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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

今朝、魔の5時。(ローマ14;7~8)

2008-10-18 12:49:00 | ローマ
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。(ローマ14;7~8)


肺をやられて
高熱が出て
心拍100とか110とか
なかなか解熱出来なくて
でも
血圧もまあまあ
酸素飽和濃度もまあまあで
このまま今日一日を乗り越えられると


誰もが思っていた


その人の心拍が


きっかり5時から70とか60とか


延び始めて


ものの数分で50とか40まで延長して


当直医がすぐ来たけど


呼吸停止、
心マ、アンビュー、


家族は一人だけ
電話すると
すぐこちらに向かってくれたけど


こちらに着くまでは


せめて心臓だけでも動いていてほしかった


でも


私達も
家族も
誰も気付かないところで


もう
疲れ切ってしまっていたのかな。


間に合わなかった。
たった一人の家族が到着する
ほんの7、8分前だった。


やりきれない。


間に合わなかった。


悲しい


何でだろう


長い間
毎日毎日
果てしなく長い一分一秒を孤独に闘って


孤独なまま
ひっそりと終わってしまったなんて


ずっと
心マ、アンビュー、


でも
もう疲れ切ってしまったのかな。


毎日ずっと
来てくれるのを待ってた


せっかく駆け付けてくれたけど


ごめんなさい


間に合わなかった。

映画『カルメル会修道女の会話』(ローマ14;7~8)

2008-07-19 00:24:00 | ローマ
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。(ローマ14;7~8)


映画『カルメル会修道女の対話』。


フランス語のまま字幕スーパー無し。
フランス語がわからないのに無謀と言えば無謀だが、
ま、チャレンジのつもりで。
見るだけの価値あると私は思ったので。


自分で何度も再生して繰り返し見た上に
歌劇『カルメル会修道女の対話』の解説や
フランス革命に関するサイトを漁り、
史実としての16人の修道女処刑事件に触れた本を
取り寄せて読み漁り、
その上で何度かこの映画をしつこく見直して、
日本語の字幕が無い分の情報を補おうとした。


挙句にじじ宅で
横で解説しながらじじに見せた。


どんな国にもあった迫害の暗黒時代。
弾圧の下で忠実に信仰を守る事の厳しさ。
日本で言えばキリシタン迫害や
第二次世界大戦中のホーリネス弾圧と同じような
迫害の時代が革命下のフランスにもあったんだなぁ。


その迫害の中で
生命と引き換えに信仰を守った人々が確かにいた。
死の恐怖を前にして
信仰の自由のために生命を差し出す人にも
死の恐怖を克服出来ず逃げ出す人にも葛藤がある。


じじに、
どうよ、と聞いてみたら
大体の大筋は掴めたらしいが
やはり細かいやり取りでわからない部分もあり、
深くは受け止められないらしい。


「これなぁ、
 字幕があったらいいのになぁ。」


しきりに残念がっていた。
じじ、その残念さは
『沈黙』(遠藤周作の)を味わうための原動力になるよ。
字幕であっさり理解して自己完結するよりもこの方が
残念で納得し切れない分だけ
もっと深く考えたり祈ったりするかも知れない。


この映画の中には
自ら進んで殉教へと突き進む修練長があり
仲間に率先して殉教を誓いながら
結果的には死にそびれてしまう。
仲間の修道女達が次々と断頭台に登って行くのを見て
そこに加わろうとする修練長を引き止める者が現れた。
見物人達に紛れ市民に変装した司祭だった。


以下、フランス語がわからないなりに
映画の中の司祭と修練長の対話を推測してみると
大体こんな会話らしい。


  何処へ行くつもりだ?


  私も行きます、私も皆と一緒に死ななければ。


  あなたの望む事は重要だろうか。
  お決めになるのは神様であるのに。


  私は殉教の誓約をしたのです。


  確かにあなたはそれを神に誓った。
  あなたが約束を守るべきは神に対してであって、
  仲間に対してではない。
  神があなたに生きる事をお望みなら、
  神はご自分の前言を取り消すだけの事だ。


  そんな不名誉な事!
  仲間に顔向けができません。
  皆を失望させるなんて出来ません。


  神の事だけを考えなさい。
  あなたは神だけを見るべきだ。
  祈りなさい。

  天におられる私達の父よ・・・


司祭は主の祈りを唱え始める。


  御心が行われますように。
  天におけるように地の上にも。


修練長も司祭の後に続いて主の祈りを唱えるが、
御心が行われますように、の続きを唱える事が出来ない。
その時、
また断頭台の刃が仲間の一人の上に落ちるのが見える。


  御心が行われますように。
  天におけるように地の上にも。


主人公は断頭台の死の恐怖から逃れようと
仲間を裏切って逃亡し、
訪ねて来た修練長を拒絶していたが
最後の土壇場で
あれほど逃れようとした断頭台に
引き寄せられるようにして殉教する。


死ぬ人も生き残る人も
たとえ本人が何を選んでも何を誓っても
最終的に人の生き死にを決定するのは神。
そこんとこが一番重要。

洗礼式(ローマ10;10)

2008-03-23 12:20:00 | ローマ
実に、
人は心で信じて義とされ、
口で公に言い表して救われるのです。(ローマ10;10)


2008年3月23日復活の主日に、
私の父は
イエス・キリストを救い主であると
信仰を告白し、洗礼を受けました。


祈りに覚えて下さった皆様、
お一人お一人に心から感謝します。
ありがとうございます。


教会の兄弟姉妹の皆様、
そして牧師先生、
私の父を教会に迎え入れて下さり
心から感謝します。
これまで父の事を気にかけて下さって
ありがとう。
本当にありがとう。
これからも父をどうぞよろしくお願いします。

良心の糾明(ローマ12;16)

2008-02-12 22:13:49 | ローマ
互いに思いを一つにし、
高ぶらず、
身分の低い人と交わりなさい。
自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。(ローマ12;16)


十戒を読んだ。


自分一人で旧約聖書を読んでいる時には
ぼさっと読んでいると
他人事のように遠くよそよそしいこの十戒。


しかし
ここに引っ越して来た年の暮れに
黙想に立ち寄ったカトリック教会の御聖堂の
オルガンの上に
ぽんと置き忘れられてあった印刷物を手に取って
十戒の一つ一つをしみじみ見直した。


その印刷物、
その教会の共同回心式の式次第だった。
そのカトリック教会では毎年定期的に
共同回心式というのを行うのだそうだ。
式次第を見て感心した。
あんまり感心し、
興味深かったので書き取って備忘録に入れた。
自分を内省する時の手助けとして。


十戒を
より自分自身の実生活に照らし合わせて
より身近に受け止める。
痛いんですけどね。


以下、書き取ったもののうち、
"良心の糾明"の部分をここに紹介する。
読むと痛いよ。


5.反省(良心の糾明)
 高ぶったことを望まず、低いことに甘んじて
                  (ローマ12:16)
 このように、
 聖パウロはキリストについて感想を述べています。
 私達の生き方に金銭がどのくらい重大かを考えると共に、
 低くなられたキリストの問いかけについて
 糾明したいと思います。


『十戒』(出エジプト20;1~17)

1.「わたしは主、あなたの神」
  (わたしをおいて他に神があってはならない。)

 ・私は自分の仕事、財産、
  人の目(自分が人にどう思われているか)などを
  神としていないか?
  このような物事が
  神の代わりに私の生活を支配していないか?

