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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

教派と改宗(エフェソ4;5~6)

2007-04-03 10:49:15 | エフェソ
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
全てのものの上にあり、
全てのものを貫き、
全てのもののうちにおられる、
全てのものの父なる神は一つです。(エペソ4;5~6)


教派の違い。


「カトリックとプロテスタントは
 どこが違ってどこが同じか」


という題材で幾つか本が出ていて、
それらを私も読んだ。
読後の感想はいずれも、


なんじゃー


だった。
釧路に来てからの8年間、
教派を超えて色々な教会が集まった市民クリスマスや
朝祷会に集まった各派の教会や
近所のカトリック教会など、
いろいろな教会のキリスト者の皆さん達と出会ってみて、
キリスト教をカトリックとプロテスタントの
二分割で比較するのは無理があると思った。


カトリックの方の立場から見れば
皆十羽一絡げにプロテスタントだが
個々に全然違った独自の教会文化を持っている。
何処がどう違うか考えるだけでも
甚だややこしく面倒くさい。


そもそもプロテスタントは
一つの教派でも一つの教会でもない。
例えば朝祷会に参加すると
参加する各教会が毎月持ち回りで会場を提供し、
集会の仕方も当番の教会のやり方で行なうが、
お祈りの仕方一つ取っても全然違っている。
(違いに戸惑ったりするところが面白い。)
私が釧路に来て朝祷会で参加した教会は、


キリスト福音館
日本アッセンブリーオブゴッド教団
日本キリスト教会
日本基督教団
日本聖公会
日本バプテスト連盟
日本福音ルーテル
自分の所属する日本メノナイト。
この他に
インマヌエル綜合伝道団、
救世軍、キリスト兄弟団、
セブンスデー・アドベンチスト(SDA)、
日本福音キリスト教会連合(OMF)、
など、
事務局としては参加を呼びかけたが
諸事情で参加が実現しない教会ももちろんある。


ただ確実に言える事は、
いずれの教派の教会も
どんどん人口流失して
パチ屋とサラ金と葬儀屋と廃屋ばかり目立つ
この厳しいド僻地で
祈りの灯を絶やさず何十年も
キリストの体である教会を支えてきた、
忠実な信仰者がいるという事。
私の古いワープロ器に残る朝祷会月報の原稿には
各教会の牧師先生や長老や信徒の方々が
聖書を開き祈って証しした記録が今も残っている。
忠実な信仰者の足跡だ。


市民クリスマスでは
正教の司祭様やOMFの牧師先生や宣教師の方とも
一緒に実行委員会やったりした事もあった。
昭和40年頃の市民クリスマスは
市内の殆どのキリスト教の教会が集まって
当時の写真見ると、
これ一体何人いるのかな、
学生服の人やら私服の人やらローマンカラーの人やら
すごい人数の人々が集まって
ヘンデルのハレルヤを歌ったらしい。
そんな風に教派間の交流が盛んだったら
たまに一緒に集まって年に1回大合唱もできるが
現実にはこの地のどこの教派も牧師不足、司祭不足、
教会員の高齢化で
超教派で集まるのが厳しくなってきている。


日曜日の礼拝は
当然私は自分の所属教会以外に行く事はないので
自分の所属教会以外でどんな礼拝の仕方をしているかは
知る事が出来ない。
でも週日に近所のカトリック教会の御ミサに
お邪魔した事は何度かある。
中に入る時、つい習慣でお邪魔しますと言ったら
イタリア人の神父様に言われた。


「邪魔じゃないよ。
 邪魔という言葉を使ってはいけない。
 邪魔な人なんていない。」


大らかで好きだなこういうの。


では各教派の違いは何かというと、
キリスト教が輸入された時に一緒について来た、
輸入元の文化だと私は思っている。
極楽トンボの私には
異文化コミュニケーションが楽しい。


えっと、
教派についてだらだら書いたので、
『改宗』についても書こう。


先に書いた近所のカトリック教会で、
私の所属するメノナイト教会から改宗した人と出会った。
配偶者が幼児洗礼を受けていたためカトリックに移ったが、
その人はメノナイトで受けた洗礼を無効と見なされ、
もう一度洗礼式を受け直したと聞いた。
私はその人に尋ねた。


