達の賛美歌が
口をついて出てくる。


クムバーヤー 主よ クムバーヤー
クムバーヤー 主よ クムバーヤー
クムバーヤー 主よ クムバーヤー
ああ主よ クムバーヤー


意味は知らない。


今夜は珍しく
近所のカトリック教会の御聖堂に
遅くまで灯りが点いていた。
こんな時間に神父様が祈っているのかと思って
思わず鐘楼の前で立ち止まった。
こんな夜更けに御聖堂の中で一人、
祈りを捧げる人がいる。
その祈りに
門の外から自分も心を合わせようと思った。

このみちは(詩篇42)

2006-09-15 09:06:12 | 詩篇
昼には、主が恵みを施し、
夜には、その歌が私とともにあります。
私のいのち、
神への祈りが。(詩篇42;8)


高い声で。


 このみちは いつかきたみち
 あーあ、そうだよ・・・


綾子さんは
歌が大好きだった。
私達は帰り際に一緒に『いつくしみ深き』を歌った。
席を立つと、
綾子さんは子供のように私達を引き止めた。


「もう帰るの?
 もっと歌って。
 踊って。」


こんな風に歌を歌って、
あの人もこの人も、私も、
ほのぼのと毎日が過ぎていったら。

賛美歌(詩篇42;8)

2006-07-23 01:07:31 | 詩篇
昼には、主が恵みを施し、
夜には、その歌が私とともにあります。
私のいのち、
神への祈りが。(詩篇42;8)


私の母教会、札幌のメノナイト白石教会にいた頃、
知人から日本クリスチャン・ペンクラブ発行の
『祈りについて』という文集を一冊頂いた。


その中に寄せた一文の中で、水谷節子さんという方は
御自分の祖母の事を書いている。
400字の短い文章から鮮明な情景が浮かび上がってくる。
大正時代の受洗。
信仰生活60年。
賛美歌の好きだった人。
水谷さんのお祖母さんは60年という歳月の日々の生活の中で
賛美歌を歌いながらどんな事を思っていたのだろう。
愛用したのは足踏みのオルガンだろうか。
その背後にガラス越しの午後の日差し、
晴れ上がった高い空が見えるような気がする。


水谷さんは文中で言う。
「私は一人で耐えられないから賛美歌を歌う。」
私もそうだ。
この1行の文に言葉で言い表せないほど共感する。


意気消沈している時、人との語らいに飢えを感じる時、
無性に賛美歌や聖歌を
聴きたくなったり歌いたくなったりする事がある。
久しぶりに皆の顔を見たいと思っても日曜日がずっと仕事で
塞がったままひと月以上経った時、
道を歩いていて何となく唇から歌が出てくる。


礼拝に出られなかった日。
「神の力を常世に讃えん・・・」(賛美歌1番)
「力の主をほめ讃えまつれ・・・」(賛美歌9番)
今頃はもう礼拝が始まっているだろうな。
「天地こぞりてかしこみ讃えよ・・・」(賛美歌539番)
「父御子聖霊の・・・」(賛美歌541番)
今頃は頌栄を歌って礼拝が終わる時間だ。
「日々の糧を与えたもう恵みの御神はほむべきかな・・・」
                     (賛美歌?番)
今頃大鍋で作ったカレーを皆で食べているに違いない。
いや、うどんかな。


夜の聖書研究祈祷会に行けなかった夜。
「日暮れて四方は暗くわが霊はいと寂し・・」(賛美歌39番)
「わが霊の光、救い主イエスよ・・・」(賛美歌38番)
「静けき祈りの時はいと楽し・・」(賛美歌310番)
今頃は皆で聖書を開いて輪読しているだろう。
今頃はきっと皆で祈っている。
今頃はもう皆帰ったかな。
今頃は・・・・・。


今日も教会に行けなかった。
そんな事を思いながら一人で道を歩く。
気がつくと歩きながら歌っている。
「久しく待ちにし主よ疾く来たり、解き放ちたまえ・・・」
                     (聖歌620番)
「主よ御許に近づかん・・・」(賛美歌320番)
教会の喧噪が恋しくなる。
そんな時、無性に誰かと賛美歌や聖歌を歌いたいと思う。
何かの目的のためでなく、
何となく皆で手に聖歌や賛美歌の本を持って、
お互いの好きな歌を出し合ってリクエストして何曲でも歌う。
時間を気にせず、明日の仕事を気にせず、
一つのパンを皆で少しずつ分け合って食べるように、
一つの歌に込められた思い出なんかを語り合いながら歌う、
そんな事が無性にしたくなる。