 ・祈りや聖書朗読を通して
  神の啓示を熱心に求めるよりも、
  むしろ神についての自分の理解に満足していないか?

 ・今までオカルト、霊媒に関わったり、
  星占い、手相、人生占い、おまじないなどに
  興味を持った事はないか?

 ・毎日の祈りと聖書朗読を通して
  神の知恵のうちに成長する努力をしてきたか?

 ・家族に神のなさり方について考えるための時間、
  また家族と共に祈るための時間を持っているか?


2.「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」

 ・自分の信仰を実践し実際に生き抜く事をしないで、
  儀式、慣例を堅く守る事によって
  偽善者となってはいないか?

 ・悪態、侮りなどの言葉によって
  神聖を汚す事はなかったか?

 ・会話の中で、
  宗教や教会や神の権威を卑しくする事を狙った
  中傷とか冗談とかに積極的に参加していないか?


3.「安息日に心を留め、これを聖別せよ。」

 ・仕事や雑用に追われる事を自分に許してしまい、
  日曜日を霊的な活動、
  家族との生活としていなかったのではないか?

 ・毎日曜日に御ミサに与っていたか?

 ・典礼に出席し祈る時に、
  主の本当の礼拝を捧げる事をしないで、
  むしろ受動的に遵守する事で自己満足していないか?


4.「あなたの父母を敬え。」

 ・(家族の中の若い者として)
  両親が自分に教えてくれる時、
  両親の言葉を聞き尊敬し、従っているか?

 ・(大人として)
  年取った両親を訪ねたり、世話をしているか?

 ・両親に対して短期間、或いは長期間、
  恨みを抱いていないか?


5.「殺してはならない。」

 ・今までに怒りを以って
  誰かを傷つけようと意図して打った事がないか?

 ・今までに
  会話の中での自分の意見を通して、
  或いは誰かが堕胎するのを積極的に助ける事によって、
  堕胎を支持した事はないか?

 ・薬やアルコールの乱用を通して、
  自分自身或いは他人の命を
  危機にさらした事がないか?

 ・今までに自殺を考えたり、
  自殺を試みた事がなかったか?


6.「姦淫してはならない。」

 ・今までに結婚外の性的行為を行った事がないか?

 ・淫らな考えとか夢想などに心を奪われていないか?

 ・ポルノを読んだり、不潔な映画を見たり
  猥褻な話をした事がないか?


7.「盗んではならない。」

 ・自分のでない物を何か盗んだ事がないか?

 ・税金の支払いや仕事での支出勘定の遵守に反し、
  ごまかした事はないか?

 ・時間を浪費し、自分の給料に見合った仕事をしないで
  雇い主を騙した事はないか?

 ・自分の生活態度は世界の貧しい人々を無視して
  贅沢をしていないか?

 ・ギャンブルや賭けなどで金銭を無駄遣いしたために、
  家族の必要に対して無責任だったり、
  無視した事はないか?


8.「隣人に対して偽証してはならない。」

 ・噂とか悪口を言う仲間に入り、
  他の人の名誉毀損をした事がないか?

 ・他人を助けたいという要望も意図も持たず、
  彼らの失敗や罪などについて話す事で、
  相手の名声を傷つけた事はないか?

 ・他の国民や種族、他宗教の人々に向けて
  偏見や憎しみを持つ事を自分に許した事がないか?


9.「隣人の妻を欲してはならない。」

 ・他人の配偶者に愛情を求めた事がないか?

 ・自分の結婚に対して不貞を考えた事がないか?

 ・全ての状況の中で、
  自分の配偶者の権威を守ってきたか?

 ・自分の家族を心の中で、感情的に又は個人的に
  彼らから距離を置きたいと拒否した事はないか?


10.「隣人のものを一切欲してはならない。」

 ・富、地位、経済的安定などの点で、
  自分と他人を比較する習慣がないか?

 ・他の人々の人格的特質に嫉妬したり、
  他の人々の財産や成功を
  羨ましいと思った事はないか?

 ・自分の家計は整理され、
  自分のものはきちんと管理されているか?

 ・自分の教会を維持するために十分に捧げ、
  貧しい人々のために寛大に与えているか?


・・・・・・orz


痛いな。
自分自身を省みる時にどこがどれほどダメか、
全然ダメダメな自分を自分自身が一番よく知っている。
主よ 憐れんで下さい。

四旬節(ローマ10;10)

2008-02-07 21:42:12 | ローマ
実に、
人は心で信じて義とされ、
口で公に言い表して救われるのです。(ローマ10;10)


今まで書いてなかったが
うちのじじ、
今年のイースターに受洗する決意は揺るがない様子だ。


受洗するという事がどういう事なのか
じじがどこまで自分なりに理解し受け入れているのか
聞き出すまでに時間がかかった。
はっきりした自分の考えを
じじ自身が組み立てて整理し、話す事は難しい。


それはそうだ。
突っ込んで聞く私自身だって
受洗の時にどこまでそれを理解していたか、
受け入れていたか、かなり怪しい。
というよりも全く何もわかっていなかった。
赤ん坊が生まれる時に
自分がこれから生まれるとか生まれたとか
どこまで理解して受け入れているかを問うのと同じ。


私に洗礼を授けて下さった牧師先生が
受洗の後で私に言った。


「何もかもわかってなくて、
 それでいいではないですか。
 一番大切な事だけわかってさえいれば。
 イエス様が
 自分のために十字架で死んだ、
 自分のために甦られた、
 それだけわかっていたら、
 もう十分です。
 他に必要な事は全部後からついてきますよ。」


「私達は
 洗礼を受けて
 キリスト者として完成したのではありません。
 不完全な罪人のまま
 神様からの一方的な憐れみによって救われた。
 私達は一生涯かけて
 キリスト者になっていくんです。」