「それまでの信仰を全て否定されて、
 あなたは辛くなかったですか?」


その人は私に答えた。


「私は2度めの洗礼式の時には泣いたけど
 神様は元々一人しかいませんから。
 私は置かれた場で忠実に信仰を守るのです。」


その教会で私はもう一人の信徒と出会った。


配偶者がカトリックで受洗したため
SDAからカトリックに改宗していた。
その人もカトリックに移る時に未信者として
一から洗礼を受け直したと聞いた。
私はその人にも尋ねた。


「それまでの信仰を全て否定されて、
 あなたは辛くなかったですか?」


その人は私に答えた。


「寂しくないと言えば嘘になる。
 でも大した事じゃない。
 人間は幾つも教派を作るけど
 神様は一人しかいないから。」


彼らは
自分の好き嫌いや意志で各教派を渡り歩いた末に
改宗の道を選んだのでは断じてない。
幼児洗礼を受けたまま
教会から遠ざかっていた配偶者を持ち、
或いは
自分の所属教会で躓いた求道者を配偶者に持ち、
何とか家族で一緒に教会につながる事を切望した結果、
自分の所属教会を後に置いて、
というよりも
神様が備えて与えて下さったものをお返しして
行けと言われた所に行ったのだ。


数あるキリスト教の教会の中で
自分の所属教会は神様から一方的な恵みとして
自分に与えられた信仰生活の場と私は考える。
そんな所属教会での信仰生活を無効なものとされた時、
どれ程の痛みを彼らが味わったか、
置かれた場所でぬくぬくとしている私には
想像もつかない。


教派によって
考え方やシステムが違うのは当然だし
仕方のない事だと思う。
それぞれの教会の長い歴史の中で
色々な問題を乗り越える過程で
起こってきた相違だと思う。


私が出会った二人が
元の所属教会からカトリックに移った当時の司祭は
たまたま他教派に対して
防衛的な考え方の持ち主だったかも知れない。
実際、
カルトが未信者や他教派からの転入者を装って
羊泥棒を働く事が現実にない訳ではない。
責任ある立場の教職者が
他教派から来た者を警戒するのは仕方のない事。
それでも踏みとどまったのは
彼らに留まるべき確信があったからだと思う。


彼らの信仰は立派だ。
人に目を奪われずに神を見ている。
与えられたものに固執せず
先に信じた者の責任を果たすために
自分が置かれた場所で忠実に働いている。


そういえば
ルーテルから改宗した人は
洗礼を受け直したりはしていなかった筈だ。


プロテスタントと言っても
カトリック側からキリスト教として認めるものと
認めないものとがあるんだろうなきっと。
ルーテルや聖公会は
カトリックと共通点が多い。
カトリックの側からプロテスタントと
十羽一絡げに呼んでも考え方も歴史も一つ一つ違う。
プロテスタントという名称の意味からして
何百年か前の
当時のカトリック教会に歯向かって出て行った人々を
カトリック側から呼んだ総称であって
一つの教会でも教派でもない訳だから
比較すること自体無理があると思う。


キリストを救い主と信じるところだけ共通で
あとは違って当然。


改宗者に洗礼を受け直させる事の是非は
私が考える問題ではないし、
カルトの危険を念頭に置けばむしろ当然かも知れない。
個人的に批判的な気持ちは全くない。
私達メノナイトという教派の先人達だって
何百年も前には弾圧されて火炙りとか
説教してた人は生きたまま舌を引き抜かれたとか
本には書いてあるけど
今現在弾圧されてる訳ではないし私個人には無関係だ。


私が出会った人々は、
自分の教会に不満を持って
後足で砂をかけて飛び出して来たのではなかった。


教会で人間関係や何かに躓いて教会を去り、
別の教派の教会に行って元いた教会を悪く言う、
行く先々の教会を掻き回す、
そんな渡り鳥みたいな人達がよくいるが
教会間、教派間に摩擦や衝突を生じさせる。


しかし
ここで私が取り上げた人達は二人共違う。
会って話を聞いた時、
ああ、この人は私の想像も及ばないような犠牲を捧げて
配偶者を教会に引っ張って来たのだなと思った。