手に余るような自信のない仕事を
一人でしなければならない時、気がつくと歌っている。
「わが身の望みはただ主にあるのみ・・」(賛美歌280番)
「神はわがやぐら・・・」(賛美歌267番)
「歌いつつ歩まん、ハレルヤ・・・」(聖歌498番)
歌いながらその歌を誰かと一緒に歌った時の事を思い出す。


 昼はもの言わず
 夜は語らねど
 声なき歌声
 心にぞ響く(賛美歌74番より)


いつも気がつくと歌っている。
誰かが一緒に歌ってくれる気がして。

信じる理由(詩篇8)

2006-07-13 01:32:50 | 詩篇
人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。(詩篇8;4)



私はイエス・キリストを信じています、という時に
その理由を聞かれた事が2度ある。
イエス・キリストを信じる理由。


準看の学校を卒業して正看の学校を受験した時。
一次の筆記試験に合格し、
二次の面接で聞かれたのは私の信仰についてだった。
自分が信徒である事を公にしたいのと、
両親とは当時まだ絶縁状態だったので他に誰も頼める人がなく、
願書の身元保証人を
私に洗礼を授けて下さった牧師先生にお願いした。
相手はそこに注目した。
面接の担当者は札幌市医師会の役員で市内の開業医だった。
「あなたは神を信じてるんですか?」
「はい。」
「じゃあ、あなたは
どんな時でも神が助けてくれると思ってる?」
「はい。」
「病気になっても?」
「はい。」
私が「はい」と答えた瞬間、
その医師の顔に侮蔑的な笑いが浮かんだ。
私は自分が不合格だと直感した。
「ふん。じゃあ医療なんぞ要らないだろう。
神頼みで病気が治るんだったら簡単だよな、
医者も薬も看護婦も無意味だ。要らんだろう。」
私は反論せず黙っていた。
「で、あなたはどうしてクリスチャンになったんですか。」
どうして。信仰の理由。
ただの興味本位に過ぎない質問だったが、
答えられる限り答えようとした。
しかし、
今思い出しても私の答えは信仰に至る経緯の説明に過ぎず、
信仰の理由を的確に語ってはいなかった。
当然結果も不合格だった。
答えられないのは、
自分が何故生まれたのかわからないのと同じだと思った。


その数年前にも同じ事を聞かれた事があった。
私が洗礼を受ける直前、
家庭集会で知り合ったSさんは、
ある夜帰りの地下鉄の最終を逃してしまった。
結局その晩は私の狭い部屋に泊まって、
教会の事、信仰の事、
お互いの家族の事を明け方まで話し込んだ。
Sさんと私とはそれぞれが家族の事を重荷に感じていたが、
抱えている悩みこそ全く違う種類の別物でありながら、
生まれ育った家庭環境に
自分の身の置き場を見つける事が出来ないという一点だけで
お互いに共感し合っていたと思う。
Sさんは私に聞いた。
「あなたはどうしてイエス・キリストを信じるの。」
どうして。
どうしてという、キリストを信じる理由を
的確に表現する言葉は見つからなかった。
Sさんは私が洗礼式の信仰告白のために準備していた文章を
読んでこう言った。
「あなたには
イエス・キリストでなければだめだという事はわかった。
でも私は違う。
救ってくれさえすれば誰でもいいの。
おシャカ様でも、他の何かでも、オウムでも、統一教会でもね。
私はクリスチャンに向いてないね。
やっぱりもう教会に行くのやめるわ。」


私の書いた信仰告白の文章はSさんの躓きになったのだろうか。
洗礼式の後に、
全教会員達の前で読み上げるために書いたその文章は、
自分が信じるに至った正直な心境を書いたつもりだった。
しかしそれはSさんの問いに対する解答ではなかったのだろう。
Sさんの求めていたものではなかったのだ。
教会に行くのをやめると言われても私は別に動揺しなかった。
むしろ人を動揺させ関心を引いて
掻き回そうとするのかと内心憤慨した。