自分が主なる神をを選んだのではなく
主なる神が自分を選び、招いて下さった。
受洗の当時はそんな次元で物事を考える事など及ばず
ただ教会員の仲間に入ろうとし、祈り、
そのために賛美歌を覚え、
読まずに放ってあった聖書を初めて自分の手で開いた。
その時の事を今になって思う。
私という一人の人間が
キリスト者として生まれ、生きるために
あの人数少ない小さな教会の兄弟姉妹達が
どれほど心を配り、
どれほど影になり日向になってとりなしの祈りを主に捧げ、
どれほどたくさんの苦楽をこの私と分かち合ってくれたかを。


じじ、よかったね。
教会の皆、牧師先生も教会の仲間達も子供達も
じじを家族として受け入れて歓迎してくれている。
じじは生まれてからずっと
家族とか家庭というものの恩恵を
与えられず、受けて来なかった。
これまでもこれからも
あなたは教会の家族皆と共に食卓に招かれ、
分かち合って生きていくんだよ。


昨日の灰の水曜日から四旬節に入った。
キリストがこれから十字架への道を進む、
私達キリスト者は十字架に向かうキリストと共に
自分達それぞれの十字架を背負って進む。
さっき、バス停から電話でじじにそんな話をした。
じじは難聴なので
室内で話をするよりもよく聞こえるらしい。


昨日の灰の水曜日の夜、
これから受洗まで
自分がじじのために祈らなければならない事、
分かち合わなければならない事、
そして自分自身が
これまでに犯した罪、
今犯している罪、
これからも犯すであろう罪の事を思い、祈った。
相応しくない者が福音に与り
この相応しくない手で他者と分かち合う自分の罪の事を
私はずっと考えていた。


これからじじが受洗するまでの間、
無事に復活の日を迎え
洗礼式に主なる神の前に出て
じじが「はい。」というまで
自分が祈らなければならない事を覚え
聖霊の導きを願って祈った。

今年一番感謝した事(ローマ10;10)

2007-12-28 22:19:33 | ローマ
実に、
人は心で信じて義とされ、
口で公に言い表して救われるのです。(ローマ10;10)


今日は遅くなった。
仕事の帰りにじじの所に寄って
食材を補充して来た。


まだ19:30過ぎだったけど
じじは早々と就寝していた。


買って来た野菜を冷蔵庫に収納し
ささみを冷凍するために
一個ずつラップで包んでいると
じじが目を覚ました。


「今日、
 牧師先生が来た。」


「へえ。」


「いろんな話をした。」


「ふぅん。
 それで?」


「いろいろだ。
 いろいろ話して洗礼の話になった。」


「洗礼・・・」


「で、
 俺は牧師先生に言った。
 洗礼受けるからって。」


「へぇ。
 お父さんイエス・キリストを信じてるの?」


「うん。
 それで牧師先生といろいろ話してな、
 誕生日に一番近い日曜日で
 どうだろうという話になった。」


「2月?」


「そうだ。」


「わかった。
 その時は仕事休み取る。」


「うむ。」


実は、じじ宅に行く前に
携帯に牧師先生からメールが来ていた。
職場を出る時、私は読んで知っていた。
しかし私は
じじが自分からそれを言うのを待っていた。


「お父さん、
 私は16年前、
 札幌の教会でクリスマス礼拝の時に
 洗礼を受けた。
 冬至の日だった。
 16年前の洗礼式の時、
 一生分の祝福を全部頂いたと思ったよ。」


「そうか。」


「洗礼までに準備する事があるから
 牧師先生とよく相談して。
 牧師先生の話をよく聞くんだよ。」


「そうだな。」


天の父なる神様
感謝します。
イエス・キリストの御名によって
アーメン。

今日(ローマ14;7~8)

2007-10-31 21:40:26 | ローマ
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。(ローマ14;7~8)


今朝、
牧師先生に電話しながら
せわしなく出勤したであるよ。
結局、
賛美歌の資料は
よく見たら別紙にちゃんと入ってた。
牧師先生は葬儀のため富良野へ。


私は仕事。
出勤すると、
あのむごい苦しみと戦っていた人のベッドは
既に空になって消毒されていた。


親類は殆ど姿を現さず
友人らしい見舞客もなかった。
同室者同士のコミュニケーションもなく
我々スタッフだけがその人の視界に出入りする、
底冷えするほど孤独な日々。
始めの頃その人は泣いたけど
しばらくして泣かなくなった。
泣く事も出来なくなった。


ベッドの傍らに立つ人もなく
励ましたり手を握る人もない
孤立無援の戦いを
戦って
戦い抜いて
最後まで立派に
よく頑張りました。
お疲れ様でした。

時間(ローマ14;7~8)

2007-10-03 15:27:32 | ローマ
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。(ローマ14;7~8)


これまでに
生涯忘れられないような人々の死に直面した。


まともに直視できないようなむごい状態の死。
痛くて苦しくて精神的に破綻した末の死。
まだ死ねない死にたくないと
泣きながら頑張って力尽きた死。
末期癌の疼痛コントロールが成功して
愛妻手作りの卵焼きを味わいながら迎えた幸福な死。


私が病室に一歩入ると
満面の笑みと聞き取れない言葉で
「おはよう」とか
「また明日ね」と合図を送ってくる人達がいる。
今日は寒いとか暑いとか
天気悪いとかいい天気だねとか
私は毎日の事些細な事を
その人達と分かち合っている。
日々の生活のいろんな事に埋もれて
苛立ったりへこんだりする時に
自分が彼らによって癒されていると感じる。


彼らの中には
身内がいても
全く関わりが途絶えてしまっている、
長生きしている間に
子供達の方が年取って先に亡くなってしまった、
そんな身内が一人もいない立場に置かれた人もある。
天涯孤独。
私の祖父もそんな死に方をした。
そんな死に方とは、
誰にも見送られずに病室から搬送されて
霊安室に立ち寄る事すらなく
線香1本手向ける人も無く
祈りを捧げる人も無く
そのまま直接火葬場に直行する。
そのようにしてこの世の人生を終えるという事。


最愛の家族がいて
生きたまま身を引き裂かれるような
悲痛な別れを味わう人達とも
誰も見送る人のない
病室から火葬場に直行する人達とも
私は時間を分かち合ってきた。


眠れない長い長い深夜、
夜明けを迎えた空の色、
今日の天気、
ニュースや新聞や些細な日常の出来事、
午後の陽の長さ、
夕暮れの空の色、
明日の天気予報、
毎日毎日。
私達は分かち合ってきた。


この世で一緒に過ごす事の出来る時間は限られている。
バタバタと
仕事の合間にしか視線を交わす事が出来なくても
大河ドラマと和菓子と煎茶で
或いは笑点の大喜利とそばで
ゆっくりのんびり共に過ごしているつもりでも
私達は時間に追い立てられて四苦八苦する。


