主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
全てのものの上にあり、
全てのものを貫き、
全てのもののうちにおられる、
全てのものの父なる神は一つです。(エペソ4;5~6)
教派の違い。
「カトリックとプロテスタントは
どこが違ってどこが同じか」
という題材で幾つか本が出ていて、
それらを私も読んだ。
読後の感想はいずれも、
なんじゃー
だった。
釧路に来てからの8年間、
教派を超えて色々な教会が集まった市民クリスマスや
朝祷会に集まった各派の教会や
近所のカトリック教会など、
いろいろな教会のキリスト者の皆さん達と出会ってみて、
キリスト教をカトリックとプロテスタントの
二分割で比較するのは無理があると思った。
カトリックの方の立場から見れば
皆十羽一絡げにプロテスタントだが
個々に全然違った独自の教会文化を持っている。
何処がどう違うか考えるだけでも
甚だややこしく面倒くさい。
そもそもプロテスタントは
一つの教派でも一つの教会でもない。
例えば朝祷会に参加すると
参加する各教会が毎月持ち回りで会場を提供し、
集会の仕方も当番の教会のやり方で行なうが、
お祈りの仕方一つ取っても全然違っている。
(違いに戸惑ったりするところが面白い。)
私が釧路に来て朝祷会で参加した教会は、
キリスト福音館
日本アッセンブリーオブゴッド教団
日本キリスト教会
日本基督教団
日本聖公会
日本バプテスト連盟
日本福音ルーテル
自分の所属する日本メノナイト。
この他に
インマヌエル綜合伝道団、
救世軍、キリスト兄弟団、
セブンスデー・アドベンチスト(SDA)、
日本福音キリスト教会連合(OMF)、
など、
事務局としては参加を呼びかけたが
諸事情で参加が実現しない教会ももちろんある。
ただ確実に言える事は、
いずれの教派の教会も
どんどん人口流失して
パチ屋とサラ金と葬儀屋と廃屋ばかり目立つ
この厳しいド僻地で
祈りの灯を絶やさず何十年も
キリストの体である教会を支えてきた、
忠実な信仰者がいるという事。
私の古いワープロ器に残る朝祷会月報の原稿には
各教会の牧師先生や長老や信徒の方々が
聖書を開き祈って証しした記録が今も残っている。
忠実な信仰者の足跡だ。
市民クリスマスでは
正教の司祭様やOMFの牧師先生や宣教師の方とも
一緒に実行委員会やったりした事もあった。
昭和40年頃の市民クリスマスは
市内の殆どのキリスト教の教会が集まって
当時の写真見ると、
これ一体何人いるのかな、
学生服の人やら私服の人やらローマンカラーの人やら
すごい人数の人々が集まって
ヘンデルのハレルヤを歌ったらしい。
そんな風に教派間の交流が盛んだったら
たまに一緒に集まって年に1回大合唱もできるが
現実にはこの地のどこの教派も牧師不足、司祭不足、
教会員の高齢化で
超教派で集まるのが厳しくなってきている。
日曜日の礼拝は
当然私は自分の所属教会以外に行く事はないので
自分の所属教会以外でどんな礼拝の仕方をしているかは
知る事が出来ない。
でも週日に近所のカトリック教会の御ミサに
お邪魔した事は何度かある。
中に入る時、つい習慣でお邪魔しますと言ったら
イタリア人の神父様に言われた。
「邪魔じゃないよ。
邪魔という言葉を使ってはいけない。
邪魔な人なんていない。」
大らかで好きだなこういうの。
では各教派の違いは何かというと、
キリスト教が輸入された時に一緒について来た、
輸入元の文化だと私は思っている。
極楽トンボの私には
異文化コミュニケーションが楽しい。
えっと、
教派についてだらだら書いたので、
『改宗』についても書こう。
先に書いた近所のカトリック教会で、
私の所属するメノナイト教会から改宗した人と出会った。