私は自問自答した。
何故私はキリスト者になったのだろう。
宗教色のない家庭に育ったのに、
自分にとって信じる対象は
イエス・キリスト以外であった事がなかった。
思想や哲学書、
占いや宗教書を興味本位で弄んだことはあっても、
クリスチャンの人々が嫌いだった時も、
教会に幻滅して一度離れた時も、
聖書など読んだ事もなかった時から既に、
心の奥底の一番重要な座を占めているのは
常にイエス・キリストだけだった。
何故イエス・キリストでなければならなかったのか、
他のものでは何故だめなのか私にはわからない。
イエスの教えも知らなかったのに、
信じる信じないに関してはどうしてもキリストにこだわった。
どうしてか。
いくら自己分析してもこれ以上分析のしようがない。
自分はイエス・キリストに対して言葉で説明できない、
懐かしい感情を抱いているとしか、
Sさんに伝える言葉が見つからなかった。


Sさんと私とは同じ教会ではなかった。
私よりもひと足早く洗礼を受けたいと申し出て、
突然それを撤回して周囲を慌てさせる事を数回繰り返し、
その時Sさんの授洗は留保されたままだった。


当時私の自宅によく無言電話がきた。
家庭集会の食事の席で私は愚痴をこぼした。
「昨夜また無言電話があってさぁー。」
Sさんがさらっと言った。
「あ、あれ私。」
「何かあった?」
「ううん。何でもない。」
そんなやり取りを何度かした。
私は無言電話がくるとまたSさんかなと思うようになり、
やがて驚かなくなった。
「何かあった?」と聞いても、
Sさんは不可解なうす笑いを浮かべて何も答えなかった。


ある時一緒にコーヒーを飲んでいると、
「見て。」
Sさんは私に秘密の宝物を見せるようにテーブルに出した。
数錠の睡眠導入剤だった。
「持ち歩いてると安心するの。」
わざわざそれを私に見せびらかしたSさんの動機。
何だろう。
自分の病巣を露出して同情を引きたいのかと、
気分が悪くなって邪険に言った。
「捨てなよ。そんなものまとめて飲んでも死なないし。
記憶障害起こすだけなんだから。」
Sさんはその時も笑っていた。
「いいの。お守りにしてるだけ。」


Sさんが心理的に追い詰められていると知ったのは
ずっと後になってからだった。
Sさんは家庭集会から地下鉄までの道を歩きながら
私に話してくれた。
中学で苛めにあった弟が統合失調症になり、
部屋に引き籠って壁に穴を穿ち、
父親の背広を切り刻み、母親に手をあげていた。
弟は受診も服薬も拒否し、
騙して食事に薬を混ぜるのも難しかった。
母親は心臓を悪くして寝込んでしまい、
父親は世間体を気にして弟を病院に連れて行こうとしない、
と話す当のSさん自身も家族の中で孤立感に苛まれていて、
ひどく情緒不安定だった。
そんな状況から救ってくれるならキリストでなくても、
誰でもいいとSさんは私に言っていたのである。


クリスマスの前夜、
Sさんと私は教会のクリスマスの祝会で会う約束をしていた。
皆も当然Sさんが現れるものと思っていたが、
電話もつながらず、結局来なかった。
Sさんは翌週の家庭集会に現れた。
「Sさんが来るかと思って皆待ってたのに、
何で来なかったの?」
どんよりした表情に曖昧な笑みを浮かべたSさんの言葉に、
私は絶句した。
「行くには行ったの。
教会のドアを開けると皆の声がして、
賑やかで楽しそうで、幸せそうで、それで、
あ、だめだと思って引き返して帰った。」
教会の入り口まで来て、誰の顔をも見ずに引き返した・・・。
言葉が見つからなかった。
考え込んだ私に、家庭集会の主催者は言った。
「そっとしておいてあげなさいよ。」


その後私は病院勤めに入り、
それまでとは別世界で試行錯誤した。
Sさんが間もなく洗礼を受けたと人づてに聞いた。
不合格だった正看コースへの再受験を目論みながら、
準看として臨床1年目に入り、無我夢中だった11月になって
熟年離婚の後一人暮らししていた父が脳梗塞で死にかけ、
私は進学を諦めて札幌を離れた。