私だったらあり得ない。
日頃教会に行きもしない亭主が


「オレは幼児洗礼だった。
 だからお前、
 教会に行くならカトリックに変えてくれ。
 ならばオレも行く」


などと言っても
私であれば「だから何?」で終わる。
或いは
自分の亭主が受洗前に教会で牧師とケンカして出て来ても、
自分までもが一緒について教会を去って
亭主を受け入れてくれる教会を探し訪ねるなどしない。
しかも
それまでの自分の元いた教会での信仰は認められない、
一から未信者として洗礼を受け直すなど
私ならあり得ない。


これ、
一見教派の問題に見えるけどそうではないよね。


私が彼らの立場だったら間違いなく自分を最優先する。
自分が誰かのために他教派に改宗する事はしない。
まして
一生分の祝福を頂いた教会という自分の居場所を失って
そこで受けた信仰の恵みも
行く先の教派では否定され無効とされる、
そんな代償を払ってまで
相方の信仰を考えたりは出来ない。


しかし、
どっちがキリスト者として
教えを忠実に実践しているかと言うと、
私ではなくこの人達であろう。


信仰の恵みは一方的に神様が下さったもので
自分が立ち上げた訳でもなく
自分の物でもないから、執着するのはエゴである。


「自分がここで犠牲を捧げないと
 自分の配偶者は一生教会に行けない
 かも知れないと思った」


と、二人のうちの一人は私に言った。
もう一人の人の改宗の動機も同じだった。


信仰者だなぁ。


すごいと思う。
例えそう悟ったとしても
私だったら自分が一度貰ったものは手離せない。

エフェソの信徒への手紙読了

2007-03-17 00:15:00 | エフェソ
パウロの獄中書簡の一つ。
使徒行言行録では
パウロはエフェソで宣教したが、
群衆に揉みくちゃにされた。
その宣教からエフェソの教会は生まれた。
ミレトスでパウロはエフェソの教会の長老達に
今生の別れを告げた。
自分が去った後、
教会には外から迫害が襲い、教会の中からも
邪説を唱えて荒らす者が出ると
パウロは予知していた。
将来襲ってくる苦難に
平和のきずな、霊による一致を保て。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、父なる神は唯一。
獄中から必死に励まそうとするパウロの
鎖につながれた姿が
浮かんでくる。

飴(エペソ4;5~6)

2007-02-03 14:00:10 | エフェソ
東京に帰省中のマイミク、
大福さんが
わざわざカトリック高円寺教会の売店まで行って
買って送って下さった、
ルルドのアメ。
ルルドの水を練り込んだアメだそうだ。
このアメ、
井上の大好物。
素朴な甘味にうっすらミントの味がする。


十数年も前に、
勤務先に入院していたカトリック信者の方から
イースターに頂いた。
それがこのアメとの最初の出会いだった。


その方は目が不自由で
視力を殆ど失いかけていた。
いつもラジオで早朝の福音放送を聴く事が
楽しみだと言っていた。
ベッドサイドに女の顔と子供の顔の
木彫りのレリーフを置いていた。
私は当時
まだ脳外科に就職して間もない看護助手で、
ベッドの周りを雑巾で拭いていて、
その木彫りに気がついた。
キリスト教の方ですかと聞いてみた。


 「はい。
  そうです。
  あなたもですね。」


どうしてわかりました?


 「そこの御像に目を留められたから。
  これは聖母、これはキリスト。
  どちらの教会に行ってらっしゃるの?」


すみません。
私はカトリックではないんです。
白石区にあるメノナイト教会で
去年洗礼を受けたんです。


 「洗礼を受けられたの。
  それはよかった。
  私達は同じですね。
  ただお一人の神様を信じて救われた。
  一緒です。
  よろしくね。」


私はその人との会話を霞がかかったように
ぼんやりと憶えている。
自分は洗礼を受けてからやっと
今頃になって聖書を読み始めたとか、
日曜日も出勤する事が多くて
礼拝も休む事が多いとか
そんな話をした。
その方は幼児洗礼で
ずっとカトリックとして生きてきたが
聖書を読んでみたいけど
そう思った時には重症の糖尿病で
視力を失っていた。
でもラジオの福音放送で心が慰められる、
ずっと入院中で教会には行っていない、
そう言っていた。


仕事は結構忙しくて
バタバタ走ってばかりいて
一人の患者さんとゆっくり話する事など
殆ど出来なかった。
でもその方は何度か廊下に歩いて出て来て、
私を待っていた。
声と物音でわかったのだろうか、
目が不自由なのに
廊下を走る私によく声をかけてきた。