時間を分かち合うために
時間と戦っている。
時間という限られた器の中に
ありったけの楽しい事と
ありったけの面白い事と
ありったけの嬉しい事と
ありったけの感動する事とを
ぎりぎり一杯まで詰め込むために
時間と戦っている。


「うまい。
 おい、そのタマゴ味噌もくれ。」


これが最後の言葉になったUさんと出会った。
冗談が好きで人情家で親分肌で愛妻家。
闘病も末期になった頃、
自宅で鎮痛剤を使っていたが
痛みがひどくなると入院して薬剤を増量していた。
疼痛コントロールが出来てくると
また自宅に退院して行った。
何度か入退院を繰返す間に
Uさんは私が鎮痛剤の座薬をいれに行くと
手をあげておどけていた。


U氏:「ようっ尻係!(笑)」


夫人:「あらお父さん、
   おしりあい?(笑)」


井上:「しりません!(笑)」


U氏:「頼むぜ尻係さんよ!(笑)」


末期癌の痛みの日々に
こんな冗談を言って私達は笑った。
入院中、
奥さんが毎日病室に通って来て
Uさんは病院食の膳の横に手製の料理を並べていた。
毎日毎日。
奥さんは私の父と同年代でありながら
夏も冬も毎日毎日病室に通い続け
洗濯物を持ち帰り
洗った物と手料理と共にまた運んでいた。


Uさんは頑張っていた。
それ以上に奥さんはもっと頑張っていた。
戦っていたのだと思う。
時間を分かち合うために
時間と戦っている。
時間という限られた器の中に
ありったけの楽しい事と
ありったけの面白い事と
ありったけの嬉しい事と
ありったけの感動する事と
ありったけのおいしい事を
ぎりぎり一杯まで詰め込むために
時間と戦っていた。


その戦いがあったからこそUさんは
底抜けに明るい患者でいる事が
可能だったのだと私は思う。
良い事ばかりではなくて
嫌な事や職員への不満や気に入らない事も
Uさんははっきり言い表していた。


何回目の冬だったか、
大雪が降った日に
交通が麻痺状態で
私達は日勤の後しばらく帰る事も出来ず
ロビーでタクシー待ちした事があった。
Uさんがロビーの大型テレビでローカルニュースを見て
私達の事を気にしていた。


「何だ、
 まだ車が来ないのか。
 仕事終わって疲れてるのにまだ帰れないのか。
 そうか、
 除雪されてないから車がここまで来られないんだな。
 一体何時になったら除雪車が来るんだ。
 よし、
 オレが市役所に電話かけて文句言ってやる。」


・・(・o・;)


引き止めたけど
Uさんは本当に市役所に電話かけちゃった。
電話口で誰かにドえらい声で文句言って怒鳴っていた。
ふふふ
ハラハラしたけど有難かった。
ささくれ立って仕事していた時に笑えて
有難かった。


同じ頃に入院していた人達の中には
そんなUさんを見て
へこんでてもしょーがないわと
気づいた人がいたかも知れない。


どんな病気でも
一度病気を抱えると
Uさんのようでいられる人は少ない。
治るか治らないか、
検査データが上がったか下がったか、
見込みがあるのかないのか、
仕事はクビになるのかならないのか、
治療費払えるか払えないか、
高い新薬が効くか効かないか、
そんな現実に常に追い詰められて
一喜一憂する。
いつもいつもやきもきする。
白黒どっち?と。
底抜けに明るい笑顔の下では不安に苛まれ
日常に何かいい事あっても上の空で、
嬉しい事があっても喜べない。
そして皆、
同じ苦しみを共有している。
同じ苦しみと戦っている。


戦う相手は病気そのものではない。
自分自身の恐れや不安でもない。
本当の戦う相手は時間。
時間が相手。
それが私にとって患者さん達から教えられた事だ。
限られた期間に
患者さん達とその家族に出逢って教えられた。
どんな病気でも
病名を告知されて、
余命を宣告されてからは
時間との戦いになる。
残り時間が長くても短くても関係ない、
時間との戦いになる。
どんな立場の人であろうと
どんな病であろうと
これには一人の例外もないと思い知らされた。
何故なら相手は時間だから。


時間という限られた器の中に
生きて味わう事の出来る最大限の喜びを詰め込む。
共感し共有し分かち合う事の出来る喜びを、
出来る限り最大限詰め込む。
気づいていてもいなくても
誰もが皆そういう戦いをしている。


もちろん
初めから放棄してしまった人達もいるし、
途中で投げ出してしまう人達もいる。
それはそれで辛い。
戦っても放棄しても
時間は容赦なく過ぎ去っていく。
しかし
Uさんも奥さんも勝っていた。
私は思う。
あの人達は長い時間との戦いに勝ったと思う。


Uさんの最期の日、私は夜勤明けだった。
夜半に急に苦しいと訴えて
Uさんは救急車で搬送されて来た。
鎮痛剤を微量だが増量して
明け方近くからやっと少しうとうとしていた。
Uさんが落ち着いたので
奥さんは一度帰宅して
朝ご飯のおかずを作って持って来たのだったろうか。
それともおかず持参で入院準備して来たのだったろうか。
よく思い出せないが
朝食の時間になった。
Uさんは普通にベッドに起き上がって
経鼻カヌラから酸素を微量ずつ吸いながら
朝ご飯を食べ始めた。
奥さんの手料理に箸をつける。
食欲はしっかりある。
食事の様子を見届けて病棟を巡回していると、
しばらくしてブザーで呼ばれた。


「看護師さん、
 お父さんが
 卵焼きを食べてたら動かなくなった。」


Uさんは手に箸を持ったまま
呼吸が止まっていた。
医師を呼び、
心肺蘇生を施した。
誤嚥かと咄嗟に思って
口をこじ開けたが何も無く、
チューブで吸引したが
口腔内からも気管内からも何も出て来なかった。


「お父さんが卵焼き食べて、
 うまいって言って、
 私に、
 おい、その卵味噌もくれって言ったから
 出してやったら箸持ったまんまで動かなくて。
 眠いのかと思って
 食べないの?って声かけたら
 何だか息してなくて。」


何年もの長い闘病生活の一番最後の瞬間に
愛妻の卵焼きを食べて


「うまい。
 おい、その卵味噌もくれ。」


これがUさんの最期の言葉。
一番最後の瞬間まで愛妻の卵焼きを味わっていた。
(あ、卵味噌はちょっと心残りだったかも。)


誰もがUさんのように
幸せな最期の日を迎える事は
出来ないかも知れないけど
私はあの日から密かに
目標をここに置いた。
高い高い目標であるが
不可能ではない筈だ。
じじに対して
今関わっている患者さん達に対して。