配偶者が幼児洗礼を受けていたためカトリックに移ったが、
その人はメノナイトで受けた洗礼を無効と見なされ、
もう一度洗礼式を受け直したと聞いた。
私はその人に尋ねた。
「それまでの信仰を全て否定されて、
あなたは辛くなかったですか?」
その人は私に答えた。
「私は2度めの洗礼式の時には泣いたけど
神様は元々一人しかいませんから。
私は置かれた場で忠実に信仰を守るのです。」
その教会で私はもう一人の信徒と出会った。
配偶者がカトリックで受洗したため
SDAからカトリックに改宗していた。
その人もカトリックに移る時に未信者として
一から洗礼を受け直したと聞いた。
私はその人にも尋ねた。
「それまでの信仰を全て否定されて、
あなたは辛くなかったですか?」
その人は私に答えた。
「寂しくないと言えば嘘になる。
でも大した事じゃない。
人間は幾つも教派を作るけど
神様は一人しかいないから。」
彼らは
自分の好き嫌いや意志で各教派を渡り歩いた末に
改宗の道を選んだのでは断じてない。
幼児洗礼を受けたまま
教会から遠ざかっていた配偶者を持ち、
或いは
自分の所属教会で躓いた求道者を配偶者に持ち、
何とか家族で一緒に教会につながる事を切望した結果、
自分の所属教会を後に置いて、
というよりも
神様が備えて与えて下さったものをお返しして
行けと言われた所に行ったのだ。
数あるキリスト教の教会の中で
自分の所属教会は神様から一方的な恵みとして
自分に与えられた信仰生活の場と私は考える。
そんな所属教会での信仰生活を無効なものとされた時、
どれ程の痛みを彼らが味わったか、
置かれた場所でぬくぬくとしている私には
想像もつかない。
教派によって
考え方やシステムが違うのは当然だし
仕方のない事だと思う。
それぞれの教会の長い歴史の中で
色々な問題を乗り越える過程で
起こってきた相違だと思う。
私が出会った二人が
元の所属教会からカトリックに移った当時の司祭は
たまたま他教派に対して
防衛的な考え方の持ち主だったかも知れない。
実際、
カルトが未信者や他教派からの転入者を装って
羊泥棒を働く事が現実にない訳ではない。
責任ある立場の教職者が
他教派から来た者を警戒するのは仕方のない事。
それでも踏みとどまったのは
彼らに留まるべき確信があったからだと思う。
彼らの信仰は立派だ。
人に目を奪われずに神を見ている。
与えられたものに固執せず
先に信じた者の責任を果たすために
自分が置かれた場所で忠実に働いている。
そういえば
ルーテルから改宗した人は
洗礼を受け直したりはしていなかった筈だ。
プロテスタントと言っても
カトリック側からキリスト教として認めるものと
認めないものとがあるんだろうなきっと。
ルーテルや聖公会は
カトリックと共通点が多い。
カトリックの側からプロテスタントと
十羽一絡げに呼んでも考え方も歴史も一つ一つ違う。
プロテスタントという名称の意味からして
何百年か前の
当時のカトリック教会に歯向かって出て行った人々を
カトリック側から呼んだ総称であって
一つの教会でも教派でもない訳だから
比較すること自体無理があると思う。
キリストを救い主と信じるところだけ共通で
あとは違って当然。
改宗者に洗礼を受け直させる事の是非は
私が考える問題ではないし、
カルトの危険を念頭に置けばむしろ当然かも知れない。
個人的に批判的な気持ちは全くない。
私達メノナイトという教派の先人達だって
何百年も前には弾圧されて火炙りとか
説教してた人は生きたまま舌を引き抜かれたとか
本には書いてあるけど
今現在弾圧されてる訳ではないし私個人には無関係だ。
私が出会った人々は、
自分の教会に不満を持って
後足で砂をかけて飛び出して来たのではなかった。