Sさんと最後に会ったのは一昨年だ。
偶然行き会ったSさんは溌剌と輝いて見えた。
何て美しくなったのだろうと思った。
あの腫れぼったく暗い、掴みどころのないうす笑いは消え、
しばらく留学していたと話す声も表情も、
別人のように生き生きとして、
ああ本当のSさんはこんなに明るくてチャーミングなのだと、
もう信仰の理由とか迷いとかを突っ込んだり絡んだりもしない、
これから仕事探して働いて、
どんどん前に進むのだな、と思った。
また私が札幌に来たら会って
ゆっくり話そうと言ってお互いに別れた。
私は再会を疑わなかった。


それから数ヶ月後、私は手術場の長時間の立ち仕事のためか
腰椎椎間板ヘルニアで入院していた。
痛みで身動きならない時にSさんからメールが来ていた。


 仕事は仏教系の学校に決まってそこで働いてます。
 私なりの反逆なの。
 あの後私は教会とは距離を置いていて、
 今はもう行っていません。
 私にとって教会と呼べるのはあの家庭集会だけです。


私から返信したのは
急性期の痛みが落ち着いてかなり日数も経ってからだった。
入院中だとは知らせなかった。
何かただならぬ事が起きている気がして、
私の椎間板の話などどうでもいい気がした。
とりあえず返信してみた。

 元気?
 家庭集会懐かしい。
 今、誰と誰が来てますか?
 Kさんは元気?
 聖書の何処を読んでますか?
 仕事決まってよかったね。
 でも何でそれが反逆なの?

Sさんからは
「Kさんは元気だよ、いつも元気」とだけ返事が来た。
もう一度送信してみた。

 何かあった?

Sさんから返事はなかった。
私は「何かあった?」の送信を数回繰り返して苛立ち、
「またか。」
諦めた。


間もなく私自身が自分の事だけで精一杯な立場に追い込まれ、
Sさんに連絡をする事も念頭から遠退いてしまった。
椎間板を手術するか保存治療するかで揉め、
入院生活が耐えられず自宅療養する間に配置換えされ、
一から検査全般の業務を覚えなければならなくなって慌てた。


検査業務を覚えるのに必死だった年の暮れ、
久しぶりに教会に行って、Sさんの訃報を知った。
12月24日の夜に急病死したとだけ。
急病死。急病って何の?病名は?
心筋梗塞らしいと噂を聞いた。
急性心筋梗塞・・・12月24日の夜に?
詳しい事情は誰も知らない。
死後数日経ってから勤務先で学校葬として行なわれた葬儀は、
仏教式だった。


Sさんあなたいつもそうだったよね。
胸騒ぎ起こさせるような、
SOSのサインみたいな言葉を投げて寄こして、
聞き返そうとすると
わざとすり抜けて逃げて私達を慌てさせてた。
ずいぶん混乱したよ。
何回も。
昔からそうだったね。
追いかけたり引き止めたりして欲しかった?
何で反逆なの。
あなたを慕ってた生徒が大勢集まって
皆泣いてたと聞いたよ。
何で12月24日の夜なの。


ちゃんと会って話したかったね。
また会って話せると思ってた。
何故信じるかって、
神を信じるために、理由なんて必要だろうか。

最低最悪(詩篇44)

2006-07-07 23:00:49 | 詩篇
神はこれを探り出されないでしょうか。
神は心の秘密を知っておられるからです。(詩篇44;21)


看護助手の時も3交替の夜勤があった。
夜勤明けには天気が良ければ
バスに乗って昔卒業した大学の礼拝堂に行った。
前夜は休憩する時間がなかった。空腹だ。
礼拝が始まるまで時間がある。
いつもは隅っこのベンチでいちゃいちゃする男女がいたり
二日酔いで潰れた学生が密かに熟睡していたりするが、
その日は誰もいなかったので
二階の隅のベンチで食ずに持ち帰った弁当を開いた。
夜勤の休憩のために作ったおむすびと卵焼きは硬く冷えて
米粒が砂利のようだ。
前夜の自分の仕事ぶりを思い返す。
「あの仕事はお前の最善だったか?」
耳元で誰かに言われた気がした。
いいえ。最悪でした。