「井上さん、これ。
 これ、休憩時間に食べて。
 私、間違って売店で買っちゃったの。」


そう言って
ジャムパンを手渡してきた。
ある時は
りんごとカスタードのデニッシュパン、
ある時は
金時豆のパン。


糖尿病で目の不自由な人が
わざわざ売店まで行って
間違って菓子パンを買う筈はない。


一度、
受け取らずに言ってみた。
せっかく売店まで行って
買って来られたのに、
ご自分で食べられないのですか?
すると


 「私は糖尿病なので
  食べられないんです。」


・・・p(=_=;)・・・?


休憩室で看護師長が私に言った。


 「貰ってあげなさい。
  お友達になりたいのよ。」


その方は間もなく別の病院に転院して行った。
転院する事が決まった時、
その人は言い難そうに本を差し出した。


 「こういう本、
  読んで頂けるかどうかと思って・・・
  こういう本、
  お嫌いじゃなかったら・・・」


あるカトリック司祭の著書だった。


 『聖母マリアの交響曲』
   (鵜野泰年著 中央出版1991年)


私はありがとうと言って
感謝して受け取り、
その本はすぐ読み終えてしまった。


翌年のイースターに、
その方から郵便が自宅に届いた。
イースターおめでとうと書かれた、
手紙が添えてあり、
中にはアメが入っていた。
お礼の手紙を書いた記憶がある。
目が不自由でも
きっと身近の誰かが読んでくれる。


その頃は教会で不愉快な事があって、
足が遠退いていた時期だった。
素朴な味のアメで励まされた気がした。


それがこのアメ。
たまに取り出して
大事に1個ずつ食べていた。
当時コルクの蓋付きのビンに移して
袋のラベルをビンに貼っていた。
そのビンが今も残っていたので
同じようにしてみた。


懐かしい味がする。

第一歩(エフェソ5;16~17)

2006-10-15 08:06:15 | エフェソ
時をよく用いなさい。
今は悪い時代なのです。
だから、無分別な者とならず、
主の御心が何であるかを悟りなさい。(エフェソ5;16~17)


暗闇で、
しかも古い携帯で撮った写真なので
画像は良くないが、
これは昨年のクリスマス(2005.12.24)。


今月初めから父が教会に来ている。
今日10月の3週目の日曜日にして、
父にとって日曜には教会に行くのが定番となりつつある。
父親に対する家族伝道の第一歩を、
私は昨年のクリスマスから取り掛かっていた。


昨年のクリスマス。
教会ではクリスマスの行事たけなわで
皆大変だったと思う。
私は年末に教会の仲間とメールを交わして振り返った。
友達はクッキー作りやいろんな仕事で疲れて
体調悪いと言っていた。
クリスマス行事の後が疲労のピークだった。


私も。
そのクリスマスは父親と母親のために
時間のほとんどを費やした。
お粗末だが出来るところまでできたつもりでいた。
私なりに。
しかしそれも試行錯誤の始まりでしかなかった。


12月23日を母親とのクリスマスにした。
夕方までに
父宅の食材調達と夕食の用意と片付けを終わらせ、
あちこちから次々と届いたお歳暮を整理して、
急ぎコンサート会場に直行した。
高専の吹奏楽演奏会に行っていた母と
夜9時頃から遅い夕食を一緒にした。
プレゼントを渡して食後ツタヤでビデオレンタル、
韓国スターのグラビア誌もプレゼントして、
家路に着いたのはかれこれ午前0時過ぎ。
疲れたが母は喜んでいた。
数年前まで、
私はこの母親とは絶縁状態だった。
母親と私が向かい合って一緒にものを食べた奇跡。
お互いにどちらかが死んでも
何の連絡も無かったであろう20年を考えると、
神の御業は人間の予想をはるかに超えている。