教会で人間関係や何かに躓いて教会を去り、
別の教派の教会に行って元いた教会を悪く言う、
行く先々の教会を掻き回す、
そんな渡り鳥みたいな人達がよくいるが
教会間、教派間に摩擦や衝突を生じさせる。
しかし
ここで私が取り上げた人達は二人共違う。
会って話を聞いた時、
ああ、この人は私の想像も及ばないような犠牲を捧げて
配偶者を教会に引っ張って来たのだなと思った。
私だったらあり得ない。
日頃教会に行きもしない亭主が
「オレは幼児洗礼だった。
だからお前、
教会に行くならカトリックに変えてくれ。
ならばオレも行く」
などと言っても
私であれば「だから何?」で終わる。
或いは
自分の亭主が受洗前に教会で牧師とケンカして出て来ても、
自分までもが一緒について教会を去って
亭主を受け入れてくれる教会を探し訪ねるなどしない。
しかも
それまでの自分の元いた教会での信仰は認められない、
一から未信者として洗礼を受け直すなど
私ならあり得ない。
これ、
一見教派の問題に見えるけどそうではないよね。
私が彼らの立場だったら間違いなく自分を最優先する。
自分が誰かのために他教派に改宗する事はしない。
まして
一生分の祝福を頂いた教会という自分の居場所を失って
そこで受けた信仰の恵みも
行く先の教派では否定され無効とされる、
そんな代償を払ってまで
相方の信仰を考えたりは出来ない。
しかし、
どっちがキリスト者として
教えを忠実に実践しているかと言うと、
私ではなくこの人達であろう。
信仰の恵みは一方的に神様が下さったもので
自分が立ち上げた訳でもなく
自分の物でもないから、執着するのはエゴである。
「自分がここで犠牲を捧げないと
自分の配偶者は一生教会に行けない
かも知れないと思った」
と、二人のうちの一人は私に言った。
もう一人の人の改宗の動機も同じだった。
信仰者だなぁ。
すごいと思う。
例えそう悟ったとしても
私だったら自分が一度貰ったものは手離せない。
全てのものの上にあり、
全てのものを貫き、
全てのもののうちにおられる、
全てのものの父なる神は一つです。(エペソ4;5~6)
教派の違い。
「カトリックとプロテスタントは
どこが違ってどこが同じか」
という題材で幾つか本が出ていて、
それらを私も読んだ。
読後の感想はいずれも、
なんじゃー
だった。
釧路に来てからの8年間、
教派を超えて色々な教会が集まった市民クリスマスや
朝祷会に集まった各派の教会や
近所のカトリック教会など、
いろいろな教会のキリスト者の皆さん達と出会ってみて、
キリスト教をカトリックとプロテスタントの
二分割で比較するのは無理があると思った。
カトリックの方の立場から見れば
皆十羽一絡げにプロテスタントだが
個々に全然違った独自の教会文化を持っている。
何処がどう違うか考えるだけでも
甚だややこしく面倒くさい。
そもそもプロテスタントは
一つの教派でも一つの教会でもない。
例えば朝祷会に参加すると
参加する各教会が毎月持ち回りで会場を提供し、
集会の仕方も当番の教会のやり方で行なうが、
お祈りの仕方一つ取っても全然違っている。
(違いに戸惑ったりするところが面白い。)
私が釧路に来て朝祷会で参加した教会は、
キリスト福音館
日本アッセンブリーオブゴッド教団
日本キリスト教会
日本基督教団
日本聖公会
日本バプテスト連盟
日本福音ルーテル
自分の所属する日本メノナイト。
この他に
インマヌエル綜合伝道団、
救世軍、キリスト兄弟団、
セブンスデー・アドベンチスト(SDA)、
日本福音キリスト教会連合(OMF)、
など、
事務局としては参加を呼びかけたが
諸事情で参加が実現しない教会ももちろんある。
ただ確実に言える事は、
いずれの教派の教会も
どんどん人口流失して
パチ屋とサラ金と葬儀屋と廃屋ばかり目立つ