しんどい現実の中で
希望をもたらす人と出会った。
主なる神がUさん夫妻を通して
何を私にお示しになりたかったかを考えた。
ここに引っ越して来て間もない頃に聞いた、
ある司祭の言葉が浮かんでくる。


 私達は誰かを許すために、誰かを愛するために、
 この世に生まれて来ました。
 私達は人を許すために、愛するために、
 生命を与えられ、生かされています。
                 (ロンデロ神父)


いつも病室でお喋りして、
喧嘩して騒いで、
お互いを楽しませて、
冗談言って笑って。
笑って。
それが武器なんだよ。
時間の器の容量があとどの位かは誰も知らないから、
気づいたらもう幾らも残ってないかも知れない。
それでも私達は
誰かの時間の器の中に詰め込む。
生きて味わう事の出来る最大限の喜びを、
共感し共有し分かち合う事の出来る喜びを、
出来る限り最大限詰め込む。
ギリギリまで。


あのお方が一緒にいて下さるから
大丈夫。
きっと出来る。

玉砕(ローマ14;7~8)

2007-08-13 02:52:38 | ローマ
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。(ローマ14;7~8)


今日は遅出日勤の仕事帰りに
いつものようにじじ宅に行って家事。
大河ドラマを見た後に
『ゲゲゲの鬼太郎』の作者水木しげる氏の特番を見た。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/index.html


第二次世界大戦中、
南方の島で体験したこの世の地獄を
水木氏はマンガに表現した。
番組の中で
戦地でよく水木氏をぶん殴った上官の
亡霊が言った言葉。


「いいか。
 お前は元気で愉快に100まで生きろ。」


そう。
「元気で愉快に」が大事なんだよ、じじ。


その上官が自決した後、
水木氏達は全員玉砕を命じられる。
玉砕を強要した上官は
水木氏達の玉砕を見届けて報告する任務があるからと
逃げる。
水木氏が歌い始めた『くるわ小唄』を
全員で歌うシーンが印象的だった。


『くるわ小唄』
 わたしゃくるわに咲いた花
 昼はしおれて夜に咲く
 夜ごと夜ごとのあだ枕
 私は何でこのような
 辛い務めをせにゃならぬ
 これも是非無い
 親のため


 好きなお客の来た時は
 上る階段いそいそと
 開けるふすまは夢のよう
 取り持つ仲居さん親のよう
 私は何でこのような
 辛い務めをせにゃならぬ
 これも是非無い
 親のため


 嫌なお客が来た時は
 上る階段針の山
 開けるふすまは火の扉
 取り持つ仲居さん鬼のよう
 私は何でこのような
 辛い務めをせにゃならぬ
 これも是非無い
 親のため


 唄はさのさかどどいつか
 うたの文句じゃないけれど
 お金も着物もいらないわ
 元の娘に戻りたい
 私は何でこのような
 辛い務めをせにゃならぬ
 これも是非無い
 親のため


 これも是非無い
 "国"のため


その番組をみているうちに
同様に南方で地獄を味わって生還した人の事を
思い出した。
弾薬も食糧も尽き果て、
ムカデを生きたまま食べたとその人は言った。
死体に湧いた蛆も食べたけどまずかったとも言った。
ジャングルの中を彷徨い、
上官が部下を拳銃で撃ち殺して肉を食った。
それほどの地獄を体験して
水木氏同様に生還したその人の事を
私は去年自分のブログに書いていたので
引っ張り出して来た。


『南の島 ぱんくず日記 2006-09-09 16:41:41』


救急病院の外科で病棟勤務をする事になって
患者さんの生々しい戦争体験を聞かされた事がある。


私達にその話をしてくれたKさんは、
第二次世界大戦中に南の島で地獄を味わい、
その体験を元に自分で手記を出版していた。
Kさんはその手記を家族に持って来させ、
ベッドサイドに置いていた。
腹痛と嘔吐とショックで搬送されて来たKさんは
直腸癌だった。
既に進行し過ぎていて切除不能。
手術は消化管バイパスのみだった。


KさんがICUから出て来た最初の晩、
私は深夜の勤務だった。
Kさんの受け持ちは先輩だった。
出勤して申し送りを受け、
最初にまずKさんの部屋に入って絶句した。


Kさんはベッドサイドに仁王立ちになって
手首の動脈ラインをわし掴みにして、
私達の目の前で一瞬のうちに引き抜いた。
動脈血が壁や天井に吹き上がった。
慌てて手首を押さえているうちに
Kさんは反対の手で
鼻から差し込まれていたバルーン付きの太いチューブを
引き抜いた。
(バルーンも膨らんだまま!)
手術で縫ったばかりの腹の傷のガーゼは尻の下に敷かれ、
腹に差し込まれたドレーンが露出していた。
先輩が叫んだ。


「ジブがない!」


背骨の硬膜外に留置して
鎮痛目的に麻酔剤を流す細いカテーテルの先には、
麻酔剤を100ml入れた卵形の、
当時よく使われていた「ジブ」という注入器が
つながっていたはずだった。
背中には細いチューブだけが虚しくぶら下がっていた。
ジブは後になって床頭台の引き出しの中から
コロコロ・・・と発見された。
造設されたばかりの人工肛門のパウチも
剥されて何処かに行ってしまっていた。


外科医を呼んで処置をした。
硬膜外カテーテル、経鼻胃ゾンデ、経鼻イレウス管、
中心静脈ライン、末梢静脈ライン、動脈ライン、
手術の傷のガーゼ、人工肛門のパウチ、
膀胱に留置した排尿カテーテル。
Kさんはあれもこれも自分で毟り取ってしまって、
唯一抜かれずに残っていたのは中心静脈ラインと
膀胱に留置された排尿のチューブだけだった。
中心静脈ラインには
抗不整脈剤や降圧剤の精密持続注入器が
何台もつながっていた。
もし抜いたら急変の危険も起こり得る。
外科医の怒りが爆発した。


「看護婦は一体何を見ていた!
 絶対に目を離すな!」


だからといって
夜勤の受け持ち患者は外科だけで20人以上いる。
混合病棟だったので循環器内科の患者も合わせると68人。
夜勤の看護師は3人。
Kさん一人をじっと見張っている訳には行かない。


Kさんは
苛立ったり興奮してチューブを抜く訳ではなかった。
自分の身体にくっ付いている異物への
知的関心と違和感から興味津々で触っているうちに
引っ張って抜いてしまうのだった。
そんな人をベッド上にヒモで縛り付けるなどは論外だ。
抑制帯で縛って興奮させるよりも
話し相手をして関心を逸らす方が良い。