12月24日は父親とのクリスマスにした。
夕方から父宅で
買って来たばかりの安物のクリスマスツリーに
電飾を点滅させた。
私の部屋に例年飾っていた、
ステンドグラスのクリスマスセットも飾り、
ケーキにロウソク立ててコーヒーを入れた。
室内をクリスマスらしく飾ったのは昭和48年以来、
実に32年ぶりだった。
父は予想外に喜んだ。
ステンドグラスの飾りは父にとっては初めて見るもので、
珍しそうにしていた。
ミニチュアだがヨセフとマリア、
牛と馬、
飼い葉桶と赤ん坊のイエス。
あんまり小さいから
下手に触ってコロっと紛失しないように
みんな糊付けした。
クリスマスの主役は本当はこっちなんだよと、
コーヒーすすりながら話した。
トナカイも
サンタクロースのプレゼントも
電飾ツリーも
クリスマスの雰囲気だけは演出してるけど
実は全然関係ないんだとか、
キリストが生まれたのも
冬至の翌々日という寒い時期ではなくて、
羊が仔を産む春先なのだとか、
あれこれ話してるうちに引っ込みつかなくなった。
しまいには奥の部屋から聖書を持ってきて
マタイ伝のキリスト降誕のところを読み聞かせた。
(父は耳遠いんだけど。笑。)


聖書は洗礼受けた時にボーナスで父に贈ったもの。
洗礼を受けた頃にはまだ両親との問題も棚上げ状態だった。
キリスト者としてはこれではダメだと漠然と感じて、
何の見通しも無いまま和解への試行錯誤として
父に革張り金縁の聖書を贈った。
この聖書、
釧路に来たばかりの時に父と大喧嘩して、
罵られた腹いせに父から取り上げて
教会に持って行った事があった。
牧師先生からは厳しく叱られた。


「お父さんに返しなさい。
 和解しなさい。」


普段、その聖書は
父が滅多に行かないカビ臭い北側の部屋の
本棚に眠っている。
普段は誰も触る事はないが、
そのクリスマスイブに初めてちゃんと手に取った。
誰かに聖書を読み聞かせて
主の御降誕の話をまともに説明したのは
これが初めてだった。


この時生まれた赤ん坊こそが
あの十字架に架けられたキリストであり、


紀元前と西暦は
キリストの降誕によって時間的に分けられているとか、


救い主がベツレヘムに生まれる事は
さらにその500年以上も遡って預言されていたとか、


ローマの占領下にあった当時のユダヤ人達が
政治的軍事的指導者を期待していたから
粗末な馬小屋に生まれた子供が当の救い主であるとは
誰も気づかなかったとか、


本当の救い主はユダヤ人達の理想とかけ離れていた、
人の罪を贖って
父なる神に執り成して下さる救い主だなどとは
当時の人々は誰も考え及ばなかったとか、


当時のユダヤ教の宗教界で
漫然と支配的立場に居座っていた宗教的指導者達にとって
イエス・キリストは都合の悪いいわぱ宗教改革者であり、
宗教的指導者達は自らの保身のために
ありもしない罪状を捏造してまでイエスを処刑したかった、


・・・などなど。
突っ込んで時代背景の解説も入れた。


本来クリスマスとは
年末商戦とも鶏の足とも電飾ツリーとも
サンタ+赤鼻トナカイとも
美味いもん食ってどんちゃん騒ぎする事とも
何ら無関係で、
この日生まれた赤ん坊が
私達人類の罪を背負って十字架に架けられた訳だから、
むしろ意味的には断食の方が似つかわしいのさ・・・


などと話しながら薫り高いカロシブレンドを啜り、
レ○ンの生クリームケーキをぱくぱく頬張っていた、
お粗末で逆説的な家族伝道。笑える。


その後借りてきた昔の大河ドラマを
父と一緒に見て午前0時に帰宅、
自分の身の回りの事やって寝たのは3時半。
12月25日(日)こそ礼拝に出るはずだったが
体か動かなかった。
やっと起きだしたら既に日は暮れて
父の夕食時間になっていた。


教会のクリスマス行事を
自分自身の信仰上の権利として考えると、
自分のためには全く時間を使えず
何も出来なかったし寝不足でへとへとだった。
しかし私は主なる神に感謝している。
私が洗礼受けた当時は
こんな風に父と母それぞれとの関わりをもって
一緒に食卓を囲むなど想像できない、
有り得ない事だったのだ。
洗礼を受けながらずっと引っ掛かっていた
自己嫌悪の元は僅かずつだが
崩れつつあった。


時間を捧げるとは
こういう事なのだと私は自分に言い聞かせた。

本当のたった一人の(エペソ4;5~6)