この厳しいド僻地で
祈りの灯を絶やさず何十年も
キリストの体である教会を支えてきた、
忠実な信仰者がいるという事。
私の古いワープロ器に残る朝祷会月報の原稿には
各教会の牧師先生や長老や信徒の方々が
聖書を開き祈って証しした記録が今も残っている。
忠実な信仰者の足跡だ。
市民クリスマスでは
正教の司祭様やOMFの牧師先生や宣教師の方とも
一緒に実行委員会やったりした事もあった。
昭和40年頃の市民クリスマスは
市内の殆どのキリスト教の教会が集まって
当時の写真見ると、
これ一体何人いるのかな、
学生服の人やら私服の人やらローマンカラーの人やら
すごい人数の人々が集まって
ヘンデルのハレルヤを歌ったらしい。
そんな風に教派間の交流が盛んだったら
たまに一緒に集まって年に1回大合唱もできるが
現実にはこの地のどこの教派も牧師不足、司祭不足、
教会員の高齢化で
超教派で集まるのが厳しくなってきている。
日曜日の礼拝は
当然私は自分の所属教会以外に行く事はないので
自分の所属教会以外でどんな礼拝の仕方をしているかは
知る事が出来ない。
でも週日に近所のカトリック教会の御ミサに
お邪魔した事は何度かある。
中に入る時、つい習慣でお邪魔しますと言ったら
イタリア人の神父様に言われた。
「邪魔じゃないよ。
邪魔という言葉を使ってはいけない。
邪魔な人なんていない。」
大らかで好きだなこういうの。
では各教派の違いは何かというと、
キリスト教が輸入された時に一緒について来た、
輸入元の文化だと私は思っている。
極楽トンボの私には
異文化コミュニケーションが楽しい。
えっと、
教派についてだらだら書いたので、
『改宗』についても書こう。
先に書いた近所のカトリック教会で、
私の所属するメノナイト教会から改宗した人と出会った。
配偶者が幼児洗礼を受けていたためカトリックに移ったが、
その人はメノナイトで受けた洗礼を無効と見なされ、
もう一度洗礼式を受け直したと聞いた。
私はその人に尋ねた。
「それまでの信仰を全て否定されて、
あなたは辛くなかったですか?」
その人は私に答えた。
「私は2度めの洗礼式の時には泣いたけど
神様は元々一人しかいませんから。
私は置かれた場で忠実に信仰を守るのです。」
その教会で私はもう一人の信徒と出会った。
配偶者がカトリックで受洗したため
SDAからカトリックに改宗していた。
その人もカトリックに移る時に未信者として
一から洗礼を受け直したと聞いた。
私はその人にも尋ねた。
「それまでの信仰を全て否定されて、
あなたは辛くなかったですか?」
その人は私に答えた。
「寂しくないと言えば嘘になる。
でも大した事じゃない。
人間は幾つも教派を作るけど
神様は一人しかいないから。」
彼らは
自分の好き嫌いや意志で各教派を渡り歩いた末に
改宗の道を選んだのでは断じてない。
幼児洗礼を受けたまま
教会から遠ざかっていた配偶者を持ち、
或いは
自分の所属教会で躓いた求道者を配偶者に持ち、
何とか家族で一緒に教会につながる事を切望した結果、
自分の所属教会を後に置いて、
というよりも
神様が備えて与えて下さったものをお返しして
行けと言われた所に行ったのだ。
数あるキリスト教の教会の中で
自分の所属教会は神様から一方的な恵みとして
自分に与えられた信仰生活の場と私は考える。
そんな所属教会での信仰生活を無効なものとされた時、
どれ程の痛みを彼らが味わったか、
置かれた場所でぬくぬくとしている私には
想像もつかない。
教派によって
考え方やシステムが違うのは当然だし
仕方のない事だと思う。
それぞれの教会の長い歴史の中で
色々な問題を乗り越える過程で
起こってきた相違だと思う。
私が出会った二人が
元の所属教会からカトリックに移った当時の司祭は