「中心静脈だけは絶対に守らなきゃ!」


そう言って先輩は車椅子に乗せたKさんを連れたまま
各病室を巡回した。
それでも少し目を離した隙に
Kさんは人工肛門のパウチを剥し、
腹の表面に出た結腸の断端を留めるロットを引っ張り、
尿の管を引っ張って


「これ、なかなか抜けないんだよねぇ」


と、事も無げに明るく笑っていた。


一足先に自分の仕事を片付けた私は
先輩に代わってKさんを連れて戻り、
温度板整理と記録に取り掛かった。
外からは既に朝日が差し込んで、
厨房から患者さん達の朝食を積んだ台車が
味噌汁の匂いと共に運ばれて来た。


「僕は、まだ何も食べられないのかな。」


Kさんは空腹を訴えた。
まだ手術から3日しか経っていないので
もう少しの我慢だと話すと、Kさんはあっさり納得した。
Kさんは自分の著作を大事そうに持っていた。


「井上さん、これ、僕が書いたんだ。読んでみてよ。
 この本の事でNHKが取材に来た事もあるんだ。
 それにしても腹へったなあ。」


それはKさんの南の島での戦争体験の手記だった。


「今はまだ水も飲めないから、辛いでしょう。」


「そうだねえ。」


Kさんの話を横耳で聞きながら私は看護記録を書いた。
Kさんは旧帝国陸軍にいたという。


「出征してしばらくは上海にいた。
 その時に歌手の李香蘭が慰問に来たよ。
 李香蘭、ナマで見たんだ。
 綺麗だったねえ。
 李香蘭はリコウランではなくて、
 リー・シャンランて読むんだよ。
 でも上海には少しの間しかいなかった。」


私は看護記録を書きながら李香蘭の歌を歌った。
Kさんは機嫌よく一緒に歌ってくれた。
カテーテルから気を逸らせる事が出来た。
「紅い睡蓮」
「蘇州夜曲」
「夜来香」


「井上さん、上海に行った事ある?
 いい所だったよ。上海は。
 その後僕達は南方に行かされてさ。」


南の島。
それはまさにこの世の地獄だった。
第二次世界大戦末期に、
島に取り残されたKさん達は
水も食糧も無い熱帯の島で飢えて彷徨った。


「上官の奴がさ、
 頭が変になって部下を撃ち殺してさ、
 肉を食ったんだよ。
 何だか一人いない、二人いないって思ってたら
 撃ち殺されて食われてた。
 病気の奴は殺されないんだ。
 病気の奴の肉なんか食ったら病気が感染っちゃうから。
 皆マラリアとかさ、
 病気に罹った奴が一杯いたからね。
 食う方だって自分が生き延びたい訳だからさ、
 元気そうな奴が狙われた。
 狙われて野営地から離れた所で撃ち殺された。
 本当の話だよ。
 僕達はさ、飢えて腹へったら何だって食ったよ。
 そこいらの草でもネズミやヘビや・・・
 虫なんかでも食った。
 ムカデとかも。」


「ムカデ?焼いて?」


「いいやまさか。焼いてる暇なんかないよ。」


「でも、ムカデって噛むでしょう?」


「相手も噛むかも知れないけどさ、
 こっちも腹へってるから噛まれる前に食ったよ。」


「生で食べたんですか。」


「そう。」


「味は?」


「美味いも不味いも無いけど、まあ、
 マシな方だったんじゃないかな。」


「・・・」


「一番美味しくなかったのは、蛆だね。
 死体に湧いてる蛆。」


Kさんはあの時何を思っていただろう。
草木も小動物も虫も何もかも食べ尽くし、
人間が人間を喰うほどの極限の飢えを
若い頃に体験した人が私の目の前で
一緒に李香蘭の歌を歌いながら、
消化管に出来た癌のため絶飲食に耐えていた。
歌を歌って耐えていた。


早々と出勤して来た外科医が隣で
私達の会話を聞いて固まっていた。
その手に指示表があった。
“水分摂取OK。
 今日は一日200mlまで。
 嘔気出現時Dr call。
 嘔気無ければ明日以降増量可能。”


「水でいいんだ。
 一口だけでいいから飲みたいなあ。
 贅沢は言わないから。」


「Kさん、今一番飲みたいのは何?
 もし許可が出たら、最初に何が飲みたい?」


「バーボン。」

そこに、いる。(ローマ14;7~8)

2007-07-17 14:11:24 | ローマ
私たちの中でだれひとりとして、
自分のために生きている者はなく、
また死ぬものもありません。
もし生きるなら、主のために生き、
もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
ですから、
生きるにしても、死ぬにしても、
私達は主のものです。(ローマ14;7~8)


ここしばらくずっと
ただ時間に追われて動いて
夜になったら疲れて電源が落ちるみたいに眠って
ものを考えなかった。
考えても優先順位をずっと後に下げて
何も考えていないように自分で意識下に埋めて
目を逸らしてきたものの幾つか。


その一つは、
自殺する事について。


単純な疑問。
自殺したら苦しみや悩みから解放されて
楽になれるものなのか?
誰がそれを体験して誰にどうやって証明したのだろう?


受洗する前に
三浦綾子さんの『道ありき』を読んだら
その中に自殺の罪は殺人の罪よりも重いと書いてあった。
意味をしばらく考えたのを憶えている。


キリスト者にとって自殺は
大罪の一つとされている。
キリスト者の生命観、
生命が誰のものかを考えると
自分のものでない生命を殺すのは
他殺だろうと自殺だろうと罪だ。
殺人を犯した者には
裁かれて罪を悔い改める道が残されているが
自殺した者は
道そのものまでも自らの手で抹消してしまうので
何も選択肢が残されていない。
だから自殺の罪は
殺人の罪よりも重いと言われるのではないだろうか。
自分なりにそう解釈して勝手に納得した。


『自殺は大罪』。
この考え方は
真面目な信仰者にとっては
自殺企図の抑止力を持つのかも知れない。
でも信仰を持たない人や
精神的に追い詰められたり
死にたい衝動にただ駆られる人にとってはどうだろう。


受洗よりももっと以前、
教会につながってもいなかったもっともっと昔、
信仰とは無縁だった頃に
私は自殺する事について考え込んだ事がある。
20歳代の頃に
たまたま救急車で搬送されるほどの心窩部痛を起こして
入院し手術した病院で
隣のベッドにいたおばあさんと私は仲良くなった。


そのおばあさんは
総胆管結石で今ひとつ経過が思わしくなくて落ち込んでいた。
私がそこに入院する前、
おばあさんは気分が毎日塞いで
よく最上階のデイルームで一人
ぼーっと過ごしていたと言った。


ある日、
いつものようにおばあさんが来ると、
普段は人気のない最上階のデイルームには先客がいた。
薄い紫のガウンを着た中年の女性がいて、
窓を開けて風に当たっていた。
おばあさんは誰とも喋りたくなかったので
壁の方を向いて座っていた。
背中越しに、
その女性が声をかけてきた。