脳外科で看護助手の仕事をするようになって以来、
私は教会絡みの人の集まる場所でいろんな人から
歯の浮くような言葉をかけられるようになった。
教会に集まる人々は何故か
「可哀想な人を救ってあげる」という話が好きだ。
「大変なお仕事ですねぇ」
「病める人々に尽くすなんて素晴らしい。
立派な証しになりますね。」
何だ?立派な証しって。何それ。
「シモの世話までするんですか。偉いですねぇ。
でもそんな時はやっぱりゴム手袋つけるんでしょ?
まさか素手でやらないですよね、そんな事。」
何がやっぱりだ。何がまさかだ。何がそんな事だ。
私は愛想笑いをしながらイライラしていた。


あなたも可哀想な人を救ってあげて
賞賛され感謝されたいですか。
でもあなたは臭いのと汚いのと醜いのは嫌いでしょ。
ゴム手袋なんて、
いちいちつけてたら患者さんの急場に間に合わなかったり
仕事にならない事くらい想像できませんか。
だから感染症を媒介しないために何度も何度も手を洗って
消毒して、手の皮も爪もぼろぼろなんだよ。
それよりあなたは自分が寝たきりになったら
ゴム手袋をつけた手で身体を触られたいですか?
正直ですね。
あなた今、聞きもしないのに言いましたね。
「私は大小便垂れ流して他人にシモの世話をされるくらいなら
死んだ方がましです」って。
あなた本当に正直だ。
私が毎日接してる患者さん達は皆、
あなたの目には死んだ方がましなんですか?。
そして毎度の事だけど、
話がどんどん見当違いな方角に脱線しますね。
「死んだ方がまし」から高尚な「尊厳死」にまで
話が一足飛びに飛躍しましたね。
凄い飛躍ですね。
今あなたが死んだ方がましと言った人々の苦しみで、
私は生活しているんですよ。
理解して貰いたいとも思ってませんけどね。
うんざりしてるんですよ。
教会がらみの人の集まりに行くと
必ずこの種類の会話をしたがる人が
毎度毎度私に近寄って話しかけてくるのは何故でしょう?
そうでした、あなたは自分の手を汚すの嫌いでしたね。
それならちょっと黙ったらどうですか。
実際に自分の手を他人の汚物で汚さなければ
わからない事だと思いませんか。


手を汚してもわからない者がここにいる。
ここで冷えた握り飯を噛んでいる。
前夜やたらとブザーを鳴らす人がいた。
ほとんど1分間隔で鳴らす。ブザーを握ったままなのだ。
「今は昼の3時かい、夜の3時かい。」
「夜の3時ですよ」
そう応えながら振り向くとその向かいのベッドの人が
鼻の管を抜いてくりくりくり…と捻って遊んでいた。
看護師が管を入れ直す間に、その人はまたブザーを鳴らした。
「オシッコ。」
トイレに連れて行き、便座に座らせて一歩廊下に出た途端、
またブザーを鳴らす。
「今何時?」
「4時。」
トイレが済んで病室に戻るとすぐにまたブザーを鳴らす。
「猫だ。猫がいる。」
猫は隣の人のベッドの下の尿瓶だった。
再び鳴らす。行って見るとベッドの横で棒立ちになっている。
「かっ…固まった」
すくんで動けないまま失禁していた。
身体を拭き、寝衣とシーツを換え、床を拭く。
他の病室からも1分間隔でブザーが鳴っている。
私達は採血の準備がまだ、記録がまだ、
今日までに作らなければならない次週の入浴予定表がまだ。
時間がどんどん飛んで行く。
焦っているとまたブザーが鳴った。あの人だった。
家族がずっと面会に来なくて寂しいのは分かってる、
分かってるけどもういい加減してくれ勘弁してくれ
今度は何なの。
内心苛立ちながら私は病室に走った。
「どうしたのっ」
その人はブザーを握ったまま言った。
「あんたにサンキューって言おうと思って。」
その時
あの人と私との間にはキリストが立っておられたと思う。
その人は私に「サンキュー」と言った。
虐げられた人が
虐げた者に向かって「サンキュー」と言った。
私は自分が大嫌いだ。むかむかする。
偽善者。
最低最悪。


看護助手が看護学生になって、
卒業後のお礼奉公が1年経たないうちに
生まれた土地に戻って来なければならなくなった。
当然転職。臨床1年目なんて何の経験もないのと同じ。
修行のつもりで救急病院の
外科と循環器内科の混合病棟に入った。
配属は外科。3交替。