2006-07-23 06:52:58 | エフェソ
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
全てのものの上にあり、
全てのものを貫き、
全てのもののうちにおられる、
全てのものの父なる神は一つです。(エペソ4;5~6)



『銀河鉄道の夜』(新潮文庫 昭和36年)


キリスト者になってから『銀河鉄道の夜』の見方が変わった。


ジョバンニは
友達の代わりに溺死したカムパネルラと一緒に、
死者達の汽車に乗る。
本当の幸いを探しに。
本当の幸いとは、
全ての人の一番の幸福のために自分の生命を捨てる事だ。
この命題を、
受洗以前の私はお話の中の誇大妄想と思っていた。


イエスご自身がヨハネ伝の中で述べられている。
 「人がその友のためにいのちを捨てるという、
  これよりも大きな愛は誰も持っていません。」
             (ヨハネの福音書15;13)


ヨハネは言っている。
 「キリストは、
  私たちのためにご自分のいのちをお捨てになりました。
  それによって私たちに愛がわかったのです。
  ですから私たちは、
  兄弟のためにいのちを捨てるべきです。」
              (ヨハネの手紙Ⅰ3;16)


幼い姉と弟を連れた家庭教師が登場する。
船が難破し、家庭教師は悩む。
救命ボートに全員は乗り切れない。
皆が道を開けてくれてももっと大勢の子供や親がいる。
家庭教師には彼らを押し退ける勇気がない。
他の子供を押し退ける罪を
自分一人が背負ってでも姉弟を助けるか。
他の子供を押し退けてまで助けるよりは
皆一緒に神の御前に行くか。
どちらがこの子達の本当の幸いだろう。
親達は我が子を子供ばかりのボートに放す。
「主よみもとに近づかん」を歌いながら乗客と船は水没した。
家庭教師も二人の子供と手をつないだまま沈んだ。
ここに登場する家庭教師の信仰は一途だと思う。


「ハレルヤ。」
3人は南十字星で汽車を降り、十字架への行進に加わる。
ジョバンニは名残惜しくて彼らを引き止める。
「そんなのうその神さまだい。」
引き止めても彼らは聞かない。
家庭教師がジョバンニに問う。


「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
ジョバンニは答える。
「そんなんでなしに、
ほんとうのたった一人の神さまです。」
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしに、
たった一人のほんとうの神さまです。」


賢治も宣教師とそんな問答を交わしたのだろうか。
本当の神は主なる神一人だけ。
家庭教師の信仰告白が、ジョバンニの耳には
自己満足的に矮小化されてしまうのは何故だろう。
ジョバンニを
「ああ、そんなんでなしに・・・」
と失望させるものは何だろう。


「宗教の事は知らないが、
唯一の本当の神を探す」という人はたくさんいる。
探すからこそ色々な宗教や思想を転々とする。
人前で福音を語る時、
私の語っているキリストが
自分本位に歪められていないか気になる。
私は自分の信仰をそこまで吟味した事があったろうろか。
信仰を告白し唯一の救い主を証ししても、
「ああ、そんなんでなしに、
本当のたった一人の神をさがしてるんです。」
と失望の嘆息が返ってきたら・・・。

祈る人(エペソ人6;18)

2006-07-03 11:21:56 | エフェソ
すべての祈りと願いを用いて、
どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのためには絶えず目を覚ましていて、
すべての聖徒のために、
忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人6;18)


信仰を持たない人の目に、
信者の私はどう映っているだろう。
特に祈る時の私は。
聖書を読み、祈りを共にする集会の恵みは大きい。
聖書を読むことが食事ならば、
祈りは呼吸だというのは本当かも知れない。
ただし生命維持のために、呼吸は食事よりも重要だ。


教会の夜の集会に来た頃の私はキリストに関心はあっても
「クリスチャン」という人種が嫌いだった。
特に「祈るクリスチャン」が。
信仰を持たない私の目に映った「クリスチャン」達の
祈りの行為は、
不潔な自己陶酔以外の何ものでもなかった。
日頃は付き合いもなく挨拶程度の顔見知りでありながら、
私が入院すると病室に突然やって来た人がいた。
「井上さんが救われますように」と人の頭の上で祈り、
満足げに笑みを浮かべたその「クリスチャン」に、
心底むかついた。
宗教狂いの自己満足のダシにされたような、
消えない嫌悪感を味わった。
彼らはこれ見よがしに「あなたのために祈ります」と言って
ベッドから下りられない人の頭の上で祈るのを好む。
病人の弱みを利用してまで
天使か聖者にでもなった気分を味わいたいか。
そんなに自己満足したいか。
逃げも隠れもできない病人の痛み弱みを利用してまで。
最低だ。