「おばあさん、
 窓開けたら寒いかしら。」


おばあさんは振り向きもせずに答えた。


「いいや。
 寒くないですよ。」


少し間があって、
その女性はまた話しかけてきた。


「おばあさん、
 止めないでね。」


おばあさんが振り返った時、
その女性の体は既に窓の外にあって、
手だけが窓枠を掴んでいた。
風で薄紫のガウンがはためいたのを一瞬見たと思った、と
おばあさんは私に語った。
声を出す間もなく、
女性の手は窓枠を離した。


各階の窓に、皆が見たであろう。
何か大きな鳥のような影のような物体が一瞬、
上から下に真直ぐ通過したのを。
真下は国道に面した病院の正面玄関だった。
人通りの多い歩道のコンクリートの上に
その人は叩きつけられた。


ビルの10階からスイカを落としたような光景だったと
長く入院していた人達が話していた。
通行人が巻き添えにならなくてよかったと
話に加わった人々が言っていた。
その女性が
何の病気で精神的に追い詰められたかを
私は話に聞いたが、
ここには書きたくない。


やがて私は退院して
通院のために再びその病院に来た時、
玄関の前で足が止まった。


歩道のコンクリートに
うっすらとしみが残っていた。
あの女性は
死んで
逃れる事が出来たのだろうか。
肉体の苦しみから。
心の苦しみから。
闘病生活のあらゆる悩みから。


高い場所から飛び降りたら
確実に死ねるなどと
一体誰にわかるのだろう。
肉体は破壊されて滅び、消える。
でも
魂までが確実に死んで楽になれるなどと
一体誰が証明出来るのだろう。


死んだらああなるとかこうなるとか
宗教めいた迷信には全く興味ない。
光り輝く世界があるとか
川が流れて花が咲いてるとか
どうでもいい。
くだらない。
死んで自分の肉体が滅びると共に
苦しむ自分の魂も一緒に死んで
確実に消えて無くなるなら
私も迷わず実行に移す。
しかし魂まで確実に死ねると
どうしてわかるのだろう。


道路の“しみ”を見た時に、
その疑問が湧いてきた。
「死んだら楽になれる」という思いそのものが
迷信に過ぎないではないか。


道路のしみを見て以来、
私には
その女性がまだ死ねずにいる気がしてならない。
病苦と心の悩みを抱えたまま
コンクリートに激突し
肉体が破壊される最期の瞬間を味わったまま
そのままずっと
20年以上経った今も
地面に縛り付けられて動けずにいる気がして。

受難週(ローマ14;7~8)

2007-03-21 21:51:00 | ローマ
受難週が近づくとA君を思い出す。
彼は私達の教会の教会員である。
私達が老朽化した会堂の新築を
実行に移そうとした頃だった。
A君は取り壊す前の思い出残る古い会堂で
結婚式を挙げる予定だった。
5月の挙式が決まり、
教会家族の温もりの中での結婚式を
皆でほんわかと楽しみにしていた。
A君はその日曜日、
礼拝の後皆と雑談で話していたという。


「これから中標津の実家に行く。
 うちの両親と式の事でいろいろ相談するので。」


御両親が楽しみに待っている。
A君は教会を出て実家に向かった。
そして二度と戻って来なかった。


その日曜日、
私は礼拝には行かず
夕方4時半からの準夜出勤の前に
父の入院先の脳外科に行った。
脳梗塞の再発した父に洗濯物を届け
急ぎ勤務先に向かおうとしたのは4時ぎりぎり。
日曜日なので
脳外の出入口は救急出入口しか開いていなかった。
処置室が騒がしかった。
扉が開きっ放しで、
誰かに心肺蘇生を施していた。
私は外に出ようとして救急車に阻まれた。
ストレッチャーが降りて来て、
体格のいい男性が搬送された。
閉眼しぴくりとも動かない。
「交通外傷!CPA!CPA!」
救急隊員と外来スタッフの声が私の耳に残った。


「さっきここに来る時、
じじの入院先から来たんだけどさ、
何かひっどい交通事故あったみたいよ。」
「へえ。現場どこだろうね。」
「さあ・・ニュースとかまだ見てないからなぁ」
私は同僚達とそんな会話をして、
私達はいつものようにバタバタ走り回って、
その夜はさほどのトラブルもなく、
急変や急患入院もなく、
順調に仕事が終わった。午前1時半。
帰り間際に携帯を見ると、
Fさんからメールが入っていた。
『A君が今日亡くなりました。
教会で礼拝の後、
結婚式の打ち合せのために実家に向かう途中、
車の事故でした。』


あの時、自分の目で見ながら
どうして私は気付かなかっただろう。
搬送されて来たストレッチャーの上の
あの『CPA!』は、
A君だった。
翌朝、
ローカルニュースにも地方紙にも出ていた。
A君の車は踏み潰されたような姿で
ぐちゃぐちゃに大破していた。
そこは市の郊外で、
人も車もあまり通らず、
事故発生から通報まで時間がかかり、
潰れた車からやっと脱出させるまで
さらに時間がかかり、
脳外の救急外来に搬送されたのは
発見から2時間半後。
それまでA君は
あのぺしゃんこに潰れた運転席に
ずっと挟まれていたのだ・・・。


翌日も夜勤で
私は葬儀に参列出来なかった。
慌ただしくA君の実家の町に向かう
教会の中間達の姿を思い浮かべた。
教会で挙げる結婚式が
葬式に取って替えられてしまった。
2ヵ月後に結婚式を挙げる筈の人の葬式を
どうして私達の教会はしなければならないのか。
郊外の道をA君が実家に向かった時、
どうしてよりによって
無免許、無保険、無車検で指名手配中の人物が
対向車線をはみ出し
突っ込んで来たのか。
時間がずれていたら。
あと数分、いや数秒。
考えても仕方のない事ばかり考えた。
現実が受け入れられないとはこれだ。


夜勤が終わって、
近所の聖堂に立ち寄った。
黙想・・というよりも
ただぼーっとしに行ったようなものだ。
その日、
イタリア人の神父様が声をかけてくれたので
少し話をした。
私はA君の事を話した。
どうしてこんな事になったのか、
何か神様の御計画があるとか、
何か意味があるとか、
復活するとか天国に行くとか、
どれもこれも納得出来ない、
私がそう言うと神父様は嘆息した。