ここでも私はまた同じ事をした。
前夜、午前0時過ぎに外科の末期癌の患者さんが亡くなった。
医師の臨終宣告、遺族への挨拶、死後処置を済ませる間に
まだ到着しない親族を待ちながら他の患者の業務もする。
他の病室の患者さん達からも頻繁にブザーで呼ばれる。
やっと遺族全員が集まり、
これで霊安室に誘導できるという時に、
循環器内科の患者さんが同僚の目の前で急変、
心肺停止した。
(後でわかったが心破裂だった。)
先輩が心肺蘇生する間に同僚は医師を呼び、
私は家族を電話で呼び出した。
循環器の医師が間もなく来た。
急変した人の家族にはすぐ連絡がついたので、
私の手が空くのを待っている遺族と遺体を
急いで霊安室に誘導しなければならない。
ストレッチャーを運んでいるとまたブザーが鳴った。
消灯からずっと眠らずにブザーを鳴らし続けている人だった。
「毛布をかけてくれ」「ちり紙を取ってくれ」
「尻を掻いてくれ」「今何時だ」「女房に電話してくれ」
「やっぱり毛布はどけてくれ」「ちり紙を床に落とした」
「寒いから毛布かけてくれ」「今何時だ」
動けない人ではない。
消灯になって妻が帰ってしまうと寂しいのだ。
彼はブザーを鳴らしても看護師がすぐ来ない事に苛立って
ブザーを握ったままずっと鳴らし続けていた。
私は彼のベッドサイドに走った。
「おい、背中掻いてくれよ。」
遺族が待っている。
結局言う通りにしたが、
手早くささっと掻いてもその人は満足しなかった。
「もっと丁寧にゆっくり掻いてくれ。」
「悪いけど今ゆっくり掻いてあげられない。
自分で掻けませんか。ほら、手が届きますよちゃんと。」
不満そうなその人を後に残して私は遺族の所へ走り、
霊安室に遺体を搬送し、走って病棟に戻り、
急変した人の処置に加わった。
急変した人は一度ICUに入り、
心臓外科のある病院に搬送された。


中断していた業務に戻り、
残務と後片付けが終わって外に出ると
午前1時に終わるはずの勤務は4時を過ぎていた。
帰宅して横になってみたが眠れなかった。
むかむかしていた。プロのする事じゃない。
他の患者が死んだ事も、別の患者が急変した事も、
あの人には何の関係もない。
あの人には
看護師に心よく背中を掻いて貰う当然の権利があった。
自分がその権利を無視した事を反芻していた。
私はこういう自分が大嫌いだ。
最低最悪。


午後になってぶらぶらと外を歩き、
近所のカトリック教会の聖堂に入った。
かつて考え事をする場所は母校の大学礼拝堂だったが、
この土地に移ってからは
よく近所のカトリックの聖堂にお邪魔して黙想・・というよりは
ぼーっとしていた。
ここは滅多に人を見かけない。
その日は神父様も留守番の女性も見かけず、
私はいつも通り聖堂のベンチに座った。
しばらく座っていると足腰がだるくなったので、そこを出た。
門の所に修道女が立っていた。
小柄でかなりの高齢だ。
挨拶をするとにこやかに話しかけてきた。
いつもはその時間帯に修道女を見かける事は殆どなかった。
その人に挨拶しながら思っていた。
今日に限ってどうしてこの人はここにいるのだろう。
「あなたはよくこうしてお祈りにいらしてますね。」
お祈り・・・お祈りというよりは・・・
何でその修道女に話す気が起きたのか、自分でもわからない。
しかし私は前夜の事をつい全部話してしまった。
自分がプロとして人間として最低な事も。
修道女は私に言った。
「あなたが悪かった失敗したと思えるのは、
まだ生きている証拠です。忙しさに埋もれて、
そんな事ぐらいどうでもいいと思うようになったら、
もうそれは死んだものです。
あなたは生きた看護をして下さい。」


その修道女はこうも言った。
「自分の身体に気をつけなさい。顔色が良くないですよ。
自分が健康でなければ、
他人の苦痛に目を向ける余裕がなくなります。
自分が疲れていると、心の看護が出来なくなります。」


キリストはすぐそばにいる、と思った。
キリストはすぐそばにいて、私をじっと見ている。