たまたま他教派に対して
防衛的な考え方の持ち主だったかも知れない。
実際、
カルトが未信者や他教派からの転入者を装って
羊泥棒を働く事が現実にない訳ではない。
責任ある立場の教職者が
他教派から来た者を警戒するのは仕方のない事。
それでも踏みとどまったのは
彼らに留まるべき確信があったからだと思う。
彼らの信仰は立派だ。
人に目を奪われずに神を見ている。
与えられたものに固執せず
先に信じた者の責任を果たすために
自分が置かれた場所で忠実に働いている。
そういえば
ルーテルから改宗した人は
洗礼を受け直したりはしていなかった筈だ。
プロテスタントと言っても
カトリック側からキリスト教として認めるものと
認めないものとがあるんだろうなきっと。
ルーテルや聖公会は
カトリックと共通点が多い。
カトリックの側からプロテスタントと
十羽一絡げに呼んでも考え方も歴史も一つ一つ違う。
プロテスタントという名称の意味からして
何百年か前の
当時のカトリック教会に歯向かって出て行った人々を
カトリック側から呼んだ総称であって
一つの教会でも教派でもない訳だから
比較すること自体無理があると思う。
キリストを救い主と信じるところだけ共通で
あとは違って当然。
改宗者に洗礼を受け直させる事の是非は
私が考える問題ではないし、
カルトの危険を念頭に置けばむしろ当然かも知れない。
個人的に批判的な気持ちは全くない。
私達メノナイトという教派の先人達だって
何百年も前には弾圧されて火炙りとか
説教してた人は生きたまま舌を引き抜かれたとか
本には書いてあるけど
今現在弾圧されてる訳ではないし私個人には無関係だ。
私が出会った人々は、
自分の教会に不満を持って
後足で砂をかけて飛び出して来たのではなかった。
教会で人間関係や何かに躓いて教会を去り、
別の教派の教会に行って元いた教会を悪く言う、
行く先々の教会を掻き回す、
そんな渡り鳥みたいな人達がよくいるが
教会間、教派間に摩擦や衝突を生じさせる。
しかし
ここで私が取り上げた人達は二人共違う。
会って話を聞いた時、
ああ、この人は私の想像も及ばないような犠牲を捧げて
配偶者を教会に引っ張って来たのだなと思った。
私だったらあり得ない。
日頃教会に行きもしない亭主が
「オレは幼児洗礼だった。
だからお前、
教会に行くならカトリックに変えてくれ。
ならばオレも行く」
などと言っても
私であれば「だから何?」で終わる。
或いは
自分の亭主が受洗前に教会で牧師とケンカして出て来ても、
自分までもが一緒について教会を去って
亭主を受け入れてくれる教会を探し訪ねるなどしない。
しかも
それまでの自分の元いた教会での信仰は認められない、
一から未信者として洗礼を受け直すなど
私ならあり得ない。
これ、
一見教派の問題に見えるけどそうではないよね。
私が彼らの立場だったら間違いなく自分を最優先する。
自分が誰かのために他教派に改宗する事はしない。
まして
一生分の祝福を頂いた教会という自分の居場所を失って
そこで受けた信仰の恵みも
行く先の教派では否定され無効とされる、
そんな代償を払ってまで
相方の信仰を考えたりは出来ない。
しかし、
どっちがキリスト者として
教えを忠実に実践しているかと言うと、
私ではなくこの人達であろう。
信仰の恵みは一方的に神様が下さったもので
自分が立ち上げた訳でもなく
自分の物でもないから、執着するのはエゴである。
「自分がここで犠牲を捧げないと
自分の配偶者は一生教会に行けない
かも知れないと思った」
と、二人のうちの一人は私に言った。
もう一人の人の改宗の動機も同じだった。
信仰者だなぁ。
すごいと思う。
例えそう悟ったとしても
私だったら自分が一度貰ったものは手離せない。