何年も経って、知人の家庭集会に参加していた私に、
自分の教会でも夜集まって新約を読んでいるからと
誘ってくれた人がいた。
私は理不尽にもその人に入院時の恨みをぶちまけた。
「押し付けがましくて相手の気持ちに配慮もない。
無神経で最低の行為だ。
心身弱っている時だけは絶対に近寄って貰いたくない人種だ。
あなたのためにとか言って、自分が満足したいだけ。
そういう人種に何事か祈って貰いたいと思う人がいるのか。
それも自分が心身弱っている時に。」
毒づく私の話を黙って聞いていたその人はぽつりと言った。
「でも教会では…牧師先生が一人一人のために祈ってくれて、
自分達もお互いのために祈り合って、
自分はそれでほっとする。
だから自分のためにも祈って欲しいと思う。
これまでも自分はそうやって励まされてきた。」


何が違うのだ。どこが違うのだ。
私はその人と自分との間の「祈り」の違いを模索した。
模索するうちに
私自身も結局は忌み嫌うべき「祈る者」になってしまった。
それから間もなく
私はその人が誘ってくれた教会の夜の集会に定着し、
自分がした批判を自分で受ける立場になった。


その頃教会の夜の集会は参加者が僅かで、
牧師夫妻の他に参加者は近隣の教会員が一人か二人だった。
教会員全員の人数からみると、
実に何十分の一にも満たない貧しい参加率だった。
集会は、聖書を1章だけ輪読して疑問や感想を述べ、
課題を出し合って祈る。
たった1時間半の簡素な集会である。
私はそこで何度もとりなしの祈りに励まされた。
営業職や事務職しか経験のないところから、
初めて看護助手として医療現場に飛び込もうとする時には
その仕事が自分に出来るかどうか迷い、
飛び込んでからは
壊疽を生じた大腿切断の傷口の腐敗に怖気づき、
これを書いている今の私に平気なあらゆる事が
その当時の私には心底辛く、
意気消沈しながら夜の集会に参加した。
牧師と教会員達が私のためにも祈ってくれた。
それでまた一週間、頑張る事が出来た。


ある日、私は夜の集会に欠席の連絡を入れた。
友人の長女の手術日だった。
4歳児の心房中隔に十円玉ほどの穴が開いていた。
私は電話で牧師に事情を話し、
「祈って下さい」とお願いした。
手術の無事を見届けた帰り、
地下鉄を降りるとちょうど集会の終わる時刻だった。
もう誰もいないだろうと思いながら
ふらりと教会に行ってみた。
窓にはまだ明かりが点いていた。
集会の小部屋のドアを開けると、
牧師夫妻が聖書を開いて座っていた。
他には誰も来ていなかった。
いつもの参加者は、一人は残業で来られない、
もう一人は体調が悪くて寝込んでいると、
それぞれ欠席の連絡があったという。
私も事前に欠席の連絡を入れてあった訳だから、
つまり牧師夫妻以外は誰も来ない事がはっきりしていたのだ。
誰も来ないと分かっていても牧師夫妻は
集会の時間になると教会に明かりを点け、ストーブを燃やし、
聖書と賛美歌を机に積み上げて準備していたのだろうか。
皆が来ないと分かっているのに
いつもこうやって準備するんですかと尋ねる私に、
牧師先生は答えた。
「神様が突然誰かを送って下さるかも知れないから、
いつ誰が来ても迎えられるように準備するんです。
それが私達の務めなんですよ。」
欠席のはずの私の来訪に驚かず、
一緒に感謝の祈りを捧げて下さった。
私はもう気紛れな客である事をやめようと思った。
目を覚ましていて灯を絶やさず迎える者になりたかった。
これが聖日礼拝を守る最初の動機となった。
仕事や雑事で礼拝に出席できない日にはその事を考える。