「何も言えない。
 わかったような事や、
 偉そうに悟った事は、
 僕には何も言えないよ。」


そうだ。
誰も何も言えないのだ。
この現実に対して。



間もなく受難週が過ぎ、
復活の主日、
私は早朝に朝祷会の早天祈祷会に参加した。
会場はバプテスト、
説教は私達の教会の牧師先生だった。
たくさんの教派の牧師、宣教師、教会員達が
集まって盛会だった。
昇ったばかりの低い朝日をガラス越しに受けて
テッポウユリが美しかった。
水野源三の詩のような美しい朝が
無性に悲しかった。
その後、
私達の教会で復活の主日礼拝が始まった。
賛美歌が始まった時、
皆の歌声の中に
A君の声だけが聞こえなかった。
誰かが教会からいなくなるという事は
こういう事なのだと思った。


数いる教会員の一人に過ぎない
私のような者でさえ、
受け入れるまでに時間がかかったこの現実。
2ヵ月後にA君の花嫁になる筈だった人は
この現実をどうやって受け入れたのか。
息子の結婚式を楽しみに心待ちにしていながら
突然何の補償もなく息子を奪われた人達は
この現実をどうやって受け入れたのか。
花嫁になる筈だった人は心を病んでしまった。
音信は途絶え
今では連絡先すらわからない。


A君の御両親は熱心な仏教徒である。
しかし息子の生前の信仰を尊重してやりたいと、
キリスト教での葬儀を受け入れて下さった。
息子を何の補償もなく奪われた御両親に
私達は何かしたかった。
しかし私達に一体何が出来るのか
かける言葉すら考えつかないまま
会堂新築が着工し
A君達が結婚式を挙げる筈だった
思い出の古い会堂は解体された。
ある日、A君の御両親が牧師を通じて
献金を捧げられた。
それはA君が長年勤めた職場の退職金だった。


A君が新会堂の完成を楽しみに話していた事、
そのためにいろいろなアイデアを考え、
新しい会堂の姿を思い描き夢見ていた事を、
御両親は牧師先生に話し、
退職金は息子が夢見ていた新会堂のために
役立てて欲しいと申し出られた。
私達は知っている。
長い勤続年数の間、
A君がどんな思いをして働いていたか。
A君は生前、
過労からパニック障害を病み、
大変な思いをして克服し職場復帰していた。
初対面の時、
自己紹介で明るくさらっと私に語っていた。
血の滲んだ年月を。
血の滲んだ退職金。
待ち望んでいた息子の夢をこんな形でしか
実現出来なくなった親の気持ちを
一体誰がどんな言葉でどんな行為で
慰める事が出来るだろう。
復活を信じながら
その秋の新会堂完成を皆で目指しながら
正直、私は悲しかった。
つい思ってしまったからだ。
A君がいたら・・と。
A君の御両親と親戚の方々は
今も毎年昇天者記念会に来て下さる。


Fさんと話した。
A君の事故以来、
毎年四旬節には思い出す。
Fさんも克明に覚えていて
私にメールした事や
事故と判ってからの皆の動きなどを話した。
自分達の教会生活の中で
あれほど衝撃を受け
現実を受け入れられず
意気消沈した辛い経験はなかった。
もう5年も経つのに昨日の事のようだ。
A君のご両親は立派な信仰者だ。
信仰者だからこそA君の信仰を尊重して
毎年私達の教会を訪ねて下さるのだ。
A君が夢に描いた教会で結婚した各家庭には
それぞれ子供達が生まれた。
受洗者も加えられた。
教会は今、明るく賑やかだ。

ローマの信徒への手紙読了

2007-03-16 00:40:00 | ローマ
かつての迫害者パウロが
神の御手によって変えられ宣教者となり
ユダヤ人以外の異邦人にも救いをもたらした。
パウロの働きを通して
福音は全世界に広がり
2000年の間に
地球の裏側にいた原始人も
救いに与れるようになった。
先に神に選ばれた人々は
特権意識にあぐらをかき他者を見下し
責任を果たさなかった。
神を知らない人々や
救いに与れずにいる全ての人々に
福音を伝える責任を。
だから神の国は
彼らから取り上げられた。
先に信じた者には責任がある。
自分は責任を果たしていると思うかい?
パウロが問い掛けてくる。

歴史(ローマ1;1~7)

2007-03-15 21:35:00 | ローマ
パウロ書簡をローマ書から読み始めて、
ハタと思った。


パウロ達の活躍した時代、
日本はその頃何時代だっんだろう?


パウロがローマ書を書いた当時、
日本は縄文時代か?
狩りをして土器に縄で模様を付けてたのか?
いや弥生時代か?
石器を作って農耕をやっと始めた頃か?


パウロがローマ書を書いた当時、
我々の祖先はまだ原始生活だったのか?
あれ?卑弥呼の時代か?


新約の時代のエジプト、ギリシヤ、ローマ、
そしてユダヤの人々から見れば我々の祖先は
文明人から見た原始人も同然。


しかし原始人も2000年経つと聖書読んでる。

練達=品性=徳(ローマ5;3~5)

2007-02-20 00:29:00 | ローマ
2007年02月20日00:01
品性、『錬られた品性』という言葉が
パウロの手紙に確かあった。
有名な箇所。
何訳だったかな。


口語訳は
『・・患難は忍耐を生み出し、
 忍耐は練達を生み出し、
 練達は希望を生み出す・・
 そして希望は失望に終ることはない』


新共同訳は
『・・苦難は忍耐を、
 忍耐は練達を、練達は希望を生む・・
 希望はわたしたちを欺くことがありません。』


忍耐、練達、希望の中の
『練達』=品性


2007年02月20日00:17
ああ、見つけたぞ。
同じローマ5;3~5の、


新改訳
『・・患難が忍耐を生み出し、
 忍耐が練られた品性を生み出し、
 練られた品性が希望を生み出す・・
 この希望は失望に終ることがありません。』


現代訳(尾山令仁訳)
『患難によって、
 忍耐を自分のものとすることができるようになり、
 忍耐は、私たちをりっぱな品性の者とし、
 りっぱな品性は、
 永遠の救いへの希望を抱くようにさせる。
 そして、
 この希望はどんなことがあっても、
 私たちを失望落胆させることがない。』


練られた品性
りっぱな品性
では品性って何?


2007年02月20日00:29
別の訳も見ると、
どうよ、
ちょっとつかみやすい表現かも。
同じくローマ5;3~5の、

バルバロ訳
『・・患難は根気を生み、
 根気は鍛練された徳を生み、
 鍛練された徳は希望を生む・・希望はあざむかない。』


フランシスコ会訳
『・・苦難は忍耐を生み、
 忍耐は試練にみがかれた徳を生み、
 その徳は希望を生み出す・・
 この希望はわたしたちを裏切ることはありません。』


品性=徳!orz


このローマ5;3~5は
痛い時に読むと傷に塩を塗り込まれる。